一匹狼と妖精さん

  
 「あれ?…嵐じゃないか?!」

帰り道とは逆方向に坂を下っていく道中、思わぬタイミングで声を掛けられた。
それは、見覚えのある懐かしい顔。
心なしか若干大人びたように見える彼は、中学時代の陸上仲間だった。

「え?│賢《まさる》か?!
え、めっちゃ久しぶりだな!」

 あの頃とはすっかり変わり果てた出で立ちとなった俺に気付いたのも然ることながら、それには気も留めずに声を掛けてきたことにも驚いた。
…いや、そもそも賢はそういう奴だったか……
賢も含めかつての陸上仲間だけは、一匹狼がすっかり板についた俺にとって、当時の数少ない『友達』と呼べる存在だった。

「確か、嵐とは中学卒業以来だよな?」
「そう…だっけか。
近くにいても案外会わないものなんだな」
「言えてる。学校だって私鉄で二駅の所だから割りと近いしさ。
どっかでニアミスしててもおかしくないよね」
「気付いてないだけで、それもあり得るよな。
テラスとかたまに行ったりしたし、いおりの幼稚園もこっち方面だしな」
「そっか…いおりくんも、もう幼稚園かぁ…
お迎えとか行ってあげたりしてるんだね。
嵐、いいお兄ちゃんしてるんだな」
「いや、店が忙しい時とかだけな」

 偶然の再会を素直に喜んでいる様子だったが、続く俺の問いに賢は少し表情を曇らせた。

「ところで、賢は陸上続けてたんだっけか?」
「あー…うん、…陸上部には入ったんだけど…
結構怪我に悩まされた感じだったかも。
一年の冬に靭帯やっちゃって……」
「マジか…」
「復帰したら今度はシンスプリントでさ…
だから高校では駅伝にも出られ無かったし。
最後の大会も、思うような記録は出なかったんだよな……」

何気ない質問だったはずなのに思いがけずヘビーな返答が返ってきて、かつての仲間達の近況まで訊くことはできなかった。

「そっか…そんな状況だったとは…
知らなかったとはいえ、無神経なこと訊いてしまったな」
「いや、気にすること無いよ。
元々、進学を見越して高校決めてたから。
その分、今は勉強に集中してるよ」
「…賢は強いな」
「そんなことはないよ。
さすがに当時は穏やかではなかったからさ……」

 賢の通ってる高校は、進学校でありながらも陸上部は県内でも強豪に部類されていた。
それを踏まえて陸上部に入った訳だから、計り知れないやりきれなさがあるであろうことは優に想像できる。
それでも今は前を向いて次の目標を見据えているのだから、その強さにはやはり尊敬に値する。
方や高校入学早々に謹慎を喰らった俺は、陸上を続けるどころか生徒指導には目を付けられ、進路を本格的に決めたのも最近になってからだ。
どこかしらから俺の謹慎のことが噂として流れていたならば、賢の耳にも入っていたかもしれないわけだが……

 「…ところで賢、今日はどこか行くのか?」
「あ、そうだった。テラスの本屋に参考書を見にいくつもりでさ。
あそこの本屋、品揃え豊富だろ。」
「確かに。俺もたまに行ってる」
「そういう嵐は?
今日は何か予定とか…?」
「あー…ちょっとな……」

答えに詰まって言い淀む。
続けざまに「嵐は陸上は…」と言いかけた賢の声が、賢の背後からの言葉で阻まれた。

「ところで今日は船木君は一緒じゃないんですか?」
「うわっ!本庄?!
どこから湧いてきた?」
「さっきからいましたけど?」
「そ、そうなのか……」

賢の影から出てきた本庄は、俺が水澄と一緒ではないことに、あからさまに怪訝な様子だ。

「で…、最近あまり一緒にいないようですが?」
「それは…
って、今日はアイツ部活だし」
「あら、そうでしたね」
「本庄こそ、今日は村前と一緒じゃねーだろ?」
「まぁ、いつも一緒というわけではないですから」
「俺らだって、そんなとこだろ」
「あら…そうですか……」

 突如として割って入ってきた本庄に、それが意図してなのかどうかは俺の知るところでは無いが、俺が陸上部に入らなかった経緯に触れられずに済んだことだけは助かったと思わずにはいられなかった。
しかし今度は水澄との事に触れられたくなくて、慌てて話題を変える。

「つーか、珍しいな。
本庄と賢が一緒にいるのって」
「まぁ、僕も本庄だからね」
「え?…あれ…そうか…。あー…お前らって……」
「双子だよ。知らなかったっけ?」
「二卵性だから顔が似てないだけに、中学時代も気付かない人の方が多かったんですよね」
「そうだっけか。なんか…悪ぃな」
「いいって。それに僕達が姉弟だからかもしれないけど、三年間クラスも違ってたし、学校ではあまり接点無かったから尚更ね」

俺にしてみればそもそも本庄が同じ中学だったことすら、記憶には疑わしかったくらいだ。

「その割には二人で出掛けるとか、案外仲は良いんだな?」
「姉弟なら普通じゃないか?」
「どちらかといえば、私は賢の護衛みたいなものですけど」
「なんだそれ?」
「賢は顔も頭も良いですからね。虫除けですよ。
賢の進学の邪魔はさせませんから」
「っていうか、冴ちゃんもテラス行きたかっただけでしょ」
「それを言われると否定はできない…
まぁ、たまにはいいじゃない。」

賢と本庄が普通に話してるだけなのに、その光景が妙に新鮮に見えた。
 とはいえ、この時期一番に気になるのはやはり進路の話題だ。

「ところで賢、志望校はもう決まってるのか?」
「まぁね…、一応国公立目指してる」
「マジか!すげえな。」
「いや…まぁ……まだまだ頑張らなきゃだけど。
そういう嵐は?もう決まったか?」
「あー…俺は推薦で専門。…整備士目指す」
「そっか。
嵐は…お義父さんのお店、継ぐんだね」
「まぁ、そんなとこ。」

以前、本庄が言っていた『手に職をつける』の言葉に影響された訳ではないが……

「嵐も理系だから、向いてそうだね」
「そういや賢も理系だったか?」
「そう、理工学部目指しててさ。
ただ、問題は英語なんだよね……」
「わかる…俺も英語はマジでヤバい……」

 お互いの近況を話しながら歩いているうちに、俺の目的地の近くまで来た。

「じゃ、俺はこっち行くから。
賢、受験頑張れよ。」
「ありがとう、僕も久々に嵐と話せて良かったよ」
「また、機会があったら話そうな。
本庄も、また明日な」
「「うん、それじゃあ」」

 二人と別れて、俺は目的の場所に入った。
そして先ほどの賢との話に想いを馳せていた。
心成しか今日の再会が運命的にさえ思えた。
賢は今の俺をどんな目で見ていたのだろう。
挫折を味わった賢は、それでも前を向いていた。
不完全に燃え尽きたエネルギーを受験へと向けていた強さに、俺はどこか置いてきぼりを喰らったような心地さえした。
翻ってこんなところで燻っている自分が、情け無くて格好悪い。
けれど、この再会がきっかけで背中を押されたのも確かなことだ。
もう、迷いも憂いも必要ない。
そんなことを改めて自覚しながら、ハラリハラリと落ちていく自分の髪を目で追った。