一匹狼と妖精さん



 思い描いていた高校生活は大きく色を変えた。
誰かと過ごす時間がこんなにも愛おしいなんて、初めて知った。

 そんな僕に、夏休みの予定なんてものができてしまった。
嵐さんからの思わぬお誘いに、僕はすっかり浮かれてしまっていた。
今月に入ってから、学校で会えるタイミングが今まで以上に限られてしまったことを打ち消すくらいには。
 嵐さんは気付いているだろうか。
あの日の帰り道、僕たちは初めてちゃんと手を繋いだということに。
指を絡めて握り返した手は僕よりも断然大きくて、少し節くれだった指が大人の男性の色気を感じさせられてドキリとした。
こんなふうに恋人っぽいことをできる時間がもっと欲しいなんて、二人きりでどこかへ出掛けたり楽しい時間を共有したい…なんて思ったら欲張りだろうか。
僕を包み込むような大きくて優しい手を、もっと握っていたい。
駅までの時間は早すぎる。
絡めた指をほどく時の名残惜しさは、喉の奥に刺すような痛みが走るようだ。
 それから夏休みまでの数日間はどれほど長く感じられたことか。
けれど僕には部活もある。
コンクールという大きな課題…この絵で嵐さんへの想いが伝わるのか自信はないけれど、形にすることはできる。
その思いだけが僕を突き動かしていた。

 夏休み初日。
部活が終わった帰り道、僕は独り。
それは当たり前だけど、学校で嵐さんに会うことも一緒に下校することもないのだ。
考えてみれば、約束の日まで会う口実が無いということに今更ながら気付く。
その約束の日にちだって、今のところは未定だ。
結局僕は、嵐さんからの行動を待つばかりなのだ。
昨日一緒に帰ったばかりなのに、もう寂しい。
会いたい。
俯いたままトボトボと駅までの道を歩き、ロータリーを過ぎた時だった。

「水澄!」

嵐さんの声が聞こえた気がした。
いよいよ空耳が聞こえるようになってしまったのだろうか?
そのまま駅の階段を上ろうとしたところで腕を掴まれ、振り返ってハッとした。

「嵐…さん……?」
「水澄、スマホ見てないだろ?」
「え?あ?…スマホ…?」

慌ててポケットをまさぐる。
取り出したスマホの画面には、新着メッセージありのポップアップが表示されていた。

「部活終わりなら会えるかなと思ってさ……」
「はぇっ?」

思わぬ展開にスマホを握りしめたまま変な声が出た。

「…水澄、この後…予定あるのか?」
「あ…いえ、何も無い…です…」
「だったら、少しだけ…
大路テラス、寄っていかねぇ?」
「い、行きます!」

食いぎみに返事をしてしまった。
 高校から少し歩いて大通りを渡った先にある、決して大きくはないショッピングモール。
それでも学校帰りに立ち寄る事学生が多い場所だ。
僕には到底縁の無い場所だと思っていた。
 嬉しい。
なんだかデートみたいだ。
今夏も猛暑のようで、照りつける日差しに汗が滲む。
けれどモール内はエアコンが効いていて、先ほどまでの暑さから解放された。

「水澄、昼メシはまだだよな?」
「…はい、今日の部活は午前中だけだったので、お昼は用意してなくて…」
「じゃあ、先にメシだな」

僕たちは、最上階のフードコートへ向かった。
目移りするようなメニューが並ぶレストランからファストフード店、カフェなんかが立ち並び、どこに行こうか迷ってしまう。
けれど高校生のお財布事情はそう余裕があるわけではない。
それはどこも変わらないらしく、僕らはファストフード店の列に並んだ。
注文したセットが乗せられたトレイを持って席に着く。

「僕、こういうのって初めてかも…です」
「ん?ファスト系がか?」
「あ、いえ…こういう所に誰かと来て、ショッピングとか一緒にごはん食べたりとかしたこと無くて……」
「あー…確かに、俺もほとんど無いかも。
家族と買い物がてらに寄るくらいだな……」

こうして嵐さんと向かい合って座る事すら新鮮に感じる。
いつもは隣に座るか、つい最近は膝の間に座らされていたのだから。
目の前に嵐さんがいる状況は、目線の遣り場に困って知らずと視線は下がりがちになってしまう。
そんなことを考えながらポテトを摘まんでいると、バーガーの包み紙を丸めながら嵐さんが切り出した。

「この間言ってた話…俺ん家に泊まりに来るか?って話」
「あ…えっと……」

この状況下で考える余裕すらなくて、まともな返事もできない僕に、嵐さんは話を続けた。

「8月の二週目の水曜とかどうだ?
ちょうど店の定休日だしさ」
「えっと…大丈夫だと思います。
ちょうど、その週にコンクールの展示もやっているはずなので……」
「だったら一緒に見に行けそうだな」

嵐さんがあまりにも嬉しそうな顔で言うものだから、『恥ずかしい』なんて本音はオレンジジュースで飲み下すしかなかった。
食事を終えると、二人でモール内を散策した。
洋服店はもちろんのこと、女子が好きそうな可愛い雑貨屋や割りと大きめな本屋もある。
一階は食料品やベーカリーがあったり。
併設されているシネマにも、いつか一緒に行けたらなぁ…なんて。
誰もいないエレベーターで、触れるだけのキスをする。
まるでこっそりイタズラをしたかのように、二人顔を見合わせて笑った。
エレベーターを降りたところで嵐さんのスマホが鳴った。
嵐さんのお母さんが仕事で抜けられないらしく、夏休みの特別保育中のいおり君のお迎えを頼まれたようだ。
聞けば嵐さんは時々、今日みたいにいおり君のお迎えに行くことがあるそうだ。
そんな家族想いなところも素敵だと思った。

「水澄、俺から誘ったのに悪ぃ……」
「いえ、それよりとっても楽しかったです。
…だから…また、一緒に来られたらなぁって……」
「うん。俺もすげぇ楽しかった。
今度は、違うとこ行っても良いし、映画観たりとかも……」
「はい、嵐さんとなら…何でも楽しいはずです」

モールを出ると熱風のような空気に襲われる。
しかも方角的に陽光が目に眩しかった。
それを遮るように嵐さんは僕の前を歩いてくれた。

「ヤバ、暑すぎだろ」
「さっきまで涼しかったから、尚更ですね……」
「眩しくないか。」
「大丈夫です。ありがとうございます。」

汗を拭いながら、来た道を駅に向かって歩く。
空いた手はこっそり指を絡ませ合って。
復路の半ばあたりまで来たところで、幼稚園へ向かう嵐さんは角を曲がって行った。
 それから8月までの十日弱の間、部活帰りに何度か二人で会うことが出来た。
あの時みたく大路テラスへ行く日もあれば、駅近くのベーカリーカフェに行ってみたり、嵐さんの家で課題を見て貰う日もあった。
二人で過ごせば、どんな時間も僕にとっては特別だった。
8月に入って最初の週は、お互いにアプリで連絡は取り合うものの会えるタイミングが無く、その分の時間は夏休みの課題を消化することに費やした。

 そうして迎えた約束の日の午後。

「じゃあ璃湖(りこ)、よろしく頼むわね」
「オッケー。」
「二人とも、行ってらっしゃい」
「「行ってきまーす」」

姉が運転する車に乗り込み、駅へと向かった。
ちょうど姉も仕事が休みで友人と会うらしく、その道中の駅まで
乗せてもらったのだ。
なぜなら…お泊まり用の着替えや身の回りのもの一式に加えて、祖父に持たされた大きめのクーラーバッグには、小玉スイカとコーンが数本とピーマンやオクラ等の夏野菜。
むしろこちらの方が大きくて重い。
それを抱えての駅までの距離はなかなかに難儀だ。

 「おじいちゃんも、すっかり張り切っちゃったよね」
「まぁ…有り難いんだけどね……」
「駅の階段とか、大丈夫?」
「う…多分……」
「おじいちゃん、嬉しかったんだろうね。
水澄に友達ができて…お泊まりだっていうんだから。」
「まぁ…それは確かに……」
「…それに、ウチだって安心したんだから……」
「え…?」

こうして姉と話をするのも随分と久しぶりだ。
僕が中学の頃の姉はあまり家に寄り付かずで帰りも遅く、よく母親と言い合いをしている姿を目にした。
そんな姉が就職して、ようやく母親との関係も落ち着いた様子だ。
仕事柄、帰りが遅い日も多いけれど…。

「友達ってさ、同じクラス?」
「ううん、三年生」
「部活の先輩とか?」
「そういうのでも無いんだけど…
なんか、偶々が重なって仲良くなったっていうかなんというか……」
「ふーん……」

納得したようなしないような表情で返事をした姉は、先ほどの話題に戻った。

「水澄さ、中学ん時……」

その瞬間、ズキンとあの頃の記憶に息が詰まりそうになる。

「水澄が辛い想いしてるの知ってたのに、ウチ、なんもしてあげられなかったなって。
せめて話を聞くだけでも、水澄の気持ちが軽くなったんじゃないかなって、今になって後悔してる……」
「璃湖ちゃん……」
「だから水澄、高校は大路にして良かったと思うよ。
通学は大変かもだけど、今の水澄…あの時とは全然違う表情してるからさ……」
「うん、それも嵐さんのお陰かも……」

僕の返事に姉は少し驚いたように一瞬こちらに視線を向けた。
あれ、マズイこと言っちゃったかな?

「水澄さ、もしかして…その友達…っていうか、付き合ってる?」
「え?…え、あ…と……」

返事に詰まる僕に姉は平然と話を続けた。

「水澄、わかりやすいって。
っていうか、隠さなくて良いから。
ウチ、そういうの気にしないタチだし、その子と居て水澄が水澄らしく居られるんなら、それで良いと思うよ。
…まぁ…まだなかなか受け入れられ難い世の中だけどさ、ウチは水澄の味方だから。
なんたって、水澄は可愛い弟だからねー」
「それ、なんか懐かしい」

そんな話をしている間に駅に着いた。

「じゃ、楽しんできなよ」
「うん、ありがと」

 安川から電車で40分、学校最寄駅に着くと両手に重い荷物を下げて改札を抜ける。
ロータリーに出ると、一台の車が僕の方へ進んできた。
嵐さんのお義父さんが、いおり君も一緒に買い出しついでだと車で迎えに来てくれたのだ。

「こんにちは、今日はお世話になります」
「水澄ー!こっちこっちー」

後部座席のチャイルドシートから、いおり君が手招く。

「いおり君もこんにちは」
「水澄君いらっしゃい。
さぁ、乗って!」
「はい、失礼します…」

いおり君の隣に乗り込むと、車が発進させられた。

「じゃあ、スーパー行くぞ!買い出しだ。
肉だ、肉!」

後ろを振り返りながら嵐さんが言う。

「なんか、荷物多くね?」
「おじいちゃんに色々持たされちゃって…」
「なになに?」
「小玉スイカとコーンと…あと何か野菜だよ」
「スイカ?コーン?いおり、どっちも、大好き!」

 スーパー内の肉屋で大量に買い込んで、嵐さんの家に到着した。
キッチンであしらいの野菜を切り分けていたお母さんは、その量に少し呆れ気味だった。
それを見て『だから多すぎるって言ったのに…』と笑う嵐さんと、『食べ盛り男子が二人も居れば余裕、余裕』と言いつつも苦笑いのお義父さん。
そんな様子が既にもう楽しくて、これから始まる時間に楽しい予感しかしなかった。