ぎこちない空気のまま、二人は階段を降りて昇降口に向かった。
桜井は無言で付いてくるだけだ。
校庭は雨で白く煙っている。
「さっきより雨、強くなってきたな」
侑は忌々しそうに校庭を見て、レインウェアを取り出した。
桜井は折りたたみ傘を開く。
「一緒に入れば?」
侑に向けて傘を傾けながら、桜井は言った。
「別にいいって。これ着てたら雨、防げるし」
「入りなよ。帰る方向は同じなんだし。ね?」
桜井は、侑のレインウェアの袖を摘んだ。
「ほら」
侑は桜井が摘んだ袖を振り切るようにフードを深く被り、そのまま雨の中に飛び出した。
雨がフードに当たる感覚と共に、パタパタパタと音がする。
ふっと影ができ、体に雨が当たる感覚が消えた。桜井が後ろから傘を差したのだ。
桜井は、侑のフードを後ろに引っ張って下げた。
「おい、何すんだよ」
侑が怒ったような顔で桜井を見た。
「顔が見えないから」
桜井は、悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。
──誂われてる?
侑はそっぽを向いてフードを目深に被り直した。
「まだ話したい」
桜井にそう言われて、侑の心拍数はどんどん上がっていく。フードを被っていて良かった、と侑は思った。顔が熱い。きっと今、自分の顔は真っ赤だ。桜井に見られたくない。さっき抱き寄せられたときと同じく、肩が触れ合う距離にいる桜井の、シトラスの香りがする。侑の頭の中は、沸騰寸前の薬缶のようだ。
「Blood MoonのDLC
、来月だよね」
「へっ?! ……あっ、そうそう! 来月……DLC!」
侑は、完全に挙動不審になっていた。
「やっぱり顔見て話したい」
桜井はまた、侑のフードを後ろに引っ張った。
侑は咄嗟に顔を背けた。
「トレーラー観た?」
桜井は、話し続ける。
「……観た」
ぼそぼそと返事をするのがやっとの侑を見て、桜井は微笑んだ。
「新しい職業が増えるの、アツいな。新マップにルーキフェルが生まれた村が追加されるからストーリーも気になるよね」
「……うん」
侑は、桜井と体が触れ合わないように、離れようとする。そのたびに、桜井は「濡れるよ。もっと寄って」と言う。
雨は冷たいのに、侑の顔は熱い。
──ただ、一緒に傘に入ってるだけ。何も変なことはない。何を意識してるんだよ、俺。
「レェテネーヴの幼少期時代の掘り下げストーリーだっけ。世界が崩壊する直前の」
侑は取り繕って言った。
「そう。だから、レェテネーヴのあの選択肢、やっといた方が良いと思うんだ」
桜井にそう言われて、侑は『レェテネーヴ戦、手伝って』と言ってフレンドコードを聞き出そうと思った。でも、喉の奥に引っかかり、その一言が出て来ない。桜井の方から言ってくれないかな、と受け身になっている。桜井もなぜかフレンドコードについて触れてこない。
──桜井は、一緒にBlood Moonをやりたいって、思ってないのかな……。装備無し縛りプレイするくらいだから、俺みたいなのは足手まといだって思ってるかも……。
考えが、どんどんマイナスに向いてしまう。
桜井は、ステータスの振り方について話しながら、時折侑の顔を見る。
「……参考にするよ」
桜井が顔を見てくるたびに、侑は視線をそらしてしまう。
いつの間にか、いつもの公園を抜け、神社の鳥居を潜っていた。
──晴れならベンチで話せたのに。
そんな侑の気持ちを知ってか知らずか、桜井はまだ、魔力を温存しながらレェテネーヴを倒す方法について説明している。
雨音と混ざった桜井の低い声が心地よくて、侑はいつまでも聴いていたいと思った。
紺色の傘が二人に近づいてきた。
「カケちゃん!」
侑は、その傘の中の男を見た瞬間、苦い記憶が蘇った。
「……悠貴?」
「あれ、カケちゃん肩が濡れてる」
侑は、悠貴の言葉で、初めて桜井が侑を濡らさないように傘を傾けてくれていた事に気づいた。レインウェアを着ていたから、侑の肩は濡れないのに。それに気づいて、自分を情けなく思った。
──俺、自分の事しか考えてなかったな。
「カケちゃん、俺の傘に入んなよ。家、隣なんだし」
悠貴はスクールバッグからタオルを出し、桜井の肩を拭いた。
「大丈夫。大して濡れてない」
桜井は、鬱陶しそうに悠貴のタオルを避ける。
「でもカケちゃん、すぐ風邪引いて熱出すじゃん」
「いつの話ししてんだよ。それは小さい頃だろ」
──桜井って、身体が弱かったのか。だったら、凄く悪いことをした。
侑は、なぜか悠貴に責められているような気になった。
悠貴と桜井のやり取りを見ていると、二人の時間の積み重ねを感じる。侑にはないものだ。
「成瀬くん、だっけ?」
悠貴は、侑を見てニヤリと笑った。侑は、何を言われるのかと少し警戒した。
「カケちゃん、成瀬くんに傘、貸してあげたら?」
「……だな」
桜井は、溜め息をついた。
「神社で分かれ道だもんな」
そう言って、侑に傘を差し出した。
桜井は、なかなか傘を受け取らない侑の手に、ハンドルを握らせた。侑は傘を受け取るしかなかった。
「また、明日」
「……うん」
悠貴と桜井は、同じ傘に入って遠ざかっていく。
「悠、何でこんなとこにいるんだよ。家と反対方向じゃん」
「ちょっとね。こっちに用事があってさ」
悠貴は僅かに振り返り、侑を見て含み笑いをした。
「用ってなんだよ」
「何でもいいじゃん。帰ろ」
そう言って、悠貴は桜井に密着した。
「くっつくなよ」
「いーじゃん、カケちゃん。くっつかないと濡れるって!」
そんな二人の会話が、置いてけぼりになった侑の耳にまだ届いていた。自分といる時よりも、悠貴といる時の桜井の方が「素」なんだろうか。桜井の態度は素っ気ないように見えてその実、慣れ親しんだ者にしか見せない隙のようなものがあった。
「ダメだってばカケちゃん」
「いいって。ああもう、面倒臭いな。僕が傘持つから」
二人の声が、だんだん遠くなる。
やがて声も聴こえなくなり、二人は、雨の中に消えていった。
暫くその場に呆然と立ち尽くしていたが、侑はだんだんムカついてきた。
桜井を掻っ攫った悠貴の、あの勝ち誇ったような笑顔は勿論だが、されるがままになっていた桜井にも腹が立った。
──まだ、話の途中だったのに。
傘のハンドルを握りしめる手に力が入る。
侑は、自分が知らない昔の桜井の話をわざとしているであろう悠貴にも、間に入る隙が無さそうな親密さにも、全部ムカついた。
何よりも、桜井を引き留められなかった不甲斐ない自分に、一番ムカついた。
──ただの、帰宅部じゃん。
期待してどうする。
侑はフードを被り、傘を畳んで家まで走った。
* * *
冷たい雨に打たれて、幾らか頭が冷めた。
侑はタオルでガシガシと頭を拭き、洗濯カゴに投げつけた。
──自分が勝手に期待して、勝手に傷付いただけ。桜井は悪くない。アイツ……悠貴はムカつくけど!
──でも、アイツからしたら、後から来た俺の方が異物なんだよな……。
侑はパソコンの電源を入れ、Blood Moonにログインした。
──やっぱ、俺の心の友はイグニスだけだ。
「遅かったな」
ヘッドホンから、イグニスこと井口の声がした。
「和田から隠れててすぐ帰れなかった」
井口への言い訳をしながら、階段の踊り場で桜井に抱き寄せられた瞬間が鮮明に脳裏に浮かぶ。
──あれはただ、桜井が和田から隠してくれただけ。何の意味もない。
「侑が来る前に野良ファントムとマッチングしたんだけどさ。声なき者で、装備なし縛りだった。鉄鍋は被ってたけど。プレイヤー名は確かパッチ……だったかな」
侑の胸が、ドクンと鳴った。
「立ち回りが上手くてさ。俺はほぼ何もせずに、そいつがボスを倒して終わった。あのファントム、もしかして桜井かもな」
「……どうでもいいよ、別に」
「どうした? 桜井と何かあった?」
あまりにも投げやりな言い方が引っかかり、井口は侑に問いかけた。
「何も。だってただの帰宅部だし」
パソコンの画面の向こうで口を尖らせる侑の顔が思い浮かび、井口は侑にバレないように、ふっと軽く笑った。
「あんなに熱く桜井のプレイスタイルについて語ってたのに?」
「それは俺が桜井に期待しすぎてただけ。向こうはそうは思ってない。付き合いが長そうなツレが来て、桜井はそっちを選んだ。それだけ」
「結局、またフレコが聞けなかったってコトね」
「聞けるわけないだろ、あんな仲良さそうな奴が隣にいたら」
「いや、その前から聞くチャンスは幾らでもあっただろ、一緒に帰ったなら」
「……無理」
「何でさ」
何で、と井口に聞かれても、侑は説明に困った。桜井を前にすると、そのひと言がどうしても出て来ない。恥ずかしい? 拒否されるのが怖い? その言語化できないもどかしさが、余計に侑を苛立たせた。
「無理なもんは無理なんだって」
「気負いすぎじゃねぇの?」
「わかんない……でも今日は帰宅部、不完全燃焼」
「走れなかったからか?」
「中途半端でムカついたから」
「ほう」
「なんか楽しんでない?」
「いや、ない。モヤモヤは吐き出した方が良いぞ」
侑は、絶対こいつは楽しんでやがると思いながらも、悠貴が桜井を掻っ攫っていった経緯を井口に話した。
「そりゃ嫉妬だな」
と井口は言った。
「……まぁ、嫉妬したのは認める。……友達として。まだ話が途中だったし」
「素直でよろしい」
「なんでそう上から目線なんだよ」
「成瀬が恋愛初心者すぎるから。今日は闇の城下町がいい。アイテム回収したい」
「だから、違うって。……城下町な。オッケー」
井口と侑は、城下町にファストトラベルした。
「相合傘で、しかも成瀬を気遣って……なかなかやるなぁ、桜井。俺はフラグ立ってると思うんだがなぁ」
「は? 何のだよ」
「恋愛フラグ」
「頭桃色かよ、どいつもこいつも」
「鈍感ヒロインの成瀬にライバルの幼馴染か。幼馴染は負けヒロインになりがちだけどな」
井口は倒壊した建物の上を器用に飛び回って、腐れ騎士達を倒していく。侑もそれに続く。井口はアイテムを回収し、また屋根の上を渡り歩く。
「誰がヒロインだ。あとラブコメで例えるな。何度も言うけど、好きじゃない」
コントローラーを握る侑の指先に、力が入る。
「このまま王城行く」
井口は既に城に向かって進んでいる。
王城に続く足場は細く、キャラクター一人分の幅しかない。下は奈落だ。背景は暗く視認性が悪い。ジャンプの距離感も測りにくい。少しボタンを押し込み過ぎれば踏み外して落ちて即死だ。それでも井口は、喋りながらスイスイ進む。
侑は井口の後に続いた。
「俺はラブコメで両思いになる前のモダモダが一番好きなの。だから侑を見てるのは面白いっちゃ面白い。でもあまりにも鈍感過ぎると見てる方は焦れったさマックスでさっさと自覚しろ!って思うわけ」
「だから、桜井は男だって言ってるだろ」
井口の誂うような口調に、侑は必死に反論する。
「男でもなんでも、好きな気持ちは関係なくね?」
「うるせーな。決めつけるなよ。あとゲームに集中し……あっ!」
ただ真っ直ぐ進むだけなのに、侑のキャラクターは足を滑らせ奈落へと落ちていった。
重苦しいBGMと共に、暗転した画面の真ん中に『DEFEATED』の文字が表示された。
画面の向こうで、井口が笑い過ぎてヒイヒイ言っている。
「井口が変なことばっか言うから! もう一回!」
「じゃあ王城前からな」
二つほどクエストをこなしたあと、井口は「少し早いけどもう寝る」と言ってログアウトした。
突然静かになった部屋に、侑は一人で取り残された気分になった。
開いて干してある桜井の折り畳み傘が目に入る。
桜井が言った「そっちのエンディングを成瀬にも見て欲しい」という言葉が蘇る。
今まで、不殺ルートしかやってこなかった。動画や攻略サイトも見なかった。レェテネーヴが可哀想だ、と贔屓のキャラクター故に思っていたからだった。
「やってみるか……」
侑は再び、パソコンの前に座った。
* * *
廃夜の女王・レェテネーヴ。ソロで挑むのは、久しぶりだ。
スタート直後に即死したり、あと一歩でやられたりで、なかなか倒せない。
一人じゃやっぱキツイ。明日、井口に手伝ってもらおうか……そんな考えが頭に浮かぶ。けれど、これは一人で観たい──そう思ってトライし続けた。
42回目にしてようやくレェテネーヴのHPがゼロになった。
「以て暝すべし」
レェテネーヴがそう言って目を閉じた後、選択肢が表示された。
▶生かす
殺す
掌が汗ばむ。
侑は、コントローラーを握り直した。
指先に、力を込める。
カーソルが、ゆっくり下に動く。
生かす
▶殺す
侑のキャラクターが、倒れたレェテネーヴの胸に剣を突き立て、引き抜いた。
その傷口から、呪いが霧散する。
そこへ、ルーキフェルが駆け寄る。
不殺ルートでは、無かった流れだ。
ルーキフェルは剣を取り落とし、女王の傍らにガクリと膝をついた。
レェテネーヴは、ルーキフェルの頬に手を添えた。
「暁の騎士よ……もし……我らが同じ空の下に生まれていたなら……貴公は私と剣を交えるのではなく、手を取ってくれただろうか……」
その問いに答えるように、ルーキフェルは、レェテネーヴを掻き抱く。
「……我が剣は暁のためにあった。だが、我が心は……貴女の夜に囚われていた」
ルーキフェルの言葉を聞いて、レェテネーヴは目を細めた。彼女の口元が緩む。そして、ルーキフェルの頬に触れていた手から力が抜け、ぱたりと落ちた。
「……お慕い申し上げておりました」
ルーキフェルの声は、震えている。
レェテネーヴの身体が、さらさらと砂のように崩れていく。
「貴公はここから去るがよい。私は朽ちるまで共に……」
ルーキフェルがそう言うと、ムービーはズームアウトしていく。
レェテネーヴの体から幾つもの玉が転がり落ちて、淡く瞬いた。それは、一瞬で消えてしまった。
──……夜啼き鴉の目玉……?
ルーキフェルの、あの残念なイケメンのクエスト『さる高貴な御方への贈り物』
レェテネーヴは隠して身につけていたんだ……。
ルーキフェルの、ちょっと、いや、だいぶズレてるけど真っ直ぐな愛を、レェテネーヴはちゃんと受け取ってたんだ。
……不殺ルートじゃ見えなかった……。
レェテネーヴの灰は、輝きながら、空に舞う。
ルーキフェルは、それを目で追う。
画面が暗転し、字幕が流れる。
その後、ルーキフェルは王族を裏切り騎士団を抜け、レェテネーヴの紋章を持って闇の中に姿を消した、と書かれていた。
──遅かったんだ。ルーキフェルがもっと早く、気持ちを伝えていれば、結末は変わったかもしれないのに。
いや、でもそう簡単には。だって敵対組織の王族と騎士だし……。
侑は、暫くそのまま動けなかった。
いつの間にかエンドロールが終わって、メニュー画面に戻っていた。
雨音も消えて、部屋の中は静寂で満たされている。
──俺はルーキフェルと違って、ただの高校生で、苦しい立場なんてないんだから……。
傘を返すときに桜井と話そう。エンディングを観たって言おう。
今度は引き止めて、ちゃんと話すんだ──。
桜井は無言で付いてくるだけだ。
校庭は雨で白く煙っている。
「さっきより雨、強くなってきたな」
侑は忌々しそうに校庭を見て、レインウェアを取り出した。
桜井は折りたたみ傘を開く。
「一緒に入れば?」
侑に向けて傘を傾けながら、桜井は言った。
「別にいいって。これ着てたら雨、防げるし」
「入りなよ。帰る方向は同じなんだし。ね?」
桜井は、侑のレインウェアの袖を摘んだ。
「ほら」
侑は桜井が摘んだ袖を振り切るようにフードを深く被り、そのまま雨の中に飛び出した。
雨がフードに当たる感覚と共に、パタパタパタと音がする。
ふっと影ができ、体に雨が当たる感覚が消えた。桜井が後ろから傘を差したのだ。
桜井は、侑のフードを後ろに引っ張って下げた。
「おい、何すんだよ」
侑が怒ったような顔で桜井を見た。
「顔が見えないから」
桜井は、悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。
──誂われてる?
侑はそっぽを向いてフードを目深に被り直した。
「まだ話したい」
桜井にそう言われて、侑の心拍数はどんどん上がっていく。フードを被っていて良かった、と侑は思った。顔が熱い。きっと今、自分の顔は真っ赤だ。桜井に見られたくない。さっき抱き寄せられたときと同じく、肩が触れ合う距離にいる桜井の、シトラスの香りがする。侑の頭の中は、沸騰寸前の薬缶のようだ。
「Blood MoonのDLC
、来月だよね」
「へっ?! ……あっ、そうそう! 来月……DLC!」
侑は、完全に挙動不審になっていた。
「やっぱり顔見て話したい」
桜井はまた、侑のフードを後ろに引っ張った。
侑は咄嗟に顔を背けた。
「トレーラー観た?」
桜井は、話し続ける。
「……観た」
ぼそぼそと返事をするのがやっとの侑を見て、桜井は微笑んだ。
「新しい職業が増えるの、アツいな。新マップにルーキフェルが生まれた村が追加されるからストーリーも気になるよね」
「……うん」
侑は、桜井と体が触れ合わないように、離れようとする。そのたびに、桜井は「濡れるよ。もっと寄って」と言う。
雨は冷たいのに、侑の顔は熱い。
──ただ、一緒に傘に入ってるだけ。何も変なことはない。何を意識してるんだよ、俺。
「レェテネーヴの幼少期時代の掘り下げストーリーだっけ。世界が崩壊する直前の」
侑は取り繕って言った。
「そう。だから、レェテネーヴのあの選択肢、やっといた方が良いと思うんだ」
桜井にそう言われて、侑は『レェテネーヴ戦、手伝って』と言ってフレンドコードを聞き出そうと思った。でも、喉の奥に引っかかり、その一言が出て来ない。桜井の方から言ってくれないかな、と受け身になっている。桜井もなぜかフレンドコードについて触れてこない。
──桜井は、一緒にBlood Moonをやりたいって、思ってないのかな……。装備無し縛りプレイするくらいだから、俺みたいなのは足手まといだって思ってるかも……。
考えが、どんどんマイナスに向いてしまう。
桜井は、ステータスの振り方について話しながら、時折侑の顔を見る。
「……参考にするよ」
桜井が顔を見てくるたびに、侑は視線をそらしてしまう。
いつの間にか、いつもの公園を抜け、神社の鳥居を潜っていた。
──晴れならベンチで話せたのに。
そんな侑の気持ちを知ってか知らずか、桜井はまだ、魔力を温存しながらレェテネーヴを倒す方法について説明している。
雨音と混ざった桜井の低い声が心地よくて、侑はいつまでも聴いていたいと思った。
紺色の傘が二人に近づいてきた。
「カケちゃん!」
侑は、その傘の中の男を見た瞬間、苦い記憶が蘇った。
「……悠貴?」
「あれ、カケちゃん肩が濡れてる」
侑は、悠貴の言葉で、初めて桜井が侑を濡らさないように傘を傾けてくれていた事に気づいた。レインウェアを着ていたから、侑の肩は濡れないのに。それに気づいて、自分を情けなく思った。
──俺、自分の事しか考えてなかったな。
「カケちゃん、俺の傘に入んなよ。家、隣なんだし」
悠貴はスクールバッグからタオルを出し、桜井の肩を拭いた。
「大丈夫。大して濡れてない」
桜井は、鬱陶しそうに悠貴のタオルを避ける。
「でもカケちゃん、すぐ風邪引いて熱出すじゃん」
「いつの話ししてんだよ。それは小さい頃だろ」
──桜井って、身体が弱かったのか。だったら、凄く悪いことをした。
侑は、なぜか悠貴に責められているような気になった。
悠貴と桜井のやり取りを見ていると、二人の時間の積み重ねを感じる。侑にはないものだ。
「成瀬くん、だっけ?」
悠貴は、侑を見てニヤリと笑った。侑は、何を言われるのかと少し警戒した。
「カケちゃん、成瀬くんに傘、貸してあげたら?」
「……だな」
桜井は、溜め息をついた。
「神社で分かれ道だもんな」
そう言って、侑に傘を差し出した。
桜井は、なかなか傘を受け取らない侑の手に、ハンドルを握らせた。侑は傘を受け取るしかなかった。
「また、明日」
「……うん」
悠貴と桜井は、同じ傘に入って遠ざかっていく。
「悠、何でこんなとこにいるんだよ。家と反対方向じゃん」
「ちょっとね。こっちに用事があってさ」
悠貴は僅かに振り返り、侑を見て含み笑いをした。
「用ってなんだよ」
「何でもいいじゃん。帰ろ」
そう言って、悠貴は桜井に密着した。
「くっつくなよ」
「いーじゃん、カケちゃん。くっつかないと濡れるって!」
そんな二人の会話が、置いてけぼりになった侑の耳にまだ届いていた。自分といる時よりも、悠貴といる時の桜井の方が「素」なんだろうか。桜井の態度は素っ気ないように見えてその実、慣れ親しんだ者にしか見せない隙のようなものがあった。
「ダメだってばカケちゃん」
「いいって。ああもう、面倒臭いな。僕が傘持つから」
二人の声が、だんだん遠くなる。
やがて声も聴こえなくなり、二人は、雨の中に消えていった。
暫くその場に呆然と立ち尽くしていたが、侑はだんだんムカついてきた。
桜井を掻っ攫った悠貴の、あの勝ち誇ったような笑顔は勿論だが、されるがままになっていた桜井にも腹が立った。
──まだ、話の途中だったのに。
傘のハンドルを握りしめる手に力が入る。
侑は、自分が知らない昔の桜井の話をわざとしているであろう悠貴にも、間に入る隙が無さそうな親密さにも、全部ムカついた。
何よりも、桜井を引き留められなかった不甲斐ない自分に、一番ムカついた。
──ただの、帰宅部じゃん。
期待してどうする。
侑はフードを被り、傘を畳んで家まで走った。
* * *
冷たい雨に打たれて、幾らか頭が冷めた。
侑はタオルでガシガシと頭を拭き、洗濯カゴに投げつけた。
──自分が勝手に期待して、勝手に傷付いただけ。桜井は悪くない。アイツ……悠貴はムカつくけど!
──でも、アイツからしたら、後から来た俺の方が異物なんだよな……。
侑はパソコンの電源を入れ、Blood Moonにログインした。
──やっぱ、俺の心の友はイグニスだけだ。
「遅かったな」
ヘッドホンから、イグニスこと井口の声がした。
「和田から隠れててすぐ帰れなかった」
井口への言い訳をしながら、階段の踊り場で桜井に抱き寄せられた瞬間が鮮明に脳裏に浮かぶ。
──あれはただ、桜井が和田から隠してくれただけ。何の意味もない。
「侑が来る前に野良ファントムとマッチングしたんだけどさ。声なき者で、装備なし縛りだった。鉄鍋は被ってたけど。プレイヤー名は確かパッチ……だったかな」
侑の胸が、ドクンと鳴った。
「立ち回りが上手くてさ。俺はほぼ何もせずに、そいつがボスを倒して終わった。あのファントム、もしかして桜井かもな」
「……どうでもいいよ、別に」
「どうした? 桜井と何かあった?」
あまりにも投げやりな言い方が引っかかり、井口は侑に問いかけた。
「何も。だってただの帰宅部だし」
パソコンの画面の向こうで口を尖らせる侑の顔が思い浮かび、井口は侑にバレないように、ふっと軽く笑った。
「あんなに熱く桜井のプレイスタイルについて語ってたのに?」
「それは俺が桜井に期待しすぎてただけ。向こうはそうは思ってない。付き合いが長そうなツレが来て、桜井はそっちを選んだ。それだけ」
「結局、またフレコが聞けなかったってコトね」
「聞けるわけないだろ、あんな仲良さそうな奴が隣にいたら」
「いや、その前から聞くチャンスは幾らでもあっただろ、一緒に帰ったなら」
「……無理」
「何でさ」
何で、と井口に聞かれても、侑は説明に困った。桜井を前にすると、そのひと言がどうしても出て来ない。恥ずかしい? 拒否されるのが怖い? その言語化できないもどかしさが、余計に侑を苛立たせた。
「無理なもんは無理なんだって」
「気負いすぎじゃねぇの?」
「わかんない……でも今日は帰宅部、不完全燃焼」
「走れなかったからか?」
「中途半端でムカついたから」
「ほう」
「なんか楽しんでない?」
「いや、ない。モヤモヤは吐き出した方が良いぞ」
侑は、絶対こいつは楽しんでやがると思いながらも、悠貴が桜井を掻っ攫っていった経緯を井口に話した。
「そりゃ嫉妬だな」
と井口は言った。
「……まぁ、嫉妬したのは認める。……友達として。まだ話が途中だったし」
「素直でよろしい」
「なんでそう上から目線なんだよ」
「成瀬が恋愛初心者すぎるから。今日は闇の城下町がいい。アイテム回収したい」
「だから、違うって。……城下町な。オッケー」
井口と侑は、城下町にファストトラベルした。
「相合傘で、しかも成瀬を気遣って……なかなかやるなぁ、桜井。俺はフラグ立ってると思うんだがなぁ」
「は? 何のだよ」
「恋愛フラグ」
「頭桃色かよ、どいつもこいつも」
「鈍感ヒロインの成瀬にライバルの幼馴染か。幼馴染は負けヒロインになりがちだけどな」
井口は倒壊した建物の上を器用に飛び回って、腐れ騎士達を倒していく。侑もそれに続く。井口はアイテムを回収し、また屋根の上を渡り歩く。
「誰がヒロインだ。あとラブコメで例えるな。何度も言うけど、好きじゃない」
コントローラーを握る侑の指先に、力が入る。
「このまま王城行く」
井口は既に城に向かって進んでいる。
王城に続く足場は細く、キャラクター一人分の幅しかない。下は奈落だ。背景は暗く視認性が悪い。ジャンプの距離感も測りにくい。少しボタンを押し込み過ぎれば踏み外して落ちて即死だ。それでも井口は、喋りながらスイスイ進む。
侑は井口の後に続いた。
「俺はラブコメで両思いになる前のモダモダが一番好きなの。だから侑を見てるのは面白いっちゃ面白い。でもあまりにも鈍感過ぎると見てる方は焦れったさマックスでさっさと自覚しろ!って思うわけ」
「だから、桜井は男だって言ってるだろ」
井口の誂うような口調に、侑は必死に反論する。
「男でもなんでも、好きな気持ちは関係なくね?」
「うるせーな。決めつけるなよ。あとゲームに集中し……あっ!」
ただ真っ直ぐ進むだけなのに、侑のキャラクターは足を滑らせ奈落へと落ちていった。
重苦しいBGMと共に、暗転した画面の真ん中に『DEFEATED』の文字が表示された。
画面の向こうで、井口が笑い過ぎてヒイヒイ言っている。
「井口が変なことばっか言うから! もう一回!」
「じゃあ王城前からな」
二つほどクエストをこなしたあと、井口は「少し早いけどもう寝る」と言ってログアウトした。
突然静かになった部屋に、侑は一人で取り残された気分になった。
開いて干してある桜井の折り畳み傘が目に入る。
桜井が言った「そっちのエンディングを成瀬にも見て欲しい」という言葉が蘇る。
今まで、不殺ルートしかやってこなかった。動画や攻略サイトも見なかった。レェテネーヴが可哀想だ、と贔屓のキャラクター故に思っていたからだった。
「やってみるか……」
侑は再び、パソコンの前に座った。
* * *
廃夜の女王・レェテネーヴ。ソロで挑むのは、久しぶりだ。
スタート直後に即死したり、あと一歩でやられたりで、なかなか倒せない。
一人じゃやっぱキツイ。明日、井口に手伝ってもらおうか……そんな考えが頭に浮かぶ。けれど、これは一人で観たい──そう思ってトライし続けた。
42回目にしてようやくレェテネーヴのHPがゼロになった。
「以て暝すべし」
レェテネーヴがそう言って目を閉じた後、選択肢が表示された。
▶生かす
殺す
掌が汗ばむ。
侑は、コントローラーを握り直した。
指先に、力を込める。
カーソルが、ゆっくり下に動く。
生かす
▶殺す
侑のキャラクターが、倒れたレェテネーヴの胸に剣を突き立て、引き抜いた。
その傷口から、呪いが霧散する。
そこへ、ルーキフェルが駆け寄る。
不殺ルートでは、無かった流れだ。
ルーキフェルは剣を取り落とし、女王の傍らにガクリと膝をついた。
レェテネーヴは、ルーキフェルの頬に手を添えた。
「暁の騎士よ……もし……我らが同じ空の下に生まれていたなら……貴公は私と剣を交えるのではなく、手を取ってくれただろうか……」
その問いに答えるように、ルーキフェルは、レェテネーヴを掻き抱く。
「……我が剣は暁のためにあった。だが、我が心は……貴女の夜に囚われていた」
ルーキフェルの言葉を聞いて、レェテネーヴは目を細めた。彼女の口元が緩む。そして、ルーキフェルの頬に触れていた手から力が抜け、ぱたりと落ちた。
「……お慕い申し上げておりました」
ルーキフェルの声は、震えている。
レェテネーヴの身体が、さらさらと砂のように崩れていく。
「貴公はここから去るがよい。私は朽ちるまで共に……」
ルーキフェルがそう言うと、ムービーはズームアウトしていく。
レェテネーヴの体から幾つもの玉が転がり落ちて、淡く瞬いた。それは、一瞬で消えてしまった。
──……夜啼き鴉の目玉……?
ルーキフェルの、あの残念なイケメンのクエスト『さる高貴な御方への贈り物』
レェテネーヴは隠して身につけていたんだ……。
ルーキフェルの、ちょっと、いや、だいぶズレてるけど真っ直ぐな愛を、レェテネーヴはちゃんと受け取ってたんだ。
……不殺ルートじゃ見えなかった……。
レェテネーヴの灰は、輝きながら、空に舞う。
ルーキフェルは、それを目で追う。
画面が暗転し、字幕が流れる。
その後、ルーキフェルは王族を裏切り騎士団を抜け、レェテネーヴの紋章を持って闇の中に姿を消した、と書かれていた。
──遅かったんだ。ルーキフェルがもっと早く、気持ちを伝えていれば、結末は変わったかもしれないのに。
いや、でもそう簡単には。だって敵対組織の王族と騎士だし……。
侑は、暫くそのまま動けなかった。
いつの間にかエンドロールが終わって、メニュー画面に戻っていた。
雨音も消えて、部屋の中は静寂で満たされている。
──俺はルーキフェルと違って、ただの高校生で、苦しい立場なんてないんだから……。
傘を返すときに桜井と話そう。エンディングを観たって言おう。
今度は引き止めて、ちゃんと話すんだ──。
