一匹狼と妖精さん

 
 「水澄、今日…ウチ来ないか?」
「え…?」

 五限どころか、六限もサボって早退までしてしまった。
見た目こそこんな成りはしてるとはいえ、授業は真面目に出ていた俺にとっては初めてのサボりだ。
しかもあろうことか、そのまま水澄を家に誘っているときた。

「あー…いや、さっきはちゃんと話せなかったから…
落ち着いて話したい…っていうか……」
「…はい。
僕も嵐さんとちゃんと話したいです」

下校時刻にはまだ早い帰り道を、二人手を繋いで歩く。
水澄の小さくて柔らかい手のひらの感触は、それだけで傍に居られる事が現実なのだと再確認させられる。

 部屋に着くと、すぐにでも抱き締めたい衝動をぐっと堪えてローテーブルを前に並んで座った。
果たして、何からどうやって切り出したら良いものか……
居たたまれなさすら漂う沈黙を破ったのは、水澄の方だった。

「嵐さん。
あの…えっと、学祭の…
ミスコンの僕、…びっくりしました?」
「あー…、すっげぇびっくりした」
「なら、ドッキリは成功だったんですね」
「ドッキリ?」
「えっと…ドッキリっていうか……」

水澄自身も戸惑いつつ、言葉を探しながら話を始めた。
ギュッと手を握り込む仕草は、何かを伝えたい意思の表れなのだろう。

「最初は…なんか成り行きっていうか、あれよあれよって感じで話が進んじゃって。
僕の意思は置き去りのまま断れない状況だったんです。」
「やっぱり…そんな気がしてた……」
「でも、それだけじゃなかったんです」

言葉の続きを促すように視線を向ける。

「僕の目を見たクラスの皆に…気持ち悪がられるって思ったら、思いの外、肯定的なリアクションで…。
その…皆が皆そうなわけじゃなかったかもしれないけど、むしろ視力の事まで考慮してくれて…。
それなら僕も応えたいなって思ったんです」
「そうだったのか…」
「それに…嵐さんにもびっくりして貰えたら、最初で最後の文化祭の思い出の一つにもなるかな…なんて……」
「確かに…。
まぁ…水澄が嫌じゃなかったんなら、何も悪いことじゃないだろ?」
「そう、なんですけど…
嵐さんは、嫌な気分になったりしませんでした?
それとか、僕が……」

水澄の言葉の続きを遮るように否定した。

「そんなこと思ってねーよ。
思ってねーけど、ただ…嫉妬した」
「嫉妬…ですか?」
「うん。めちゃくちゃ嫉妬した。
そりゃ...だって、嫉妬するだろ……」

あのイケメン執事が水澄を姫抱きにした光景が、そして水澄の手を引いて連れ去る光景が、頭の中で再生される。
首を傾げて俺を見遣る水澄の頬に手を添え、指で前髪を払った。

「…嵐さん?」
「水澄の綺麗な目も、可愛い顔も、俺以外の奴らに知られてしまったんだから……」
「…えっと……」

明らかに困らせてる自覚はある。

「水澄の綺麗な目も、こんなに可愛い事も、俺だけが知ってればそれで良いのに…
水澄の傍にいるのも、水澄に触るのも、俺だけがいい……」
「…あの、嵐さん?」
「そんなの無理なことも、可笑しい事言ってるのも重々承知だけど、この感情は止められないんだ。
こんなドロドロした感情、どうかしてるだろ?」

水澄への想いを口にしだしたら止まらなくて、水澄の顔を、目を、まともに見られない。

「あの…嵐さん…
僕の姿見て、僕が女の子だったらって……」
「思うわけないだろ?」

即答で否定した。

「でも、あの日…
ショーが終わってから、たまたま聞こえた話し声で…
僕、なんだか不安になってしまってて……」
「話し声?」
「ミスコンのこと話してたみたいなんですけど、『準備グラのやつ、可愛かったよな』って話から、『一年であんな奴いたか?』とか、『あれがマジで女子なら最高』とか『普通に付き合いたいよな』とか。」

水澄の話を聞きながら、頭を抱えたくなった。

「けど…『でも、結局あれでも男だろ』って。
『見た目が可愛くても同じモン付いてんだろ、普通に萎えるだろ』って…
嵐さんは絶対そんなこと思うはずないってわかってるのに。
それに……」
「それに?」
「あの…嵐さんと会えずにいた間に…クラスメイトの……」

再び、水澄が手を引かれていく光景が目に浮かんだ。
あの後何があったのか知りたいけれど、知りたくない。
それは、なんとなくその先の展開を予想できてしまったから。

「えっと、ショーの時に執事をしてた男子に、その……」

言うな。

「『付き合わないか?』みたいな事を言われて…」

それ以上は…

「…その…キス、されそうになって……」

やめろ。

「も、もちろん拒否したし断りましたよ!
僕が好きなのは、嵐さんだけですから!」

言葉が出ない。

「…でも、なんだか後ろめたいみたいな気持ちになって……」

何て答えたら良いのだろうか。
不安気に目を伏せた水澄を、ただ抱き寄せるしかできなかった。

「水澄は何も悪くない。
後ろめたさなんて感じる必要なんてないし、水澄は水澄で良いんだよ」

言葉ではそう言いながらも、許せなかった。
水澄に自覚が無くて隙だらけなことも、それ以上にそんな水澄の事をあわや手離しそうになっていた自分自身にも。
心のどこかで、水澄はちゃんと俺のもとに戻ってくるのだと慢心していたんだ。

「…嵐さん」
「言っただろ?
水澄は水澄だから良いんだって」

俺の言葉に頷くと、水澄は抱き合うように俺の背中に腕をまわした。

「嵐さん、僕…やっぱり嵐さんと一緒にいたいです。
離れてるのなんて嫌です」
「俺も一緒。
水澄が傍にいないなんて、考えられない」

 それから先は、言葉なんて要らなかった。
お互いに引き寄せられるように唇を重ねた。
柔く啄むようなキスがもどかしくなって、やがて甘く深くなっていく。
 キスだけでは到底足りなくて、ベッドの上に水澄を押し倒し両手をシーツの上に縫い止める。
唇が離れ、水澄の顔を見遣ると、何度も見てきただろう蕩けた表情に、またしても息を飲んだ。
それは俺だけが知っている水澄の表情。
 白い首筋に噛みつくように唇を這わせる。
シャツの襟でギリギリ隠れる場所に紅い痕が残った。
その視覚的な刺激に火が付いたように、夢中で水澄のベストを脱がせ、シャツの釦を外して寛げる。
日に焼けていない柔らかな白い肌に何度も唇を寄せる。
時折眉をしかめる表情には構いもせずに、鎖骨、胸元、脇腹へ点々と紅い痕を残していった。
これは独占欲以外に何と言えようか。
そしていつの間にか存在感を増した胸の飾りに、欲情を煽られるように舌先で触れる。
その瞬間、びくりと跳ねた水澄の体に構うことなく舌での愛撫を続けた。

「…んっ……」

水澄の甘い声が漏れる。
もどかしげに揺れる腰に、更に欲情を焚き付けられるようだった。
 勢いのままにベルトを外し、スラックスと下着を同時にずらすと細い腰が露になる。
明らかに刺激を欲しているその欲に手を添え、口に含んでやった。

「だ、ダメです!嵐さん‼」
「ダメじゃない」

慌てて逃げようとする腰をがっちり掴んで引き寄せる。
俺の水澄…可愛い可愛い俺だけの妖精。
その全てが愛おしくて、執着するほどに止まらない想いを刻み付けて知らしめたい。

「そ、そんなとこ…汚ないから…!」
「汚なくなんかない」
「や…で…でも……」
「水澄の全部、俺だけのものにして…可愛がりたいんだ」
「あ…ん……でも……あっ…やっ……」

次第にまともな言葉を発する思考が奪われているのだろう。
そこに追い討ちをかけるように、裏筋に舌を這わせるようにしゃぶりあげた。

「でも…?
こうすると、気持ちいいだろ?」
「あっ…あっ…や……だ…
僕ら…け…こん…な…の……」

理性と欲情とに翻弄されて、涙目になっている水澄の体を抱き起こし、向かい合わせになる形で膝の上に座らせる。
当然、お互いの欲と欲とが触れ合う形になるわけで……
 そこから先はただ欲情のままに、二人分の欲を握り込んで擦り上げた。
俺にしがみつくのがやっとの様子の水澄が、上半身を仰け反る度に突き出される胸を舌で苛める。
強すぎる刺激から逃れるように浮かせようとする水澄の腰を、離すまいと強く掴んでひたすら快感だけを求めた……
 水澄の全部、俺だけのもの。
俺の全部も、水澄だけのもの……
お互いの熱が爆ぜて脱力した水澄が俺に抱き付くようにしなだれかかる。
力の抜けた腕が俺の背中にまわる。
感情と欲情が先走って、無茶をした自覚がじわじわとわき上がってきた。
 俺にしなだれかかったまま、背中に触れているだけだった掌は、やがて俺の肌の質感をなぞるように撫で始めた。

「…水澄……?」

水澄は俺の膝の上から降りると、気だるい動きで俺の背中を覗き込んだ。
そして息を飲んだのがわかった。

「嵐さん、この痣……」
「あぁ、痣…な。」

隠していた訳ではないけれど、進んで話したい訳でも決して無い。
けれどいつか…気付かれたのなら尚更、水澄にはちゃんと話すつもりではあった。

「俺の親父…前の親父のこと、話したことあっただろ?」
「確か…、暴力が…って……」
「そう、そのクソ親父。
俺が中学の時、あいつがさ…いつもみたいに酔って母親に暴力振るってて。
で、止めに入った時に負わされた火傷の痕なんだ」

 今でも目に浮かぶあの時の光景。
熱さと痛さに呻き悶える俺を見下ろす親父の冷たい表情。
そして慌てふためく母親の青ざめた表情。

「そんなこんな大きな痣ができるような火傷……」
「まぁ…さすがに大騒ぎになって、それがきっかけで離婚が決まったんだよな……」

俺の話を聞いた水澄は辛そうに目を伏せる。
その目には少し、涙が滲んでいた。

「それにさ…俺にこんな痣があったら、根も葉もない噂が立つのも当然でさ……」
「…噂?」
「そう、俺こんな顔だからさ…
他校のやつらと派手に喧嘩しただとか、ヤクザの洗礼を受けてきただとか…好き勝手なこと吹聴されんのな」
「……」

口元を両手で覆う水澄は言葉が無く、ただ一筋の涙を流した。

 「水澄がそんな顔すんなよ」

水澄の涙を拭い、頭をポンポンと撫でてやる。
再び俺の背中側に回り込んだ水澄は、そんな背中の痣に、指先で撫で、頬を寄せ、唇で触れた。
くすぐったいような、それでいてとても優しい感触。
それはまるで、俺の体と心の傷痕を癒し慈しむかのようだった。