一匹狼と妖精さん

 
 僕を取り巻く環境に変化が生じ始めた。
それは至極他愛ないことのようで、しかし僕にとっては平穏を揺るがす事態のようでもあった。

 暑さと熱気冷めやらぬまま体育祭を終え、1日開けて次は文化祭が始まった。
一日目は展示と模擬店、二日目は体育館でのステージ発表が予定されている。
 
 僕たち一年生は教室での展示をする事となっていた。
一年生の教室が異空間へと変化する。
そんなコンセプトに沿ってテーマを決め、準備時間と昼休みもほとんど必要な飾り付けや展示物等を作るために費やされていた。
加えて美術部の合同作品の展示の準備は、放課後の部活時間と土日も準備時間に充てられた。
更には各クラスからの有志発表への参加もあって、準備期間はなかなかに忙しい。
当然、嵐さんと顔を合わせられる時間など殆ど無く、夜寝る前にメッセージのやり取りをするのが精一杯だった。
 満たされない。
満たされないけれど、それ以上に今の慌ただしさに心と身体に余裕など無かった。
ただ一つ、嵐さんに僕たちの演し物を見てもらうことが、心の支えとなっていた。
当日、一緒に過ごせる時間ができるなら…

 迎えた文化祭一日目。
僕は朝から美術室にいた。
今年の美術部の合同作品はトリックアートで、写真撮影もできるような展示をしていた。
僕ら部員はそのサポートや誘導に駆り出されるという訳なのだが、僕にそれがうまくできるのだろうか。
この準備期間で随分と部員の皆と馴染めたとは思う。
うまく連携さえできれば、この場をスムーズに乗りきれるはず。
 美術部の展示は、毎年さほど人が殺到する時間帯もないらしい。
そして昨年の文化祭を経験している二年生の存在も大きく、滞りなくその場を回していくことができた。
 僕の担当は午前中なので、午後からは嵐さんと合流できる。
できれば僕のクラスの展示も見てもらいたいし、美術部のトリック写真も撮りたい。
そして嵐さんのクラスの模擬店にも行きたいし、毎年人気だという調理部のクッキーも買いに行きたい。
 正午が過ぎた頃、午後担当の部員が来て交代すると、僕は三年生の教室へと急いだ。
ちょうど同じく担当時間を終えた嵐さんが、教室の前で待っていてくれたので迷うことなく合流できた。
そのまま嵐さんのクラスの模擬店の列に並ぶ。
教室の入り口には大きく『信長カレー』と書かれた看板が掲げられていた。
教室からはカレーのいい匂いがして、空腹と食欲が刺激される。
久しぶりだ。
手を繋げる距離に嵐さんがいる。
小指同士が触れる。
それだけで堪らなく嬉しくて、自然と表情が緩んだ。

「何笑ってんだよ?」
「え?…えっと…
久しぶりに…一緒に居れて、嬉しくて……」
「俺も一緒だ」

いつもみたいに頭をポンポン撫でられる。
これも久しぶりの感触。
 僕らの順番が来てカレーを受け取ると、並んで席についた。

「わぁー…『信長カレー』って、こういうことなんですね」
「そう。なかなかイケるだろ?」
「食感が面白くて美味しいです」
「だろ?」

 確かに。
肉の代わりに、織田信長と関わりがあると言われている赤蒟蒻を使っているのが『信長カレー』の所以だそうだ。
肉を使わないからヘルシーな上に、この時期懸念される感染症の危険性も少ないというメリットまであるとか。
何より、意外性があって斬新な発想が一番の売りなのだ。

「この後…水澄のクラスも見に行っていいか?」
「はい」
「水澄は、他に行きたいとこあるか?」
「僕は…調理部のクッキーを買いたいのと…
後…えっと、美術部の展示にも来て欲しいな…とか……」
「いいな。
じゃ、行きたいとこ全部回ろう」

 一年生の教室を順に巡っていく。
日本家屋やゆめかわメルヘンに、アメリカンダイナー等々、各クラスそれぞれに工夫が凝らされていた。
僕のクラスのテーマは英国アンティーク。
暖炉に見立てた装飾の周りに小物を置いてみたり、アンティーク家具に見えるように机や椅子を飾り付けたり…
こうして改めて見てみると、なかなかに雰囲気があるなと思えた。
嵐さんも見入っているようで、それがなんだか嬉しかった。

 「来て良かった…」

ポツリと溢れた嵐さんの声に視線を向けると、珍しく慌てたように顔を逸らされた。
でも少し耳が赤くなってて、照れてるようにも見えた。
こんな姿は初めてかもしれない。

「俺、一、二年の時は学祭とか参加してねーからさ…
なんか新鮮だった…っつーか…」
「ぼ、僕も初めての学祭、嵐さんと一緒に巡れて…嬉しい…です」
「ん。俺も」

二人、顔を見合わせて照れ笑いする。
こんな状況、他の誰かに見られでもしたら……
居たたまれなくなって教室を出た。

「次はどこ行く?
ここからだと…美術部が近いな」

 美術部のトリックアートの前でお互いに写真を撮り合う。
最後に二人並んで自撮りしたものは、最早トリック写真でも何でもない状態で、それはそれで面白かった。
 最後に向かった調理部のクッキーは、人気なだけあって行った頃にはラストの一つだった。

「水澄が買っていいよ」
「…でも……」
「楽しみにしてたんだろ?」
「それはそうですけど…」
「…だったら」

ここにきてモタつく僕を他所に、嵐さんがクッキーを手に取った。

「行くぞ」

先を行く嵐さんの後を追う。
 誰もいない空き教室に入ると、クッキーの包みを開いた。

「一緒に食えば良いだろ?」

そう言ってクッキーを一枚咥えたかと思うと、僕を引き寄せ顔を近づけた。
これって、もしかしなくても?!
おずおずとクッキーに噛りつき互いに食べ進めると、更に頭を引き寄せられ唇が当たる。
甘い。
唇まで食べられてしまいそうで、味なんてわからなくなる。

「悪ぃ、我慢できなかった…
普通に食べたほうがいいよな」

もう一枚、今度は手渡してくれた。

「美味しい…」
「人気なだけあるな」

そのまま最後は二人きりで文化祭初日を終えた。

 明日、二日目は体育館でのステージ発表だ。
僕も有志発表に参加することになっている。
半ば断れない空気で決まってしまった。

 それは、有志発表への出場者を決めるホームルーム。

「やっぱ、有志はイケメンの石山君に決まりだろ?」
「えー…ヤだよ。
俺、そういうの似合うタイプの顔じゃねーし…」
「だって、他に誰がいるよ?
頼むよ、石山だけが頼りなんだよ」
「そうだよ、ウチらも石山君じゃないとモチベ上がんないし」

議論は平行線のまま、僕はどこか他人事のように窓の外に視線を向けていた。
 そんな時、石山君の口からとんでもない提案が為されたのだ。

「つーかさ、俺は船木君が適任だと思うけど?」
「えー?!」
「いやいや、言っちゃ悪いけど地味じゃん」

全くもって予想だにしないところで、まさか僕に白羽の矢が立つなんて……
僕はポカンと口が開いたまま固まってしまった。

「え?皆、気付いてないの?
船木君、意外とポテンシャル高いよ?」

石山君の言葉に数人の女子が集まってくる。

「ね、眼鏡外してよ」
「うんうん、前髪も上げてみて」

口々に要求してくる女子に圧され仕方なく従うと、代わる代わる顔を覗き込まれる。
どうしよう…

『わ、気持ち悪い』
『やべ、目が合っちまった』

頭の中で嫌な記憶が蘇る。

「わぁー、盲点だったわ」
「これは確かに適任!」
「ねぇ、これって、自前?
最高じゃん、俄然ヤル気出てきたー!」

思いがけない反応に、どうリアクションしていいのかわからない。

「で…でも僕、目があんまり良くなくて…
暗いとことか、眩しい光とか苦手で…」
「だったら俺がサポートするから」
「それこそ石山が適任だなー」
「サポートありでもいけるか、一応、生徒会に確認しておくよ」

僕の必至の反論も虚しく、あっという間に話が進んでしまった。
僕の肩を引き寄せ、石山君は耳元で囁いた。

「大丈夫だよ、船木君。
俺がちゃんとエスコートするからさ」

ホント、どうしよう…