姫が死んだ日

死にたい。

私がそう思うようになったのは中学一年生の冬の、あの出来事からだった。その頃、私の隣にはいつも栞里がいた。顔立ちはごくふつうで、特別かわいいわけじゃなかったけど、誰にでも優しくて、人懐っこく笑うかわいい子だった。

「ねぇねぇ、薫!」

栞里はいつもそうやって、無邪気に声をかけてきた。栞里のまわりにはいつも明るい幸せオーラが浮かんでいた。彼女のその笑顔を見ていると、心がほどけてやわらかくなる気がして、隣にいると自然に、今まで感じていた孤独も不安も溶けていった。栞里はきっと、私にとって大きな光だった。

入学初日、はじめて話しかけてくれたときのことを今でも鮮明に覚えている。

「ねぇねぇ、かおるちゃん、だよね? よろしくね〜!」

いきなり肩を叩かれて目の前に現れた栞里に、私はただ黙ってうなづくことしか出来なかった。これまでずっと、人と関わることを極端に避けて、嫌っていた。でも、彼女のぱっとした笑顔をみると、嫌な気はしなかった。人と話すのが苦手だった私にとって、それは救いの手のようだった。あの日あの子が話しかけてくれなければ、私はきっとずっとひとりぼっちだった。

放課後の教室は、もうほとんどだれもいなかった。木とほこりの匂いに満たされた教室の中を、太陽の光が窓から斜めに差し込んで机の影を長くのばしている。どうやら私の部活の顧問は出張中らしく、部活がなくなって暇になった私は英語の教科書を広げ、ノートに例文を書き写していた。

呟きながら一通り書き終えた後、ふと窓の外を見た。

「あ、雪」

季節はもう冬だ。外には白い雪がちらちらと降っていた。そしてその中で外部活の生徒達が頭に雪をつけながら走り回っていた。私は換気用に開けていた窓から雪が入ってこないように窓を閉めた。

「あ、薫だ!!」

静かな冷たい教室にひときわ元気な声が飛び込む。びっくりして喉が鳴った。扉の方に振り返るとやはり、と言うか予想通り大きく手を振る栞里がいた。彼女は「あぁ、良かったぁ」と呟きながらこちらに歩いてきて、私の机に肘をついて自分のノートを広げた。中には英語の問題集の解き直しがびっしりと書いてあった。

「もー終わんなくてやばいの。まじ解き直しとか最悪!!特にやばいのはこれ。最後の問題。意味わかんなくなって適当に丸つけたんだけど〜」

「それ、テキトーすぎでしょ!」

私がそう言うと、栞里はへへ、と小さく笑った。栞里は昨日提出するはずの英語の問題集の範囲を間違えていたらしく、課題に追われていた。

「だって薫いるし。あとで教えてもらえばいっかな〜って」

そして、少しはにかみながら

「だから、ね?」

私はもう、と言いながら自分の教科書を閉じて、赤いペンで栞里のノートに小さく書き足した。

「えっと、ここが現在完了形。ほら、この単語があるでしょ?」

「え、ほんとだ!すごぉい。ほんと、薫ってさ、こういうとこ細かいよね」

「栞里が雑すぎるだけね!」

とぼけるように言った栞里にそう返すと、栞里はむっとした顔をしてから、すぐに笑った。そして「でもさ」と息をこぼすように言って、

「薫がいてよかったー」

と、少し照れながら頬をかいた。

「急になによ?」

「だってあたし一人だけだったら、絶対ここで詰んでたもん」

私はなんだか照れくさくて誤魔化すように袖に付いていたほこりをつまんで、机の端に置いた。顔を上げると、栞里はもう窓の外を見ていた。

「今日、雪かあ」

そう言って栞里は窓に張り付いた雪を人差し指でなぞった。

「もう冬だし」
「ね、コンビニ、新しいホットスナック出たらしいよ」

栞里は流行りの物が大好きで、携帯にも最近流行ってるらしいクマのマスコットをぶら下げていた。スタバの新作や服の新作は片っ端から買っていた。

「あー、ね。あの辛いやつ?」
「そー。一緒に買い行こ」

私は小さく頷いた。

「うん」

栞里は鞄の中に英語の問題集を押し込んで立ち上がる。古びた机がぎし、と音を立てた。栞里は鞄を肩へと持ち上げた後に、私の方へくるりと振り返った。

「じゃ、先行ってるね。いつものとこで待ってるから」
「おっけー」

上機嫌そうにスキップしながら帰る栞里の背中を見送りながら、なんだか幼い子供みたいだな、と思った。そんなことを考えている口角は気づけば少しにやけていた。

***

「ねぇ、栞里」

ある日の放課後。私はいつものように教室で声をかけた。

「駅前のカフェ、行こ」
「またぁ? いいけどさ」

栞里は呆れたように笑って、そう言った。何度も何度も誘っているが、結局いつも付き合ってくれた。そして決まって、栞里はいつも私より早く駅前のコンビニで待っていた。

けれど、その日の放課後。コンビニに栞里はいなかった。

「準備、遅れてんのかな……」

そう呟きながら私は制服のポケットから携帯を取り出した。栞里には抜けているところがあったからきっと遅刻だろう。そう思って。

《何時くらいに着く?》

適当に絵文字を付けたメールを送信した。スマホの液晶に送信完了の文字が示された。いつもならすぐ既読がつく。でも、その日は30分経っても反応がなかった。胸の奥が、ざわざわと落ち着かなくなる。悪寒が背筋を駆けめぐり、冷たくかじかんだ指先を震わせた。私は迷わず走り出した。栞里のアパートまでの道を、なにも考えずに。
夕暮れの空気がやけに冷たくて、息を吸い込むたびに肺が痛かった。苦しくて目尻に涙が滲んだ。
角を曲がったその時だった。

「え……?」

瞬間、喉が引きつって上手く声が出せなくなる。
雪の中に、真っ赤な海が広がっていたのだ。雪の積もった冷たいコンクリートの塀にもたれかかるように、栞里が座り込んでいた。苦しそうに歪んだ栞里の顔から視線を下に落とすと、制服の胸元とお腹の当たりが真っ赤に染まっているのに気がついた。

「栞里っ!!」

私は叫びながら駆け寄った。栞里はかすかに顔を上げた。

「か…おる……?」

その声は、かすれて、震えて、痛々しくて。

「…い、いま救急車呼ぶから!」

震える手で携帯を握りしめ、119番にかけた。
とてもだけれど冷静にはなれなかった。

「到着まで20分ほどかかります…」

目の前が真っ暗になった。耳に当てた携帯から流れるオペレーターの続く言葉なんてさっぱり入ってこなかった。

「栞里……ごめん……ごめんね……!」

栞里はもうだめだ。直感的にそう思った。私は泣きながら携帯を握る手と反対の手で栞里の手を握った。「ごめんね」と何度も何度も繰り返しながら。
私が謝るたび、栞里は首をゆっくり横に振った。その目には、責める気配なんて全くなくて、ただ穏やかだった。
遠くで救急車のサイレンが鳴りはじめたころ、栞里は私の手をぎゅっと握って微笑んだ。どんどん近くなるサイレンが頭で反響する。栞里はそのまま、静かに目を閉じた。

号泣する私に、到着した救急隊員が告げたのは失血死、そんな言葉だった。
通り魔による犯行だったという。
けれど、私にそんな説明は意味をなさなかった。すべての言葉が頭に到達する前に私の前に落ちていく。

あの時、私が誘わなければ。
駅のカフェなんて言わなければ。
最愛の親友を、私が。

死にたい。


***

翌朝、保健室のカーテンは、半分だけ閉まっていた。白い布越しの太陽光が、ぼやけて見えた。

「そこに、座って」

先生に椅子に座るように促され、私は言われた通りに腰を下ろした。

「薫さん」

担任の石山先生の声は、必要以上に優しかった。まるで、泣いている幼い子供をなだめるように。

「今回のことはね、あなたのせいじゃないのよ」

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がぎゅっと引き締められ、ひどく熱くなった。

「通り魔の犯行だったし、偶然、そこに居合わせてしまっただけなんですよ。誰にでも起こりうることだし、あなたが自分を責める理由は、どこにもない」

先生は正しいことを言っている。誰が聞いても、納得できる説明だった。その一言一言がゆっくりと私の中に静かに沈んでいく。

——違う。

喉の奥まで言葉がせり上がってくる。
上手く息が吸えなくて、口からは何も出なかった。

「薫さんはそこに居ただけなんだよ」

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で、何かが軋んだ。居ただけ、なんかじゃない。

だって私は——

あの日、誘った。
待たせた。
呼び止めなかった。
もっと早く、行かなかった。

頭の中で、出来たはずの選択肢が、何度も再生される。

「だからね、」

先生は続ける。

「薫さんは、前を向いていい」

――前を、向くなんて出来ない。

私は言葉を飲み込んでゆっくり頷いた。

「はい。」

そう答えるのが、“正解”だと分かっていたから。先生は、少し安心したように微笑んだ。

「何かあったら、いつでも言いなさい」

私はまた、頷いた。カーテンの向こう側で、誰かの笑い声が聞こえた。

人が死んだところで世界はちゃんと、続いている。それが、ひどく残酷に思えた。

正しく説明されるたびに、私は、ますます確信してしまう。
——やっぱり、私がやったんだ。
誰もそう言わないからこそ、私が、言わなきゃいけない。心の中で、そうやって何度も自分に判決を下していた。

その日の放課後、駅前のコンビニはいつもと同じ明るさだった。ガラス張りの冷蔵ケースが白く光って、床に反射している。私は何となく、ホットスナックの置いてあるレジの前で足を止めた。

新商品、期間限定。
オレンジ色のポップ。

――新作、出たらしいよ。

胸の奥で、声がした。あの日の光景が思い浮かぶくらいに、鮮明に。
喉がひくりと鳴る。視線を逸らそうとして、逆に棚を睨みつけるみたいになってしまった。熱い唾を飲み込む音がやけにうるさく聞こえた。

ホットスナック。
冬。
放課後。

条件が、揃いすぎていた。

―― 薫いるし。あとで教えてもらえばいっかな〜って。

脳が勝手に続きを再生する。
笑い方まで、完璧に。
…やめてよ。
私は心の中でそう言った。薫は悪くない。通り魔だった。警察も、先生も、みんなそう言った。

正しい説明。
事実。
医学的な結論。

――なのに。

あの日。駅のカフェに行こうなんて言わなければ。私が、少しでも早く走っていれば。
正しく説明されるたびに、不可抗力と言われるたびに、胸の奥で別の答えが大きくなる。

私は棚から一つ商品を取って、すぐ戻した。買えるわけがなかった。レジの電子音が、するどく耳に刺さる。別の客の笑い声が、遠くでゆがむ。私はコンビニを出て、駅の方へ歩き出した。歩幅が揃わない。地面が少し傾いている気がした。駅に近づくと耳慣れた改札の音。
その瞬間、コンクリートの冷たさが、足元から這い上がり、背筋を駆け巡る。

赤。
白。
血の色が制服に滲む光景。

「……っ」

喉まで胃液がせり上がる。私は立ち止まって、息を吸った。
深く。何度も。大丈夫、ここは駅。
今は、何も起きてない。

そう言い聞かせるほど、「じゃあ、あの時は」という声が大きくなる。誰も責めていないのに。誰も、私を疑っていないのに。私だけが、ずっと裁判を続けている。判決は、もう出ている。それを取り消せる人は、もうどこにもいなかった。

いなかった、はずなのに。

***

母からの提案で、私は転校する事になった。

「じゃあ、自己紹介して。」

担任の声に背中を押されて、黒板の前に立つ。名前を言うだけ。それだけなのに、喉がひりつく。

「……村田薫、です。よろしくお願いします」

それ以上、言うことはない。教室内でざわ、と小さな波が起きる。生徒の視線。値踏みする目。興味と無関心が混ざった、時間はスローモーションみたいに酷く遅く感じた。

「じゃあ、席は……」

担任が教室を一通り見回す。

「窓際の前から二番目のそこ、空いてるな。そこに座って」

示された席。歩き出して、その席の隣にいる子を見た瞬間。急激に胸が高なった。どくどくと血が巡る感覚。なぜか目が離れなかった。

なんて、綺麗な子なんだろう。

そのときは、名前なんて知らなかった。ただ、整いすぎた横顔と、まっすぐ前を向く姿勢。完成している人、真っ先にそう思った。
座って、鞄を置く。それだけなのに、心臓が落ち着かない。ちらっと横を見ると、澪奈は私を見ていなかった。黒板の方を見たまま、でも少しだけ体がこっちを向いていた。そして、顔をこちらに向けたかと思うと、

「薫ちゃんって、素敵な名前だね」

真正面から見ると余計に綺麗で眩しかった。素敵な名前、だなんて言われるのは初めてだった。

「私、澪奈って言うんだ。分からないことあったら言ってね」

それだけだった。距離を詰めすぎない声。でも、壁も作らないような不思議な言い方だった。

「ありがとう」

それしか言えなかった。でも、澪奈は、にこっと笑った。作ったみたいに綺麗な笑顔。なのにちゃんと、私に向けられている感じがした。

チャイムが鳴って授業が始まる。私はノートを開きながら、何度も横を気にしていた。澪奈は、もう前を向いている。さっきの一言なんて、もう忘れたみたいに。
それなのに、ここに来てよかった、なんて思う。そんなこと、今まで一度も思ったことなかったのに。

教室の前で、澪奈が誰かに呼び止められていた。

「蓮野先輩、これ似合うと思うんですけど…」

推しにしゃべりかけるようにキラキラと目を輝かせた一年生から差し出されたのは、雑誌を切り抜いたみたいな淡い色のセーターだった。

「え、私に?くれるの?」

一年生のその女の子が黙ったままうなずくと、澪奈はすこし困ったように笑う。

「絶対似合うと思うんです!」
「だって蓮野先輩ですし!」

その言葉が、当たり前みたいに交わされる。
私はああいう場に、混ざる役じゃない。遠くからその光景を眺めていた。澪奈が服を受け取って、「ありがとう。うれしいな」と言う。その一言で、場がちゃんと終わる。誰も傷つかない。誰も困らない。

完璧だ。

胸の奥が、ほんの一瞬だけざわついた。何だろう、これ。むかつくわけでもない。悔しいとも違う。 澪奈が戻ってきて私の隣に立つ。

「ねえ薫ちゃん、これどう思う?」

服を広げて見せる。私は、少し間を置いてから答えた。

「似合うと、思うよ」

本心だった。心の底からそう思った。
澪奈は安心したように笑う。

「薫ちゃんが言うなら間違いないかも!」

私は“判断する側”で、“選ばれる側”じゃない。その事実が、急にはっきり見えた。

羨ましい。

その言葉が、初めて頭に浮かんだ。澪奈そのものじゃない。彼女に向けられる視線。自然に集まる期待。「似合う」と言われる前提。それが、喉の奥に引っかかった。今まで、私はずっと思っていた。

「期待されない方が楽」
「可愛くない方が安全」

でも、それは選べなかったからそう思うしかなかっただけだ。澪奈が歩くと、周りの空気が少し変わる。私は、そんな空気の外に立っている。その差を、初めて“差”として認識した。
——ああ
私は、羨ましいんだ。こういう人が。

それに気づいた瞬間、
胸がひどく静かになった。
嫉妬じゃない。怒りでもない。

澪奈はきっと、あっち側で、ちゃんと苦しんでいる。守られているふりをして、選ばれる役を押しつけられている。だから私は、何も言わなかった。
羨ましいなんて、言える立場じゃなかったから。見定めるひとにはなりたくなかったから。でも、その感情を知ってしまった。だから、もう前みたいには戻れなかった。澪奈を見るたび、
その光の下にある影と、自分の立っている場所を、同時に見るようになったから。

私は澪奈を見定めている。

そのことを、理解してしまった。


---


「澪奈、今日もかわいいね。」

その言葉を浴びるたび、見えない王冠が、少しずつ重くなる。首の後ろが痛い。でも、外し方が分からない。だってこの王冠は、誰かが勝手に乗せたものじゃない。私が、乗せたものだから。

その日も、私は王冠を被っていた。
もちろん、本物じゃない。プリンセスが被っているようなキラキラした金属でも、宝石でもない。でも、確かにそこにあるもの。

かわいくあれば、愛される。
かわいくいれば、必要とされる。
かわいくなければいらない。

鏡の前で笑う。角度を調整する。唇の色を整える。

「お姫様みたいね」

初めて母からそう言われたとき、胸の奥で小さく何かが鳴った。そうやって言われた日から、私は周りの目を気にするようになった。
王冠を被っていない私を誰かが見てくれるかもしれない、なんて、そんな期待をしてしまう自分が

いちばん、怖かった。

「澪奈ってほんと完璧!」
「かわいすぎてずるい!」
「澪奈がいるとクラスが映えるよね!」

スカートの丈も、リップの色も、笑う角度も、全部可愛い基準で決まる。クラスで笑うときも、写真を撮るときも、息をするように「かわいい自分」を演じた。本当の私がどう思っているかなんて、もう誰にも分からない。
私自身でさえも。

放課後の屋上で、風が頬を刺した。
マフラーの中で息を吐くと、白い息が薄れて消えた。高校生になると、写真を撮ろう、と誘われることが増えた。

「ねえ、澪奈も一緒撮ろうよ」
「うん、いいよー」

みんながスマホの液晶に向かって笑顔を作る。その笑顔があまりに自然で、可愛くて、私の胸がちくりとした。
そんな気持ちを押し殺して私もみんなの隣に並び、カメラに向かって“かわいい顔”を作る。
頬の角度、顎のライン、光の入り方。
完璧に見える位置を、身体が覚えていた。

カシャ。
画面に映るのは、いつもの私。

「やっぱ澪奈やばーい」

私の隣で撮ったばかりの写真を眺めながら誰かがそうぼやいて、

「どの写真もかわいいんだけど!」

そんな言葉に、私は微笑んだ。けれど胸の奥で、何かが軋んだ。“かわいい”と言われるたび、私は安心して、同時に苦しくなる。それは薬であり、毒でもあった。かわいくなければ、誰も私を見てくれないのかもしれない。
いつからそんなふうに思うようになったのだろう。

ママはよく私に言った。

「澪奈、今日もかわいいね。ママの自慢の娘!」

いつもママはおまじないのようにそう言って可愛い顔を綻ばせた。

「うん。ママも私の自慢のママだよ」

私も酷いくらいにママに似たこの顔をにこにこと綻ばせる。

「ふふ。ありがとう」

ママは嬉しそうに笑って私を抱きしめた。でも。本当は。もう疲れていた。
ママの“自慢の娘”であることに。

ママの勧めで初めてメイクをしたことがあった。鏡の前で薄いピンクのリップを引いた。つやつやと皮剥けひとつない唇を瞬かさせる。かわいい、そう純粋に思えたのはそれが最後だった。

初めてメイクをした日から、ママはよくお高いデパコスをプレゼントしてくるようになった。それも、かなりの頻度で。

「澪奈ちゃんは可愛いからね」

こんなのいらない。
そう叫びたいのをぐっと堪えていつも感謝の言葉を紡いだ。

「ありがとう。すごく、嬉しい」

「よかった。ママ、澪奈ちゃんの為にお仕事頑張るからね。可愛いままでいてね」