一匹狼と妖精さん

 
 「嵐さん!」

 俺の名を呼ぶ水澄の声は、周りの声を振り払って雑音をかき消し、まるで俺の耳の奥にだけ響いているように鮮明だった。

 九月も終わりとはいえ、猛暑の中での体育祭だった。
一、二年生のリレーに続いて、団体競技の綱引きと玉入れに二人三脚。
出番の無い俺はテント後方で競技の様子を眺めていた。

「やぁ、国分男子ではないか。」

通りがかりに声を掛けてきたのは村前と本庄だ。

「体育祭、今年は出る気になったのだな。」
「まぁな。」
「して、何の種目に?」
「リレーだ。」
「確か、元陸上部でしたよね」
「中学の時な」
「ふむ。それは楽しみだな!」
「で、オメーらは?」
「私たちは二人三脚だよ。
冴との華麗なコンビネーションを見てなかったとは、実に残念だ。」
「二位でしたけどね…」
「我々の方が息はぴったりだったはずだ!」
「速さの問題だろ?」
「それを言われると…
それより、リレー頑張ってくださいね」
「我々も期待しているぞ!」
「クラスが違うだろうに……」

一方的に喋るだけ喋って二人は手を取り合いながら自分達のクラスのテントへと戻っていった。
相変わらず仲が良い奴らだ。
 トラックの方へ意識を戻すと、借りもの競争が始まっていた。
しかも次の走者には、水澄がいるようだ。
大丈夫か?ちゃんと誰かに借りられるのだろうか。
そんな心配をしていた矢先、三年生のテントに向かって走って来るのは、水澄の姿だった。

「あれ?あの一年生、こっち来るよ?」
「え、ホントだ」
「えー、なんか小動物ぽくて可愛いー!」

クラスの女子が口々に騒いでいる。
水澄が可愛いのは俺が一番よく知ってるんだってのに。
少しイラつきつつも、こちらへ向かってくる水澄に視線を向けた瞬間、名前を呼ばれたのだ。
 ただ真っ直ぐに俺を見て手を伸ばす水澄に、引き寄せられるように、トラックへと進み出た。
クラスの奴らの視線なんて、今はどうでもいい。
水澄に手を握られ、並んで走ってゴールした。
係の生徒が借りものの書かれたカードを確認しながら俺の顔とカードを見比べ、水澄の方を見た後に更にもう一度俺の顔とカードを見比べる。

「うん、オッケー…かな」

水澄は安心した様子で「ありがとうございます」と一言、二人手を繋いだままゴールゲートを後にした。

「…で?結局、借りものって何だったんだ?」
「えっ…と、内緒です」
「えー、なんだよ?気になるだろ?」
「だって嵐さん、絶対否定するから…」

少し顔を赤らめた水澄は握っていた手を放し、はぐらかすように「リレー、絶対見てますからね」と手を振って一年生のテントへと戻って行った。
結局、借りものの内容は判らず終い。



△▼△▼△▼△▼△▼△▼



 「水澄!」

 僕の名前を呼んだ嵐さんの笑顔は弾けるように眩しくて、陽光を受けた髪は初めて屋上で出会った時を彷彿させるようにキラキラ輝いていてた。

 九月の終わりだなんて、秋だなんて嘘のような猛暑の中での体育祭。
焼け付くような日差しと照り返しに、体力が奪われていくようだ。
こういった行事ごとは、僕にとってはとてつもなく精神を消耗する。
どの競技に出るかを選ぶだけでも頭を悩まされた。
二人三脚なんてぼっちキャラの僕には向いてないし、リレーや綱引きみたいな体育会系競技は文化系の僕には尚更厳しい。
下手でも一番目立たなそうな玉入れ希望だったけれど人数オーバーで、結局借りもの競争だなんて微妙に人と関わるところに決まってしまった。
 不安いっぱいでスタートラインに立つ。
そして出遅れる。
他クラスの走者が先にカードを手に借りものを求めて散り散りに走っていく。

「サッカー部の人いるー?」
「内田先生…って…どの人?」
「ポニテしてる人?…マジかよ?!」

 あれ…『借りもの』って、『借り者』なの?
これは僕にとって更にハードルが上がった。
そして、僕の引いたカードに書かれていたのは……
『イケメン』
…???!!!
非常に抽象的かつ難儀なお題である。
イケメンで面識があるのって言えば…一度だけ隣の席になったことがある石山君とか…?
いかにも陽キャって感じで苦手な感じではあるけれど、そうも言っていられない。
自分のクラスのテントに向かうも、しかしその姿は見えない。
どうしよう…
こういう時、どうして良いかわからなくなって思考が固まってしまう。
周りをキョロキョロ見渡しても頭が真っ白になるばかり。
 いや、ちょっと待って。
一番よく知ってる人…僕にとっての一番のイケメンがいるじゃないか。
僕は三年生のテントへと向かった。

 無事に自分の出番を終え、最後の競技はこの体育祭で一番の山場である三年生のリレーだ。
しかもそのリレーに嵐さんが出るというのだから、僕は固唾を飲んで見守った。
スターターの音と共に走り出す。
どの走者も力強い走りを見せ、順々にバトンが渡っていく。
嵐さんのクラスは現在六クラス中の二位。
ところが途中のバトンパスでモタついてしまい、四位まで後退してしまった。
なかなか追い上げることができないまま、残るはアンカーの嵐さんだ。
緊張感が僕まで伝わってくるようでドキドキする。
 いよいよ嵐さんにバトンが渡った。
初めて見る嵐さんの走る姿。
…なんて綺麗なフォームなんだろう。
スピードに乗って前との距離を縮めてゆき、三位の走者の背中を捉えたかと思えばあっという間に抜き去った。
そしてグラウンド半周を過ぎたあたりから、上位の走者が徐々に失速してゆく。
そんな中で嵐さんは依然としてスピードが落ちること無く、ぐんぐんと追い上げていく。
そしてなんと一位に躍り出たと同時にゴールテープを切った。
 凄い!
その一言にしか尽きなかった。
大歓声と称賛が飛び交う中、嵐さんは軽く手を挙げて応えながら真っ直ぐに僕の方へ駆け寄り、名前を呼んでくれた。
周りの声も遠くに聞こえ、ただ嵐さんの声だけが耳の奥を震わせた。
 眩しい笑顔でナンバーワンを示すように人差し指を立てて見せた嵐さんに、なりふり構わず一直線に駆け寄る。

「嵐さん!すごく…カッコよかったです!」
「水澄が見てると思ったら、すげー頑張れた」

僕の頭を一撫でした嵐さんの、今日一番の笑顔を知っているのは間違いなく僕だけだ。