【編者考察】────
本記録集の編纂にあたり、編者は一つの疑問を抱き続けてきた。
灯之村は「長寿村」として知られる。平均寿命は男性八十九歳、女性九十二歳。九十歳以上の住民が五十人を超え、百歳以上も珍しくない。
しかし「長寿」とは何か。
どれほど長く生きようとも人は必ず死ぬ。百歳まで生きた者も最後には死ぬ。灯之村の住民たちも例外ではない。
では彼らは何を渡していたのか。
本記録集に収められた資料を読み解くと、一つの仮説が浮かび上がる。
「厄渡し」──自らの災厄を他者に移す呪術的行為。
もしこれが事実ならば、村人たちは自らの「厄」を観光客に渡していたことになる。発熱、倦怠感、そして──死。観光客の一部は発熱し、高齢者や基礎疾患を持つ者は死亡した。
だがここで矛盾が生じる。
もし「厄渡し」が当人の厄を渡す行為ならば、渡された厄によって当人が死ぬことはないはずだ。厄を渡せば、その分だけ当人は軽くなる。健康になる。長生きする。
しかし灯之村の住民たちも最終的には死んでいる。
享保年間の開村以来、どれほど多くの村人が「長寿」を全うして死んでいったことか。平均寿命が高いということはそれだけ多くの人間が九十歳、百歳まで生き、そして死んでいったということだ。
死とは厄の中の厄である。
病気は渡せても老いは渡せない。衰弱は渡せても死そのものは渡せない──そう考えていたが、ふと思う所があった。
渡せないのではなく、渡しきれないほどの大厄なのではないかと。
ではその大厄はどこへ行くのか。
編者は調査の過程で奇妙な事実に気づいた。それは
※記述はここで途切れている
本記録集の編纂にあたり、編者は一つの疑問を抱き続けてきた。
灯之村は「長寿村」として知られる。平均寿命は男性八十九歳、女性九十二歳。九十歳以上の住民が五十人を超え、百歳以上も珍しくない。
しかし「長寿」とは何か。
どれほど長く生きようとも人は必ず死ぬ。百歳まで生きた者も最後には死ぬ。灯之村の住民たちも例外ではない。
では彼らは何を渡していたのか。
本記録集に収められた資料を読み解くと、一つの仮説が浮かび上がる。
「厄渡し」──自らの災厄を他者に移す呪術的行為。
もしこれが事実ならば、村人たちは自らの「厄」を観光客に渡していたことになる。発熱、倦怠感、そして──死。観光客の一部は発熱し、高齢者や基礎疾患を持つ者は死亡した。
だがここで矛盾が生じる。
もし「厄渡し」が当人の厄を渡す行為ならば、渡された厄によって当人が死ぬことはないはずだ。厄を渡せば、その分だけ当人は軽くなる。健康になる。長生きする。
しかし灯之村の住民たちも最終的には死んでいる。
享保年間の開村以来、どれほど多くの村人が「長寿」を全うして死んでいったことか。平均寿命が高いということはそれだけ多くの人間が九十歳、百歳まで生き、そして死んでいったということだ。
死とは厄の中の厄である。
病気は渡せても老いは渡せない。衰弱は渡せても死そのものは渡せない──そう考えていたが、ふと思う所があった。
渡せないのではなく、渡しきれないほどの大厄なのではないかと。
ではその大厄はどこへ行くのか。
編者は調査の過程で奇妙な事実に気づいた。それは
※記述はここで途切れている
