この学校では笑顔が絶えません

奇跡的に軽傷で済んだ。
顔や腕にいくつかの擦過傷(こっ か しょう)。一番ひどい口の傷はさすがに医者に診てもらった。
医者は首を傾げたけれど、数針縫うくらいでなんとかなったのは幸運だったと思う。
痕(あと)は残るだろうと言われたが、そんなの、いくらだって残ればいい。命があっただけで儲けものだ。

あれから数週間後、私はKと渋谷のカフェでお茶をしていた。

「いや……もうほんと、危なかったよね」
「マジそれ」

そう言いながら私はコーヒーの入ったマグカップを持ち、スプーンでかき回した。普段ならブラックしか飲まないのだが、どうにも心が落ち着かず、意識的に甘いものを摂るようにしている。

「今無事なのはKのおかげだよ」

「怨霊だの祟りだの、それ系は解呪(かい じゅ)までがセットだって講義で習ったじゃん」

あのときスマホから赤ん坊の声が聞こえたのは、Kが通話の向こうで音声アプリを使って流したからだ。
彼女は以前に調べた文献から、〝笑比古は赤ん坊に執着する〟という性質を突き止めたのだという。
それを利用して、遠隔で私を助けてくれた。

「まあ、とはいえ。まさか、ほんとに効くとは思わなかったけどね」

「うん……」

もしKがその事実に行き当たっていなかったら、
もし『通話をつなげろ』と事前に言われていなかったら……私は今、ここにいなかっただろう。
Kは恥ずかしそうに笑うと、私に矛先を向けた。

「あんただってよくスマホを投げたよね。そんなの思いつかなかったよ」

Kが笑う。私もつられて笑った。手元には新しく契約したぴかぴかのスマートフォンが光っている。

「私もなんで投げたのか、いまいちよくわかってないんだわ」

「なにそれ」

「なんでだろうね、ヤバいよね」

苦笑いする。カフェの反対側の席では、女子大生のグループがきゃらきゃらと笑いながらスマホで動画を見ていた。
そのオシャレで小さなカバンにも、最新式のスマホにも、ハイケオ人形がゆらゆらと揺れていた。
Aは依然として行方不明のままだ。おそらくはWさんも。
学校の地下、祠の前で。土色をした指に口を引き裂かれ、口を縫われた姿で……彼女たちは捧げられたのだ。
笑みを浮かべた、あの神に。

「……『君子危うきに近寄らず』って言うじゃん」

Kが苦い顔でアイスコーヒーのストローをいじりながら、口を開いた。

「リアルに言われたの初めてだわ」

「誰に……?」

「先輩。あの学校には近づくなって、もし赴任先に決まったら、教師を辞めろって」

Kはそれだけ言うと、ストローを外して一気にアイスコーヒーを飲みほした。
机に音を立ててグラスを置くと、ひと呼吸。うつむいてから、顔を上げて苦笑いする。

「……A、無事に見つかるといいね」

息を呑んだ。
瞬時に察し、調子を合わせた。

「……うん、本当にね」

これはパフォーマンスだ。今まで調べたことは腹の中に納めて、見ないふりをしよう、と言いたいのだろう。
否はない。私もそのほうがいいと思う。
この世には、数十万人を超える行方不明者がいるという。その無数の行方不明者の中に、AとWさんが含まれた。
ただそれだけの。……それだけの、出来事だ。

カフェを出て、駅に二人で向かった。Kとはまた会う約束をしてその場で別れる。
一息ついて、私は渋谷の街並みを眺めた。

あはは、きゃーっふふ、ははは、あははははっ。

たくさんの笑い声が聞こえる。
私はあのとき聞いた、笑比古の声を思い出した。

――泣くな、よしよし、いい子、笑ってくれ……。
きっと彼は赤ん坊にこんな風に笑ってほしかったのだろう。
彼の声は、とても慈愛に満ちていた。
優しく包み込むような声色で、とても温かかった。
あの声を聞いただけでわかる。傷つけようだなんて、思っていなかった。ただ笑ってほしかった。
彼は……あんしんさせようとしていたのだ。
そんな彼にひどいことをしたのだから、私たちは、笑わなければならないはずだ。
そして、たくさんの人に笑ってもらわなければならないはずだ。

すべては彼のために。彼に捧げるために。
自然と口の端が笑みの形を作った。

私はもう、あんしんだ。


メール 野月→出版社
宛先:S出版 編集部 S様
件名:青春小説のプロットをお送りいたします

お世話になっております、野月です。

先日はありがとうございました。プロットを固めましたのでお送りいたします。

この物語がたくさんの人に届きますよう、心をこめて書かせていただきました!
ご確認いただけますと幸いです。


詳細プロット
◆タイトル案
余命一年の笑わない君へ(仮)

第一章 笑わない転校生
舞台: 県立南ヶ丘高校・二年A組。春の新学期。
クラスに転校してきた少女、白石凛(しらいしりん)は、整った顔立ちに反して表情がまったく動かない。
「まじめ「冷たい」「愛想がない」――そんな噂があっという間に広がる。
彼女はなにを聞かれてもそっけなく、昼休みも一人で教室の隅にいた。
主人公・相沢(あいざわ)陽(はる)翔(と)は、明るく人懐っこい性格でクラスの中心人物であるが、
どこか本気で人の心に踏み込むことを避けていた。
ある放課後、陽翔は偶然教室の前を通りかかる。窓際に立ち外を眺めている凛の姿を見かける。
無表情のまま、楽しそうな生徒たちを見つめる視線に陽翔は釘付けになった。
「彼女の笑ってる顔が見たい」
放課後、祠の前で陽翔が独り言のように呟く。
「あの子を笑わせるにはどうしたらいい?」

第二章 笑わせたい少年
翌日から陽翔は、ことあるごとに凛に話しかけるようになる。
「おはよう」「今日、眠そうだったね」「このプリントわけわかんないよな」
返ってくるのはそっけない一言ばかり。だが、給食の時間、転んだ陽翔を凛が無言で助け起こした。
「大丈夫?」と尋ねる凛。その一瞬、彼女の表情がわずかに緩み、心配そうな顔になった。陽翔は確信する。
「彼女は本当は冷たい子じゃない」
放課後、校庭の桜の下で二人は偶然出会う。陽翔は凛に積極的に声をかけ、彼女が無視してもやめない。
呆れたように凛は口を開く。
「どうして、そんなに私に構うの」
陽翔は答える。
「笑ってほしいんだよね」
凛は黙ってしまった。

第三章 心をひらく文化祭
文化祭の準備で、陽翔と凛は同じ班になる。クラス劇の練習中、凛のまじめさが裏目に出て、他の生徒と衝突。
「笑顔でいようって言われても、理由がないのに笑えません!」と爆発する凛。
その場の空気が凍る中、陽翔が冗談を交えた一言で場を和ませようとするが、裏目に出て孤立する凛。
しかし、陽翔だけは凛を信じ、クラスメイトとの仲を取り持とうとしていた。
そうして劇本番の日、緊張で台詞を飛ばしたクラスメイトを、凛が即興でフォロー。
無事に劇が終わる。クラスメイトは凛にお礼を言い、今まで悪かったと謝罪する。その瞬間、凛の表情が初めて緩んだ。
後夜祭で凜は陽翔に「見捨てないでくれてありがとう」と言い、ぎこちなく微笑んだ。
陽翔は初めて見た凛の笑顔に釘付けになり、凛に惹かれていることを自覚する。
陽翔は帰り道で祠に立ち寄り、報告する。
「今日、あの子が笑ったよ」

第四章 告白と告知
冬。凛が学校を休みがちになる。心配した陽翔が家を訪ねると、病院に通っていることを知る。
後日、凛は陽翔に真実を打ち明ける。
「私、あと一年も生きられないの」
静かな声だった。薬で延命はできるが、完治は望めないという。
涙をこらえながらも、凛は言う。
「だから、決めたの。残りの一年、笑ってすごすって」
陽翔は震える声で答える。
「じゃあ俺が、その笑顔を全部見届ける」
二人は「一年間、毎日どこかで笑う」という約束を交わす。
第五章 笑顔の一年
季節がめぐる。
春は花見。夏は海。秋は文化祭と夜の校舎。冬は雪の日に二人で雪だるまを作る。
凛は少しずつ笑うことに慣れ、クラスの輪にも自然に入れるようになっていく。
陽翔の明るさは、いつしか彼女の〝生きる支え〟となる。
そして二人の間には静かな恋が芽生える。
手をつなぐことも、ただ並んで歩くだけの時間も、すべてが宝物のようにすぎていく。
しかし、凛の体は少しずつ弱っていった。春を迎えられないだろうと医師に告げられ、絶望する凛。
陽翔は彼女を祠へと連れていき、学校の守り神がいると凜に伝えた。
「笑えば見守ってくれるよ。笑顔でいよう」
二人は祠の前で、ずっと笑顔でいると約束を交わす。卒業式の日まで凛が無事に生きられますように。


第六章 卒業式の朝
三月。卒業式の朝、校庭の桜は早咲きしていた。
凛は体調不良を隠して、制服に袖を通す。
式の最中、陽翔の視線の先に、凛の微笑みがあった。
式後、二人は祠へと向かう。手を合わせ、お礼を告げた。
「無事に卒業できました。ありがとうございます」
陽翔が笑うと、凛も小さく笑い返す。
その瞬間、風が吹き、桜の花びらが舞う。
凛は目を閉じながら呟く。
「……笑うって、こんなに温かいんだね」
陽翔は彼女の手を握る。
次の瞬間、凛は倒れてしまう。命が尽きる瞬間が来たのだ。

第七章 笑顔の奇跡
陽翔は涙を流しながら凛を抱きしめる。
「だめだ、笑わなきゃ……」
陽翔が笑みを作ったそのとき、あたりが柔らかな光に包まれた。
風の中に、誰かの笑い声が響き、凛のまぶたがゆっくりと開く。
「……神さまが、笑ってた」と微笑む凜。
それから数日後、奇跡のように凛の病状は安定。医師も説明できない回復を見せる。
春、卒業後の学校を訪れた二人は、祠の前で永遠を誓う。
笑顔で彼女は救われた。笑顔は奇跡だ。
笑顔は命をつなぎ、笑顔はとてもあんしんになる。
この学校は笑顔が素晴らしい学校だから。

凜の笑顔はもうぎこちなくない。
二人はずっと、あんしんになった。