ゲームがしたいだけなのに…!

 桜井の態度に釈然としないままバイトの時間が終わり、侑は帰路についた。
 体調が悪そうな顔色も心配だった。でも、あれだけあからさまに拒絶されてしまったら、何もできない。

1時36分。
 薄暗い部屋の中で、ベッドに倒れ込んで枕に顔を埋めた。
「考えても仕方ない、のかな」
 諦めの独り言が漏れた。何も考えたくない。けれど、眠れそうにもない。
 ふと、井口が「何もなくてもゲームしよう」と言ってくれた事を思い出した。
 今から行く、と井口にLINEをしてからパソコンの電源を入れた。薄暗い部屋に青白い光が灯り、侑は目を細めた。
「よ。お疲れ」
 気怠げな、欠伸混じりの井口の声がした。
「遅くなってすまん」
「大丈夫。さっきまで毒沼チャレンジしてたし。で、どうだった? 桜井に傘、返せた?」
 井口にそう聞かれて、侑はさっきの出来事を話すか迷った。
「どこ攻略する?」
 結局、侑は話をすり替えた。
「どこでもいいよ」
「じゃあ、王城の地下」
「オッケー」

 今日初めて桜井に勝てたんだけどさ、と侑は呟いた。
「……全然嬉しくなかった」
「何でさ」
 井口の返事は、いつもと変わらない温度感だ。責めるでもなく、突き放すでもない。それだけで少し気が楽になる。
 井口はゲームを続けながら、何度か欠伸をしていた。
 どんなに遅くても自分を待っていてくれた井口に対して、何だか申し訳ない気持ちが沸いてきた。同時に「こんなにも自分の事を考えてくれている」と感じた。井口の友情の暖かさが、侑を少しだけ素直にさせた。
「なあ井口」
「うん?」
「今日、ログインしたら話すって言ってたじゃん」
「うん」
「傘、返せたんだけどさ……」
 侑は今日あったことを、ぽつぽつと話し始めた。

* * *

「完全に嫌われてると思う。理由はわかんないけど」
 ヘッドセットから聞こえる侑の声は、明らかにいつもの元気がない。侑はそれきり、黙っている。井口はどう慰めて、どう励まそうかと考え続けた。
 侑が傷ついている。だから、桜井に対して怒りが沸く。
「どうかな。まだちゃんと話せてないんだろ?」
 井口は、そんなやつもう相手にするなよ、と侑に言ってしまいたかった。でも、それを飲み込んだ。成瀬が傷つけられて、それで桜井を避けて終わりで良いのか? それで解決か? とも思う。
 ラブコメだ、なんて言っていた頃は良かった。今、事態は深刻だ。桜井の地雷を踏んだとか、何かがあって成瀬に嫌悪感を抱いたのかもしれないが、突然そんな態度はいくら何でも酷いと思う。理由がはっきりしないままだと、成瀬はきっとずっと引きずる。
 このままフェードアウトした方が良いのか、桜井とぶつかってみた方がいっそスッキリするのか、分からない。
 そんな考えが、井口の頭の中で高速回転していた。
 
「桜井が何考えてるのか、さっぱり分かんねぇよ……」
 侑の声があまりにも弱々しかったので、井口は可哀想に思った。
「まあな……体調悪くて機嫌が悪かっただけかも知れないけど、それならそれで一言欲しいよな」
「うん……あの時、心配だから送って言ったんだけど断られた」
「大丈夫だから断ったんじゃない?」
「そうかな……だったらいいけど」
 成瀬から聞いた情報から考えて、桜井の態度が、体調不良だけが理由だというのは希望的観測でしかない。
 期待させておいて、真実は残酷な可能性だってある。背中を押すのは無責任だ。でも、落ち込んでいる成瀬をヨシヨシと慰めるだけなのも違う気がする。
「もし……もしもだけど。お互いに何かすれ違ってるだけならさ」
 井口は覚悟を決めて話し始めた。
「やっぱちゃんと侑の気持ちをぶつけた方が良いのかなと思う。喧嘩とかじゃなくね。桜井が何か怒ってるとしてさ。もしかしたら変なプライドで、単に怒りの鉾の納め方が分からなくなってるだけかもしれないし」
 もしも本当に桜井が理不尽に成瀬を傷つけたのなら、最後に俺が桜井に文句の一つも言ってやる。口には出さなかったが、井口はそう思った。
「桜井と話ができる余地はまだあるのかな……」
 どうするべきか考えあぐねている成瀬に、これ以上何をどう言えば良いのか分からない。
 二人の沈黙の間に、Blood MoonのBGMだけが流れている。
「分かんない。でも、何があっても俺は成瀬の味方だからさ」
「うん……井口がいてくれて良かった」
 少し柔らかくなった侑の声が聞こえて、井口は安堵した。
「どうする? もう一戦いく?」
 すっかり眠気が覚めてしまった井口は、もう少し侑とゲームをしたかった。
「そうだな」
「どこ行く?」
「井口の行きたいとこ」
 
「下がれ下がれ! 回復しないとヤバいぞ! 俺がタゲ取ってる間にやれ!」
「分かってるって!」
「次、来るぞ!」
 井口が言った瞬間、敵の広範囲攻撃が飛んできて、画面いっぱいに炎のエフェクトが広がり、部屋の中まで赤く照らされた。さっき回復したばかりの侑のHPは、一気に半分以下になってしまった。
「やっぱムカついてきた!」
 侑がコントローラーのボタンを押す音が、ガチャガチャと大きく鳴る。
「アイツ、何で急に態度変えるんだよ、意味わかんねぇ! 納得いかねぇ!」
 侑がコントローラーのボタンを押す音が一層激しくなる。
「俺が悪いんだったら言えよ! なあ、井口?」
「おう、そうだそうだ」
「だいたい、無視したくせに何で俺のバイト先に来るんだよ! どういう神経してんだよ!」
「まあ、それは客の自由だから」
「そりゃそうか……いや、でもやっぱ意味わかんねぇ!」
「じゃあ、直接聞くか? 桜井に」
 井口が言った直後、一瞬、侑のコントローラーの音が消えた。
「……う……うおお! やったらぁ!」
「おい、叫ぶな。夜中だぞ。怒られても知らんぞ」
「あっ、やべ……」
「まあ、侑が元気出て良かった」
「元気って言うより、ムカつきだけどな」
 画面の向こうでむくれている侑の顔が思い浮かぶ。
「で、どうするんだ?」
「帰宅部続行!」
「いいね」
 その調子、と言って井口は笑った。
「今度こそって何回も言ってるけど、今度こそちゃんと話す」
 井口は、意外と冷静な侑の様子に、ほっと胸を撫で下ろす。それと同時に、大きな欠伸が出た。
「これ終わったら寝るわ」
「ありがとな、井口」
「……おう」
 辺りが静まり返っている夜の中、二人の賑やかなゲームは暫く続いた。

* * *

 いつもと変わらない朝。教室内の喧騒も相変わらずだ。侑はクラスメイトに挨拶しながら、掻き分けるようにして進んで行き、自分の席に着いた。
「おはよ」
 侑が声をかけると、井口はのそりと顔を上げ、おう、と短く応えた。目の下には、薄っすらクマができている。
「ねむ……」と呟き、井口は机に突っ伏した。
 そんな井口を見て、侑は、桜井に振り回されてる場合じゃないよな、と申し訳ない気持ちになった。
 井口の献身的な友情が自分を支えてくれている。だから、心強い。
 井口は眠ってしまったのか、緩やかに規則正しく肩が上下している。
 侑はその背中に向かって、サンキュー、と呟いた。

 ——今日、桜井と話せたとして、関係の修復ができなかったら——。
 それで帰宅部が終わったとしても一人でやればいい。元々一人だったんだ。
 
 でも桜井の事を考えると、侑の胸の中の、奥の奥がチクチクと痛みだす。
 それは、どんどん強くなって広がっていく。侑は自分を、去る者は追わずな性質だと思っていた。なのに、どうしてこうも桜井に執着しているのだろうか、と自分でも疑問に思う。
 思い出すのは、はじめて桜井に追い抜かれたあのとき。それから、ガゼルのストッティングのような華麗な柵越え。名前を名乗って笑ったとき。和田から隠れたときに、抱きしめられたこと。そのときの、桜井の低い声。眼鏡をかけていたこと。意外と抜けてる所があること。相合傘で帰ったこと。桜井の体温と混じった、シトラスの香り。それから……あの拒絶。
 チクチクが、ズキズキに変わる。
 
 予鈴が鳴ると、井口はムクッと起き上がった。大きく伸びをしながら欠伸をした。それからぐるりと体の向きを変え、後ろの席の侑に声をかけた。
「1組、行ってきた?」
 井口の問いに対して、侑は首を横に振った。
「まあ、わかるよ」と井口は言った。
 昨夜、井口とゲームをしていたときは怒りが湧いて、勢いで「今度こそ桜井と話す」と言ったのに、足が竦んで、勇気が出なかった。
「無理すんな」
 そう井口に言われて、侑は頷いた。
 でも、と、だって、が侑の頭の中でぐるぐる回る。
 勢いで桜井を問いただそうと思ったり、でも怖くなって直接顔を合わせたくなくなったり、どうしてこんなに優柔不断で弱くなったんだろう、と考えてしまう。井口と出会ったばかりの中学生の頃は、こんなに人間関係で悩まなかった。だから、誰とでも仲良くなれた。友達関係で多少のトラブルはあっても、お互いに言いたいことを言ってそれで解決してきた。
 もしも親友の井口が無視したら、ショックを受けつつも、井口と面と向かって話し合いをして、ちゃんと理由を聞く。もちろん、それで全てがうまくいくわけではなく、話さなくなってしまった元友人もいる。「気が合わなかった」「寂しいけど仕方ない」と侑の中で割り切れていたのに、桜井が相手だと、なぜかそうできない。

 侑は、モヤモヤした気持ちを抱えたまま1日を過ごした。
 井口は侑を気にしつつも、桜井の話題を出さなかった。

 校内で会うのは怖くても、帰宅部に桜井が来たらその時は絶対に……と思っていた。でも、あれだけの態度を取っておいて、さすがに桜井は来ないんじゃないかとも思った。
  
 桜井が帰宅ダッシュに来ると信じたかった。
 
 けれど今日、桜井は現れなかった。

* * *
 
 スタッフルームに入るとテーブルの上の、夏のフェアメニューの資料が目に入った。その中に、シトラスドリンクの写真があった。
 貴生はそれを真剣に見ていた。
「お、成瀬。おつかれ」
「おはよ。貴生さん」
「また新しいレシピを覚えなきゃ」
 貴生が呟いた。
「キッチンもやるから大変だよね」
「まあね。俺はスーパーアルバイターだから」
 自虐的に言って、貴生は苦笑いした。
「シトラスっていい匂いだよね。気分上がるって言うか」
 侑は資料を見ながら言った。
「心にも体にも良い効果があるんだ。リフレッシュ、リラックス、集中力向上とかな」
「出た。貴生さんのウンチク」
「だから博識って言えって。まあ、これは前の彼女がアロマ好きだったから受け売りなんだけど」

 ──そう言えば、昨日はシトラスの匂い、しなかったな。

「でも、シトラスの香りはすぐ消える。ピネンやリモネンは軽くて、揮発性が高いからな。夏とか太陽とかエネルギッシュなイメージがあるしポジティブな効果が沢山ある。なのに香りは儚いっていうのは、凄いギャップだよな」
 貴生のウンチクを聞きながら、胸がざわついて、侑はシャツの胸の辺りをぎゅっと握った。 
「成瀬、どうした? 具合悪いか?」
「いや、何でもない」
 侑は着替えを済ませ、貴生に挨拶をして店を出た。