虎倉井ブリーズワールド元スタッフのAです。
大変重要な情報を入手しましたので、風祭様にも共有いたします。お送りしましたDVDの内容をご確認ください。事件の捜査にも影響しそうな内容ですので、オリジナルであるビデオテープはこの後、警察へ提供する予定です。
結論から申し上げますと映像の内容は、園長が行方不明になる直前に自らを撮影した、独白の記録となります。
ビデオの提供元は、園長の秘書をしていた女性です。我々スタッフも二人の関係には薄々感づいていましたが、園長と秘書は当時、愛人関係にあったようです。
虎倉井ブリーズワールドブリーズワールドの経営が傾き、閉園が秒読みとなっていた時期、園長は遺書のつもりでこの映像を撮影したようです。遺書のつもりという意味は、内容をご確認いただければ分かります。
そんな遺書代わりのビデオを、園長は家族ではなく、愛人であった秘書に送っていた。園長にとっては最も信頼できる相手だったのでしょうね。いつか虎倉井ブリーズワールドの闇が晒されたときは、この映像を公開してほしいと、メッセージが添えられていたそうです。そうして現在、旧虎倉井ブリーズワールドに関する一連の事件が報じられるようになり、秘書はその時が来たのだと悟ったそうです。ただ彼女は、園長を哀れに思い、ビデオを保管こそしていましたが、今の生活を大事にしたいという思いから、自らビデオを公開することを躊躇っていました。ビデオの扱いを決めあぐねている中で、情報収集を行っていた我々からの連絡を受け、実名を出さなければ好きに使ってくれていいと、こうして我々に映像を託してくださいました。
園長に同情はしませんが、映像を見て、彼なりに思い悩んでいたことは伝わってきました。共に働いていた人間の一人として、正直なところ心境は複雑です。もっとも、契約書の第4条を見る限り、園長には誰かに相談するという選択肢は、最初から存在していなかったようですが。
【ビデオ映像本編】
カメラは、自宅のリビングらしき場所でソファーに座る、やつれた印象の細身の男性を映している。
虎倉井ブリーズワールド園長の〇〇です。
皆さまがこの映像をご覧になっている時、私はすでにこの世にいないでしょう。あるいは遺体すらも発見されず、行方不明のままになっているかもしれません。いずれにせよ、経営不振により虎倉井ブリーズワールドの閉園が決定的になった今、園と同時に私の命運は尽きた。
この映像は私の遺書です。虎倉井ブリーズワールドの闇が白日の下に晒された時、そのあまりにも異様な光景に、世間は震撼することでしょう。虎倉井ブリーズワールドで、いや虎倉井山でいったい何が起きていたのか。全てをお話します。
話は虎倉井ブリーズワールド建設前まで遡ります。現在虎倉井ブリーズワールドが建っている虎倉井山には古くから「鬼虎」という異形の怪物が棲み、人間、とくに幼い子供の肉を好んで食らうという伝承が存在しました。しかしそんなものは所詮、昔話です。重要なのは遊園地を建設し、利益を上げること。プロジェクト関係者の誰も伝承のことなど気にはとめていませんでした。しかし開発プロジェクトが公になると、地元の住民が激しい反対運動を行った。その根拠としていたのが虎倉井山に伝わる「鬼虎伝説」でした。虎倉井山を切り開いてはいけない。「鬼虎」を目覚めさせていけないと。馬鹿馬鹿しいと誰もが思いました。そんな理由で、一度動き出した開発プロジェクトが止まるわけがない。しかもその理由は罰当たりだからときた。環境問題だの、会社側の不正が許せないだの言われた方がまだ理解はできる。
機動隊が出動し、逮捕者も出たことで、反対運動は沈静化。開発工事は滞りなく行われるはずでしたが、ここで予想外、いや埒外の問題が発生した。地元住民たちが恐れていた「鬼虎」という怪物。伝承だとばかり思われていた「それ」が本当に出現し、工事現場で作業員を襲い始めたのです。遊園地建設に向けて虎倉井山を切り開く中で、過去の崩落によって塞がれた地下洞窟のようなものが発見されました。どうやら「鬼虎」はその中に潜んでいたようなのです。開発工事によって我々は怪物の封印を解き放ってしまった。
表向きは不注意による作業中の事故という扱いになっていますが、「鬼虎」の襲撃によって、多数の作業員が死傷しています。工事を止めてはならないと、会社側は現場の作業員に別途危険手当を出して作業を続けさせようとしましたが、本物の怪物がいる現場で命まで懸けられるはずがない。現場はもう爆発寸前だった。
そこで、私の上司でもあった当時の開発プロジェクトのリーダーは、この窮地を乗り越えるためにとんでもない行動に出た。異形の怪物である「鬼虎」と、土地の利用について契約を交わそうと考えたのです。怪物相手に交渉などできるのか? 問答無用で殺されるだけではないか? 成功なんてするはずがない、死体が増えるだけだと、関係者は地下へ向かっていくリーダーの背中を見送りましたが、何とリーダーは「鬼虎」との契約を取り付けて、無事に地下洞窟から帰ってきました。しかし、その契約内容はあまりにも恐ろしいものだった。その契約書の内容がこちらになります。
園長は用意していた契約書のコピーをカメラに近づけ、その内容が視聴者に見えるように映した。
「虎倉井ブリーズワールド建設に伴う土地使用に関する特別合意書」
権利者:〇〇〇〇興業(以下「甲」)という)と地権者:鬼虎(以下「乙」という)は、指定地における由上園地建設および運営に関し、以下の通り契約を締結する。
第1条(土地の占有)
乙は、甲に対し、本件土地の使用を許諾する。ただし、乙の居住する地下空間使用の権利は、引き続き乙が保持するものとする。
第2条(建設の対価)
甲は、本件土地の利用対価として、貨幣に代わり、乙に対して以下の条件を認めるものとする。
1・遊園地開業後、甲は乙が遊園地内を自由に行動する権利を妨げてはならない。
2・遊園地開業後、乙の行動によって「行方不明者」が発生した場合、甲はそれを黙認しなければならない。
第3条(遊園地の設計)
1:甲は、乙が遊園地内を自由に行動するための器を提供しなければならない。また器の名称は乙の名前と近しいものでなくてはならない。
2:乙が居住する地下空間と遊園地とを結ぶ通路を、園内に設置しなければならない。
第4条(乙との接触について)
遊園地開業後、乙と接触できる人間は遊園地の管理責任者のみとする。他の誰にも乙の存在を知られてはならない。
第5条(契約の持続性)
本契約は、乙が十分な「行方不明者」を確保出来ないと判断した場合、乙側から一方的に破棄することができる。その結果発生した人命を含む損害について、甲は一切の意義を申し立てないものとする。
条項については後でまた触れますが、あの場所に遊園地を建設したい会社側と、大好物である子供が集まる狩場を欲していた「鬼虎」の利害が一致した結果が、この契約書なのです。
正直なところ私は、「鬼虎」の存在がより恐ろしくなりました。相手は人間と交渉し、自分に優位な契約を結ぶような知性を持っている。そのうえで人間を襲い、時に肉を食らいにくるのです。ただ本能のままに暴れまわるだけの怪物の方が、よっぽどましだったとさえ思えます。何を考えているのか分からないことと、何も考えていないことには雲泥の差がありますから。
その後、「鬼虎」は度々現場で目撃されながらも、契約を結んだことで作業を邪魔することはなくなりました。お近づきの印にと、上司が石造りの祭壇を地下へと搬入するよう指示したこともありましたね。
こうして虎倉井ブリーズワールドの建設は進んでいくのですが、その内容にもいくつか「鬼虎」との契約内容が含まれています。
例えば、「鬼虎」が棲む洞窟と園内を繋ぐために、洞窟の真上にタイガーフォレストを建設し、通路を介して「鬼虎」が自由に洞窟と園内を行き来できるような設計となりました。
また、虎倉井ブリーズワールドの人気マスコットキャラクターとなったキトラくんの誕生にも、この契約が大きく関わっています。
「鬼虎」は契約の第2条により、遊園地開業後に、園内で自由に動き回るための器を求めた。簡単に言うとこれは、そのままの姿じゃ出歩けないから、入れ物がほしいということです。そう、入れ物とは、キトラくんの着ぐるみのことを指します。名前も「鬼」に「虎」と書く「鬼虎」の読み方を変えて、「キトラ」となりました。入れ物の名前を「鬼虎」と似たものにすることも契約内容の一つです。怪物界隈の事情は私にはよく分かりませんが、器との間に親和性があった方が、体によく馴染み、生身のように自由に動けるのだそうです。
これが人気マスコットキャラクター、キトラくんの誕生秘話です。お客様の笑顔のためじゃない。怪物の顔色を伺うために生み出されたキャラクターなのです。どうですか? 夢も希望もない話でしょう。
こうして「鬼虎」との契約条項を盛り込みながら、虎倉井ブリーズワールドは完成しました。そしてそれは私にとっては、受難の日々の始まりです。
契約書にもありますが、園内で「鬼虎」と接触することができるのは管理者、すなわち遊園地の園長だけです。新たに建設された遊園地の園長といえば聞こえはいいが、虎倉井ブリーズワールドにおけるそれは、怪物と常日頃から接し、監視し続けなければいけない過酷な役職だ。加えて第5条によって、命の危険さえも付きまとう。そんな役職に就きたがる人間などいるはずがありません。貧乏くじを引かされたのが私でした。
自分でいうのもなんですが、私は大した取り柄もなければ、世渡りも下手で、出世なんてとても望めない。会社の片隅にただ存在している。そんな社員でした。私に社内の「生贄」として白羽の矢が立つのは半ば必然だったのかもしれません。
ですが、最終的に園長の仕事を引き受けることを決断したのは私自身です。危険が伴うかつ、ある意味では会社の暗部を見守る番人ですから、これまでの立場では到底望めなかった、高給も約束されていました。「鬼虎」の存在にさえ目を瞑っていればいいと割り切り、私は虎倉井ブリーズワールドの園長の職に就きました。
園長として、地下で初めて「鬼虎」と対面した際の恐怖は、今でも忘れられません。契約がありますし、向こうも今すぐ襲ってはこないと頭では分かっていましたが、相手は異形の怪物です。気まぐれに殺されてしまうかもしれない。全身の震えが止まりませんでした。ですが、「鬼虎」は人間と契約書を交わせるだけあって、流石に知性的でした。私と向き合うと、「これからよろしく頼む」と一礼してきたのです。「鬼虎」は人語を発しません。しかし頭の中に直接、そういった感覚が流れ込んできたのです。テレパシーのようなものを想像すると分かりやすいでしょうか。おどろおどろしい外見にはなかなか慣れませんでしたが、幾分か恐怖心が和らいだのは事実です。
虎倉井ブリーズワールドオープン初日は、正直生きた心地がしませんでした。地下に恐ろしい怪物が潜んでいるとも知らず、家族を連れを中心に多くのお客さん様が来園されている。もしもこの中で突然「鬼虎」が暴れだしたら一体どうなってしまうのか。園内が血の海と化すのではないか。そんな不安を抱えながら、激動のオープン初日が過ぎましたが、意外にも「鬼虎」はその日、地下空間から姿を現すことはありませんでした。怪物なりに遠慮してくれたのか、それとも知性を有するがゆえに、初日から騒ぎを起こすことは得策ではないと判断したのか。
オープンからしばらく経ち、少しお客様の勢いが落ち着いてくると、「鬼虎」はキトラくんの着ぐるみを着て、初めて園内に姿を現しました。その日は注意深く「鬼虎」の様子を伺っていましたが、園内を見学するように散策し、時折本物のマスコットキャラクターのように、子供たちと楽しそうに触れ合うこともありました。そうしてその日も平和に一日が終わった。もしかしたらそこまで恐ろしい存在ではないのではないか? このまま平和的に共存していけるのではないか? 古い伝承や、建設現場で作業員が命を奪われたことも忘れ、その時の私はそう思っていました。
園内で最初の行方不明事件が起きたのは、その翌日のことでした。私は直接その瞬間を見たわけではありませんが、午前中に「鬼虎」はキトラくんの着ぐるみを着て幼い男の子を地下まで連れ出し、捕食したと思われます。迷子センターに両親が駆け込み、迷子が発生したという情報はすぐに園内に共有されました。「鬼虎」の存在が頭を過りましたが、すぐに地下の様子を見に行く勇気はありませんでした。そもそも遊園地のような施設に迷子はつきものです。「鬼虎」とは無関係の通常の迷子かもしれない。そう願っていましたが、男の子はついぞ園内では見つからず、そのまま行方不明となってしまった。行方不明に遊園地側が関係していると疑われてはいけない。私は園長として、行方不明者の家族や警察への対応に追われる日々を送りながらも、何とかやり過ごすことができました。
確認のために地下へと入ったのは、男の子が行方不明になってから十日後のことでした。目新しい小さな人骨と、行方不明の男の子が着ていたのと同じ、血塗れの服を見た時の絶望感たるや。もう後戻りは出来ない。私も立派な共犯者なのだという現実を思い知らされました。
しかし、人間というのは恐ろしいものです。園内で子供が行方不明になる度に、私はそのことに徐々に慣れていった。全ては「鬼虎」がやったことであり、私が子供たちの命を奪ったわけではない。他人事のつもりで、事務的に淡々と「鬼虎」と接し、行方不明者が出た際の家族や警察への対応にも慣れ、それは作業こなすという感覚になっていった。それを何年も繰り返していくうちに、私にとって遊園地で子供が行方不明になることは何ら特別なことではなくなった。迷子の放送を聞いても、それが行方不明に発展しても、心を乱されることはなくなりました。むしろ契約が全うされ、自分の首がまだ繋がっていることに、安堵することえさえあった。ある意味では私も怪物になってしまったのかもしれない。いや、私はそんな大そうな存在ではない。ただの臆病者だ。
そしてこれまでの臆病のツケが、いよいよ私自身に回ってこようとしている。ここ数年、虎倉井ブリーズワールドの来場者数は減少の一途を辿っている。バブル崩壊以降、来場者は緩やかに減少を始めたが、それに加えて、理由は表沙汰になっていないながら、虎倉井ブリーズワールドで子供行方不明が多発しているという事実は残り、その悪評も客足減少に拍車をかけている。バブル崩壊の影響もさることながら、行方不明者が多い遊園地に、段々と客が近づかなくなっていくのは必定だ。異形の怪物と契約を交わし、この場所に遊園地なんて建てた時点で、いずれこうなる運命だったのでしょう。
この現状に「鬼虎」は大変ご立腹で、地下へと呼びつけられる回数も増えている。そんな状況下で、経営不振によって虎倉井ブリーズワールドの閉園が決まったと伝えれば、第5条により、「鬼虎」は間違いなく契約を打ち切るだろう。その結果発生した人命を含む損失について、会社側は一切の意義申し立てを行わない。命の損失がせめて、私一人で済めばよいのだが。お飾りの園長とはいえ、流石に何も知らないスタッフたちを巻き込むのは気が引ける。
私はどのように殺されるのだろう。やはりあの大きな口と牙で噛み殺されてしまうのだろうか? 多くの子供たちを見殺しにしてきた私に救いを求める権利などないが、せめてあまり痛くないといいのですが。
私は明日、「鬼虎」に虎倉井ブリーズワールドの閉園が決まったことを伝えにいきます。冒頭でもお伝えしましたが、皆さまがこの映像をご覧になっている時、私はすでにこの世にいないでしょう。あるいは遺体すらも発見されず、行方不明のままになっているかもしれません。
私が残したこの映像が、未来における真相究明の一助となれば幸いです。
園長の手がカメラへと伸び、撮影が終了。映像はここで終わっている。
大変重要な情報を入手しましたので、風祭様にも共有いたします。お送りしましたDVDの内容をご確認ください。事件の捜査にも影響しそうな内容ですので、オリジナルであるビデオテープはこの後、警察へ提供する予定です。
結論から申し上げますと映像の内容は、園長が行方不明になる直前に自らを撮影した、独白の記録となります。
ビデオの提供元は、園長の秘書をしていた女性です。我々スタッフも二人の関係には薄々感づいていましたが、園長と秘書は当時、愛人関係にあったようです。
虎倉井ブリーズワールドブリーズワールドの経営が傾き、閉園が秒読みとなっていた時期、園長は遺書のつもりでこの映像を撮影したようです。遺書のつもりという意味は、内容をご確認いただければ分かります。
そんな遺書代わりのビデオを、園長は家族ではなく、愛人であった秘書に送っていた。園長にとっては最も信頼できる相手だったのでしょうね。いつか虎倉井ブリーズワールドの闇が晒されたときは、この映像を公開してほしいと、メッセージが添えられていたそうです。そうして現在、旧虎倉井ブリーズワールドに関する一連の事件が報じられるようになり、秘書はその時が来たのだと悟ったそうです。ただ彼女は、園長を哀れに思い、ビデオを保管こそしていましたが、今の生活を大事にしたいという思いから、自らビデオを公開することを躊躇っていました。ビデオの扱いを決めあぐねている中で、情報収集を行っていた我々からの連絡を受け、実名を出さなければ好きに使ってくれていいと、こうして我々に映像を託してくださいました。
園長に同情はしませんが、映像を見て、彼なりに思い悩んでいたことは伝わってきました。共に働いていた人間の一人として、正直なところ心境は複雑です。もっとも、契約書の第4条を見る限り、園長には誰かに相談するという選択肢は、最初から存在していなかったようですが。
【ビデオ映像本編】
カメラは、自宅のリビングらしき場所でソファーに座る、やつれた印象の細身の男性を映している。
虎倉井ブリーズワールド園長の〇〇です。
皆さまがこの映像をご覧になっている時、私はすでにこの世にいないでしょう。あるいは遺体すらも発見されず、行方不明のままになっているかもしれません。いずれにせよ、経営不振により虎倉井ブリーズワールドの閉園が決定的になった今、園と同時に私の命運は尽きた。
この映像は私の遺書です。虎倉井ブリーズワールドの闇が白日の下に晒された時、そのあまりにも異様な光景に、世間は震撼することでしょう。虎倉井ブリーズワールドで、いや虎倉井山でいったい何が起きていたのか。全てをお話します。
話は虎倉井ブリーズワールド建設前まで遡ります。現在虎倉井ブリーズワールドが建っている虎倉井山には古くから「鬼虎」という異形の怪物が棲み、人間、とくに幼い子供の肉を好んで食らうという伝承が存在しました。しかしそんなものは所詮、昔話です。重要なのは遊園地を建設し、利益を上げること。プロジェクト関係者の誰も伝承のことなど気にはとめていませんでした。しかし開発プロジェクトが公になると、地元の住民が激しい反対運動を行った。その根拠としていたのが虎倉井山に伝わる「鬼虎伝説」でした。虎倉井山を切り開いてはいけない。「鬼虎」を目覚めさせていけないと。馬鹿馬鹿しいと誰もが思いました。そんな理由で、一度動き出した開発プロジェクトが止まるわけがない。しかもその理由は罰当たりだからときた。環境問題だの、会社側の不正が許せないだの言われた方がまだ理解はできる。
機動隊が出動し、逮捕者も出たことで、反対運動は沈静化。開発工事は滞りなく行われるはずでしたが、ここで予想外、いや埒外の問題が発生した。地元住民たちが恐れていた「鬼虎」という怪物。伝承だとばかり思われていた「それ」が本当に出現し、工事現場で作業員を襲い始めたのです。遊園地建設に向けて虎倉井山を切り開く中で、過去の崩落によって塞がれた地下洞窟のようなものが発見されました。どうやら「鬼虎」はその中に潜んでいたようなのです。開発工事によって我々は怪物の封印を解き放ってしまった。
表向きは不注意による作業中の事故という扱いになっていますが、「鬼虎」の襲撃によって、多数の作業員が死傷しています。工事を止めてはならないと、会社側は現場の作業員に別途危険手当を出して作業を続けさせようとしましたが、本物の怪物がいる現場で命まで懸けられるはずがない。現場はもう爆発寸前だった。
そこで、私の上司でもあった当時の開発プロジェクトのリーダーは、この窮地を乗り越えるためにとんでもない行動に出た。異形の怪物である「鬼虎」と、土地の利用について契約を交わそうと考えたのです。怪物相手に交渉などできるのか? 問答無用で殺されるだけではないか? 成功なんてするはずがない、死体が増えるだけだと、関係者は地下へ向かっていくリーダーの背中を見送りましたが、何とリーダーは「鬼虎」との契約を取り付けて、無事に地下洞窟から帰ってきました。しかし、その契約内容はあまりにも恐ろしいものだった。その契約書の内容がこちらになります。
園長は用意していた契約書のコピーをカメラに近づけ、その内容が視聴者に見えるように映した。
「虎倉井ブリーズワールド建設に伴う土地使用に関する特別合意書」
権利者:〇〇〇〇興業(以下「甲」)という)と地権者:鬼虎(以下「乙」という)は、指定地における由上園地建設および運営に関し、以下の通り契約を締結する。
第1条(土地の占有)
乙は、甲に対し、本件土地の使用を許諾する。ただし、乙の居住する地下空間使用の権利は、引き続き乙が保持するものとする。
第2条(建設の対価)
甲は、本件土地の利用対価として、貨幣に代わり、乙に対して以下の条件を認めるものとする。
1・遊園地開業後、甲は乙が遊園地内を自由に行動する権利を妨げてはならない。
2・遊園地開業後、乙の行動によって「行方不明者」が発生した場合、甲はそれを黙認しなければならない。
第3条(遊園地の設計)
1:甲は、乙が遊園地内を自由に行動するための器を提供しなければならない。また器の名称は乙の名前と近しいものでなくてはならない。
2:乙が居住する地下空間と遊園地とを結ぶ通路を、園内に設置しなければならない。
第4条(乙との接触について)
遊園地開業後、乙と接触できる人間は遊園地の管理責任者のみとする。他の誰にも乙の存在を知られてはならない。
第5条(契約の持続性)
本契約は、乙が十分な「行方不明者」を確保出来ないと判断した場合、乙側から一方的に破棄することができる。その結果発生した人命を含む損害について、甲は一切の意義を申し立てないものとする。
条項については後でまた触れますが、あの場所に遊園地を建設したい会社側と、大好物である子供が集まる狩場を欲していた「鬼虎」の利害が一致した結果が、この契約書なのです。
正直なところ私は、「鬼虎」の存在がより恐ろしくなりました。相手は人間と交渉し、自分に優位な契約を結ぶような知性を持っている。そのうえで人間を襲い、時に肉を食らいにくるのです。ただ本能のままに暴れまわるだけの怪物の方が、よっぽどましだったとさえ思えます。何を考えているのか分からないことと、何も考えていないことには雲泥の差がありますから。
その後、「鬼虎」は度々現場で目撃されながらも、契約を結んだことで作業を邪魔することはなくなりました。お近づきの印にと、上司が石造りの祭壇を地下へと搬入するよう指示したこともありましたね。
こうして虎倉井ブリーズワールドの建設は進んでいくのですが、その内容にもいくつか「鬼虎」との契約内容が含まれています。
例えば、「鬼虎」が棲む洞窟と園内を繋ぐために、洞窟の真上にタイガーフォレストを建設し、通路を介して「鬼虎」が自由に洞窟と園内を行き来できるような設計となりました。
また、虎倉井ブリーズワールドの人気マスコットキャラクターとなったキトラくんの誕生にも、この契約が大きく関わっています。
「鬼虎」は契約の第2条により、遊園地開業後に、園内で自由に動き回るための器を求めた。簡単に言うとこれは、そのままの姿じゃ出歩けないから、入れ物がほしいということです。そう、入れ物とは、キトラくんの着ぐるみのことを指します。名前も「鬼」に「虎」と書く「鬼虎」の読み方を変えて、「キトラ」となりました。入れ物の名前を「鬼虎」と似たものにすることも契約内容の一つです。怪物界隈の事情は私にはよく分かりませんが、器との間に親和性があった方が、体によく馴染み、生身のように自由に動けるのだそうです。
これが人気マスコットキャラクター、キトラくんの誕生秘話です。お客様の笑顔のためじゃない。怪物の顔色を伺うために生み出されたキャラクターなのです。どうですか? 夢も希望もない話でしょう。
こうして「鬼虎」との契約条項を盛り込みながら、虎倉井ブリーズワールドは完成しました。そしてそれは私にとっては、受難の日々の始まりです。
契約書にもありますが、園内で「鬼虎」と接触することができるのは管理者、すなわち遊園地の園長だけです。新たに建設された遊園地の園長といえば聞こえはいいが、虎倉井ブリーズワールドにおけるそれは、怪物と常日頃から接し、監視し続けなければいけない過酷な役職だ。加えて第5条によって、命の危険さえも付きまとう。そんな役職に就きたがる人間などいるはずがありません。貧乏くじを引かされたのが私でした。
自分でいうのもなんですが、私は大した取り柄もなければ、世渡りも下手で、出世なんてとても望めない。会社の片隅にただ存在している。そんな社員でした。私に社内の「生贄」として白羽の矢が立つのは半ば必然だったのかもしれません。
ですが、最終的に園長の仕事を引き受けることを決断したのは私自身です。危険が伴うかつ、ある意味では会社の暗部を見守る番人ですから、これまでの立場では到底望めなかった、高給も約束されていました。「鬼虎」の存在にさえ目を瞑っていればいいと割り切り、私は虎倉井ブリーズワールドの園長の職に就きました。
園長として、地下で初めて「鬼虎」と対面した際の恐怖は、今でも忘れられません。契約がありますし、向こうも今すぐ襲ってはこないと頭では分かっていましたが、相手は異形の怪物です。気まぐれに殺されてしまうかもしれない。全身の震えが止まりませんでした。ですが、「鬼虎」は人間と契約書を交わせるだけあって、流石に知性的でした。私と向き合うと、「これからよろしく頼む」と一礼してきたのです。「鬼虎」は人語を発しません。しかし頭の中に直接、そういった感覚が流れ込んできたのです。テレパシーのようなものを想像すると分かりやすいでしょうか。おどろおどろしい外見にはなかなか慣れませんでしたが、幾分か恐怖心が和らいだのは事実です。
虎倉井ブリーズワールドオープン初日は、正直生きた心地がしませんでした。地下に恐ろしい怪物が潜んでいるとも知らず、家族を連れを中心に多くのお客さん様が来園されている。もしもこの中で突然「鬼虎」が暴れだしたら一体どうなってしまうのか。園内が血の海と化すのではないか。そんな不安を抱えながら、激動のオープン初日が過ぎましたが、意外にも「鬼虎」はその日、地下空間から姿を現すことはありませんでした。怪物なりに遠慮してくれたのか、それとも知性を有するがゆえに、初日から騒ぎを起こすことは得策ではないと判断したのか。
オープンからしばらく経ち、少しお客様の勢いが落ち着いてくると、「鬼虎」はキトラくんの着ぐるみを着て、初めて園内に姿を現しました。その日は注意深く「鬼虎」の様子を伺っていましたが、園内を見学するように散策し、時折本物のマスコットキャラクターのように、子供たちと楽しそうに触れ合うこともありました。そうしてその日も平和に一日が終わった。もしかしたらそこまで恐ろしい存在ではないのではないか? このまま平和的に共存していけるのではないか? 古い伝承や、建設現場で作業員が命を奪われたことも忘れ、その時の私はそう思っていました。
園内で最初の行方不明事件が起きたのは、その翌日のことでした。私は直接その瞬間を見たわけではありませんが、午前中に「鬼虎」はキトラくんの着ぐるみを着て幼い男の子を地下まで連れ出し、捕食したと思われます。迷子センターに両親が駆け込み、迷子が発生したという情報はすぐに園内に共有されました。「鬼虎」の存在が頭を過りましたが、すぐに地下の様子を見に行く勇気はありませんでした。そもそも遊園地のような施設に迷子はつきものです。「鬼虎」とは無関係の通常の迷子かもしれない。そう願っていましたが、男の子はついぞ園内では見つからず、そのまま行方不明となってしまった。行方不明に遊園地側が関係していると疑われてはいけない。私は園長として、行方不明者の家族や警察への対応に追われる日々を送りながらも、何とかやり過ごすことができました。
確認のために地下へと入ったのは、男の子が行方不明になってから十日後のことでした。目新しい小さな人骨と、行方不明の男の子が着ていたのと同じ、血塗れの服を見た時の絶望感たるや。もう後戻りは出来ない。私も立派な共犯者なのだという現実を思い知らされました。
しかし、人間というのは恐ろしいものです。園内で子供が行方不明になる度に、私はそのことに徐々に慣れていった。全ては「鬼虎」がやったことであり、私が子供たちの命を奪ったわけではない。他人事のつもりで、事務的に淡々と「鬼虎」と接し、行方不明者が出た際の家族や警察への対応にも慣れ、それは作業こなすという感覚になっていった。それを何年も繰り返していくうちに、私にとって遊園地で子供が行方不明になることは何ら特別なことではなくなった。迷子の放送を聞いても、それが行方不明に発展しても、心を乱されることはなくなりました。むしろ契約が全うされ、自分の首がまだ繋がっていることに、安堵することえさえあった。ある意味では私も怪物になってしまったのかもしれない。いや、私はそんな大そうな存在ではない。ただの臆病者だ。
そしてこれまでの臆病のツケが、いよいよ私自身に回ってこようとしている。ここ数年、虎倉井ブリーズワールドの来場者数は減少の一途を辿っている。バブル崩壊以降、来場者は緩やかに減少を始めたが、それに加えて、理由は表沙汰になっていないながら、虎倉井ブリーズワールドで子供行方不明が多発しているという事実は残り、その悪評も客足減少に拍車をかけている。バブル崩壊の影響もさることながら、行方不明者が多い遊園地に、段々と客が近づかなくなっていくのは必定だ。異形の怪物と契約を交わし、この場所に遊園地なんて建てた時点で、いずれこうなる運命だったのでしょう。
この現状に「鬼虎」は大変ご立腹で、地下へと呼びつけられる回数も増えている。そんな状況下で、経営不振によって虎倉井ブリーズワールドの閉園が決まったと伝えれば、第5条により、「鬼虎」は間違いなく契約を打ち切るだろう。その結果発生した人命を含む損失について、会社側は一切の意義申し立てを行わない。命の損失がせめて、私一人で済めばよいのだが。お飾りの園長とはいえ、流石に何も知らないスタッフたちを巻き込むのは気が引ける。
私はどのように殺されるのだろう。やはりあの大きな口と牙で噛み殺されてしまうのだろうか? 多くの子供たちを見殺しにしてきた私に救いを求める権利などないが、せめてあまり痛くないといいのですが。
私は明日、「鬼虎」に虎倉井ブリーズワールドの閉園が決まったことを伝えにいきます。冒頭でもお伝えしましたが、皆さまがこの映像をご覧になっている時、私はすでにこの世にいないでしょう。あるいは遺体すらも発見されず、行方不明のままになっているかもしれません。
私が残したこの映像が、未来における真相究明の一助となれば幸いです。
園長の手がカメラへと伸び、撮影が終了。映像はここで終わっている。



