成立しないのは男女の友情だけじゃない

 “男女の友情は成立しない”とよく言うけれど。
 どうやら男同士の友情も成立しないらしい。
 そのことを知ったのは、2週間ほど前——2学期末のテスト終わりの放課後のことだった。
「俺、由都(ゆと)のこと好きなんだよね」
 夕飯前の閑散としたフードコートの一角で、向かいに座る幼馴染—— 鳥島伶市(とりしまれいいち)が突然そんなことを言った。
 伶市がいつも通りの微笑みで、あまりにもさらりと言うもんだから、俺がよく言う「やっぱ、しなしなポテト好きなんだよなー」くらいのテンション感の意味合いだと、俺は理解した。
 だから俺も、同じ感じで返した。
「おー、うん。知ってる。まあ、じゃなきゃ16年も幼馴染続いてないよな。平々凡々濃縮還元100%みたいな俺と歩んでくれて、どうもありがとう」
 あえて冷ましておくことで、しなしな化したフライドポテトを口に運びながら、俺は伶市に目礼した。
 あ、やっぱ、しなしなポテト美味いわ。
 俺が好物を堪能していると、伶市は形のいい眉を少し下げ、困ったように笑った。
「あのね、俺が言ってるのは由都の『しなしなポテトが好き』と違うからね」
「あ、違うの?」
 俺の思考を100%読み切っている、流石幼馴染とも言える伶市の発言に、俺は首を傾げた。
「じゃあ、どんなよ?伶市サンの『好き』ってのは。改めて聞かせてもらおうじゃあないの」
 指の代わりに、力なく項垂れたしなしなポテトを伶市に向け、いつもの通りのふざけた調子で訊く。
 すると伶市は、数秒ほど黒い瞳を彷徨わせた後、くしゃりとその整った顔面を情けなく歪めた。
 あ、出た。この表情。
 この顔をする時、伶市は決まって——
「……や、うん、やっぱり由都の思う『好き』と同じでいいよ」
 ——ほらな、逃げた。
 何かに怖気付き、尻尾を巻いて逃げ出す直前、伶市は必ずあの顔をする。形のいい眉も、人好きのする垂れ目も、いつもは綺麗な弧を描く薄い唇も、全部が垂れ下がり、中心にきゅっと寄る。
 いつものことだが、伶市は何故か言動の滑り出しの勢いを持続できない。自分から動き出したのにすぐに日和って、物陰に隠れようとする。それは小さい頃から全くと言っていいほど変わっていない。
 他の人であれば深追いはしないのだろうけど、16年共に生きてきた幼馴染の俺がそれを見逃すわけがない。俺に伝えたくて滑り出した言葉を、俺が引っ張らなければ誰が引っ張り上げられると言うのだ。
「今更誤魔化そうとしても無理があるだろ。ほら、ビビってないで言えって」
 俺は顎をしゃくって、伶市が飲み込んでしまった言葉を促す。
 伶市はまた視線を彷徨わせた。
 いつもなら渋々でもすぐに言葉を続けるのに、今回は珍しく迷っているようだ。
 俺は黙って伶市の決断を待った。だがその間も、俺の手はプログラミングされた機械のように、しなしなのフライドポテトをせっせと口に運び続ける。
 少しして、伶市の黒い瞳が俺の元に戻ってきた。
 どうやら、言う気になったらしい。
 伶市は息を零すように静かに言葉を落とした。
「……恋愛感情の『好き』、だよ」
 俺の手は、ポテトを摘んだところで動きを止めた。
 こちらを見つめる伶市の優しい垂れ目の奥、黒い瞳が濡れたような光を僅かに放つ。
「俺は、由都が、恋愛対象として好きなんだよ」
 俺は咄嗟に何の反応も返せないかった。
 ただ咀嚼を止め、押し黙っただけだ。
 自分から促して伶市に言わせたくせに。
 そう思っても、どうしていいかわからない程度には驚いているし、動揺している。
 ——伶市が、俺を、好き。
 初めて知った、伶市の俺に対する気持ち。
 言葉自体は咀嚼できても、その意味を飲み込むまでには至れない。
 伶市の告白は、完全に寝耳に水だった。
 誰よりも長い時間を一緒に過ごしてきたのに、伶市が俺を恋愛対象として見ていたなんて、全く気づいていなかった。
 いったい、いつから?
 なんで、俺なんだ?
 いくつも疑問が湧いてくるが、口内に留まったポテトによって、その疑問は喉元で堰き止められている。
「……卑怯なことして、ごめん」
 伶市は呟くように言うと、すぐに目を伏せてしまった。
 驚かせてごめん、とかならわかるが、その謝罪はなんだ?卑怯なことって?
 ……というか、告白って卑怯なのか?
 好きだって、相手に伝えることのどこが卑怯なんだ?
 伶市は、謝らなきゃいけないようなことはなにもしていないだろ。
 言いたいことは次々湧いてくるのに、伶市の伏せられた目が俺の言葉の全てを拒絶しているように思えて、俺は伶市の名前すら呼べない。
 真っ直ぐ見つめた先、伶市の長い睫毛が細かく震えている。緊張しているのか、悲しんでいるのか、はたまたそのどちらもなのか。俺には正直わからない。
 ——俺は、どうすればいい……?
 伶市の感情も意図もわからず、伶市の告白にどう答えるべきなのかも決めかねている俺は、伶市の睫毛の震えが治るまで、ただ待つことしかできなかった。
 しばらくして——と言っても、それは体感であって、本当は数十秒程度だったのかもしれないが、伏せられた瞼で見えなくなっていた伶市の黒目が俺の方を向いた。
「本当は、もっと大人になってからロマンチックな——夜景が見えるレストランとか、そういうところで言いたかったんだけど」
 伶市が肩を竦めながら浮かべた微笑みは、見慣れたそれだった。
 おかげで、身体から力が抜けた。知らず、緊張していたらしい。
「……なんだそれ、キザすぎだろ」
 少しぎこちないが、俺も苦笑しながら、いつものようにツッコミを入れる。
「だって、そういうシチュエーション、由都の憧れでしょ?」
「それはあくまで俺が言う側の場合の話な」
「嘘だ。この間観てたドラマで、ヒロインが羨ましいって言ってた」
 間髪入れずに言われた否定に俺は言葉を詰まらせた。
 たしかに言った記憶はある。だけど、あんな言葉になったかわからないほどの小さな呟きがが、まさか隣で一緒に観てた伶市に聞こえているなんて思わなかった。
「……つーか、そういうところで言いたかったんならそうすればよかっただろ」
 俺は羞恥心を誤魔化そうとして、つい、伶市を責めるような物言いをしてしまった。
「それだと、遅いんだよ……」
 また困り顔をした伶市に、俺は意味がわからず首を傾げた。
「……遅い?なにがだよ」
 俺のロマンチスト思考が終わってしまうと思っているのか?悪いが、こちとら姉ちゃんからの英才教育の賜物で幼稚園の頃からのロマンチストだ。これは大人になったって変わらないだろう。もう、そういう風に俺、“砂川(すなかわ)由都”は出来上がってしまっているのだから。
 俺の問いに伶市が答えようと口を開いた、その時。
「えっ⁉︎ ミサ、サトシと付き合ってんの⁉︎」
 伶市の言葉を遮るようにして、女子の甲高い声が飛んできた。「ちょっと、ユミ!声大きいって!」と制する声が続く。
 声をたどって見れば、通路を挟んだ斜め前の席で、隣駅の高校の女子生徒がふたり、向かい合って座っていた。
 聞くつもりがなくても、テンションが上がっている声は俺たちの席まではっきりと届く。
「だって、この間までサトシのことは友達としか思えないとか言ってたじゃん!」
「それはそうなんだけど……。告られたら、なんかこう……ね?」
「あんたたちは珍しく友情が成立してると思ってたんだけど違ったか〜〜」
「ユミだって人のこと言えないじゃん!幼馴染と付き合ってんだから!」
 ……ちょっと待て。あまりにもタイムリーすぎないか?
 友情の不成立。
 幼馴染との交際。
 これは俺の来る未来か、それとも来るはずのない未来か……。
 女子たちの会話に勝手に俺自身を重ねて、勝手に気まずさを覚えてしまう。
 見知らぬ女子たちよ、今すぐその話題を変えなさい……。
 そう念じても、叶うはずもなく。
 こちらの状況を知るはずのない女子たちは、楽しそうに新しい恋の話に盛り上がり続けている。
 俺は残っていたしなしなのポテトをとりあえず口に入るだけ詰め込んだ。このままだと、場の気まずさから伶市に不要な話題を振ってしまいそうで怖かった。
 口に食べ物が入っていれば、会話をしなくても済む。俺は口の中に少しでもスペースが空けば、すぐにその隙間を埋めるようにポテトを突っ込んだ。美味しいはずのしなしなポテトは味を感じず、ただもさもさした食感だけを強く感じた。
 先ほどから、俺と同様に無言を貫く伶市をちらりと見た。伶市にも女子たちの会話は聞こえていたはずだが、特に気まずそうにしている様子はない。涼しい顔でジュースを飲んでいる。
 そういえば、さっき伶市はなんて言おうとしたんだろうか。
 俺に告白するのが今でないと“遅い”と、伶市が考えた理由って結局なんだ?
 気になるが、訊き返すのも今更な気がして俺は口を開けない。まあ、物理的にポテトで口を封じているせいで口を開けられないというのもあるが……。
「由都、そろそろ帰らないと由梨子さんに怒られるんじゃない?」
 不意に伶市の口から発せられた由梨子さん——俺の母親の話題に、思考の世界から現実に一気に引き戻される。
 そういえば、今何時だ?
 そう思うと同時に、伶市がスマホに映った時刻を見せてくれる。
 時刻は17時半。
 門限は18時。
 今いるショッピングモールは家から徒歩圏内とはいえ、早くて20分くらいはかかる。信号に捕まれば、下手すると間に合わないかもしれない。
 母親の怒った顔を思い出し、冷や汗が出そうになる。
 俺は慌ててポテトを咀嚼し、残っていた炭酸で飲み下した。
「……っ、伶市ありがとな。行こう」
「由梨子さん、怒ると怖いもんね」
 伶市が苦笑しながら、ふたり分のトレーとゴミをまとめてくれる。
「これ捨ててくるね」
「……っ悪い、俺も行く」
 鞄とトレーを持って先に行ってしまった伶市を、俺は慌てて追った。
「あ、あのさ……!伶市」
「どうかした?」
 伶市がゆったりとした動きでこちらを振り返った。
 座っている時とは違い、少しだけ上にある伶市の黒い瞳を見つめて、俺は言った。
「少しだけ、時間をくれないか……?」
 伶市は俺の言葉に目を瞬かせた。でも、すぐに納得したように、ひとつ頷いた。
「ああ、これは片付けておくから、トイレなら——」
「そうじゃなくて」
 俺は被せるようにして否定した。
 伶市は不思議そうに小首を傾げた。
「そうじゃなくてさ……、さっきの告白の返事。俺考えるから。答えを出すまでの時間がほしい」
「……別に無理に答えなくてもいいよ。なかったことにしてくれたっていいし」
「それはだめだ。伶市が伝えてくれた気持ちに不誠実なことはしたくない」
 言えば、伶市は戸惑うような表情を浮かべた。
 伶市としては女子高生の声に会話が中断されたことをきっかけに、告白の件は有耶無耶にするつもりだったのかもしれない。
 だけど、伶市が一度引っ込めようとした気持ちを引き摺り出させた俺には、伶市に返事をする責任がある。
「……クリスマス。その日までには、伶市に返事するから」
 俺は伶市の目を見据え、宣言した。

 そう、そこまではよかった。
 だけど、そこから2週間が経つというのに、俺は自分の気持ちがわからないでいた。
 伶市のことはもちろん好きだ。
 でもそれが伶市と同じ“恋愛感情”なのか、と問われれば正直わからない。
 そもそも友愛や家族愛と、恋愛としての愛情ってどう違う?とうやったら見分けられるんだ?
 そんな初歩的なこともわからない俺は、いまだに頭を悩ませていた。

 クリスマスまで——あと4日。