部活に明け暮れた中学時代。
人を遠ざけ関わりを拒んだ高校生活。
それを変えたのは水澄の存在だった。
今日は水澄がうちに泊まりにくる。
午後、水澄が乗ってくる電車の時間に合わせて義父の運転する車で迎えに行き、その足で買い出しをして家へと戻ってきた。
母親は、肉の量に呆れるやら水澄の持って来たスイカや野菜の量に恐縮するやら、その様子を見て笑っている水澄といおりの姿。
それだけでもう楽しくて、まるで全てが夢でも見ているような感覚だった。
しばらく室内で過ごし時刻はそろそろ夕方になった頃、まだ西日が暑い中、バーベキュー用のコンロやキャンプ用のテーブルとイスを庭に運び出し、セッティングを始めた。
水澄の持って来たスイカは義父が流水で冷やしておいたようだ。
キッチンでは、母親に付き添われながら水澄といおりがコーンをレンジで下茹でして切り分けていた。
準備が整ったところで、夕飯は庭でバーベキュー。
義父はすっかり鍋奉行状態で、ハイペースで皆に焼けた肉を配っていくものだから、母親や水澄は食べるのが追い付いていない。
いおりは水澄の持って来たコーンがお気に入りの様子。
大量だと思っていた肉は、意外にも残り僅かとなっていた。
その場の雰囲気もあって、皆いつもよりも沢山食べられたのだろう。
食後にはスイカを切り分けて食べた。
さすがにもう限界だ。
そのままの流れで次は花火を始めた。
いおりの念願だっただけあってかなりはしゃいでいたし、母親も嬉しそうにその様子をカメラに修めていた。
俺も少しだけ、スマホのカメラで写真を撮った。
それはこの夏の想い出を切り取るようでもあったし、後で水澄とスマホの壁紙をお揃いにしたい…なんて、柄にもない願望もあった。
最後に皆で片付けをしてリビングへ戻る。
はしゃぎ疲れたいおりが眠くなる前に風呂に入れようという流れになるのだが、「にぃにと水澄と三人で入りたいー!」なんて言い出すものだから参ってしまった。
「さすがに湯が溢れて無くなるだろ…
パパと一緒に入るか?」
「嫌ーっ!!」
憐れ、撃沈する義父…。
「じゃあ、僕と二人で入る?」
「うん!」
「ごめんね水澄くん、お願いできるかしら?」
「僕で良ければ…」
結局入浴から歯みがきまで水澄が面倒を見てくれて、更に絵本まで一緒に読んでくれるので、その間に俺も風呂を済ませた。
その後は例によって俺の部屋のローテーブルを退けて、ベッドの横に布団を敷いた。
ようやく訪れた二人だけの時間。
手招いてベッドに並んで腰かけた。
「今日は本当に楽しかったです」
「俺も。こんなに楽しい夏休みは初めてかも」
「僕もです。
…それに…僕にとって色んな初めてを、嵐さんと一緒に経験できたのが…凄く嬉しくて…
なんだか夢みたいです」
「…ホント…夢みたいだよな……」
水澄を抱き寄せ肩口に顔を埋める。
シャンプーもボディソープも同じ物を使ったはずなのに、やっぱり水澄はわたあめみたいな匂いがする。
…やっと触れられた。
今日の午後に水澄が家に来てからずっと、一緒にいるのに触れることは叶わないでいた。
漸くそのもどかしさから解放されて、存分に触れることができる。
お互いに顔を見合せると、どちらからともなくギュッと抱き合った。
頬を擦り合い、額をくっ付けると、目が合って笑う。
かち合っているその視線が次第に熱を帯びてくる。
水澄が目を閉じたのを合図に唇を塞いだ。
ちゅ、とリップ音を立てて唇が離れると、追いかけるように水澄が唇を押し当ててきた。
初めてかもしれない。
水澄の方から求めるキスなんて。
いつだって俺からするのが流れだった。
初めての時も、想いを伝え合った時も。
屋上で、帰り際、散々に焦らした後さえも……
まるでずっと欲しかったものが手に入った時の高揚感のように、昂った感情のままに何度も唇を啄んだ。
柔らかい唇の感触が好き。
開いた唇の隙間から、おずおずと差し出される舌を舐め合う感触も好き。
そして初めて気付く、舌の感覚の敏感さ。
歯止めが効かなくなって、押し倒すように覆い被さり、両手をベッドに縫い留めた。
離れた唇からは甘い余韻と熱い吐息が漏れる。
俺の目が水澄の金色の瞳を射止めた瞬間、先ほどまでの蕩けた水澄の表情が一変して強張り、二人の間に妙な緊張感が生まれた。
今この瞬間に至るまで、多少の下心はあった。
けれど、水澄が怖がることや嫌がることはしたくはない。
額に、目蓋に、頬に、耳に、唇に…触れるだけのキスを落として体を離した。
「好きだよ、水澄」
「僕も…嵐さんが、好き」
水澄の身体を起こし、頭をポンポンと撫でてやる。
「そろそろ寝るか。
明日は美術館にも行くからなぁ」
俺の言葉に従い、水澄は隣の布団に入っていった。
「おやすみ、水澄」
「おやすみなさい、嵐さん」
電気を消した部屋は静まりかえっているけれど、俺の身体に燻る熱は冷めることはなく、そのまま寝付けるはずもない。
何度か寝返りを打ちながらも睡魔の来ない目蓋を閉じていると、隣の布団からは小さな寝息が聞こえ始めた。
水澄もなんだかんだで気疲れしていたのだろう。
その小さな寝息を聞いているうちに、いつしか俺も眠りに落ちていた。
翌日は俺と水澄、そしていおりを連れて三人で美術館へ向かった。
両親は店を開けなければならず、同行できないことを残念そうにしていた。
電車とバスを乗り継いで美術館に着くと、受け付けを済ませて展示室に入った。
高校生の作品ともなれば、素人の俺から見てもレベルが高い事がわかる。
けれど、俺の興味は水澄の作品一択だった。
ただ今は逸る気持ちを抑え、作品鑑賞を楽しんでいる水澄のペースに合わせた。
そうして漸く大路高美術部のコーナーへと辿り着いた。
水澄の作品は…。
そこに描かれていたのは、銀色の狼と妖精が寄り添い合う姿だった。
背後奥には暗く深い森、そこを抜けて辿り着いたのであろう二人の眼下には、青く澄んだ湖が広がっていた。
その水面はキラキラ輝いていて、まるで何かの物語のワンシーンを見ているようだった。
「嵐さんと出逢えたから、この絵が描けたんです」
不意に水澄が口を開いた。
「俺と…?」
黙って頷いた水澄は、自分の絵を見つめていた。
「この狼さんと妖精さん、にぃにと水澄だね」
突然割って入るような、いおりの突拍子もない発言に、俺たちは思わず顔を見合わせてしまった。
しかも、当の水澄の顔は耳まで赤くなっている。
まさか、図星…なのか?
その空気を破ったのは、よりによってなタイミングで遭遇した、同じく美術部で三年生の村前と本庄だった。
水澄の作品に気を取られて気付かなかったが、部長である村前が秀作賞を受賞していたのだった。
「部長、おめでとうございます」
「すげぇな、村前。おめでとう」
「うむ。ありがとう。
私にとってもこの受賞が進路への決め手となったよ。」
「進路…やっぱ、美大を受けるのか?」
「そのつもりだ。
その上でもし今回のコンクールで何かしらの賞を受賞できたら、第一志望を受けようと考えていたのだ。」
「ふーん。なんか、村前らしいな。」
「そうだろう、そうだろう。」
「で、本庄も美大か?」
「…いいえ、私は服飾系の短大を……」
「冴は裁縫が得意だからな。
実は被服部と兼部してるのだよ。」
「ただ、あっちはほぼ幽霊部員の状態だけど…
手に職を付けるって魂胆…といったところでしょうか。」
「なるほど、『手に職』なぁ……」
いつの間にか水澄といおりの姿が無かった。
少し離れたところで二人の声がする。
なんとなく疎外感を感じたのか、いおりを気遣ってなのか、他の作品を見に行ったようだった。
「国分男子はもう進路決定しているのか?」
「俺は……」
学期末、三者懇談を前に両親と進路について、それぞれに想いの全てを話し合ったのだった。
「嵐は、どうしたいと思っているんだ?」
「俺は…やっぱり早く働きたい。
もし、ここの店で働かせてもらえるならそれが一番だけど…」
「…それは嬉しい申し出だし、この先嵐がうちの戦力になってくれるのは、心強い。
何より嵐と一緒に働けるなら、これほど幸せなことはないと思う。
ただ…嵐は、本当に整備士を目指しているのか?」
「進学は…考えてないの?やりたいこととか…
『家族の為』とか、そういうの取っ払って考えて欲しいの」
「俺、元々車は好きだし…
二人の仕事とか、ここで働く人の仕事をずっと見てきたから……」
「嵐が望むならゆくゆくは…とは思うが、それでもやっぱり進学して専門知識や技術を身に付けてからでも遅くないと俺は思う。
資格だって取れるからな。」
「資格はともかく、知識とか技術なら働きながらでも…
現場での経験が一番なんじゃねーの?」
「そこはな…回り道と思うかもしれんが、前以て知識があるのと無いのでは大きく変わってくるんだよ。
それを身を以て体験してきてる奴らを、幾度となく見てきてるからな……
まあ…こればっかりは、いざ働いてみないとわからんかもしれんな。
それに、この先この店が立ち行かなくなる時がくるかもしれん。
その時に学校で学んだ知識や技術があれば、技師としてどこでもやっていけるだろう。」
「それは……」
「大学でもいいし、専門学校でもいい。
学んだ事は必ず自分の糧となる。
どうしても現場での経験に拘るんだったら、学校に慣れてきた頃にでもウチでバイトするのもいい。
土日も店は開けてるからなぁ。
もちろん仕事に応じてちゃんとバイト代も出す。」
「いいのか…?」
「ウチで働く以上はちゃんと従業員として扱うさ。
でも、本業は学業だぞ?」
「それは…もちろんだけど……」
「最終的に決めるのは嵐だから、俺は助言しかできないけどな。
道は色々あるということだけは覚えておいてくれるといい」
義父の言葉に心が動かされた。
揺るがないと思っていた俺の決心を揺るがすほどに。
