つまらないはずだった高校生活に彩りが生まれた。
屋上で過ごす昼休みは、まるで二人だけの秘め事。
給水塔の影に隠れて、甘い時間を共有した。
水澄はいつも、わたあめみたいな匂いがする。
膝の間に座らせ項に顔を埋める瞬間は至福で、午前中に消費したメンタルを補給するかのように、水澄の匂いに満たされていく。
汗の臭いを気にしてだろう身動ぐ様もまた堪らなく可愛い。
そして水澄はよく、俺の肩に寄りかかってくる。
きっと甘えたいって意思表示なのだと思って頭を撫でていた。
そうすると、額をグリグリ押し付けて『嵐さん…好き』なんて言うものだから、愛おしさに目眩がしそうになる。
更に水澄は俺の目尻のホクロを触るのが好きだ。
指で撫でられるくすぐったさは、案外満更でもなくて病み付きになる。
その手を取って指先に口付けてやると、蕩けるように顔を赤くしたかと思えば、その指で自分の唇に触れた。
その時に気付いた。水澄の言動の真意に。
水澄はキスがしたいのだろう。
けれど気付かないフリして頭を撫で続けてる時の、ソワソワとこちらに視線を投げ掛けたり、かと思えば目が合うと気まずそうに目を伏せる仕草が可愛くて、つい焦らしてやりたくなる。
あるいは、耳元で『キスしたい?』なんて煽ってみたら、どんな反応を見せるだろうか。
本当は俺だってキスしたい。
初めての時のような昂りに身を任せたキスも、想いを通わせた時の寄り添い合うような柔らかなキスも、甘くて重く胸を締め付けるような感覚が俺を焦がす。
けれど今このままキスをしてしまったら、俺は理性を保てる自信がない。
俺の水澄への執着心は深まるばかりだ。
暑さが本格的となり、いよいよ屋上で昼休みを過ごすのは難しくなってきた。
屋上だけでなく屋外そのものが茹だる暑さで、空き教室もエアコンが付いていないので外と大差ない状況だ。
そこで俺たちは各々教室で昼食を済ませたあと、図書室の開いている日に逢瀬を果たすことにした。
部屋の奥の本棚の影に隠れて、まるで秘め事のように指先を絡ませ触れるだけのキスをする。
水澄の部休日には駅までのほんの五分余りの距離を一緒に帰る。
学校に来てても一緒に過ごせる時間は限られていたのに、更にその時間が限られてしまった。
加えて今までのように触れ合うことも叶わない。
俺の水澄不足は確実に募るばかりだ。
今学期最後の図書委員の活動の後、部活終わりの水澄と待ち合わせていた。
作業が終わり昇降口まで来て、ガラス扉の前で連絡を入れようとスマホを取り出したところで、こちらへ近付いてくる話し声に気付いて手を止め振り向いた。
村前と本庄の間に並び、肩を竦めながらこちらに視線を向けた水澄に、合図を送ろうとした時だった。
徐に本庄が水澄に耳打ちをした。
明らかに面食らった様子の水澄は、そんなことはお構い無しにひらひらと帰っていく二人を見送ると、俯きながらこちらに向かってきた。
「嵐さん…」
弱々しい声で水澄が俺を呼ぶ。
「大丈夫か?」
手を引いてやると、赤くなった顔を上げた。
「その…僕、びっくりしちゃって……」
言葉に困る水澄の肩を引き寄せて歩き出した。
「さっきの…」
俺の声に僅かに肩がびくついたのがわかる。
「気にすんな。
アイツら、俺らを煽って面白がってるだけだろうから。」
「そうなんでしょうか…」
「おおよそ業と水澄にちょっかいかけて、俺の嫉妬心を煽ってるつもりなんだろ。」
水澄が焦ったように答える。
「だ、だからって僕は靡いたりしませんからっ!」
「心配すんなって、俺も水澄が惑わされるなんて思っちゃいねぇから。」
「良かった…」
「全くアイツら…余計なお世話だってんだよ。」
「え?っと…何が…?」
「いや、とにかく気にすんなって」
その言葉はまるで自分に言い聞かせるようでもあった。
…まさかあんなに…近すぎるだろ。
とはいえ俺とてあの二人の言動にまんまと振り回されている場合ではない。
しかし俺と水澄は恋人同志になったとはいえ、キスより先への進展が無いのも事実。
むしろ……
俺は躊躇いながらも水澄の手を握った。
指を絡ませ、所謂恋人繋ぎの形になる。
こうしてちゃんと手を繋いで初めて気付く感触。
俺よりも断然小さくて柔らかい手の平、細い指。
握る力加減にすら戸惑ってしまう。
一瞬驚いたような反応を見せたが、俺の手を握り返してきたのは満更でもないのだと都合よく受け取った。
二人で手を繋いで歩くのは初めてだった。
何度か水澄の手を引いて行くことはあったけれど、俺の一方的な行為でしかなかったし、ましてその時は意識すらしていなかった。
学校帰り、誰かが見ているかもしない…という懸念はこの際気付かないふりをした。
俺自身は恋愛すらも初めてに等しいけれど、恋人同士なら手を繋ぎたいとか二人きりでどこかへ出掛けたりとか、もっと恋人らしいことを色々してみたいなんて、それなりに願望はある。
夏休みっぽいイベント…というものがあってもいいはずだ。
「水澄さ、夏休みは部活あんの?」
「えっと、夏休みは…
確か…七月末がコンクール締め切り日なので、活動も七月いっぱいまでで…
最終日に部室で三年生の引退式があるみたいで、それ以降…八月の活動は無いと聞いています」
「コンクールの結果はいつ出るんだ?」
「それは…中学のコンクール発表の後なので、お盆前くらいになるそうです。
でも、部で集まって見に行くとかは無くて、個々に見に行く感じで…」
「だったらさ、八月…都合つくときにさ、多分店の定休日とかになるだろうけど、俺ん家泊まりに来ねぇ?」
「えっ?…と……」
「あー、いや…変な意味じゃなくて…
いおりがさ、また水澄と遊びたいって。
一緒に花火もしたいって言うんだよな」
「いおり君と花火ですか!」
「タイミングが合えば、コンクールの展示も行けたら良くねーか?
県立の美術館だろ?」
「あ…はい、そうなんですけど…
なんというか、恥ずかしい…ですね」
「良いじゃねーか、俺も水澄の作品見てみたいし、いおりも連れてったら絶対喜ぶって」
…それに、俺にとっての高校最後の夏休み。
初めての友達で恋人の水澄と、リア充ぽいことをしてみたい……
そこに、少しの下心があったのは否定しない。
けれど、いおりがねだったのも事実。
そして両親も歓迎していることも。
水澄が俺に視線を向ける。
「…いけそうか?」
「行きたいです。嵐さん家にお泊まり…」
「じゃあ、候補日考えとくから」
「ありがとうございます」
「それにさ…その日だけじゃなくて、普通に遊びに来ても良いし、二人でどっか出掛けたり、とか……」
「…デート、みたいな?」
「そうだな、良いな…デート…」
話しているうちに、あっという間に駅に着いてしまった。
「じゃあ、また明日な」
「はい、また明日」
絡め合っていた指がほどかれ、水澄は改札へと向かっていった。
手のひらに残る柔らかい感触が名残惜しい。
水澄を見送ると、俺も家へと向かった。
夏休み…。
想いを馳せれば、自ずと進路のことが頭を過る。
じきに三者懇談があることも現実として突き付けられる。
もう一度、両親と話し合わなければならない。
俺のやりたいこと、その過程として必要なこと…悩むこと、両親の希望も併せて。
この先…卒業しても、水澄の傍に居られるだろうか……
脳裏に掠めた不安を振り切るように、西日が暑く照りつける空を仰いだ。
