一匹狼と妖精さん

 
 初めて恋心を知った。
わからないって誤魔化してきた気持ちに名前が付いた。
…そして、友達だった人が恋人になった。

 国分さんが心を許すのは、僕だけじゃなきゃ嫌だ。
国分さんの本当の姿を知ってるのも、僕だけじゃなきゃ嫌だ。
僕以外に誰一人として、国分さんの心に入り込ませたくない……
身も心をも焼き尽くすような独占欲。
こんな感情、今まで抱いたことなんて一度たりとも無かった。
これを恋心と呼んでいいのだろうか。

 昼食を終えた後、国分さんから話を振ってきた。
いよいよこの時が来てしまったんだ。
僕だって、今を逃したらきっと先へは進めないと感じているのに、いざとなれば臆病になる。
でもまさか、こんなにも自分の貪欲さを思い知らされることになろうとは……

「水澄…」

怖い。

「この前のこと…」

言わないで。

「ちゃんと話をしよう」

嫌だ。

「俺達、このまま友達でなんかいられないよな?」

この気持ちに終止符を打つのも、友達ですらいられなくなるのも……
 僕が恐れていた展開は思わぬ形で覆り、気付けば国分さんの腕の中に捕らえられていた。
二人の影が重なる。吐息がかかる。
そして、今まで感じた事もないような柔らかな感覚。
 キスの仕方なんて知らない。
息継ぎのタイミングもわからなくて溺れそうになる。
けれど、舌の表面同士が擦れ合う感触が気持ち良くて、こんなにも甘くて濃ゆくて…熱い。
ただ、情欲に支配されたかのように、夢中で国分さんの舌を追いかけた。
口の中を蹂躙される感覚は、あの時よりも遥かに重くて苦しくて胸を締め付ける程の甘い衝撃。
こんなこと、国分さんとじゃなきゃできない。
国分さんじゃなきゃ嫌だ。
甘い吐息も、背中に忍び込んでくる手も、全部僕だけに欲しい。
触れている場所から全身に熱が広がっていくようだ。
離れた唇からは、名残惜しく糸を引く。

「水澄…嫌だったか」

蕩けた頭で首を振る。
この状況でこんなこと訊くなんて、狡い。
好き。大好き。僕だけを愛して……
もっと…もっと僕に触って、もっと欲しい……
国分さんの中に、僕という感触を刻み付けてしまいたい。
その先を阻んだ予鈴を、こんなにも恨めしく思ったことはない。

 屋上での待ち合わせは、秘密の会瀬へと変わった。
昼食を終えると嵐さんは決まって『水澄、こっち…』と言って僕を抱き寄せたり、バックハグする形で僕を膝の間に座らせたりする。
そして、僕のうなじに顔を埋めるのだ。
多分、嵐さんは僕のうなじを嗅ぐのが好きみたいだ。
スンスンと音がした後に吐息がかかるのがくすぐったいし、唇が触れたりなんかしたら、思わず肩が跳ねてしまう。
何より、この時期は汗の臭いが気になって仕方ない。
恥ずかしいのに、腕の中は安心感があって離れたくない。
好きな人に触れられる事がこんなにも幸福感を与えてくれるなんて。

 でも、本当は…僕はキスしてほしいんだ。
初めて屋上でしたキスも、お互いに気持ちを伝え合った時のキスも、堪らなく幸せだった。
それなのに…自分からしたいって言い出せない。
本当はもっと甘えたい。
言葉にしなければ伝わらないけれど、自分から求めるなんてはしたないって思われてしまいそうだ。
何より、嵐さんが求めていなかったら尚更居たたまれない。

 「嵐さん、好き…」

仕方なくやり場の無い欲を紛らわせるが如く、肩に寄り掛かったり胸元に額を擦り付けたりしながら視線を送ってみるが、僕の意図なんて知る由もない嵐さんは僕の頭を撫でるばかり。
せめての慰みとして、嵐さんの目尻のホクロを指で撫でる。
一瞬驚いたような素振りを見せたものの、変わらず僕の好きにさせている…といった感じだ。
そうこうしているうちに、今日も時間だけが過ぎてしまうんだ。

 部活終わり、最後まで残っていたのは部長と副部長と僕の三人だけだった。
皆で戸締まりをして美術室を出ると、なんとなくそのまま三人一緒に昇降口へと向かった。
そこで話題になるのは、やはりコンクール作品の進捗についてだ。
先輩達は彩色について話していて、僕は一足出遅れている感じが否めない。

「船木君も、順調に進んでますか?」
「そう…ですね、そろそろ僕も彩色に入れるかなといった感じです。」
「うむ、今回はなかなかファンタジックな作品だなと思っている。」
「色づかいで絵のイメージがどんなふうに変わっていくのか、凄く楽しみですよね。」
「…えっと、その辺はまだ全然想像つかなくて……」
「焦ることはない、じっくり思案するといい」
「そういえば…あの絵の妖精さん、どことなく船木君に似ている気もしますよね。」
「え…?」
「なるほど!それは興味深い。尚更完成が楽しみになるな!」

 あまり僕に注目されるのは得意ではないし、なんというか気が引ける。
それに、先輩達は過度に期待しているようにも思う。
両隣の2人の話が盛り上がる中、間に挟まれた当事者の僕が置いてけぼりになっている。
正反対なタイプの二人のように見えるのに、一緒にいると息がぴったりなのが不思議だ。
そんな二人に半ば圧倒されながら昇降口へと辿り着いた。
 ガラス扉の前でスマホを操作している嵐さんの姿が目に入る。
今日は図書委員最後の仕事があったらしく、終了時間がちょうど僕の部活が終わる時間と同じ頃合いなこともあって、一緒に帰る約束をしていたのだ。
先に終わった方が連絡を入れる手筈になっていた。
慌ててポケットの中のスマホを確認しようとすると、嵐さんも僕の姿に気付いたようだ。
それもそのはず、先輩達の話声がそうさせたのだろうから。
心なしか、嵐さんの表情が曇ったようにも見えた。
 
 「あら…見付けたんですね…」

先輩達も嵐さんの姿が目に入ったのだろう。
唐突に本庄先輩が話を変える。
そして僕の肩に手を置いたかと思えば、「大切なもの」…僕に耳打ちした。
腕に触れた柔らかい感触。
そして離れた瞬間ふわりと香る女子特有の甘い残り香。
なんて恐ろしいことをする人だ。
嵐さんが見ているであろう前で。
ぶわっと変な汗が出る。
狼狽している僕のことなどお構い無しに「じゃあ、また明日」なんて軽い挨拶ひとつで先輩達はそれぞれに靴を履き替えている。
そうして村前先輩が嵐さんに何やら声を掛けると先輩達は手を取り合って帰っていった。
 僕には何の落ち度も無かったはずなのに、顔を上げるのが怖い。
どんな顔をして嵐さんの元へ向かえばいいの……
前へ進む足がとてつもなく重く感じられた。