ゲームがしたいだけなのに…!

『今日、会えなくて残念』
『でも3日後には学校行くから』
『帰ったらフレンドコード送る』
『今日、通話しながらBlood Moonやろう』
『最後の病院飯』
『ちょっとバタバタするから、また』

 桜井から、立て続けにLINEが届く。侑は『放課後、退院祝いを届けに行きたい』と、どうしても言えなかった。でも、ずっと桜井とやりたかったBlood Moonを一緒にプレイ出来ると思うと、どれほど楽しいか想像するだけで前を向くことができた。

『今日爆速で帰る』
『すぐログインする』
『待ってて』

 侑はそうメッセージを送って家を出た。

 学校の喧騒の中で、侑は落ち着かない気持ちでいた。いつもと変わらない風景、変わらない挨拶、変わらないメンバー。それなのに、何だか少し遠くのことのように思えてしまう。気もそぞろで授業にも身が入らない。早く時間がすぎて欲しいとそればかり考えてしまう。
 
 昼休みに、桜井からLINEがきた。
 それは16文字の英数字だった。

『……Patch-6598a……』
 桜井の心にアクセスするパスワードのように思えて、スマホを持つ指も、心も震えた。

「だめだコイツ、固まってら」
 侑を見た井口は、笑った。

* * *

 侑はいつものように、井口に挨拶し、校庭に飛び出した。
 逸る心を抑えられない。

 ──桜井とBlood Moonやれる!
 通話しながら!

 いつもより、体が軽い。
 今なら飛べる気さえする。
 本当に飛べたら、もっと早く家に着いて──すぐに桜井と話せるのに!

 侑の胸の中に無敵の万能感が湧き上がった。今なら何でもできるような気がした。昨日までの涙が、まるで嘘のようだった。
 
 ──なんだよ、俺。

 思わず、笑いがこみ上げる。
 それでも足は止まらない。
 
 家に着くと脇目も振らずに二階に駆け上がり、パソコンの電源を入れた。起動するまでの時間がもどかしい。
 桜井のフレンドコードを入力すると、侑は「友達申請」をクリックした。暫くすると桜井から承認された。桜井が今、オンライン上にいることが分かった。ヘッドセットを装着し、桜井に『今ログインする』とメッセージを送った。

『マイクへのアクセスを求めていますって出るからクリックして』
 侑がLINEを送ったすぐ後──。

「あ、あーあー。聞こえる?」
 
 桜井の声がした。
 スマホで通話していたときとは違う。ヘッドセット越しだと、桜井の吐息まで聞こえてきて、直接耳元で囁かれていると錯覚しそうになる。耳と首筋がゾクリと震えた。

「侑? 聞こえてる?」

 ──今、侑って言った……!
 ……やっぱ声で直接呼ばれると……。

「……破壊力、やば……」
 
「え? 破壊力?」
 思わず漏れた声を、桜井は拾っていた。
「侑?」
 桜井にもう一度名前を呼ばれて、耳の奥が擽ったくなった。侑の心音はますます速くなる。心臓が保たないと思った。でも、逃げ場がない。
「な、なんでもない!」
 侑は、取り繕うように言った。
「ほんと? 大丈夫?」
「……大丈夫」

 ──じゃない。大丈夫じゃない。
  
 思わず両手で覆った顔が熱い。侑は顔も耳も、首筋も、トマトのように真っ赤だ。

 ──今、絶対ヤバい顔してる……。

 侑は、桜井に顔が見えていなくて良かったと心底思った。

「か……」
 駆、と呼んでみようとしたが、その続きが声にならない。
「……か」
「か? なに?」
「……駆。退院おめでとう」
 侑が勇気を振り絞って名前で呼んだあと──、桜井は黙った。呼吸を整えるような、短い間があった。

 ──もしかして、嫌だった? 名前で呼ばれるの……。

「……ごめん。もう一回、言って?」
 桜井が言った。
 聞こえてなかったのか、と侑は安堵した。
「退院おめでとう」
「嬉しいけど、そうじゃなくて……名前」
「……何で……」
 
 ──もう一回、なんて。
 さっきだってやっとの思いで言ったのに。
 
 侑は、あまりにも恥ずかしすぎて声に出せないでいた。
「侑、お願い」
 柔らかい桜井の声が、侑の思考を甘く溶かしてしまう。

 ──だから、それ……ずるいんだってば……!

 侑はゴクリと唾を飲み込んだ。

「……駆」
「うん」
 短い返事の後、桜井はふっと笑った。その吐息がダイレクトに聞こえ、侑は今度こそ、本当に心臓が保たないと思った。
「じゃあ、久々だからちょっと簡単なとこにしようか」
 何事もなかったかのように、侑の一大決心が流されてしまったような気がした。
「……は?」

 ──なんなんだよコイツは!
 俺が一生懸命名前呼んだのに!?

「ヴォルガンで良い?」
「はぁ!?」
「嫌? じゃあ違うとこ」
「嫌じゃねぇけどさぁ!」
 ぶつぶつと文句を言う侑に、また桜井はクスっと笑った。
「……笑うなよ……」
「ごめんごめん」
「じゃあ、召喚する。合言葉はアルファベットの大文字でA、N、I」
「ANI? ANIって歌手の?」
「そうだけど」
「好き?」

 ——また、その聞き方……。
 なんで……。

 「ねえ、好き?」
 
 ——普通に答えるだけ。普通に……。

 桜井のペースに乗せられてたまるかと思い、侑は「うん」とだけ答えた。
 その瞬間、ヘッドセットの向こう側からドアが開く音がした。

 ——あれ? 駆? 離席か?

「カケちゃん!」
 
 ——え……、この声……。

 侑の背筋に冷たいものが落ちた。
「何してんの? またゲーム?」
 ヘッドセット越しに聞こえたのは、悠貴の声だった。
「……何で」
「何でって、約束してたでしょ。退院祝い」
「でも、ノックくらいしろよ。もう子供の頃とは違うんだ」
「あはは。ごめんごめん。でも僕とカケちゃんの仲でしょ?」
「今、通話中」
「へぇ。誰と?」
「誰でもいいだろ。別に」
「……そっちの方が大事?」
「おい、悠貴……!」
 バタバタと物音がした。
「ごめん、すぐ戻る」
 ヘッドセットから、向こう側の音が遮断された。
「……駆?」
 桜井がミュートしたらしい。

 ──何を話してるんだろう……。俺の、知らないところで。

 ふと、パソコンデスクの横の紙袋が目に入る。

 ──退院祝い、俺もすぐに渡したかったのに──。
 
 数分間、一人で静寂に包まれたまま、身動きできなかった。ただ、悶々としながら待つだけだった。
 
 ──親に呼ばれたから落ちるってLINE入れて、それでもう終わりに……。
  
 ネットの中で声が聞けたとしても、距離には敵わない。打ちひしがれながら、スマホに一文字づつ打ち込んでいく。
 これを送って、もう。
 そう思った瞬間。
 
「ごめん! 侑……!」
 焦ったような桜井の声が飛び込んできて、侑はハッと我に返った。親指が、送信ボタンの上で止まる。
「悠貴はもう帰ったから」
 ほんの少しだけ、桜井の息が上がっていた。
 送らなかったメッセージが、画面に残ったままだ。
「え、もういいの? じゃあ、行こうかヴォルガン」
 侑はスマホを伏せ、できるだけ明るい声を作って言った。
 桜井の、ホッとしたような短いため息が聞こえた。
 金色の魔法陣の中に桜井のキャラが浮かび上がった。それは、ガリガリの体型で、装備は腰布と棍棒と、頭に大きな鉄の深鍋をすっぽり被っていた。
「これでヴォルガン行くの!?」
「そうだよ」
 ボタンを連打して、キャラを素早く繰り返し屈伸させながら桜井は言った。
 
 ——悠貴と何話してた?って聞いたら変かな。

 喉の奥まで出かかった言葉が止まった。
 
 ──……変だよな。
 今は、ヴォルガン戦に集中しよう。

「装備無し縛りはガチ?」
「ガチ」
 ヴォルガンとの戦いが始まると、いつも井口とプレイしているのとは何だか違った。戦い方も会話も、何もかもが。軽口を叩きながら指示を飛ばしてくる井口とは違い、桜井は優しかった。気づいたら横にいて、危ないところを自然にカバーされている。
 いつも井口と二人だと30分以上かかるボス戦を、半分くらいの時間でクリアしてしまった。
 それがなんだか悔しかった。初めて桜井と出会ったあのときが鮮明に蘇る。一番に校庭を駆け抜けていくはずが、あっさりと桜井に追い越されたあの日。あの背中。悔しかったのに、惹かれたあの瞬間。今も、ゲームのプレイでそれを感じている。

「俺、何もしてないのに終わった」
「そんなことないよ」
「慰めはいらねーよ。やっぱ駆って変態プレーヤーじゃん」
 侑は笑った。
「極めたらこうなる」
 その言い方で、いつもの、あまり笑わない桜井の顔が思い浮かんだ。それと同時に、悠貴の勝ち誇ったような顔もちらつく。
「次、双星の姉妹行く?」
「えーアイツら片方だけ倒しても復活するからめんどくさい」
「大丈夫。僕と侑なら。行こ」
 桜井がこんなふうに言うだけで、また心が浮上してしまう。

 ——俺って単純。

 双星の姉妹が棲む凍星の大洞窟は基本的にほぼ真っ暗なのだが、洞窟の地面も壁も天井も一面に小さな結晶が瞬いていて、まるで幻想的な星空の中を歩いているような美しいフィールドだ。
「デートスポットみたいだよね」
 桜井が言った。侑はドキッとした。
「……デートっ……て……や、やだよこんなとこ。敵だらけで油断も隙もなくて、いい雰囲気台無しじゃん!」
 そう言いながら侑は、青い蠍のような化け物をバックスタブで倒した。
「まあでも、Blood Moonの世界じゃこういうとこがそうなのかもだけど……」
「湖って言っても真っ赤で毒々しいし、ダメージ受けるし。山は燃えてるし、ここくらいでしょ?」
「でも命がけのデートは嫌だよ俺」
「僕が守るから」
 桜井の声が、囁くように少し低くなった。
「……っ……! なっ何言ってんだ。そんな鉄鍋被った変態野郎やだよ」
 動揺する侑の声を聞いて、また桜井はくすくすと笑う。
「じゃあ騎士なら良い? 鎧、着ようか?」
「……そういう問題じゃねぇよ!」

 ——あ……デートと言えば……映画のチケット……。
 いや、違うだろ、デートじゃなくて。
 普通に映画観に行かない?って言うだけじゃん。友達として、普通に。
 
 ふと気づくと、駆のキャラが銀騎士装備に変わっていた。何度もローリングを繰り返しながら「やっぱ重いし遅い」と桜井は呟いた。
「何してんの」
「侑が騎士なら良いって言ったから」
「言ってねえ! もう変態鉄鍋装備で良いから行くぞ」 
「いや、双星戦は銀騎士で行く。もう慣れてきた」
 桜井は自分のキャラをジャンプさせたりして慣れようとしていた。
「いつもの駆でいいよ。無理するなって言ったじゃん。だからさ。変態装備でいいよ」
「……じゃあ、遠慮なく」
 桜井は、ふっと笑った。そして鎧を脱ぎ捨て、また鉄鍋を被った。

* * *

 双星の姉妹を倒したあと、侑のスマホが鳴った。
『家ついた。ログインする』
 井口からのLINEだった。
「井口、来るって」
 
「……そう。オッケー。じゃあちょっと休憩」
 桜井が答える前に、一瞬の間があった。
 一階に飲み物を取りに行きながら、桜井は病み上がりでさすがに疲れたのだろうか、と侑は思った。

「委員会、なげぇ!」
 通話が繋がって開口一番、井口は言った。
「お疲れ」
 いつものように、侑と井口は会話を始めた。
「さっきヴォルガンと双星倒した。まあほぼ駆がやってくれたけど」

 駆……? 駆って誰?
 井口が思い出そうと考えていると「どうも」とぶっきらぼうな声がした。
「1組の桜井です。よろしく」
 井口は“桜井のことかーっ!”と叫びそうになったが、どうにか飲み込んだ。
「あ、桜井!? そうか。成瀬から聞いたよ。退院おめでとう」
「どうも」

(うっ……何かやりずれえ……俺、成瀬と親友だし桜井に嫌われてる? 桜井、独占欲強ない? 絶対成瀬のこと好きじゃん! ……ってかいつの間にか下の名前で呼んでやがる……!)
 井口は桜井の態度に若干引いていた。とりあえずゲームを始めれば何とかなると思い「召喚してくれ」
と侑に言った。
 凍星の大洞窟の前に、井口のキャラが現れた。いつもの見慣れた侑の魔法剣士と、その横にいる“それ”を見て、井口は思わず声を上げた。
「あっ!」
「どうした井口?」
「その変態装備にPatchってキャラ名! いつかの最強野良ファントムだ!」
「え?」
「ほら、成瀬が傘がどうこう言って拗ねてた日に、俺がマッチングしたのが桜井だったんじゃねえかなって言ったやつ!」
「傘?」
 桜井がボソッと呟いた。
「あ、えっとあの、桜井と成瀬が一緒に帰った雨の日の後なんだけど……」
「井口! 言うな!」
「教えて、井口くん」
「成瀬が桜井にフレコを聞けなかった上に」
「やめろ井口! ハズい! 言うなって!」
 侑は井口の言葉を遮った。
「突然現れた桜井の友達に桜井を掻っ攫われたーってへこんでたんだよ。それで俺はフレコくらい気負いせずに聞けって何度も言ったんだけど」
 井口は構わずに続けた。
「やっとフレコ聞けたかーって、俺は“友達として”安心したわけ」
「ふうん」
 あっさりした受け答えのわりに、桜井の声色は何だかさっきよりも柔らかで嬉しそうだと思って、井口の顔がニヤついた。
「あぁー……。あの時のイグニス! 思い出した。井口くん、改めてよろしく!」
 桜井の声があからさまに明るくなった。が、本当に井口とマッチングしたことを覚えているかどうかは、怪しかった。
 現金なヤツ……。桜井ってこんな性格? 侑から聞いてたのとずいぶん印象が違う……。と井口は思った。ギャップ萌えってやつか? クールに見えて意外と“可愛いヤツ”なのかも、とも思った。
 桜井は、自分のキャラを素早く何度も屈伸させた。井口もそれに乗っかった。侑のキャラの両脇で、Patchとイグニスが上下にガシガシと動く。
「二人ともウゼェ!」
 侑は耳まで真っ赤にして、両手で顔を覆った。

 井口にバラされてしまったせいか、侑の中で何かが少し吹っ切れた。
 今まで超えられなかった線の先に、ほんの少しだけ足を進めてみても良いのかも……。そんなことを思いながら、二人が最強ビルドについて話すのを聞いていた。