虎倉井ブリーズワールドの思い出を募集しています

 情報提供者:Aさん

 突然の不躾なお手紙、ご容赦ください。ご遺族様のご心痛は、察するに余りあり、私のような者が筆を執るべきか最後まで悩みました。微力ではございますが、真相究明のお手伝いが出来ればと思い、こうしてお手紙を送らせて頂きました。

 私は虎倉井市在住で、旧虎倉井ブリーズワールドを巡る連日の報道に、大変驚いております。同時に、35年前に病気で亡くなった父のことをよく思い出すようになりました。

 今から43年前。虎倉井山を切り開き、遊園建設を強行しようとする建設業者側と、それに反対する住民側との間で激しい衝突が起こり、機動隊が出動する騒ぎとなったことがあります。私の父は当時、反対派の中心メンバーの一人でした。

 裏金疑惑など、色々と黒い噂の絶えない開発計画ではありましたが、父たち反対派が問題視していたのはそこではありません。虎倉井山という場所を切り開き、そこに遊園地を建設するという行為そのものを危険視していました。
 虎倉井山には古来から伝承があり、恐ろしい神様が棲んでいると考えられているそうです。私の世代ではもうあまり馴染みがなく、詳細は知らないのですが、父やそれよりも上の世代の方は、この伝承をとても恐れていました。それが反対運動の根幹にあったようです。

 しかし、様々な疑惑はあれど、建設業者側は正規の手順を踏んで開発に臨んでいますし、あまりこういうことを言いたくはありませんが、伝承だけを根拠にした反対運動など、感情論だと一蹴されてしまうだけです。反対派は徹底抗戦し、建設業者側と何度も衝突を繰り返しましたが、力及ばず。皆さまもご存じの通り、あの場所には虎倉井ブリーズランドが建設されました。

 その後、反対運動に参加していた住民は、次々と虎倉井市から転居していきました。切り開かれた虎倉井山に建つ遊園地の姿を、毎日目にすることに耐えられなかったのかもしれませんが、誰もが何かを恐れ、まるで逃げるように転居していったことが、幼心に強く印象に残っています。建設は成功したのだから、その頃になって建設業者側から何らかの嫌がらせを受けた、ということは流石にないとは思いますが。父が反対派の中心メンバーだった我が家には、特に嫌がらせは行われませんでしたし。

 反対運動に参加していた住民が次々と転居していく中でも、父は虎倉井市に残り続けました。しかし、反対運動が失敗したことで意気消沈してしまったのか、たくましかった背中が丸まり、すっかり小さくなってしまっていました。
 父は亡くなるまでの間、ずっと虎倉井ブリーズワールドのことを注視していました。園内で子供が行方不明になったという話を聞くと、青ざめた顔で畳に拳を打ち付け、時には涙を流すことさえもありました。まるで己の無力を悔いているかのように。その度に父は、「あんな場所に遊園地なんて建てるからだ」と、嘆くように何度も呟いていました。病床でもそれは変わらず、父は最期の瞬間まで、あの場所に魂を囚われていたのだと思います。

 一連の報道を介して、行方不明者の数を遥かに上回る、大量の子供の人骨が発見されたとのお話を耳にしています。もしかしたらこの大量の人骨というのは、父たちが恐れていた虎倉井山の伝承と何か関係があるのではないでしょうか? そんな気がしてなりません。何が父を反対運動に駆り立て、どういった無念を抱えて亡くなっていったのか。事件の真相を知りたい気持ちは私も皆さまと同じです。

 突然のご連絡でお心を乱してしまったかもしれません。この情報が少しでもお役に立てば幸いです。

 一日でも早く、ご遺族様の心に穏やかな日が戻ることを、切に願っております。