資料 朝日ヶ森地方における笑比古信仰の一考察
朝日ヶ森地方における笑比古信仰の一考察
――笑いを媒介とする祟り鎮めの民俗――
著者:榊森達夫
掲載誌:『民俗学報』第二十二号(2014年)
所属:東域文化民俗研究会
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本稿は、朝日ヶ森地方に伝わる笑比古信仰に関する口承資料を整理し、その成立と機能について検討するものである。
当地には「笑えば祟りは避けられる」「笑顔は神への供え」という俗信が残り、葬礼や年中行事においても笑うことが呪除、鎮魂の行為とされる特異な信仰体系が観察される。
本研究では、昭和三十六年に採録された一次資料を基に、笑比古伝承の内容と儀礼的実践を分析し、考察を試みるものである。
なお、一次資料に記載の「笑社」は、昭和後期の区画整理事業の際に取り壊され、跡地には朝日ヶ森中学校の校舎が移設された。現在、社の遺構は確認できず、現地調査による実見は不可能である。このため、本稿における位置推定は文献記録および聞き取り資料に基づく。
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採訪地:朝日ヶ森村字西ノ原(現・朝日ヶ森市西ノ原地区)
採録年:昭和三十六年(1961年)
語り手:小林トヨ(当時七十六歳)
採録者:朝日ヶ森郷土史研究会
出典:『朝日ヶ森地方伝承集成 第三巻』(未刊行原稿)
調査地は旧街道沿いに位置し、集落の東端に小祠「笑社」が現存(※昭和三十六年時)する。社殿には「笑比古大神」と刻まれた木碑が祀られ、祭礼時には「笑面」(※図1)と呼ばれる素焼の面をかけて参拝する習俗が続いている。
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以下は採録当時の口承記録の要旨である。
かつてこのあたりの村落には「えひこ」と呼ばれる男がいたという。彼は村落の中で孤立しており、疎まれる存在だったと語られる。
ある日、えひこは村落の民家の軒先で一人泣く赤子を見つけた。周囲に親はなく、ぐずる赤子がかわいそうだと彼は赤子を抱き上げ、あやし始めたそうだ。しかし赤子は泣き止まず、より一層大声で泣く。大人たちの足音が聞こえ、あわてた彼は赤子を笑わせようと赤子の唇に指をかけ、引き裂き殺してしまったという。
村人たちはこれに激怒し、えひこを集団で打ち殺した。伝承によれば、彼は息絶える間際に「なぜ笑わぬ」と言い残したとされる。
その後、村では疫病が流行し、多くの死者が出た。村人はこれをえひこの祟りと恐れ、彼の怨念を鎮めるために小祠を建て、えひこを「笑比古」とし神として祀った。この信仰のもとに、「笑えば祟りを免れる」という俗信が生まれ、葬儀や法要の場においても人々が笑顔を作るという特異な風習が定着したという。
えひこがどのようにして孤立したのかは諸説ある。常に薄ら笑いを浮かべていたとも言われているし、こちらの言葉が通らぬ愚者として語られることも多い。
共通しているのは、忌避される存在であったことである。
えひこと言う名は、おそらく笑う男というところから派生した名であろう。しかし筆者は「穢+比古」の説を支持したい。
えひこは常に笑みを浮かべていたために、共同体の中で異分子として扱われ、穢(けが)れを帯びた存在と認識されていた可能性がある。彼の笑いは喜びや和をもたらすものではなく、「時と場をわきまえぬ笑い」「死や災厄を呼ぶ笑い」として恐れられたのであろう。すなわち、笑いという本来は祝祭的な表情が、共同体秩序を乱す不浄の徴(しるし)と化したのである。
このような「穢れ」の指標を背負う人物が殺害されたのち、疫病や死が相次ぐという語りの展開は、御霊信仰の典型的な構造を有している。すなわち、共同体の手によって排除された異分子が、死後に祟り神として回帰し、やがて祀りを通じて鎮魂、神格化される過程である。笑比古(あるいは穢比古)は、穢れを負うことによって共同体の安寧を担った贄(にれ)的存在とみることができよう。
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現地調査によると、笑社の祭礼は七日に一度の周期で行われる。
参加者は笑面(図1参照)を被り笑い続けるという。これを「笑い鎮め」と呼ぶ。
祭礼時の供物としては、笑顔を模した小像(わらい人形)を奉納する例が報告されている。人形は木製または布製で、口角を大きく引き上げた笑い顔を特徴とする。これは「笑うこと」を具体的形象として供える意図を持ち、笑比古信仰における象徴的供物として注目される。
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笑比古伝承は、社会から疎外された存在が死後に神格化され、笑いを通じて共同体に再包摂されるという側面を持つ。これは村落社会における異者の排除と再神聖化のプロセスを象徴的に表現していると考えられる。
笑比古は生前、笑うことにより共同体の秩序から逸脱した存在であったが、死後はその笑いこそが共同体の救済手段となった。
すなわち、人を結ぶ笑いが、同時に祟りを鎮める行為にも転化するという両義的な民俗観が読み取れる。
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本稿では、笑比古伝承の内容・祭祀・比較・象徴性を通じて、朝日ヶ森地方における笑いの民俗の一端を明らかにした。
笑比古は、笑いを忌避されつつも、その笑いによって救済する存在であり、人間社会の笑うという行為が持つ根源的な力である和と畏れの両面性を体現しているといえよう。
今後は、他地域の笑い神信仰との比較調査を進めるとともに、現代における「笑い鎮め」の継承実態についても検討を加えたい。
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『朝日ヶ森地方伝承集成 第三巻』朝日ヶ森郷土史研究会(未刊行原稿)
佐伯昌宗『笑い神の系譜』 民俗宗教研究 第15号、1992年
田澤修『祟りと笑いの民俗構造』 風土信仰研究誌 第48巻第3号、2001年
宮沢登彦『神と笑いの民俗学』清雅文化出版、1987年
雑誌『異界交信録』(1995年5月刊 宙央孝心社)
【禁断レポート】
笑う村の闇──朝日ヶ森に今も息づく「笑比古神」信仰とは?
「笑わぬ者は災いを呼ぶ」――笑顔の裏に隠された恐るべき儀式
笑顔の町、朝日ヶ森。
観光パンフレットには「笑顔あふれるふるさと」と書かれているが、その裏には、脈々と受け継がれる笑顔の呪いが潜んでいるという。
古代よりこの地には、「笑比古神」と呼ばれる疫神の伝承がある。
記録によれば、笑比古は〝疫と不幸をもたらす神〟とされ、人々はその怒りを鎮めるために、「笑いかける」ことで災厄を祓うと信じてきた。
「村人は常に笑っていなければならなかった。葬儀でさえ、涙を見せてはならなかったといいます」
そう語るのは、地元民俗研究家の男性(70代)。
笑顔は神を鎮めるおまじないであると同時に、共同体を縛る鎖でもあったのだ。
笑比古信仰はやがて、村の生活そのものに深く根を下ろしていった。かつて朝日ヶ森には「笑比古講」と呼ばれる講中組織が存在し、週に一度村人総出で「笑祭」を執り行ったという。参加者は白装束に身を包み、面をつけて笑い続ける。笑うことで祀神である笑比古神を宥め、厄災が降りかからぬようにと祈りを捧げたのだと伝えられていた。
戦後の高度経済成長期を迎えても、笑比古信仰は完全には廃れず、学校行事や地域祭礼の中にその名残が見て取れる。「笑顔のまち」「明るい子ども」というスローガンの裏には、〝笑わねば祟られる〟という村の無言の規範が今も息づいていると指摘する研究者もいるという。
■「笑顔強制」の秘儀
笑比古伝承の中で最も忌まわしいのが、「笑顔強制の秘儀」である。
〝笑わぬ者は災いを呼ぶ〟という信念のもと、信者たちはある恐るべき技術を生み出した。それは、生きたまま人の口角を糸で縫い上げ、頬を吊り上げ、永遠の笑顔を刻むというものである。
村の古老によると、この儀式を受けた者は「笑比古の加護を得て死ぬまで笑い続ける」とされ、生贄=守護者として共同体を疫から守ったという。
かつて朝日ヶ森の外れには、「笑社」と呼ばれる祠(ほこら)があり、そこに永遠に笑う者が葬られていたとも伝えられる。
■現代に息づく「笑比古信仰」
現在も朝日ヶ森周辺では、密かに笑比古信仰が息づいているという噂が絶えない。
信者たちは「笑顔は幸福の証」「笑わぬ者は不幸を呼ぶ」と口にし、見知らぬ通行人にまで笑顔を強要するという。
ある住民はこう語る。
「最初は挨拶みたいなもんだと思ったんです。でも相手はずっと笑ってるんですよ。無理にでも笑わないと、その場の空気が凍るんです」
では、もしあなたが彼らに出会ってしまったら?
民俗記録によれば、逃れる方法が存在すると言われているが、文字の判別がつかず読み取れないものばかりであった。
記録が古く、読み取れないだけだろうか。それとも意図的に消されてしまったのだろうか。真相は闇の中である。
朝日ヶ森地方における笑比古信仰の一考察
――笑いを媒介とする祟り鎮めの民俗――
著者:榊森達夫
掲載誌:『民俗学報』第二十二号(2014年)
所属:東域文化民俗研究会
ˆê@‚Í‚¶‚ß‚É
本稿は、朝日ヶ森地方に伝わる笑比古信仰に関する口承資料を整理し、その成立と機能について検討するものである。
当地には「笑えば祟りは避けられる」「笑顔は神への供え」という俗信が残り、葬礼や年中行事においても笑うことが呪除、鎮魂の行為とされる特異な信仰体系が観察される。
本研究では、昭和三十六年に採録された一次資料を基に、笑比古伝承の内容と儀礼的実践を分析し、考察を試みるものである。
なお、一次資料に記載の「笑社」は、昭和後期の区画整理事業の際に取り壊され、跡地には朝日ヶ森中学校の校舎が移設された。現在、社の遺構は確認できず、現地調査による実見は不可能である。このため、本稿における位置推定は文献記録および聞き取り資料に基づく。
“ñ@Ž‘—¿ŠT—v
採訪地:朝日ヶ森村字西ノ原(現・朝日ヶ森市西ノ原地区)
採録年:昭和三十六年(1961年)
語り手:小林トヨ(当時七十六歳)
採録者:朝日ヶ森郷土史研究会
出典:『朝日ヶ森地方伝承集成 第三巻』(未刊行原稿)
調査地は旧街道沿いに位置し、集落の東端に小祠「笑社」が現存(※昭和三十六年時)する。社殿には「笑比古大神」と刻まれた木碑が祀られ、祭礼時には「笑面」(※図1)と呼ばれる素焼の面をかけて参拝する習俗が続いている。
ŽO@“`³‚Ì“à—e
以下は採録当時の口承記録の要旨である。
かつてこのあたりの村落には「えひこ」と呼ばれる男がいたという。彼は村落の中で孤立しており、疎まれる存在だったと語られる。
ある日、えひこは村落の民家の軒先で一人泣く赤子を見つけた。周囲に親はなく、ぐずる赤子がかわいそうだと彼は赤子を抱き上げ、あやし始めたそうだ。しかし赤子は泣き止まず、より一層大声で泣く。大人たちの足音が聞こえ、あわてた彼は赤子を笑わせようと赤子の唇に指をかけ、引き裂き殺してしまったという。
村人たちはこれに激怒し、えひこを集団で打ち殺した。伝承によれば、彼は息絶える間際に「なぜ笑わぬ」と言い残したとされる。
その後、村では疫病が流行し、多くの死者が出た。村人はこれをえひこの祟りと恐れ、彼の怨念を鎮めるために小祠を建て、えひこを「笑比古」とし神として祀った。この信仰のもとに、「笑えば祟りを免れる」という俗信が生まれ、葬儀や法要の場においても人々が笑顔を作るという特異な風習が定着したという。
えひこがどのようにして孤立したのかは諸説ある。常に薄ら笑いを浮かべていたとも言われているし、こちらの言葉が通らぬ愚者として語られることも多い。
共通しているのは、忌避される存在であったことである。
えひこと言う名は、おそらく笑う男というところから派生した名であろう。しかし筆者は「穢+比古」の説を支持したい。
えひこは常に笑みを浮かべていたために、共同体の中で異分子として扱われ、穢(けが)れを帯びた存在と認識されていた可能性がある。彼の笑いは喜びや和をもたらすものではなく、「時と場をわきまえぬ笑い」「死や災厄を呼ぶ笑い」として恐れられたのであろう。すなわち、笑いという本来は祝祭的な表情が、共同体秩序を乱す不浄の徴(しるし)と化したのである。
このような「穢れ」の指標を背負う人物が殺害されたのち、疫病や死が相次ぐという語りの展開は、御霊信仰の典型的な構造を有している。すなわち、共同体の手によって排除された異分子が、死後に祟り神として回帰し、やがて祀りを通じて鎮魂、神格化される過程である。笑比古(あるいは穢比古)は、穢れを負うことによって共同体の安寧を担った贄(にれ)的存在とみることができよう。
Žl@M‹‚Æ‹V—ç
現地調査によると、笑社の祭礼は七日に一度の周期で行われる。
参加者は笑面(図1参照)を被り笑い続けるという。これを「笑い鎮め」と呼ぶ。
祭礼時の供物としては、笑顔を模した小像(わらい人形)を奉納する例が報告されている。人形は木製または布製で、口角を大きく引き上げた笑い顔を特徴とする。これは「笑うこと」を具体的形象として供える意図を持ち、笑比古信仰における象徴的供物として注目される。
ŒÜ@lŽ@
笑比古伝承は、社会から疎外された存在が死後に神格化され、笑いを通じて共同体に再包摂されるという側面を持つ。これは村落社会における異者の排除と再神聖化のプロセスを象徴的に表現していると考えられる。
笑比古は生前、笑うことにより共同体の秩序から逸脱した存在であったが、死後はその笑いこそが共同体の救済手段となった。
すなわち、人を結ぶ笑いが、同時に祟りを鎮める行為にも転化するという両義的な民俗観が読み取れる。
˜Z@Œ‹Œê
本稿では、笑比古伝承の内容・祭祀・比較・象徴性を通じて、朝日ヶ森地方における笑いの民俗の一端を明らかにした。
笑比古は、笑いを忌避されつつも、その笑いによって救済する存在であり、人間社会の笑うという行為が持つ根源的な力である和と畏れの両面性を体現しているといえよう。
今後は、他地域の笑い神信仰との比較調査を進めるとともに、現代における「笑い鎮め」の継承実態についても検討を加えたい。
ŽQl•¶Œ£
『朝日ヶ森地方伝承集成 第三巻』朝日ヶ森郷土史研究会(未刊行原稿)
佐伯昌宗『笑い神の系譜』 民俗宗教研究 第15号、1992年
田澤修『祟りと笑いの民俗構造』 風土信仰研究誌 第48巻第3号、2001年
宮沢登彦『神と笑いの民俗学』清雅文化出版、1987年
雑誌『異界交信録』(1995年5月刊 宙央孝心社)
【禁断レポート】
笑う村の闇──朝日ヶ森に今も息づく「笑比古神」信仰とは?
「笑わぬ者は災いを呼ぶ」――笑顔の裏に隠された恐るべき儀式
笑顔の町、朝日ヶ森。
観光パンフレットには「笑顔あふれるふるさと」と書かれているが、その裏には、脈々と受け継がれる笑顔の呪いが潜んでいるという。
古代よりこの地には、「笑比古神」と呼ばれる疫神の伝承がある。
記録によれば、笑比古は〝疫と不幸をもたらす神〟とされ、人々はその怒りを鎮めるために、「笑いかける」ことで災厄を祓うと信じてきた。
「村人は常に笑っていなければならなかった。葬儀でさえ、涙を見せてはならなかったといいます」
そう語るのは、地元民俗研究家の男性(70代)。
笑顔は神を鎮めるおまじないであると同時に、共同体を縛る鎖でもあったのだ。
笑比古信仰はやがて、村の生活そのものに深く根を下ろしていった。かつて朝日ヶ森には「笑比古講」と呼ばれる講中組織が存在し、週に一度村人総出で「笑祭」を執り行ったという。参加者は白装束に身を包み、面をつけて笑い続ける。笑うことで祀神である笑比古神を宥め、厄災が降りかからぬようにと祈りを捧げたのだと伝えられていた。
戦後の高度経済成長期を迎えても、笑比古信仰は完全には廃れず、学校行事や地域祭礼の中にその名残が見て取れる。「笑顔のまち」「明るい子ども」というスローガンの裏には、〝笑わねば祟られる〟という村の無言の規範が今も息づいていると指摘する研究者もいるという。
■「笑顔強制」の秘儀
笑比古伝承の中で最も忌まわしいのが、「笑顔強制の秘儀」である。
〝笑わぬ者は災いを呼ぶ〟という信念のもと、信者たちはある恐るべき技術を生み出した。それは、生きたまま人の口角を糸で縫い上げ、頬を吊り上げ、永遠の笑顔を刻むというものである。
村の古老によると、この儀式を受けた者は「笑比古の加護を得て死ぬまで笑い続ける」とされ、生贄=守護者として共同体を疫から守ったという。
かつて朝日ヶ森の外れには、「笑社」と呼ばれる祠(ほこら)があり、そこに永遠に笑う者が葬られていたとも伝えられる。
■現代に息づく「笑比古信仰」
現在も朝日ヶ森周辺では、密かに笑比古信仰が息づいているという噂が絶えない。
信者たちは「笑顔は幸福の証」「笑わぬ者は不幸を呼ぶ」と口にし、見知らぬ通行人にまで笑顔を強要するという。
ある住民はこう語る。
「最初は挨拶みたいなもんだと思ったんです。でも相手はずっと笑ってるんですよ。無理にでも笑わないと、その場の空気が凍るんです」
では、もしあなたが彼らに出会ってしまったら?
民俗記録によれば、逃れる方法が存在すると言われているが、文字の判別がつかず読み取れないものばかりであった。
記録が古く、読み取れないだけだろうか。それとも意図的に消されてしまったのだろうか。真相は闇の中である。



