【死料θ】雑誌記事(インタビュー)
出典:月刊「幽々奇談」2026年7月号
見出し:「呪いとは何か──灯之村事件に寄せて」
インタビュー:遠国勝彦(作家)
聞き手:編集部
──灯之村事件について、先生のご見解を伺いたいのですが。
遠国:見解ですか。私は小説家ですよ。科学者でも医者でもない。見解などと大層なものはありません。
──しかし、先生は長年「呪い」や「怪異」をテーマに執筆されてきました。今回の事件についても、何かお考えがあるのではないかと。
遠国:なるほど。では、小説家として、物語を語る者として、少しお話ししましょうか。
──お願いします。
遠国:まず確認しておきたい。あなたは「呪い」が存在すると思いますか?
──……科学的には存在しないと思います。
遠国:科学的には、ね。では、私の考えを述べましょう。呪いは存在します。
──存在する、と。
遠国:ええ。ただし、超自然的なものではない。霊だの怨念だのが空中を飛んで人に取り憑く、などということはありません。そんなものは存在しない。呪いとは、「認識」の問題なんですよ。
──認識、ですか。
遠国:人間の脳が作り出すものです。外部から飛んでくるものではない。あなた自身の内側から湧き出るものです。認識し、受容した瞬間から、呪いは始まる。
──しかし、灯之村の事件では、実際に発熱者や死亡者が出ています。
遠国:ええ、出ています。それが認識の恐ろしいところなんですよ。脳が「何かを渡された」と認識すれば、身体はそれに応答する。これは私の思いつきではありません。医学的に実証されている現象です。
──具体的には?
遠国:ノセボ効果という言葉をご存知ですか。プラセボの逆で、「害がある」と信じることで実際に害が生じる現象です。二〇〇七年にファブリツィオ・ベネデッティらがまとめた総説論文があります。『ノセボ効果とその神経生物学的メカニズム』というものでしてね。被験者に「この薬には頭痛を引き起こす副作用がある」と説明して偽薬を投与すると、実際に頭痛が発生する。しかも、脳内では痛みに関連する神経伝達物質が実際に増加しているんです。思い込みではなく、身体が本当に反応している。
──それは……。
遠国:さらに興味深い研究があります。一九四二年、ハーバード大学の生理学者ウォルター・キャノンが発表した論文です。「ブードゥー・デス」という題名でね。
──呪いによる死、ですか。
遠国:ええ。キャノンは、オーストラリアの先住民やアフリカ、南米の部族社会で報告された「呪いによる死」の事例を収集し、分析しました。呪術師に「お前は死ぬ」と宣告された人間が、実際に数日のうちに死亡する。外傷も毒物もない。しかし死ぬ。キャノンはこれを迷信として片付けず、科学的に説明しようとしました。
──説明できたのですか。
遠国:彼の仮説は「極度の恐怖による交感神経の持続的興奮」です。恐怖が続くと、アドレナリンが過剰分泌され、血管が収縮し、血圧が急上昇する。それが長時間続けば、心臓や腎臓に負荷がかかり、最終的には多臓器不全で死に至る。現代医学では「心因性死」や「ストレス心筋症」として知られる現象ですね。日本では「たこつぼ型心筋症」とも呼ばれます。
──つまり、呪いで人が死ぬことは、医学的にあり得ると。
遠国:あり得るどころか、記録されています。ただし、繰り返しますが、超自然的な力が働いているわけではない。すべては脳と身体の相互作用です。「自分は呪われた」と脳が判断すれば、身体はその判断に従って死に向かう。
──……。
遠国:二〇〇九年のクリフトン・ミーダーの論文も紹介しましょうか。ある末期癌患者の事例です。医師から「あなたの癌は全身に転移している、余命は数ヶ月だ」と告げられた患者が、その通りに数ヶ月で亡くなった。ところが死後の解剖で、癌はほとんど進行しておらず、死因として説明がつかなかった。ミーダーはこれを「ノセボ効果による死」として報告しています。医師の宣告が、患者を殺したのです。
──医師の言葉が呪いになったと?
遠国:そういうことです。呪いに必要なのは、呪術師でも霊でもない。「権威ある言葉」と「受け手の信頼」があれば十分なんです。灯之村の場合は、「古くからの風習」という権威があり、「わざわざ両手を差し出す」という儀式的な行為があった。それで十分なんですよ。
──では、あの「挨拶」には何の実体もなかったと?
遠国:実体? 実体がなくても呪いは機能します。むしろ、実体がないからこそ機能する。村人たちが本当に「厄」を渡していたかどうかは、どうでもいいことなんです。重要なのは、受け手が「何かを渡された」と認識するかどうか。認識さえすれば、脳は勝手に物語を紡ぎ、身体はその物語に従う。
──……。
遠国:さらに言えば、村人たち自身が「厄を渡している」と信じていたかどうかすら、実はどうでもいい。形式があればいいんです。儀式があればいい。「何か意味ありげなこと」が行われれば、受け手の脳は勝手に意味を見出す。これは人間の認知の特性です。我々の脳は、パターンを見出し、因果関係を推測するようにできている。雲の形に顔を見出すように、無関係な事象に因果関係を見出す。
──しかし、この事件のことを知って、呪いを信じた人だけが発熱したわけではないのでは。「呪いなど馬鹿馬鹿しい」と思っていた人も発熱しています。
遠国:いい質問です。ここが呪いの厄介なところなんですよ。意識的に信じる必要はないんです。重要なのは、「可能性として認識したかどうか」です。
──可能性として?
遠国:ええ。「馬鹿馬鹿しい」と思うためには、まず「そういう話がある」と認識する必要があるでしょう? 否定するためには、まず命題を理解しなければならない。「灯之村には呪いがある」という命題を理解した時点で、あなたの脳にはその命題が刻み込まれる。否定しようが肯定しようが、脳は一度認識した情報を完全に消去することはできないんです。
──……。
遠国:心理学では「皮肉過程理論」と呼ばれています。ダニエル・ウェグナーの研究ですね。「シロクマのことを考えるな」と言われると、逆にシロクマのことが頭から離れなくなる。「呪いなど馬鹿馬鹿しい」と思おうとすればするほど、呪いのことを考えてしまう。そして、考えれば考えるほど、脳はその情報に重みづけをする。
──つまり、知ってしまった時点で……。
遠国:もう遅いんです。たとえ理性の大半が否定していても、脳のどこかに「もしかしたら」という可能性が残る。その「もしかしたら」が種なんです。私はそれを「ノロイの種」と呼んでいます。
──種、ですか。
遠国:ええ。いったん種が蒔かれると、それは脳の中で勝手に芽を出し、根を張り、育っていく。水をやる必要はありません。あなたが「もしかしたら」と思うたびに、種は少しずつ大きくなる。
──怖い話ですね。
遠国:怖いですか? でも、これは誰の脳でも起こることですよ。あなただって例外ではない。
──私も……?
遠国:この事件のことを取材している。記事を書いている。資料を読み、証言を聞いている。そうやって「灯之村の呪い」について知れば知るほど、あなたの脳にも種は蒔かれていく。
──でも、私は灯之村には行っていませんし、発熱者との接触もありません。
遠国:関係ありません。物理的な接触は必要ないんです。知識として知る。情報として受け取る。それだけで種は蒔かれる。
──では、この記事を読んだ読者にも……?
遠国:そうです。この記事を読んだ人間にも、種は蒔かれるでしょう。あなたが書いた文章を通じて、私の言葉を通じて。
──それは……。
遠国:そして、ここからが重要なのですが。
──はい。
遠国:たとえ呪いの根源がでまかせであっても、同じことなんですよ。
──でまかせ?
遠国:ええ。灯之村が実在するかどうか。「厄渡し」の風習が本当にあったかどうか。発熱者や死亡者が実際にいたかどうか。それらがすべて創作、フィクション、作り話だったとしても呪いは機能する。そうですね、例えばこの話が実のところすべて創作で、どこぞの小説投稿サイトに書かれたものであったとしても、です。
──……なぜですか。
遠国:脳は情報のソースを区別しないからです。ニュースで見た映像も小説で読んだ描写も、友人から聞いた噂話も、脳にとっては等しく「情報」なんですよ。もちろん意識のレベルでは区別できます。「これはフィクションだ」「これは作り話だ」と理解できる。しかし無意識のレベルではその区別は曖昧になる。
──無意識のレベルで?
遠国:ええ。ホラー映画を観て心臓がドキドキするでしょう? あれはフィクションだと分かっていても、身体は反応する。小説を読んで涙を流すでしょう? 作り話だと分かっていても、感情は動く。脳は、フィクションに対しても、現実と同じように反応するんです。これも神経科学で実証されています。脳画像研究によれば、物語を読んでいるときと実際に体験しているときで、活性化する脳領域はかなり重なっている。
──つまり……。
遠国:つまりこの記事がすべて創作だったとしても、あなたの脳には「灯之村の呪い」という情報が刻み込まれている。「厄渡し」という概念が、「挨拶を受けると発熱する」というパターンが、記憶されている。そして一度記憶された情報は完全には消えない。
──……。
遠国:さらに言えば、「これはフィクションだ」と知っていることが、むしろ油断を生むこともある。
──油断?
遠国:「作り話だから大丈夫」と意識的に思っている人ほど、無意識の警戒が緩む。すると、情報が深層に浸透しやすくなる。小説や映画が人の心に残るのは、そういう仕組みです。「どうせフィクションだ」と思っているからこそ、防御なく受け入れてしまう。
──では、私たちはどうすれば……。
遠国:どうもしようがありませんよ。この記事を最後まで読んだ人間の脳には、もう種が蒔かれています。「灯之村には呪いがあるかもしれない」「自分も影響を受けるかもしれない」──そう思った瞬間に、種は蒔かれた。たとえこの記事がすべて創作だと分かっていても、たとえ灯之村という村が実在しないと分かっていても、関係ない。
──……。
遠国:頭の片隅で「でも、もしかしたら」と思った時点で、もう遅いんです。「世界のどこかには、本当にこういう呪いがあるのかもしれない」──そう思ってしまったなら、種は芽を出す準備を始めている。
──……先生、それはこの記事を読んでいる人たちを脅しているのですか?
遠国:脅し? いいえ。私は事実を述べているだけです。呪いとはそういうものだ、という事実を。
──しかし、先生のお話が正しいなら、この記事を公開すること自体が、読者に呪いをかけることになるのでは。
遠国:(少し笑って)面白いことを言いますね。では、こう考えてみてください。私が今この場で語っていることも、一種の「儀式」なのかもしれない。雑誌という媒体を通じて、活字という形式を通じて、読者の脳に何かを「渡している」のかもしれない。灯之村の村人たちがしていたことと、本質的には同じことを。
──……。
遠国:もっとも、私が「渡している」のは厄ではなく、知識ですがね。呪いとは何か、という知識を。ただ、その知識自体が呪いの種になり得る、というのは皮肉なことです。
──……。
遠国:さて、そろそろ時間ですね。最後に一つだけ、読者の皆さんにお伝えしておきましょう。
──何でしょうか。
遠国:この記事を読み終わったら、体温計を手に取らないことです。
──なぜですか?
遠国:測れば、気になる数字が出るかもしれない。人間の体温は一日の中で変動しますからね。運動後、食事後、夕方、入浴後……三十七度台になることは珍しくない。でも、この記事を読んだ直後にその数字を見れば、あなたの脳は余計なことを考え始めるでしょう。「もしかして」と。
──……。
遠国:そうなれば、種は芽を出してしまいますから。
……もっとも、私がこう言ったことで、あなたは逆に測りたくなっているかもしれませんね。「測るな」と言われると測りたくなる。それも人間の認知の特性です。皮肉過程理論の実例ですね。
──……先生、最後に一つだけ。先生ご自身は、呪いを信じていらっしゃるのですか?
遠国:(長い沈黙の後)私は物語を書く人間です。呪いについて書き、怪異について書き、人の死について書いてきた。私の脳には、数え切れないほどの「種」が蒔かれていますよ。
──発熱したことは?
遠国:さあ、どうでしょうね。ただ、私はここ最近、一つだけ心がけていることがあります。
──何ですか。
遠国:熱を測らない様にしています。あなたもそうするといい。念のため、ね。
(了)
出典:月刊「幽々奇談」2026年7月号
見出し:「呪いとは何か──灯之村事件に寄せて」
インタビュー:遠国勝彦(作家)
聞き手:編集部
──灯之村事件について、先生のご見解を伺いたいのですが。
遠国:見解ですか。私は小説家ですよ。科学者でも医者でもない。見解などと大層なものはありません。
──しかし、先生は長年「呪い」や「怪異」をテーマに執筆されてきました。今回の事件についても、何かお考えがあるのではないかと。
遠国:なるほど。では、小説家として、物語を語る者として、少しお話ししましょうか。
──お願いします。
遠国:まず確認しておきたい。あなたは「呪い」が存在すると思いますか?
──……科学的には存在しないと思います。
遠国:科学的には、ね。では、私の考えを述べましょう。呪いは存在します。
──存在する、と。
遠国:ええ。ただし、超自然的なものではない。霊だの怨念だのが空中を飛んで人に取り憑く、などということはありません。そんなものは存在しない。呪いとは、「認識」の問題なんですよ。
──認識、ですか。
遠国:人間の脳が作り出すものです。外部から飛んでくるものではない。あなた自身の内側から湧き出るものです。認識し、受容した瞬間から、呪いは始まる。
──しかし、灯之村の事件では、実際に発熱者や死亡者が出ています。
遠国:ええ、出ています。それが認識の恐ろしいところなんですよ。脳が「何かを渡された」と認識すれば、身体はそれに応答する。これは私の思いつきではありません。医学的に実証されている現象です。
──具体的には?
遠国:ノセボ効果という言葉をご存知ですか。プラセボの逆で、「害がある」と信じることで実際に害が生じる現象です。二〇〇七年にファブリツィオ・ベネデッティらがまとめた総説論文があります。『ノセボ効果とその神経生物学的メカニズム』というものでしてね。被験者に「この薬には頭痛を引き起こす副作用がある」と説明して偽薬を投与すると、実際に頭痛が発生する。しかも、脳内では痛みに関連する神経伝達物質が実際に増加しているんです。思い込みではなく、身体が本当に反応している。
──それは……。
遠国:さらに興味深い研究があります。一九四二年、ハーバード大学の生理学者ウォルター・キャノンが発表した論文です。「ブードゥー・デス」という題名でね。
──呪いによる死、ですか。
遠国:ええ。キャノンは、オーストラリアの先住民やアフリカ、南米の部族社会で報告された「呪いによる死」の事例を収集し、分析しました。呪術師に「お前は死ぬ」と宣告された人間が、実際に数日のうちに死亡する。外傷も毒物もない。しかし死ぬ。キャノンはこれを迷信として片付けず、科学的に説明しようとしました。
──説明できたのですか。
遠国:彼の仮説は「極度の恐怖による交感神経の持続的興奮」です。恐怖が続くと、アドレナリンが過剰分泌され、血管が収縮し、血圧が急上昇する。それが長時間続けば、心臓や腎臓に負荷がかかり、最終的には多臓器不全で死に至る。現代医学では「心因性死」や「ストレス心筋症」として知られる現象ですね。日本では「たこつぼ型心筋症」とも呼ばれます。
──つまり、呪いで人が死ぬことは、医学的にあり得ると。
遠国:あり得るどころか、記録されています。ただし、繰り返しますが、超自然的な力が働いているわけではない。すべては脳と身体の相互作用です。「自分は呪われた」と脳が判断すれば、身体はその判断に従って死に向かう。
──……。
遠国:二〇〇九年のクリフトン・ミーダーの論文も紹介しましょうか。ある末期癌患者の事例です。医師から「あなたの癌は全身に転移している、余命は数ヶ月だ」と告げられた患者が、その通りに数ヶ月で亡くなった。ところが死後の解剖で、癌はほとんど進行しておらず、死因として説明がつかなかった。ミーダーはこれを「ノセボ効果による死」として報告しています。医師の宣告が、患者を殺したのです。
──医師の言葉が呪いになったと?
遠国:そういうことです。呪いに必要なのは、呪術師でも霊でもない。「権威ある言葉」と「受け手の信頼」があれば十分なんです。灯之村の場合は、「古くからの風習」という権威があり、「わざわざ両手を差し出す」という儀式的な行為があった。それで十分なんですよ。
──では、あの「挨拶」には何の実体もなかったと?
遠国:実体? 実体がなくても呪いは機能します。むしろ、実体がないからこそ機能する。村人たちが本当に「厄」を渡していたかどうかは、どうでもいいことなんです。重要なのは、受け手が「何かを渡された」と認識するかどうか。認識さえすれば、脳は勝手に物語を紡ぎ、身体はその物語に従う。
──……。
遠国:さらに言えば、村人たち自身が「厄を渡している」と信じていたかどうかすら、実はどうでもいい。形式があればいいんです。儀式があればいい。「何か意味ありげなこと」が行われれば、受け手の脳は勝手に意味を見出す。これは人間の認知の特性です。我々の脳は、パターンを見出し、因果関係を推測するようにできている。雲の形に顔を見出すように、無関係な事象に因果関係を見出す。
──しかし、この事件のことを知って、呪いを信じた人だけが発熱したわけではないのでは。「呪いなど馬鹿馬鹿しい」と思っていた人も発熱しています。
遠国:いい質問です。ここが呪いの厄介なところなんですよ。意識的に信じる必要はないんです。重要なのは、「可能性として認識したかどうか」です。
──可能性として?
遠国:ええ。「馬鹿馬鹿しい」と思うためには、まず「そういう話がある」と認識する必要があるでしょう? 否定するためには、まず命題を理解しなければならない。「灯之村には呪いがある」という命題を理解した時点で、あなたの脳にはその命題が刻み込まれる。否定しようが肯定しようが、脳は一度認識した情報を完全に消去することはできないんです。
──……。
遠国:心理学では「皮肉過程理論」と呼ばれています。ダニエル・ウェグナーの研究ですね。「シロクマのことを考えるな」と言われると、逆にシロクマのことが頭から離れなくなる。「呪いなど馬鹿馬鹿しい」と思おうとすればするほど、呪いのことを考えてしまう。そして、考えれば考えるほど、脳はその情報に重みづけをする。
──つまり、知ってしまった時点で……。
遠国:もう遅いんです。たとえ理性の大半が否定していても、脳のどこかに「もしかしたら」という可能性が残る。その「もしかしたら」が種なんです。私はそれを「ノロイの種」と呼んでいます。
──種、ですか。
遠国:ええ。いったん種が蒔かれると、それは脳の中で勝手に芽を出し、根を張り、育っていく。水をやる必要はありません。あなたが「もしかしたら」と思うたびに、種は少しずつ大きくなる。
──怖い話ですね。
遠国:怖いですか? でも、これは誰の脳でも起こることですよ。あなただって例外ではない。
──私も……?
遠国:この事件のことを取材している。記事を書いている。資料を読み、証言を聞いている。そうやって「灯之村の呪い」について知れば知るほど、あなたの脳にも種は蒔かれていく。
──でも、私は灯之村には行っていませんし、発熱者との接触もありません。
遠国:関係ありません。物理的な接触は必要ないんです。知識として知る。情報として受け取る。それだけで種は蒔かれる。
──では、この記事を読んだ読者にも……?
遠国:そうです。この記事を読んだ人間にも、種は蒔かれるでしょう。あなたが書いた文章を通じて、私の言葉を通じて。
──それは……。
遠国:そして、ここからが重要なのですが。
──はい。
遠国:たとえ呪いの根源がでまかせであっても、同じことなんですよ。
──でまかせ?
遠国:ええ。灯之村が実在するかどうか。「厄渡し」の風習が本当にあったかどうか。発熱者や死亡者が実際にいたかどうか。それらがすべて創作、フィクション、作り話だったとしても呪いは機能する。そうですね、例えばこの話が実のところすべて創作で、どこぞの小説投稿サイトに書かれたものであったとしても、です。
──……なぜですか。
遠国:脳は情報のソースを区別しないからです。ニュースで見た映像も小説で読んだ描写も、友人から聞いた噂話も、脳にとっては等しく「情報」なんですよ。もちろん意識のレベルでは区別できます。「これはフィクションだ」「これは作り話だ」と理解できる。しかし無意識のレベルではその区別は曖昧になる。
──無意識のレベルで?
遠国:ええ。ホラー映画を観て心臓がドキドキするでしょう? あれはフィクションだと分かっていても、身体は反応する。小説を読んで涙を流すでしょう? 作り話だと分かっていても、感情は動く。脳は、フィクションに対しても、現実と同じように反応するんです。これも神経科学で実証されています。脳画像研究によれば、物語を読んでいるときと実際に体験しているときで、活性化する脳領域はかなり重なっている。
──つまり……。
遠国:つまりこの記事がすべて創作だったとしても、あなたの脳には「灯之村の呪い」という情報が刻み込まれている。「厄渡し」という概念が、「挨拶を受けると発熱する」というパターンが、記憶されている。そして一度記憶された情報は完全には消えない。
──……。
遠国:さらに言えば、「これはフィクションだ」と知っていることが、むしろ油断を生むこともある。
──油断?
遠国:「作り話だから大丈夫」と意識的に思っている人ほど、無意識の警戒が緩む。すると、情報が深層に浸透しやすくなる。小説や映画が人の心に残るのは、そういう仕組みです。「どうせフィクションだ」と思っているからこそ、防御なく受け入れてしまう。
──では、私たちはどうすれば……。
遠国:どうもしようがありませんよ。この記事を最後まで読んだ人間の脳には、もう種が蒔かれています。「灯之村には呪いがあるかもしれない」「自分も影響を受けるかもしれない」──そう思った瞬間に、種は蒔かれた。たとえこの記事がすべて創作だと分かっていても、たとえ灯之村という村が実在しないと分かっていても、関係ない。
──……。
遠国:頭の片隅で「でも、もしかしたら」と思った時点で、もう遅いんです。「世界のどこかには、本当にこういう呪いがあるのかもしれない」──そう思ってしまったなら、種は芽を出す準備を始めている。
──……先生、それはこの記事を読んでいる人たちを脅しているのですか?
遠国:脅し? いいえ。私は事実を述べているだけです。呪いとはそういうものだ、という事実を。
──しかし、先生のお話が正しいなら、この記事を公開すること自体が、読者に呪いをかけることになるのでは。
遠国:(少し笑って)面白いことを言いますね。では、こう考えてみてください。私が今この場で語っていることも、一種の「儀式」なのかもしれない。雑誌という媒体を通じて、活字という形式を通じて、読者の脳に何かを「渡している」のかもしれない。灯之村の村人たちがしていたことと、本質的には同じことを。
──……。
遠国:もっとも、私が「渡している」のは厄ではなく、知識ですがね。呪いとは何か、という知識を。ただ、その知識自体が呪いの種になり得る、というのは皮肉なことです。
──……。
遠国:さて、そろそろ時間ですね。最後に一つだけ、読者の皆さんにお伝えしておきましょう。
──何でしょうか。
遠国:この記事を読み終わったら、体温計を手に取らないことです。
──なぜですか?
遠国:測れば、気になる数字が出るかもしれない。人間の体温は一日の中で変動しますからね。運動後、食事後、夕方、入浴後……三十七度台になることは珍しくない。でも、この記事を読んだ直後にその数字を見れば、あなたの脳は余計なことを考え始めるでしょう。「もしかして」と。
──……。
遠国:そうなれば、種は芽を出してしまいますから。
……もっとも、私がこう言ったことで、あなたは逆に測りたくなっているかもしれませんね。「測るな」と言われると測りたくなる。それも人間の認知の特性です。皮肉過程理論の実例ですね。
──……先生、最後に一つだけ。先生ご自身は、呪いを信じていらっしゃるのですか?
遠国:(長い沈黙の後)私は物語を書く人間です。呪いについて書き、怪異について書き、人の死について書いてきた。私の脳には、数え切れないほどの「種」が蒔かれていますよ。
──発熱したことは?
遠国:さあ、どうでしょうね。ただ、私はここ最近、一つだけ心がけていることがあります。
──何ですか。
遠国:熱を測らない様にしています。あなたもそうするといい。念のため、ね。
(了)
