この学校では笑顔が絶えません

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校長先生
あっ、探しましたよ! どこに行かれていたんですか。
いきなり学校を飛び出していかれたので、事故にでもあったのかと思って心配しました。
実はですね、今からとっておきのイベントがあるんですよ。ぜひご覧いただきたいと思いまして。
はい、とっておきです。実は最近、なかなか行えなかったんですけどね、
ちょうどいいことに二人とも、選ばれたものですから。
ええ、ええ! まさにA先生ですよ! あと生徒からも一名、選ばれました。
うれしいですねぇ。これでもうあんしんですからね。
おや、どちらに行かれるんです? 困りますよ。あなたにも協力していただかないと!
 なに、って。モデルですよ! 小説のモデルにしてくださるというお話!
実はですね、そのお話をA先生からいただいたとき、本当に素晴らしいと思ったんですよ。
我が校からは何人も社会で活躍している生徒が出ていますけれど、なかなか外部の人には広がりにくいでしょう。
今はいい時代ですね。SNSのおかげで、かなり認知度も高まりまして。
けれど、やはり今回のような企画をね、していただけると一気に広がりますでしょう。
出版、確定したんですよね? おめでとうございます!
実は、出版社に連絡をしましてね。ええ。やだなあ、生徒に教えてくれたじゃありませんか。
出版社名と、あなたのお名前を検索すればすぐにわかります。
あなたの担当様から丁寧にご挨拶いただきまして。
担当様、Sさん……でしたっけ。丁寧で素敵な方ですよねえ。
ぜひあなたに協力してほしいとおっしゃっていましたよ。うれしいですねえ。
あの方も、きっと素敵な笑顔になりますよ。やっぱりね、笑顔ですからね。笑顔が大事ですから。
……え? なんですって?
困りますよ。お約束が違います。この学校の素晴らしさを広めてくださるのではなかったのですか?
どうなさったんです? ……あれ、もしかして頬が痛いのですか……!?
素晴らしい! 外部の人が選ばれたのは本当に久しぶりですね……! おめでとうございます!


男子生徒
おめでとうございます! うらやましいです! いったいなにをすれば選ばれるんですか!? 
俺なんて三年通っているのに全然声がかからなくて! あ、あんしんしてください。
俺、ハンドボール部なんで、力結構あるんですよ。でも一応、動かないでもらえますかね。あぶないんで。
でも俺ラッキーでしたね! 中には三年間通っていても見られなかったって人もいるみたいなんです。
俺の父がそうだったみたいで、昨日の夜はずっとうらやましいって笑ってました! 
やっぱり選ばれるのってすごいんですよねえ。コツとかあるんですか? やっぱり笑わなかったのがよかったんですかね!? 
これ、噂なんですけど、カウンセリング受けてもあんしんできなかった人とかが選ばれるらしいですよ! 
俺もな~受けたんだけどな~すぐあんしんしちゃったんだよな。我慢すればよかった。
そうすれば選ばれたんですかね~ははは! いいなあ~! あ、動かないでくださいね!
 おーい、そっち、足持って!


女子生徒
A先生もWちゃんも選ばれたって聞いて、ほんとすごいって思ったのに、外から来たのに選ばれるなんて!
 おめでとうございます! え、ってことは、カウンセリング受けてないのに選ばれたんですか!? ヤバすぎ!
あ、目、ちょっと失礼しまぁす。
なんかー、先生に聞いたんですけど、目、最初は隠してたほうがいいらしいんですよね。
私も理由は知らないんですけど、ふふっ。
でもマジうれしいって言うか、お手伝いができるのたまんないです。
ラッキーすぎてヤバすぎますよ。私、たくさん歌いますね! あんしんしてください、みんなでちゃんと歌いますから!
あー、ちょっと大変そう。待っててください、今、クラスの子呼ぶんで!
おーいこっちこっち! うん、手、持っててくれる? あー暴れないでくださいよ。
しょうがない、後ろは無理そうだから、前でいいよねー? 押さえて! 私縛っちゃう! 


数学教師Y
いやあ、ぼくはね、あなたもそうなんじゃないかなって思ってたんですよ。
でもこうして予想が当たるとね、やはりうれしいですねえははは。
今年だけで三人ですからね。これでしばらくはあんしんですね。
ここだけの話ね、校長先生はねえ、ああいう方ですよ。
名声がお好きなんですねえ。けれど、まあそれでちょうどいい。
こういうのはね、積極的に広めていかないとね、すたれてしまってはあんしんできないですからね。
笑顔というのはねえ、やはり人の防衛本能ですよ。
笑えばね、すべてうまくいくようにできてるんです。
あの方はそれをよく知っていらっしゃったから、ニコニコしていたんだと思うんですよ。
だからね、ぼくたちも笑わないと。ねえ。笑っていればね、あの方が喜んでくださる。
あの方が喜んでくれればね、いつだってあんしんですからね。
さあ、そろそろつきましたよ。あ、取材は絶対にしてくださいね。
これから体験してもらえると思いますからね。
小説はねえ、ぼくはあまり読まないんですけど、エッセイなら好きなんですよ。
小説のあとは、ぜひエッセイも書いてくださいね。よろしくお願いします。

自分の身になにが起こっているのか、理解するのが難しい。
突然手足を拘束され、目隠しをされて担がれたのまではわかった。
どんなに抵抗しても無駄だった。叫んでも暴れても、いともたやすく動きを封じられてしまう。
布に覆われた視界が涙で滲む。頬が吊られているようにピリピリと痛み、耐えきれずに何度も声が漏れる。
自分の周囲でたくさんの人が動いているのが気配で伝わった。そして、抱え上げられた体がどこかに運ばれていくのも。

やがてゆっくりと体が降ろされた。足の拘束を外されたけれど、それで自由になったわけではない。
私の肩、腕、腰、そのすべてに人の手が触れている。身じろぎしただけでぐっと力を籠(こ)められる。
むわっとした空気で、その場にたくさんの人がいるのだということがわかった。到底逃げられない。

とん、と背中を押されて二、三歩前へと進む。足元の感触が変わった。
ひどく冷たく、硬質な音が靴の裏でかこりと鳴った。
空気が動く。扉が開くような音が聞こえ、ややあって耳がきいんと鳴った。
しばらく耳鳴りが続いたかと思うと、またガコンとなにかが開く音がする。
湿った空気が鼻先をかすめた。

……エレベーターだ。
エレベーターに乗せられていたのだ。なぜ学校にエレベーターが?と考えたそばから、私は体を押された。
つんのめるようにして足が前に出る。そのまま肩を数人に抱かれて、無理やり歩かされた。

埃っぽく、かび臭い匂いが充満している。足元は土がむき出しになっているのだろう。
歩くたびにじゃりじゃりと嫌な感触が足裏に届いた。
匂いがひどい。腐った牛乳のような饐(す)えた匂いがあたりに充満している。
向かう先から猿の鳴き声のような甲高い悲鳴が聞こえている。
キイキイと耳に障る声が反響し幾重にも連なって、さざ波のように木霊した。
もう感覚が麻痺している。
恐ろしさも混乱も遥か彼方に消え去って、私の頭の中にはただ茫洋(ぼう よう)とした霧が広がっている。

「さあ着きましたよ」

校長先生の声で、私はようやく歩を止めることを許された。
目に巻かれていた布が解かれる。
目の前の景色を見ても、私はなにも感じない。もう感じる心が残っていない。
これは夢なのだ。なにも恐ろしいことは起こらない。
私は今、自宅のベッドの上にいて、浅い眠りを繰り返しているのだ。
だから、出版社から青春小説の話があったことも、
Aに頼み込んで取材を依頼したことも、
朝日ヶ森中学校で見聞きしたことも全部――全部夢なのだから、あんしんしていいはずだ。

えーがおーひらーいてー あーさひにむーかぁう
ひーとみーかがーやきー とーもとすすぅむー

くりぬかれた洞窟のような場所だった。
むき出しの岩壁には燭台が無数に取り付けられ、炎がぬらぬらと光り砂利だらけの地面に濃い陰影を落としていた。
広々とした空間の中央には大きな祠が設置されている。
その前には私と同じように拘束され、土の上に転がされたAとWさんの姿があった。

こおこおろーをーあわせぇてー ゆーうめをぉえがきー
さーらなーるみぃらあいぃ とーもにきづかぁんー

AとWさんは体を白い布に包まれてまるで赤子のようだった。
祠からは茶色く干からびたような大きな腕が伸びていた。大きな腕の先には、異様に細く長い指が五本。
その五指がAの口の端に引っかかり、びりびりびりと時間をかけて引き裂かれていく。
おおよそ人では出せないような奇妙な鳥の鳴き声に似た絶叫が響き渡った。
Aは体を痙攣させる。引き裂かれた唇からは面白いほどに赤い流れが零れ出た。
生徒たちがAに群がり、きらめくなにかを振りかざした。あれは針だ。針の後ろには太い糸がついている。
生徒たちはにこにこと笑いながら、Aの唇の横に針をぷつりと差し始めた。
Aはもうなにも言わない。ぐったりと体を投げ出して、されるがままになっている。
唇が徐々に縫われていく。頬が吊り上げられていく。笑みの形に。

まーいにーちのーまなびぃー ひぃーかりにみちてー
にーぎわーうーまなびやにー こーえはぁひびきー
さぁくらぁのーはーなーもー えーがおにゆれてー
さーとやーまにひいびぃくー きーぼうのうたよー

腕はWさんに手を伸ばした。Wさんは金切り声を上げて転がり逃げようと試みる。
しかし腕はそれを許さない。ゆっくりと蟷螂(かまきり)が鎌を振り下ろすかのように両の腕がWさんの顔の上に降ろされる。
唇の端に指がかかり、ポテトチップスの袋を開けるときのようにじわじわと皮膚を裂いていく。
Wさんの涙と血が交じり合い白の布がまだらに染まった。ごおおごおおとWさんは唸(うな)った。
人は真の痛みを感じたとき普通の悲鳴を上げないのだなと不思議な気持ちでそれを見ていた。
生徒たちはWさんにも針を向けた。ひと針ひと針縫われていくWさんの笑顔がとてもかわいいと思った。

げーんきーなこーえーをー そーらにとどけてー
よーろこーびーあふるーるー あーさひがもりよー

歌が止まった。私の体を誰かが押した。押された先では生徒たちが白い布を広げて待っていた。
ゴールテープを切るように私はその布に突っ込んだ。ぐるぐると巻かれる。視界が回る。
ころんと芋虫のように土の上に転がった。
私の視線の上には、あの土色をした大きな腕が獲物をとらえる前の蜘蛛の足のように広がっていた。
さんはい、というかけ声に合わせて、生徒たちが朗らかに歌う。

えーがおーひらーいてー あーさひにむーかぁう
ひーとみーかがーやきー とーもとすすぅむー
こおこおろーをーあわせぇてー ゆーうめをぉえがきー
さーらなーるみぃらあいぃ とーもにきづかぁんー

これは夢なのだ。なにも恐ろしいことは起こらない。
私は今、自宅のベッドの上にいて、浅い眠りを繰り返しているのだ。

まーいにーちのーまなびぃー ひぃーかりにみちてー
にーぎわーうーまなびやにー こーえはぁひびきー
さぁくらぁのーはーなーもー えーがおにゆれてー
さーとやーまにひいびぃくー きーぼうのうたよー

だから、出版社から青春小説の話があったことも、
Aに頼み込んで取材を依頼したことも、朝日ヶ森中学校で見聞きしたことも全部――全部夢なのだから。

げーんきーなこーえーをー そーらにとどけてー
よーろこーびーあふるーるー あーさひがもりよー

あんしんしていいはずだ。
あんしんしていいはずだ。
あんしんしていいはずだ!

土の味がした。

牛蒡(ご ぼう)みたいな指だと思ったら本当に土臭くて思わず笑いそうになった。
指が口に入る。めりめりと唇が横へと開いていく。おかしい、夢なのに。夢のはずなのに、なぜこんなに……!
体の奥からほとばしるなにかが自分の絶叫であると気づいたのは尋常ではない熱を唇に感じたあとだった。
ああ、痛みとは、熱くてそして寒いのだと、焼ききれそうになる頭のどこかで冷静に考えている自分がいた。
ぷつりと口の端が裂ける。鉄の味がじわじわと咥内(こう ない)を侵食し、反射的にえずいた。
死ぬ。
その二文字がもうすぐそこに見えたそのとき。

あぎゃあ、あぎゃあ、あぎゃあ

かすかに、聞こえたのは赤ん坊の声だ。私の唇に引っかかっていた指がぴたりと止まった。

あぎゃあ、あぎゃあ、あぎゃあーあぎゃあ、ぎゃあ

指は動かない。周囲の生徒や教師たちも、笑顔をぴたりと張り付けたまま声の出所を探っている。
今だ! 体をひねると、指が私の唇から外れた。
痛みで吐きそうになる体を叱咤して、私はもがき、巻きついた布から脱出した。

あぎゃあ、あぎゃあ、あぎゃあーあぎゃあ、ぎゃあ

私のスマホだ……。スマホから、赤ん坊の声が響いている。
縛られた腕を支えにしてなんとか立ち上がると、祠から伸びた腕は照準を失ったかのように鎌首をもたげ、うろうろと空中を彷徨っていた。

あぎゃあ、あぎゃあ
 
『逃げて!』


スマホから、Kの声が小さく届く。

『聞こえる!? 逃げて!』

なにが原因なのかはわからないが、あの腕の動きも、生徒や教師たちも、動きを止めている。
弾かれるように私は踵を返した。
視界の端に、AとWさんが映った。ぐったりと体を投げ出している二人に駆け寄ろうとし、躊躇(ためら)い、顔を背けた。
私一人で、二人を抱えて逃げることはできない。それに、あの様子では、おそらくもう……。

ともすれば崩れ落ちそうになる足を必死に動かす。
突き上げるような恐怖が私の体を支配する。
不気味な笑みを浮かべて立ち尽くす生徒や教師たちをかきわけて、ひたすら走る。
エレベーターはすぐに見つかった。空間の一番後ろにその場にひどく不釣り合いな銀色のドアが見える。
駆け寄り、上に向かうボタンを押した。エレベーターは開かない。一度上まで戻るタイプのものなのだろうか。
早く、早く、と気が焦る。

初めは、蝋燭(ろう そく)の光のゆらぎだと思った。
光が陰り、影が伸びる。エレベーターの銀色の扉に、穂を垂らしたススキのような影が映り込む。
息が詰まる。喉がひゅうと不思議な音を立てた。

嫌な予感がした。目が泳ぐ。
振り返ったらすべてが終わる、わかっているのに、私の体は面白いくらいにゆっくりと、後ろを振り向こうとする。
ずっと不思議だった。ホラー映画やゲームの主人公は、なぜいつも危険だとわかっているのに振り向いてしまうのか――。
そうか、見ないと、もっと怖いことが起こるような気がするからだ。だから人は振り向くんだ。
目の前に指がある。
指の先には掌がある。
掌の先には腕がついていて、その腕は祠から伸びている。

そして私は見た。祠の奥に、細められた両の目を。こちらをあんしんさせるように唇を引き上げ、微笑む男の顔を――!


――笑比古。


そのとき起こったことを私はうまく説明できない。少なくともあのときの私は正常ではなかった。だからこの行為を論理的に行ったわけではないことははっきりとしている。それでも私はそれを、した。

体の前で縛られていた手を無理やりポケットに突っ込む。スマホをなんとか取り出すと、落としそうになるのをこらえて画面を見た。

通話中。赤子の声はまだ小さく聞こえている。指を必死に動かして、スピーカーボタンをタップした。

あぎゃあ、あぎゃあ、あぎゃあーあぎゃあ、あぎゃあーあ

祠の奥で、笑比古が一度目を見開いた。そしてもう一度目が細められ、両の手がゆっくりとスマホへと伸びる。
私は――スマホを思い切り空中へと投げた。
腕が追う。投げられたスマホを追ってぎくしゃくと動く。
ガコン、と音がして、空気が動いた。
エレベーターが来たのだ。私はエレベーターに飛び乗って、急いで閉じるボタンを押した。
閉じていく。ゆっくりと銀色の扉が閉じていくその先で、
泣き叫ぶ赤ん坊の声と、それをあやすような、柔らかくか細い男性の声が小さく聞こえた。

あぎゃあ、あぎゃあ、あぎゃあ……

――なぐなあーよしよしええごおぉ……わろてくれえー……ええごお……