僕だけのピュルテ

 蓮梨(れんり)先輩の大会が終わってすぐ期末テスト週間に入って、なんとかかんとかテストを乗り切って、気づけば一学期が終わろうとしていた。
 本格的に暑さも厳しくなる中、テスト明け最初の部活では、アイスを作ろうという話になった。ただ、アイスは固まるまでに時間がかかるため、朝に材料を混ぜて冷凍庫に入れておいた。そのあとは休憩のたびに交代で様子を見ながらかき混ぜて、放課後は……そう、食べるだけ!

「上手く固まって良かったね〜」

 部長かつ同じ班のメンバーでもある如月(きさらぎ)先輩が、安心した表情でアイスをぱくりと食べる。隣に座る高橋(たかはし)先輩もまた、うんうんと頷きながら美味しそうに食べ進めている。
 俺も一口……と口に含むと、ひんやりとした温度が心地よく伝わり、素朴で優しい甘さがじんわりと舌に広がる。

「美味しい……」

「良かった良かった、蓮梨にも自信持って渡せるね」

「っ、高橋先輩……」

 週にたった一度といえども、毎週のこととなると周りも気づくらしい。俺たちのやり取りを知った高橋先輩に、少し前からちょこっと揶揄われるようになってしまった。

「そういえば、夏休みは蓮梨とどこか行くの?」

 ドキンと心臓が飛び跳ねた。頭の中をいきなり見透かされたみたいだったから。

「いえ……今のところは、何も……」

「そっか〜。(いちご)が誘ったら蓮梨喜びそうだけど」

 蓮梨先輩と仲のいい高橋先輩にそう言ってもらえるのは嬉しいけれど……。夏休みに遊びに誘うなんて、俺にとってはあまりにもハードルが高すぎる。

 
 夏休み、それは学生に与えられる約一ヶ月間の自由時間。中学までの自分の過ごし方を振り返ると、基本的には家と部活の往復……あとはお盆におじいちゃんの家に行ったり、少しだけ歩と遊んだりしたくらい。気になる人とのお出かけなんて、俺の人生には全く縁がなかった類いのイベントだ。

 蓮梨先輩はこれまでどんな夏休みを過ごしてきたのだろう。海、プール、バーベキュー、花火大会……夏らしいキラキラなイベントに先輩が参加しているところは容易に想像できる。
 あれだけかっこいいのだから、恋人の一人や二人くらいはいたことがあるのだろう。やっぱり、手を繋いだりハグをしたりしたのだろうか……って、それは俺もしてるから当然か。
 恋人なら、もっともっと甘いこと、蓮梨先輩とできるのかな。先輩は……誰と、どこまで、進んだことがあるのかな。知ったところで何にもならないのだけど、どうしてかすごく気になってしまう自分がいた。



 外が暗くなり始めた頃、部活を終えた蓮梨先輩はいつものように会いに来てくれた。今日のスイーツがアイスクリームだと知ると目を丸くして驚いていて、なんだか可愛かった。「外暑かったから最高だな〜」とニコニコ笑って食べてくれるから、胸いっぱいに幸せが広がる。

 蓮梨先輩と俺は今日も手を繋ぐ。暑くないのかなって思うけど、そんなことを聞いて手を離されたら多分後悔するから黙っておく。憧れの先輩の大きな手に、許される限り触れていたい。

「調理部って、一学期は来週が最後だっけ」

「っ、はい、そうです……」

「だよね〜、寂しいなぁ」

 あれ、これってチャンスなのでは? 
 俺も寂しいから夏休みに会いませんかって、今なら自然に言えるのでは……?
 いや、待て待て、蓮梨先輩が嘆いているのは、俺に会えないことに対してではなく、お菓子を食べられないことに対してかもしれない……そこを勘違いしたら恥ずかしすぎる。

「……苺ちゃん」

「っ! は、はい」

「あのさ――」

 先輩が次に続く言葉を言おうとしたそのとき、

「れーんーりっ!」

「おつかれいっ」

 背後から勢いよく蓮梨先輩に抱きつく二人組……!

芦屋(あしや)先輩と八城(やしろ)先輩⁉︎ はぁ、ビックリしました……」

「えへへー、たまたま蓮梨いてテンション上がっちゃってさ」

「最近あんまり話せてなかったし」

 芦屋(そう)さん、三年生。
 八城(りん)さん、同じく三年生。
 彼らはイケメン集団と呼ばれる四人のうち、蓮梨先輩と水上先輩を除いた残りの二人に該当する。
 噂によると、この二人は入学したばかりの蓮梨先輩たちの美しさに感動し、積極的に話しかけるようになって……そして、その様子を見た周りの生徒が、四人合わせて「イケメン集団」と呼ぶようになったらしい。

「ん? 君は……」

「っ!」

 芦屋先輩と目が合って、思わず蓮梨先輩の後ろに隠れてしまった。怖い人じゃないことは分かっているけれど、俺にとっては二つも上の先輩だし、校内の芸能人みたいな存在だから緊張してしまう。

「あー! 最近、蓮梨が夢中になってる子か!」

「ああ! 確か、苺って名前の……」

 名前がバレている……。いつから? どこから?
 俺はかなり地味な方だという自覚があるのに……。
 ……ああ、歩と一緒にいるからかな。歩は本当に可愛い顔をしているから、一部の男子からはお姫様だと言われているみたいだし。横にくっついている俺の情報も少しだけ知っている、というようなところだろう。

「ってことは、俺たちデートの邪魔したってこと⁉︎」

「うわ! そうだよ凛、俺たち邪魔すぎ!」

「そ、そういうんじゃないですから!」

 蓮梨先輩が咄嗟に発した言葉が、チクリと胸に刺さった。冗談でも「デート」だなんて言われたくないんだ。俺とそういう関係に見られるのは、やっぱり嫌なんだ……。

「苺ちゃん、ごめんね。先輩たちもうどっか行ったから……」

「っ、ぁ、は、はい」

 気をつけなきゃ。憧れの蓮梨先輩に仲良くしてもらっているから、いつのまにか自分も同じくらい素敵な人になれたと錯覚していたのかもしれない。先輩の恋人に間違われるとしたら、歩のような可愛い人が相場だろう。ちゃんと、現実的に考えなきゃ。無駄にがっかりすることになる。

「……あ、先輩、さっき何言おうとしてたんですか……?」

「さっき……あー、ううん、なんでもないよ」

 先輩が何を考えていたのかも分からないまま、その日はバス停で別れてしまった。夏休みのお誘いも結局できなかった。
 
 なんだか今日は、モヤモヤする。





 夏休みまでの一日一日、蓮梨先輩と過ごせる貴重な時間なのに、あれからもう一週間が経ってしまった。調理部にとって今日は一学期最後の部活の日。つまり、先輩と話せるのも今日が最後……。

「い〜ち〜ごっ」

「っ! (あゆむ)……びっくりした」

 帰りのホームルームが始まる頃、歩に額を優しく弾かれた。多分ここ一週間の俺が沈んでいることには気づいていたと思う。無論、歩以外のクラスメイトからしたら、俺なんていつも無表情の何考えてるか分からない人間だろうけど。

「苺さ〜ん、まだ迷ってるんですか〜」

「……うん」

「はぁ……俺を見なよ、苺」

「うん……歩のこと見習わなきゃってずっと、」

「あーあー違う違う」

 何が違うんだ。歩はいつもまっすぐに水上先輩を想っていて、自分からどんどん行動してその想いを伝えていて……俺もこんな風にならなきゃって……。

「俺を見たら怖くないでしょって話」

「へ……?」

「何年も好き好き好き〜って言い続けて、恥ずかしい気持ちも捨てて分かりやすくアタックしてさ。それなのに、いまだに弟くらいにしか思われてない。滑稽でしょ? 何もかも失ってる俺を見たら、元気出るかなって――」

「そんなことない!!」

 大きな声を出してしまってから、ここが教室だと思い出す。歩もかなり驚いた顔をしているけれど、今はこう、すごく、反論したい……。

「……滑稽だなんて、一度も思ったことない。歩はいつもすごく可愛くて、かっこいい……俺が水上先輩だったら、絶対に嬉しい、から……自分のこと、そんな風に、言わないで……」

「苺……ここ数年で一番長く喋ってるんじゃない」

「っ、い、家では毎日、いっぱい喋ってる……」

 気づけば周りは俺たちのことなど気に留めておらず、教室はいつも通りの騒がしさを取り戻していた。歩だけが俺のことを見つめていた。その大きな瞳をうるうるさせて。

「苺……ありがとね。励ますつもりが励まされちゃったよ」

「そんなこと……」

「でも、苺が言ってくれたこと、そのまま返すからね。甘伊先輩のこと考えて頑張ってる苺は、すごく可愛くてかっこいいんだよ。だから自信持って?」

「……!」

 自分に自信を持つことは、きっと多くの人にとって難しいことなのだと思う。でも、大切な親友が俺にくれる言葉に嘘はないと知っている。だから、昨日よりほんの少しだけでも、自分のことを好きになれるんだ。

「歩、ありがとう……今日、頑張ってみる」

 歩にそう宣言した直後、帰りのホームルームが始まった。担任の先生から何枚かプリントが配られてきて、そのうちの一枚が俺の目を引いた。学校だよりでもなく、三者面談の日程表でもなく、それは――。





「苺ちゃん、おまたせ!」

「蓮梨先輩……お疲れ様です」

「今日は何作ったの?」

「っ……じ、実は、今日は、何も……今学期の振り返りや、夏休みの予定を話して終わって……」

 がっかりしたかな。わざわざ来たのにって思ってるかな。お菓子がないのに俺だけ待ってても……。
 ……いやいや、大丈夫、大丈夫。
 歩が自信を持てと言ってくれたんだから、大丈夫。

「蓮梨先輩に、話したいことあって、待ってましたっ……」

「っ……! 話したいことって……?」

 バクバクバクバク……と心臓が激しく音を立てる中、そのプリントを取り出した。

「これって、今日配られた……」

 蓮梨先輩に見せたのは「夏の青春スイーツコンテスト」の広告だ。県が今年から新たに始めたコンテストだと書いてあるように、俺も未知のイベントなのだけど……。

「お、俺、これに、応募したくて」

「! やっぱり応募するの⁉︎」

「っ、はい、それで、その……勉強のために、いくつかカフェを回ろうと思ってて……も、もしよかったら、夏休み一緒に行けたらなって……!」

 コンテストの勉強のためという口実は、さっき偶然できたものだった。でも、応募したいのも、先輩とカフェに行きたいのも、本当だから……。
 どうか、お願い。先輩の夏に、少しでいいから俺を映して。

「……苺ちゃん、顔上げて」

「っ……はぃ……」

 苺が苺みたいな赤い顔をしていたら恥ずかしいから俯いていたけれど、先輩の甘やかな声に抗うことはできなくて、ゆっくりと顔を上げたら――。

「っ!」

 額にちゅ、と柔らかな感触が伝わる。体温メーターが急上昇する。冷却シートを貼ったってきっと収まらない。

「……俺も、ずっと誘おうと思ってた。だから嬉しい」

「え……先輩も?」

「うん。先週言いかけたことあったでしょ?」

「あ……あれ、が」

 先週の帰り道、三年の芦屋先輩と八城先輩に話しかけられて結局聞けなかった話……。

「そうそう、苺ちゃんを誘うぞって意気込んでたのに、先輩たち来て気が抜けちゃってさぁ……かっこ悪いよね、俺」

「……先輩はいつもかっこいいです」

 先輩のせいで熱が上がったから頭が働かない。思ったことがそのまま口から出てしまう。先輩の魅力は“かっこいい”という一つの単語では表しきれないほどに眩いから……本当はもっともっとどうにかして伝えたいくらいなのだ。

「苺ちゃん……俺にとっては苺ちゃんの方がかっこいいよ」

「えっ、そ、それはいくらなんでも、」

「あ、『可愛い』の方が良かった?」

「っ……!」

 キュンと胸が騒ぐ。ちょっぴり意地悪な蓮梨先輩との夏の始まりを告げるかのように。
 甘く爽やかな風が吹き抜ける廊下を歩き始めるとき、俺と先輩はやっぱり手を繋ぐのだった。





 夏休みに入った。俺は店の手伝いをしながら、例のコンテストに向けて日々構想を練っている。もちろん学校の宿題だって忘れずに取り組んでいるけれど、スイーツのことを考えているときの方が何倍も楽しい。

 今回応募しようと思っている「夏の青春スイーツコンテスト」は県内に住む中高生を対象にしたコンテストで、タイトルの通り、夏らしさ青春らしさといった要素が求められている。スイーツの種類は何でもいいみたいだから、かなり自由度の高い企画だ。
 大賞に選ばれたスイーツは、ここから車で二十分ほどの道の駅のカフェで、期間限定メニューとして販売されるとのこと。地元の人も観光客も集まる場所だから食べてもらうチャンスは多いだろうし、非常に魅力的な特典だと思う。

 さて、コンテストの概要を改めて確認したところで、今日もアイデア出しを……と思ったけれど、やっぱり無理だ。明日のことを考えると集中できない。
 だって、だってだって、明日は――。

「……蓮梨先輩とデート……」

 って、デートじゃなくて!
 コンテストのリサーチに付き合っていただくだけだ。
 まあ、蓮梨先輩も遊びに誘おうとしてくれてたみたいだし、俺だけが楽しみにしてるわけじゃない、と思いたいけど……。

 って、今さら不安になってる場合じゃなくて!
 明日に向けて持ち物や服の準備をしなければならない。蓮梨先輩の隣を歩くのだから、少し背伸びしてオシャレしなきゃ悪目立ちしてしまう。
 友達と遊ぶ経験が少ない俺にとって、オシャレなファッションを選ぶなんていうのは超がつくほどの難題だ。いつもの俺なら頭を抱えて半泣きになっていたかもしれない。
 しかし、夏休みの家には特別な救世主がいる。その救世主は今、隣の部屋でお昼寝をしていると思われる。昨日帰ってきたばかりで疲れているだろうから起こすのは申し訳ないが、この人に頼らずにはいられない。

 コンコン、と部屋の扉をノックする。予想通り返事はないので、大きめの声で呼んでみる。

「桃ちゃーん」

 氷雨(ひさめ)桃果(ももか)、二十歳。
 東京で一人暮らしをしている大学二年生。
 俺の姉だ。
 大学も夏休みに入ったので、昨日帰省してきた。

「もーもーちゃーん」

 姉のことは昔から“桃ちゃん”と呼んでいる。響きが可愛くて好きだから。
 ちなみに俺の名前は桃ちゃんがつけてくれたらしい。ショートケーキの一番上に乗っている苺みたいに可愛くて特別な人だから、という理由だと聞いたことがある。元々自分の名前は普通に好きだったけど、その理由を聞いてからより一層好きになったなぁ。

「ごめん、寝てたわ」

 ガチャリと扉を開けて出てきた桃ちゃんは、半開きの目を擦りながらあくびをした。そしてボサボサになっていた長い髪を指で梳かし、腕にはめていた髪ゴムで一つに結ぶ。

「起こしてごめんね、ちょっと相談があって」

「んぇ? 相談? 何、どうした苺、嫌なことあった?」

「ち、違うよ、むしろいいことっていうか……」

 そう言うと桃ちゃんは安心したような顔をして、「どうしたの?」と聞いてくれる。

「実は……明日、憧れの先輩とカフェに行くんだけど、どんな服を着て行ったらいいのか分からなくて……桃ちゃんも一緒に決めてほしくて」

「……何!? デートだと!? ついに苺がっ……おい、そいつはどこの誰だ。変なやつだったら私が殴りに――」

「まーーって! 変な人じゃないから!」

 桃ちゃんは俺と正反対の性格をしている。誰の前でも明るくて元気でコミュニケーション能力が高い。気も強いし負けず嫌いだし口は達者だし……男にも怯まず容赦ない。
 そして俺のことになると心配性になるというか、なぜか喧嘩腰からスタートするのだ。歩のことも最初は警戒していたが、俺に初めて仲良しの友達ができたことはすごく喜んでくれた。

「苺、恋愛相談っていうのはね、相談に乗ってもらいたかったらある程度の情報は開示しなきゃならないのよ。教えるのは嫌だけど相談には乗ってほしいなんて都合のいい話はねぇのよ。ってことで、どこの誰だかまずは教えて?」

「……ハイ」

 恋愛相談ではないんだけど……と思いつつ、俺は桃ちゃんに蓮梨先輩のことを話した。蓮梨先輩がモテモテのイケメンだという話を聞いて、桃ちゃんは警戒心を高めている様子だったけれど、これまでのやり取りなどを俺が必死で説明したら、渋々出かけることを認めてくれた。

「苺はどんな服で行きたいの?」

「んーと……例えば、これとかかなぁって」

「はぁ!? あんたそれはないわ……ちょっと待ちな」

 去年買った地味なシャツは即不採用になった。桃ちゃんはしばらくクローゼットを漁りながら、ああでもないこうでもないと俺に色んな服を試着するよう命じてきた。
 約一時間の検討の末、桃ちゃんはついに大きく頷いた。

「……うん! いいんじゃない?」

「……! すごい、可愛い……」

 桃ちゃんが選んでくれたのは、淡いひまわりイエローのシャツと夏用のベスト、ゆったりしたジーンズ、そして小さめのショルダーバッグ。少し前に買い替えた運動靴にも合うように考えてくれた。

「いやー苺が私のシャツ着れて良かったぁ」

「これ、ほんとにいいの? 買ったばっかりなんでしょ?」

「いいのいいの、もうあげるよそれ」

 可愛らしいイエローのシャツは、桃ちゃんがスーツケースから引っ張り出してきた新品のものだ。
 俺たちは身長がほとんど同じだから、男女共に着れそうなデザインであれば、こうやって服をもらったり交換したりすることができてしまうのだけど……。
 さすがに新品を譲ってもらうのは初めてだったから、何かお礼をさせてと言うと、「苺が楽しくデートして帰ってきてくれたら十分」と返されてしまった。





 翌日、蓮梨先輩は家まで俺を迎えに来てくれた。桃ちゃんが「ご挨拶しようかしら」などと怖い笑顔で言い出したから全力で止めたけど、家が見えなくなるまでは内心ヒヤヒヤしていた。

「苺ちゃん、手繋ご」

「っ!」

 家から少し歩いたところで、蓮梨先輩はいつもの放課後のように手を取ってくれた。大きな手をぎゅっと握り返すと先輩が嬉しそうに微笑むから、胸にきゅうっと甘い痛みが走る。

「ねぇ苺ちゃん。今日の服すごく可愛いね」

「ぁ、ありがとうございます……何着ようか迷って、桃ちゃ、っ、あ、姉に相談したから……」

 正直に言っちゃったけど、こういうのって隠しておいた方が良かったのだろうか。わざわざ姉に相談して決めるなんて、変に気合い入りすぎって思われちゃうかな……。

「苺ちゃんってお姉さんがいるんだね!」

「は、はい……蓮梨先輩はいますか?」

「俺は妹が一人いるよ。まだ小学生なの」

「へぇ……! 知らなかった……」

 そう口にして気づいたが、俺はまだまだ蓮梨先輩のことを知らない。知っていることと言えば……めちゃくちゃモテるということ、甘いものが好きだということ、走るのが速いということ、あとは徒歩通学だということ……くらい?
 なんか……これらは全てみんなが知っているようなことなのでは……と思って少し悲しくなる。

 でも、だからこそ、さっきは服のことを正直に話して良かったんだ。俺が桃ちゃんのことを話したから、先輩も妹さんのことを教えてくれたわけだから。

「苺ちゃん? どうかした?」

「っ、い、いや、先輩のこと、もっと知りたいなって……あ、急に、ごめんなさい」
 
 これは本当に言わなくて良かったやつかも……と恥ずかしさに押し潰されそうになったとき、先輩の手がふんわりと俺の頭を撫でた。

「俺も知りたい。可愛い苺ちゃんのこと、全部」

「っ……」

 繋いだ手に自然と力がこもった。
 先輩について知っていることがもう一つあると思い出した。

「……先輩、体温高い」

「あ、ごめん、暑いかぁ」

 先輩の手が離れそうになって、思わず強く引き留めた。

「っ、や、です、暑く、ないから」

 俺は何を言っているんだ。
 いつからこんなこと言えるようになったんだ。
 先輩が俺をじわりじわりと変えていく気がする。

「……暑くないならさ、こういう繋ぎ方でもいいってこと?」

 先輩の指が絡まる。暑くないなんて嘘に決まってるのに。

「……大丈夫、です」

 どうしてもっと触れたくなるのだろう。心臓が爆発しそうなのに。「お腹いっぱい」と「まだ足りない」が同時に襲ってくるような、矛盾だらけのこの感覚の先にあるものを、蓮梨先輩は知っているのかな。

「……あ! あの、先輩の服も、すごく素敵です……!」

「えっ」

「ぁ、っ、俺、心の中で思ってるだけで、言葉にできないことも多いから……できるだけ、ちゃんと、言いたくて」

 声を絞り出して伝えたら、綺麗なモノトーンコーデを着こなした先輩は、夏の湿気を一瞬で連れ去るような爽やかな笑顔で「ありがとう」と言った。





 電車に乗って二十分、改札を出て少しだけ歩くと、お目当てのカフェに到着した。SNSで事前にチェックしていたからある程度の想像はしていたけれど、外観も店内も非常におしゃれで、そこにいるお客さんたちもおしゃれで大人っぽい人が多い気がする。
 ……俺、一人だったら入る勇気出なくて帰ってたかも。

「苺ちゃんは何頼むの?」

「あ、えっと、SNSに載ってたメロンのパフェを……先輩は?」

「ん〜、苺ちゃん他に気になるやつある?」

「え?」

 どういう意図だろうと不思議に思っていると、先輩は優しく微笑んで口を開く。

「コンテストの参考にするなら、苺ちゃんが気になるやつ頼もうよ。俺はどれでも食べたいし」

「っ、そ、そんな……ありがとうございます……」

 コンテストのこと、そんなに気にしてくれてたなんて。俺ですら今は緊張して一瞬忘れかけていたのに……。

 結局、先輩のお言葉に甘えて、メロンのパフェと桃のパフェを一つずつ注文した。盛り付けの仕方や具材の相性など、参考にできそうなことは全て吸収するつもりで、持ってきた小さいメモ帳を机に出しておく。

「苺ちゃんさすがだね、気合い入ってる」

「っ、いえ……せっかく応募するなら、こだわりたくて」

「ふふ、小学生のときもすごかったもんね……ぁ、」

「はい、あのときもこうやって……って、え?」

 今、蓮梨先輩、なんて言った?
 小学生のとき……?
 どうして先輩が知っているんだ。
 俺が小学生のときに参加した「苺スイーツコンテスト」のことを。

 俺はかなり動揺していたが、それは先輩も同じだったようだ。両手で顔を覆い隠して「やっちゃった……」と大きなため息を吐いている。

「っ、先輩……あのコンテストのこと、知ってたんですか?」

 苺スイーツコンテストは、市が四年前に開催した小学生向けのイベントだ。苺を使ったスイーツのアイデアを募集していると知って、当時小学六年生だった俺は、ワクワクしながら思考を巡らせた。その結果、ありがたいことに金賞をいただき、うちの店でアイデアの商品化が実現したのだ。

「……苺ちゃんのお店の『はつこいいちごぷりん』って、苺ちゃんが金賞取ったアイデアでしょ?」

「……! そう、です……」

 顔は赤いものの、先輩は覚悟を決めたような瞳でまっすぐにこちらを見つめた。

「俺ね、あのプリンのおかげで今生きてるんだ」

「……え?」

「苺ちゃんのお店のケーキは、昔からたまに家族で食べてたんだ。みんなお気に入りでさ」

「っ! そ、そうだったんですか……」

 驚きと感動がぶわっと弾けて、胸が熱いものでいっぱいになる。けれど、これはまだ序の口に過ぎなかった。

「……中一のとき、母さんが婦人科系の病気で入院したんだ。命の心配は全くなかったんだけど、その当時はそこまで冷静に理解できてなくてさ……でも、妹なんかまだ七歳だったから、もっともっと不安なわけ。父さんは夜遅くまで仕事だから、俺が妹を守らなきゃって思ってた」

「そんなことが……」
 
 俺も小さい頃、母さんがガクッと体調を崩したことがあった。そのときは桃ちゃんが何から何まで家のことをやってくれて、俺が不安にならないように明るく振る舞ってくれていた。
 もしも俺が、兄という立場だったなら……一体どれだけ心細かっただろうか。

「慣れない家事を必死でやってさぁ。母さんが帰ってくるまで頑張らなきゃって……でも、あともう少しっていうところで、一気に辛くなっちゃって。一日だけ学校休んじゃったんだ」

 “足が勝手に苺ちゃんのお店に向かってた”

 “食べ慣れたショートケーキを買うつもりだったのに、偶然目に入ったいちごプリンが無性に気になって”

 “帰り道の公園で早速食べたんだ”

「……そのいちごプリンが、あまりにも美味しくて美味しくて、気づいたらボロボロ泣いてた……俺、そのとき初めて泣けたんだよ」

 蓮梨先輩は当時のことを思い出したのか、青空色の瞳を潤ませていた。
 こんな、奇跡みたいなことが、本当にあるの?
 俺たちは高校で出会うよりもっと前に、あのプリンを通して出会っていたの?

「……あのプリン、俺にとっても特別なんです」

「そうだよね! コンテストで受賞して、お店の商品にもなって……」

「ぁ、えっと、それもそうなんですけど……俺の友達の歩って分かりますか?」

「うん、いつも一緒にいる子だよね」

 その子が関係あるの? と興味津々な様子で先輩が聞いてくれるから……。大切な友達との始まりの日のことを、初めて家族以外の人に話してみようと思う。



⚪︎



 幼い頃から人見知りで無口だった俺は、小学校で友達ができなかった。幸い、いじめられたり無視されたり、そういう陰湿なトラブルはなかったけど、俺は早い段階で人付き合いを諦めてしまっていた。
 そんなわけで、学校はあまり楽しくなかったけど、家に帰れば夢中になれることがあった。大好きなスイーツを作ったり食べたりする時間だけは絶対的に楽しかった。
 苺スイーツコンテストで賞をもらったときは、自分の「好き」が評価されたことに、筆舌に尽くしがたい喜びを感じた。こんなに嬉しくて心が高鳴ることはないと思った。

 そんなキラキラした気持ちをさらに高めた出来事が起こったのは、中学一年生になったばかりの頃だった。
 うちの店には、お客様の声アンケートというアンケート用紙と、それを入れるためのボックスが常設してある。ちらほら記入してくれる人がいることは知っていたから、その冬の新商品であり、俺考案の「はつこいいちごぷりん」に関するコメントも来るかもしれないと、最初の一ヶ月くらいはソワソワしていた。
 しかし、二月、三月と時間が経っても、アンケート用紙に「はつこいいちごぷりん」の名が挙がることはなかった。

 そりゃあそうか。これが普通か。期待しすぎた。
 
 金賞をもらえて、商品として売ることもできて、それで大満足だったはずなのに……今度は感想をもらいたいだなんて、強欲すぎる。

 売り上げは良いと父さんが教えてくれた。新商品として十分成功している、とも言ってくれた。実感は全然湧かなかったけれど、きっとみんな美味しいと思ってくれたのだと信じることに努めた。


 まもなく中学に入学して、俺は相変わらず人見知りを発動し、ほとんど誰とも喋ることができないまま二週間が過ぎた。予想できたことだけど、また友達がいない三年間になるのか……と、しょんぼりしながら帰った金曜日のこと。
 突然、俺の世界に光が差し込んだんだ。

「苺! ちょっとこっち来て」

「母さん、どうしたの?」

「これ、お父さんが早く見せてやれって。さっきお店抜けて渡しに来たよ」

 渡されたのは半分に折られた一枚の紙。
 昔からよく知っているあの紙だった。
 鼓動が急速に速くなるのを感じながら、ゆっくりとそれを開くと――。



⚪︎



「そこに、こう書いてあったんです」

 きっと一生忘れない、生まれて初めてもらえたメッセージ。

「『氷雨いち――」

「『氷雨苺さんへ』」

「っ、え、」

「『はつこいいちごぷりん、美味しかったです。世界で一番好きなスイーツになりました』」

 俺が話そうとしたことが、一言一句違わず、蓮梨先輩の口から紡がれた。今、頭が真っ白になるくらい驚いている。

「……それで、どうしてこれが歩くんに繋がるの?」

「へ……ぁ、え、っ、えっと……それから、数日後に、歩が泣いているところに遭遇して……そのとき、なぜか咄嗟に、『プリン食べに来ませんか』って声かけてて……」

「ふふ、なるほど……」

「っ、あの感想があったから、俺、自信持てて……歩も美味しいって言って食べてくれて……それがきっかけで仲良くなれたから」

 あの日の歩は、水上先輩と女子が仲良くするのを見てすごく落ち込んでいた、とあとから聞いた。そして、これも仲良くなってから知ったことだが、あの頃、歩も心を許せる友達がいなかったらしい。その可愛い顔立ちゆえ、いじられたり妬まれたりすることが多かったそうだ。

「そっか、歩くんと仲良くなるきっかけだったんだね」

「はい……って、先輩、待って、さっきの! さっきの、どういうことですか……」

 アンケート用紙の内容を知っているのは、俺と両親と、それを書いた人間だけのはずだ。それは、つまり――。

「……さっきのって、なんだっけ〜……」

 蓮梨先輩が絵に描いたようにとぼけるから、ムッとして思わず身を乗り出した。

「ご、誤魔化さないで、ください」

「……だって、超恥ずいじゃん。苺ちゃんのスイーツずっと前から好きなのバレちゃった」

 顔を隠した手の、指と指の隙間から、熱っぽい瞳がこちらを覗いた。その熱に一溜まりもなくあてられて、苺みたいに甘酸っぱく酔いしれたような気分になる。

「っ……俺は、嬉しい、です……そんなに前から、先輩が、俺の……スイーツのこと……」

 そのとき、むず痒い空気を連れ去るかのように、明るいカフェの店員さんがパフェを運んできてくれた。メロンや桃を贅沢に使用した豪華な見た目に、俺も先輩も思わず「おぉ〜」と感嘆の声をあげる。

「あ、写真撮らなきゃ……」

 コンテストの参考に、と思いスマホのカメラアプリを起動する。四角い枠にパフェが入るよう調整していたはずなのに、その背景に映る人にピントが合ったとき、思わずシャッターボタンを押していた。

「……苺ちゃん、今、俺のこと撮ったでしょ」

「ぁ、っ、いや……」

「じゃあ俺も撮っていいよね?」

「え――」

 一秒後、俺はカシャッというシャッター音を聞いた。





「いや〜美味しかったねぇ苺ちゃん」

「はい、果物は甘くて新鮮だったし、生クリームもさっぱりしてて食べやすかったです」

「ふふ、良かった〜」

 蓮梨先輩は満足そうに顔を綻ばせ、絡めた指をぎゅ〜っとしてくる。少し躊躇いながらもぎゅ〜っとお返しすると、さらにぎゅ〜っと返された。ちょっと痛いけど嬉しい。

 今日は、本当に色んなことを一気に聞いたし、話したと思う。行きにこの道を歩いたときは、先輩のことまだ全然知らないなって思ってたのに……今では、こんなにも。

「……蓮梨先輩」

「なぁに、苺ちゃん」

「っ、先輩が、あの日、調理室に来てくれたのは……偶然、ですか?」

 マフィンを作りすぎたあの日。
 部活終わりの先輩は忘れ物を取りに校舎に戻ってきて、たまたま調理室の近くを通りかかったと言っていた。
 だから、先輩にマフィンを食べてもらえたことも、それをきっかけに毎週お菓子を渡すようになったことも、色んな偶然が重なった奇跡のようなものだと思っていた。
 ……今日までは。

「……必然だって言ったらどうするの?」

「っ!」

 蓮梨先輩の足が止まる。絡められていた手がするりと抜けて、今度は頬に添えられた。熱い体温が肌にじわりと伝わる。

「苺ちゃんが入学してきて、ずっと話しかけたくて、一年の教室とか調理室の近くウロウロして、でもなかなか勇気出せなくて……あの日、やっと話しかけることができたって言ったら……どうするの」

「ぇ、ぁ、」

 先輩の指に輪郭をなぞられて、息をするのを忘れそうになる。汗がこめかみを伝うから、顔から手を離してほしいのに、声は出ないし身体も動かせない。

「……苺ちゃん、そういう顔はね、学校でしちゃダメだよ」

「へ……?」

 頭がクラクラして、ふわふわして、立っていられなくなりそうだった。一方の先輩は、すぐに纏う雰囲気をころっと変えて「さ、帰ろっか」なんて軽やかに言った。俺はまだ、先輩の妖艶な視線の余韻から抜け出せていなかったのに。
 




「ただいまぁ……」

 玄関の扉を開けると、リビングの方からドタバタと音がして、その音は勢いよくこちらへ向かってくる。

「おかえり苺! デートはどうだった!」

「も、桃ちゃん……っ、すごく、楽しかった! 服も、可愛いって言ってもらえた……!」

 家族にこんなことを話すのはやっぱり照れるけど……。

「苺……良かったねぇ〜〜〜!」

「わっ」

 自分のことのように喜んで抱きついてくる桃ちゃんを見たら、何度だって言いたくなるよ。

「楽しかった……」

ってね。