後宮の歌姫は声を隠す―特殊な目を持つ歌姫が、後宮で2人の皇子と出会って、陰謀に巻き込まれながら王家の隠した真実に迫る―【中華×サスペンス】


 蒼瑛は書斎を出ると、後宮にある貴妃宮へ足を運ぶ。皇帝である父より「たまには芙蓉の元へ顔を出せ」と言われたためだ。

 母親との関係は悪くないが、蒼瑛は後宮が苦手だった。
 化粧や香のむせ返るような匂いのせいなのか。はたまた、ここにうずまく欲望のせいなのか。後宮は蒼瑛を陰鬱とした気持ちにさせる。

 そもそも、幼少期に育った後宮にいい思い出がなかった。常に比べられ、庶子と蔑まれ、周りからの評価に応える日々――

「嫌なことを思い出したな……」

 蒼瑛はため息をつくと、扉を開く。


「待っていましたよ、蒼瑛。久しぶりね。」

「ご無沙汰しております、母上」

 蒼瑛に母と呼ばれるこの女性は(りゅう) 芙蓉(ふよう)
 柔らかく微笑む姿は、年を召したとはいえ、絶世の美女揃いの妃嬪(きひん)の中でも、未だに人目を引くほど美しい。

 彼女は皇帝の寵愛を一身に受け、蒼瑛の出産後に、淑妃(しゅくひ)から貴妃(きひ)に封号を上げた。

「蒼瑛、あなたちっとも来てくれないんですもの」

 少し寂しそうな母を見ると、蒼瑛は悪かったなと言う気持ちもある。
 彼は芙蓉妃を、母として貴妃として敬愛している。だが、他愛ないおしゃべりを楽しむことは気恥ずかしかった。


 蒼瑛は目で着席を促され、芙蓉妃の前に座る。

「ご無沙汰しております。忙しくてつい……」

「いいのよ、あなたももう成人したのですから。母も子離れして楽しんでいますよ」

 芙蓉はふっと微笑む。
 "子離れ"の言葉通り、芙蓉妃は皇帝や蒼瑛に依存せず、後宮での自分の役割を見つけ日々忙しく過ごしている。こういう明るく自立しているところが、皇帝の寵愛を得る所以なのか。

 彼女は真剣な顔になると、蒼瑛をじっと見る。息子の表情に疲れを見て取ると、諭すように言う。

「あなた……また無理してるでしょう」

「……別にしていませんよ」

「昔からすぐ、いい子になろうとするんだから」

「もう"いい子"という年ではありませんよ……母上こそ……」

 話題をそらそうと思った時に、母の目元に深いクマがあることに気がつく。
 芙蓉妃は指で目の下を指さした。

「あぁ、これ?嫌ね年を取ると……」

「眠れないのですか?」


 芙蓉妃は寂しそうに下を向く。

「後宮の女性は、皆不眠症よ」

 重くなった空気を察し「冗談よ」と言い添えられるも、愛されず、一人部屋で待つだけの妃嬪たちを見てきた蒼瑛は笑えなかった。




 貴妃宮を出た蒼瑛は、暗い気持ちだった。

 (母も貴妃として寵愛を受けていても、孤独な夜もあるのだろうか)

 夏が近づき、日は徐々に延びている。
 まだ明るい空を見て考える。

(なぜ一人の女性では駄目なのか……後継者が必要だとしても、数百人規模で妃を持つ必要が、どこにあるのか)


 女性達の心中を考え出すと、結局いつも、後宮という制度自体に反発を覚える。

 暖かい風に、蒼瑛はふと翠蓮を思い出す。
(彼女には、一生無縁な気持ちであってほしい)


 想い人を待って、ひたすら泣き暮らす人生なんて、翠蓮には送って欲しくない。

「後宮に行くと、いつもこうなるな」
 蒼瑛は、暗くなりがちな思考を振り切った。


◇ ◇

 その数日後だった。蒼瑛が皇帝から思わぬ依頼を受けたのは。

「楽府歌人である翠蓮を、芙蓉の寝殿に遣わすように」

 青天の霹靂だった。