後戻りできない感情。
それを自覚したら、もう歯止めが効かない。
こんなにも焦がれたことが、今までにあっただろうか……
水澄の綺麗な目を知っているのは俺だけでいい。
水澄が心を許すのも俺だけがいい。
水澄を傷付ける者は何人たりとも許さない。
身体の奥底から湧き上がる強烈な執着心。
自分がこんなにも貪欲になるなんて、思いもしなかった。
これが恋心というものなのだろうか……
あれっきり、お互いに例の話を持ち掛ける事は無くなった。
今日も今日とて何事も無かったように昼休みを過ごしているのだ。
代わりに水澄が部活の話をすることが多くなった。
聞けば、夏のコンクールに出品するのだと言う。
そして時折、俺の顔をじっと見ている事がある。
けれど俺がそれに気付くと、慌てたように目を逸らす。
その意図は読めないけれど……
ともかく、この数日ずっと有耶無耶にしてはぐらかしていたこと、お互いに話題には触れずにきたことに、いい加減けじめをつける時なのは明確だ。
本来なら二人で会えば間違いなく話題にすべきことだと、優に予想できたのに。
はぐらかして日が経つ程に、切り出せなくなっていくものだ。
けれど今の俺にとっては、このまま何もせずに水澄の心が離れていく事の方が怖い。
「なぁ…この間のこと……」
俺の言葉に水澄はあからさまに動揺し、咳き込んだ。
「俺たち、ずっと目を背けてきてたよな。」
「それは……」
口許を拭いながら視線が逸らされる。
その仕草ひとつで、俺は決心が揺らいでしまいそうになる。
そんな自分を振り払うべく、意を決して確信に迫る。
「…もう一度訊く。
水澄は、俺が好きか?」
水澄の頬に手を添え、こちらを向かせて視線を合わせる。
「僕は…国分さんのこと…好き、なのかな。
わからない…です」
「わからないのか?」
「わからないです。
今まで誰かを…好きになったことなんて無くて…
それに……」
「それは俺だって同じだから」
困ったように俯いた水澄を抱き寄せて、首筋に唇で触れた。
あの時と同じように。
肩を跳ねさせこちらを見上げた水澄に尋ねる。
「嫌だったか?」
「…嫌じゃない、です」
「じゃあ、もし俺が他の奴に同じことしたら?」
「それは嫌です…」
水澄の中でも答えは出ているはずだろうに。
今こそ踏み出して、『気持ちは同じ』であることを証明する時だ。
「じゃあ、こっちはどうだ?」
今度は唇に触れる。
キスなんて初めてだった。
指で触れた時よりもずっと柔らかい。
初めて触れ合った唇はさっきまで飲んでいたイチゴミルクのように甘い気がして、思わず下唇を舐めてしまった。
驚いたように息を飲み、薄く開いた唇。
止められない、もっと甘いのが欲しい。
唇の隙間に忍び込むように舌を差し入れると、甘い味がダイレクトに絡み付いた。
水澄の柔らかい唇の感触も、拙く動く舌も、綺麗に並んだ歯列も、全部が可愛くて愛おしくて、余すことなく味わい尽くした。
可愛い水澄。
…俺だけの妖精。
俺にしがみつく手も、背中に滑り込ませて直接肌に触れる俺の手を拒まないのも、全部俺を受け入れて求めてる証拠。
好き。欲しい。水澄が欲しくて堪らない……
時間を忘れて吐息を分け合い、漏れる水音に耳を侵された。
どちらからともなく離れた唇からは、余韻が糸を引く。

初めて見た、水澄の蕩けた表情。
「こ…国分さん……」
そんな顔で、そんな声で俺を呼ぶなんて…反則だろ。
再び引き寄せ合おうとした時、予鈴によって阻まれた。
その一瞬で我に返る。
「悪ぃ、やりすぎた」
「いえ、僕の方こそ……」
先程までの蕩けた表情は、いつもの辛気臭い表情に戻っていた。
良かった。
あんな顔のまま教室に帰すわけにはいかないところだったから。
屋上を後にし、それぞれに教室へと向かった。
まだどこか熱が残っている感覚を振り払って。
午後からの授業は、全く頭に入ってこなかった。
脳裏に浮かんでくる水澄の蕩けた表情、それに伴って蘇る、耳の奥に残る水音と俺を呼ぶ声、そして柔らかな唇の感触。
あんなのじゃ、全然足りない。
何より、まだちゃんと俺から『好き』って伝えられていない。
水澄…
早く抱き締めたい。
水澄…水澄……
ダメだ、全然集中できない。
よりによって今日が七時間授業なのが恨めしい。
いつもの何倍も長く感じられる午後の授業を終え、ホームルームが済むと同時に教室を飛び出した。
美術室の手前で水澄を見付けると、その手を掴んで連れ出しだ。
「こ、国分さん?」
突然の状況に困惑する水澄の手を引いて、非常階段へのドアを開く。
幸いにも周りには誰もいない。
水澄の手を離すと、勢いのままに抱き締めた。
「あ、あの…国分さん?」
「……」
「僕、部活行かないと……」
「少しだけ」
「で…でも……」
「悪い…今、余裕ない……」
切羽詰まった感情は、言葉を紡ぐ思考さえも奪っていく。
そんな俺の背中に水澄の腕がまわる。
今度こそ、ちゃんと伝えなければ。
「水澄…好きだ。
ずっと待たせてゴメン。」
「いえ…」
「ずっと、悩ませてゴメン。」
「僕も…」
「もっと早く伝えるべきだったのに、怖じ気づいちまって…」
「……」
「あれから時間が経って…冷静になった水澄に拒否られるのが怖くて…
でも…誰かに奪われたり、手が届かなくなる方がもっと怖い。」
俺の言葉への返事の代わりに水澄の腕に力が込もって、抱き締め返してきたんだとわかる。
「国分さん、僕も…好きです。
…今度は…友達の好きじゃなくて、恋愛の…好き、です。」
堪らなくなって、またキスをした。
水澄の柔らかい唇を何度も啄んだ。
好き。
可愛い可愛い水澄。
もう、放してなんてやれない。
「僕たちって、その…もう……」
俺の腕の中で、躊躇いがちに訊ねてくる。
「そうだな、恋人ってやつだよな」
「国分さん…」
「嵐、だろ?」
「…えっと、嵐さん」
「ん。水澄…」
「大好き…」
耳まで赤くなって俺の胸に額をぐりぐりと擦り付ける水澄に、触れるだけのキスをして美術室へと送り届けると、そのまま走り出した。
息を切らしながら家まで辿り着くと、玄関から部屋まで直行する。
『嵐?帰ったの?』と言う母親の声にも応えることもできず。
部屋のドアを閉めた瞬間、その場にズルズルとへたり込んだ。
流れる汗もそのままに、自分で自分の肩を抱けば、身体の奥に残る熱が全身を駆け巡った。
