一匹狼と妖精さん

 それは夢見心地だった。
二つ並んで光るスマホリング。
それだけで、言葉にせずともきっと気持ちは同じなのだと信じられた。

 二月。
それは逃げるように過ぎていく月、まさにその通り。
三年生はほとんど登校しなくなり、それは例外なく嵐さんとて同じだった。
学校に来ても嵐さんはいない。
昼休みを一緒に過ごすことはできない。
もちろん、一緒に帰ることだって……
 そんな僕でも、ただひとつ変わったことは、教室に入ったとき、部活に行ったとき、もう一人ではないということ。
学園祭以来、僕は少しずつ人と話すことが怖くなくなってきていた。
僕のまわりにいる皆が、僕に変われるきっかけをくれたんだ。
あの日の石山君とも、今では友達と言える関係なのかもしれない。
今日だって、まさか彼と恋バナをする日が来るなんて思ってもみなかった。

「それで、誕生日のお誘いはまだ来ないわけ?」

石山君の追究にたじろぐ。

「…うん…。で、でもさ、仕方なくない?
ほら、三年生ってほとんど学校来てないしさ…
そ…それに、今、教習所に通ってたりで…い、忙しいんだよ、きっと……」

僕の苦しい言い訳は、あっさりと論破される。

「いやいやいや、それとこれとは別だから。
そんなこと言ってるうちに、次は卒業したから、学校が忙しいだろうから、バイトもあるから…とかなんか言ってだんだん疎遠になって、自然消滅…なんてこともあり得ないことじゃないよ?」
「し、自然消滅……?!!」

それは確かにあり得なくもない…とはいえ……

「で、でもさ、誕生日だからって、自分から誘うとか…なんか、なんというか……」
「そう!それな!
船木君にそんなことまで考えさせるとか…無いわ。
サプライズのつもりかは知らないけど、そろそろお誘いがあっても良い頃だって!
実際、バレンタインだって何もしてないんだろ?」
「あ…あれはさすがになんというか……」

女性客でごった返すチョコレート売場に立ち尽くす自分を想像して言葉に詰まる。

「まぁ、誕生日も近いし、船木君の性格的に『気が引ける…』なんて言い出しかねないし、そこはあの人も承知の上なんだろうけど。
でも誕生日は別だよね?
船木君だってプレゼントあげたんだよね?
マジで!無いとは思うけどこのままお誘い無しなんてことがあったら、俺は黙ってないから。マジで!!無いとは思うけど」

石山君が念押ししたところで予鈴が鳴り、午後の授業のために席に着く。
そんなやり取りを経て、誕生日の三日前に連絡が来たことを話すと、『まさかじゃないけど、忘れてた…なんてことはないよね?』なんて言われて、笑って濁すしかなかった。
 
 迎えた僕の誕生日。
嵐さんが用意してくれたプランは、僕には勿体ないくらいに充実していた。 
以前から気になっていたアートミュージアム、ランチにケーキ、そしてお揃いのプレゼント…
直前に知ったとはいえ、慌ててお揃いのキーホルダーを用意しただけの僕とは格段に違った。
嬉しくて思わずはしゃいでしまう僕に、嵐さんが穏やかな笑顔を向けてくれるものだから、僕だけが嵐さんの気持ちを独り占めしているみたいで嬉しくて仕方なかった。
そして今日も、僕の手の中のスマホにはお揃いのスマホリングが光っているのだ。
 大丈夫、きっと僕らはこの先も。
…ずっと一緒にいたい。
その言葉を伝えられたなら、不安が過ぎる瞬間なんて無いのかもしれないけれど……

 三月。
去り行く月に、僕の想いは置き去りにされていく気がしていた。
伝えたい、でも怖い。
伝えていいかな、伝えさせて……
 卒業式の当日。
僕は一件のメッセージを送った。
式典には三年生と二年生が出席し、一年生は部活等の集まりがある者だけが式の終わる頃に顔を出すというスタイルのようだ。
僕が学校に着いた時には、式を終えた三年生はホームルームの後、散り散りに部活の集まりに行ったり、友達同士で集まって写真を撮ったりプレゼントを渡し合ったりしていた。
僕も急いで美術部の集まりに参加する。

「うむ。全員揃ったようだな。
改めて皆、我々美術部の最後の集いに参加してくれてありがとう!」

村前先輩の快活な声が響く。

「ちょっと、なんで月子がこの場を仕切ってんのよ。
ここは新部長に任せるところでしょ」
「そうだった、すまない。
皆の顔を見たら感極まってしまった」
「そこが月子たるところよね、良くも悪くも...」
「あぁ、これからは冴の毒舌を聞けなくなると思うとなんとも寂しい限りだな」
「だ、誰が毒舌よ?」

出だしから夫婦漫才をかました三年生の二人を、顧問の西岡先生が制止する。

「二人とも、そろそろ話を先に進めないか?」

場が落ち着いたところで、二人の卒業と新たな門出を祝うべく、新部長の挨拶や部員皆で用意したプレゼントを渡したり写真を撮ったりと最後のひとときを過ごした。

「今日は本当にありがとう。君達がいれば、美術部の今後も安泰だ。
君達には大いに期待しているのだよ。
それに……」
「月子、その辺で充分よ。
見て、他の部の集まりも解散し始めているわ。
そろそろウチも皆を解放してあげないと……」

本庄先輩が目配せするように村前先輩を制止すると、納得したように『では、これにて』と美術部の集まりは解散となった。
ポケットのスマホを確認して校門の外に向かう。
同じく校門へ向かう三年生の二人が、こっそり僕に声をかけた。

「船木少年。君には特に期待しているから、美術部のこれからをよろしく頼んだよ!」
「月子、あまりプレッシャーを与えないであげて」

村前先輩を制止して本庄先輩が僕に耳打ちする。

「…伝えたいことは、ちゃんと伝えてくださいね。」

相変わらず恐ろしい人だ。
それを更に制止するように村前先輩が声を張る。

「それでは、また会う日まで!」

そうして二人は手を取り合って校門を後にしていった。

 校門を出て嵐さんの姿を探す。
門の手前の桜の木の下で、小さな花束を片手にスマホの画面とにらめっこの姿を見付けた。

「嵐さん!」

僕の声に顔を上げた嵐さんに駆け寄る。

「水澄、来てくれたんだな」
「はい、お待たせしてしまってすみません。
…あ、あの…卒業…おめでとうございます!」

本当は、学校で会えなくなるのは寂しい。
二人で過ごす昼休みも帰り道も、もう二度と無い。
追い討ちをかけるように『自然消滅』の言葉が過ぎる。
そんな気持ちは飲み込んで、精一杯の笑顔で祝いの言葉を伝えた。

「ん。ありがと」
「…それと…これ、卒業祝いになるかわからないですが……」

僕の差し出した紙袋を、驚いたような顔で見つめていた。

「え…?良いのか…?
めっちゃ嬉しいんだけど……」
「…そ、そんな…たいしたものではないですが……」

僕が恐縮して目を伏せると、嵐さんは人目も気にせず僕を抱き寄せた。

「なぁ…水澄、この後まだ時間あるか?」
「はい…僕も、もう少し一緒にいたいです」

 学校からしばらく歩いた先、公園へと続く道を歩いた。
まだ寒さの残るこの時期は、人通りも少なければ卒業生と思しき姿もほとんど無い。
きっと今頃は、大路テラスやどこかの商業施設になだれ込む卒業生が多いのだろう。
そんな話をしながら公園に着くと、近くのベンチに腰掛けた。

「これ、開けてみても良いか?」
「あ、はい。でも…あまり期待しないでくださいね」

僕の不安をよそに嵐さんは包みを開いた。

「あ、これ、めっちゃ肌触り良いやつ!」
「…えっと…これから必要になるかな…と思って……」

僕が贈ったのは、肌触りや吸水が良いと評判のタオルだった。

「めっちゃ嬉しい。これから絶対要ると思ってたんだ。
…大事に使うからな」

嵐さんは僕の頭をポンポンと撫でると再び紙袋に視線を戻した。

「まだ何か入ってる……」
「あの…それは……」

嵐さんが手に取ったそれは、手作りのクッキーだった。

「…その、今更ですが…バレンタイン…何もできなかったなと思って…
でも、ちょうどホワイトデーも近いですし……」
「え?水澄が作ったのか?」
「あ、味は保証できませんが……」
「え、今食べたい。食べさせて。」

おずおずと一枚、嵐さんの口に運んだ。

「美味い。
…つーか、それを言うなら俺もなんだけどな。
バレンタインなのはわかってたけど、ガラじゃねーし、教習所通いを理由にスルーしてた……」

嵐さんが視線を落とす。

「来年は…一緒に手作りしても楽しそうですね……」
「…来年……?」

しまった。
これは僕の勝手な願望。
来年のことなんてわからないし、そもそも嵐さんがそこまで望んでくれているかも確かめていない。
いつか来るかもしれない終わりの時を、幾度となく考えない訳じゃなかったのに。
…ここにきて、この願いを口にするのは……
嵐さんは、このタイミングを逃しはしなかった。

「水澄は…俺が卒業して、それから先も一緒にいたいか?」
「え?…と…それは……」

こわばるように喉の奥がつかえて言葉が出てこない。
心拍だけがドクドクとうるさく脈打っている。
僕の答えを待たずして、嵐さんが言葉を続ける。

「俺は...俺は、ずっと水澄といたい。
卒業して、進学した後も、その先もずっと…水澄と一緒がいい。
…もちろん、多様性の時代とはいえ、まだ偏見や障害があるのも重々承知してる。
それでも、水澄とだったら乗り越えられる。
俺はそう信じてる……」

僕が伝えたくて、でも口にするのが怖くて仕舞い込んでいた言葉を、嵐さんが全て打ち明けてくれた。

「…水澄?」

嵐さんの手が、そっと僕の頬を撫でていった。
涙だった。
無意識のうちに流れ出したら止まらないそれを、嵐さんの手が拭っていく。

「僕も…僕も、嵐さんと一緒がいい。
ずっと…ずっと…離れたくない。
卒業しても、進学しても、就職しても…
嵐さんとしたいこと、嵐さんと行きたい場所…まだまだいっぱいある。
…嵐さん、ずっとずっと好き……」

溢れ出す言葉の勢いのままに、嵐さんの胸に顔を埋めて抱きついた。

「良かった…気持ちは一緒だったんだな…
水澄、ずっと一緒にいような。
これからも二人でいろんなこと経験していこうな。
俺も、ずっとずっと水澄が好きだ……」

『気持ちは一緒』という言葉が何度も心を打つ。
嵐さんは僕の頭を撫でながら抱き締め返した。
僕はこの手を絶対に離しはしない。