『屋上で待ってる』のメッセージ。
あの人からだ。
昼休み。
今日はどうしてやり過ごそうかと考え始めた僕のポケットで、スマホのバイブが震えた。
画面を開いて確認したメッセージ。
どうしよう…なんて。
何を今更悩む必要があるのか。
もう答えは出ている…と、自覚していたはずではないか。
それなのに、いざ顔を合わせるとなると……
いつも僕は土壇場になって怖じ気付いてしまうのだ。
意を決して屋上の扉を開く。
それはいつもよりもずっと重く感じた。
その先にはいたあの人は、初めて会った時と同じ場所で、あの時と同じように手すりに凭れて向こう側を眺めていた。
風に揺れる髪。
大人びた背中。
扉を閉める音で僕に気付いて振り返る。
その光景が、いつかの光景とリンクする。
そうだった。
初めて出会った時も、こんなシチュエーションだったんだ。
「…水澄……」
「嵐さん…僕……」
これまでのことを取り繕う言葉なんて、何一つ出てこなかった。
ただ一直線に嵐さんに駆け寄る。
抱き止められた腕の中は温かくて、嵐さんの顔を見たら気持ちが溢れるばかり。
「水澄、ずっと会いたかった」
優しく髪を撫でる手。
「僕も…嵐さんのこと、考えない日なんて無かったです」
僕の全部を包み込んでくれる腕。
「水澄は…
水澄は、まだ俺のこと…好きか?」
眉を下げて僕の顔を覗き込む。
「好きです…。
ずっと大好きです。
嵐さんがいなきゃ、僕は僕でいられないくらい……」
胸に顔を埋める。
触れた肌から、抱き留められた腕の強さから、耳の奥に響く心音から…
嵐さんの存在を実感する。
「俺も…水澄が好きだ。
…俺の水澄……可愛い水澄。
…俺だけの…妖精……」
嵐さんの声が、言葉が、擽るように僕の心を満たしていく。
時間を忘れるほどに、ただその場で抱きしめ合っていた。
呼吸が整い、心の波が凪いでいく。
顔を上げて嵐さんの顔を仰ぎ見れば、お互いの視線がかち合った。
再び込み上げてきた言葉にならない想いは、貪り合うようなキスで満たしていく。
誰もいない静かな屋上で、二人分の吐息と甘い水音に耳を侵された。
離れた唇を繋いでいた余韻の糸が切れる。
頬を染め切羽詰まった表情の嵐さんは、僕の手を引いて駆け出した。
階下の用具室の奥に僕を引き込むと、噛みつくように再び口付けた。
言葉はおろか、乱れた呼吸ごと飲み込まれていく。
酸素も思考も奪われていくようで目眩がしそうなのに、その感覚さえも心地好く感じてしまう。
息を荒げ僅かな隙間さえも赦さないほどの濃密なキスを続けながら体を引き寄せられると、お互いの欲が制服の布越しに擦れ合った。
逃げ場のない薄暗くて狭い空間に、湿度の高い熱気が籠る。
快感を拾うように腰が揺れるのに、布に隔てられているのがもどかしい。
逸る手つきでお互いのベルトを外し前を寛げると、欲情に濡れた欲同士をを擦り付け合った。
嵐さんの大きな手が二人分の欲を握り込み、扱き上げる動きに僕の手を重ねた。
愛情と劣情に身を任せる。
乱れた吐息と厭らしい水音が聴覚を占領した。
朧気に予鈴が聞こえた気がしたが、そんなことを気にする余裕など持てるはずも無かった。
お腹の奥からせり上がってくるような絶頂感に、吐息と共に声が漏れると、その口を塞ぐように嵐さんの舌が捩じ込まれる。
こんなキスをされてしまっては……
二人分の熱が弾けて双方の手を汚す。
蕩けた目で嵐さんの顔を身遣れば、荒い息を吐きながらギラついた瞳が僕を捉えていた。
その様子に息を呑むと、嵐さんは我に返ったようにハッとしてかぶりを振った。
「…水澄…
このまま五限、サボッちまおうか……」
黙ったまま頷くと、嵐さんは僕の手を引いてドアを開け、誰もいない事を確認すると、そのまま駆け出した。
嵐さんが進むままに手を引かれ、辿り着いたのは保健室だった。
カラカラと引戸を開いて中を伺うが、カーテンが開いた空のベッドが並び、養護教員もいなければ休んでいる生徒も誰もいない様子だ。
僕の手を掴んだまま、室内を進む。
一番奥のベッドの上へと僕を促すと、嵐さんもその脇に腰掛けカーテンを閉めた。
「良いのかな…?」
「こんな顔のままで水澄を教室に帰せるわけないだろ」
自分の頬に手を当てると、上気したように火照っているのがわかる。
「先生に…何て説明したら……」
「そんなの、『具合い悪そうにしてたから連れてきた』とか何とか説明してやるから」
「嵐さん……」
「大丈夫だ、気にすんなって」
柔らかく笑う嵐さんの顔を見たら、少しずつ気持ちが落ち着いていくようだった。
それと同時に僕のお腹の音が盛大に響いた。
本当に僕のお腹ときたら、いつも変なタイミングで空気を変えてしまうんだから。
恥ずかしさに思わず俯くしかなかった。
「そういや昼メシ、食いそびれてたよな」
「そうなんですよね……」
嵐さんの手には、まだ手付かずのお弁当が入った僕のバッグとコンビニ袋が握りしめられていた。
「誰もいねぇし、今ここで食っちまおうか」
「そう…ですね」
授業をサボって、誰もいない保健室で昼食を食べているなんて、見付かったらきっと叱られそうだ。
けれど、なんだかこっそり秘密を共有してるようでもあって楽しかった。
空になった弁当箱をバッグに仕舞う。
そしてまた二人、目が合うとイタズラが成功したかのように笑い合った。
不意に手を伸ばして触れた嵐さんの髪。
以前と違って黒く染め直され、幾分短くなっていた。
「黒髪も似合いますね。」
「あぁ…これか?」
「前の…シルバーアッシュもキレイで好きでしたけど、黒髪もかっこいいです」
「…まぁ、そろそろ進学の事も考えて…って感じだな」
『進学』という言葉に、嵐さんと一緒に過ごせる高校生活があとどれくらいなのかと、考えが及ばずにはいられなかった。
それを察したのだろうか、嵐さんは僕の頭を撫でた。
僕の頭を撫でながら嵐さんが柔らかく笑って、その笑顔が次第に真顔になって近付いてくる。
それと連動するように、僕の鼓動が早くなっていく。
後数センチ、僕が目を閉じたその瞬間、『ガラリ』と保健室の扉が開く音に慌てて二人の距離を取る。
「あら?
来てたのに、ごめんね。
具合、悪いの?大丈夫?」
突然の来訪者に、二人の動きが止まる。
養護教員なのだから、保健室に来るのは当然なのだが。
「あー…なんか、具合悪そうにしてたんで連れて来たんですけど……」
「あの、すみません…勝手に……」
「私の方こそちょっと用事があったものたがら、席を外してて…
お昼は?食べた?」
「あ、はい…」
「食べられてるなら大丈夫とは思うけど、一応……」
そう言って養護教員は僕の検温をしたり、体の状態を確認した。
「熱は無いようだけど…ちょっと貧血気味かしらね。
一応六限も休んでく?
それとも早退でもいいんだけど…
どちらにせよ担任の先生には伝えておきたいから、クラスと名前を教えてくれるかしら?」
養護教員に促されるままに用紙に記入したり伝達事項を済ませると、嵐さんに付き添われながら早退する運びとなった。
「じゃあ国分くん、あとはよろしくね」
「はい、お世話になりました」
保健室を後にすると二人また顔を見合わせて笑った。
