そのキス、イエローカードです!


 本当に勉強を教わる気があるのか半信半疑だった勉強会は、意外にも、彼らが遊園地に行った翌日に開催された。学校は秋休み中なので、場所は我が家のリビング。しかも、桐生君と咲月だけでなく、僕の許可もなく勝手に参加者が増やされていた。

「二人教えるのも五人教えるのも一緒でしょ」

 と例によって、咲月が勝手なことを言って、事後承諾という形で押しつけてきたのだ。

 咲月と桐生君以外の参加者は、男子が一人、女子が二人の計三人。五人とも、咲月と同じクラス。
 男子はラグビー部員で、身長は桐生君より少し低いくらいだが、横幅は僕の二倍はあって、これまた高校一年生とは思えない体型をしていた。名前は駒田壮介(こまだそうすけ)
 彼のことはみんな正式な苗字で呼ばず、「熊さん」とか「くま」と呼んでいるらしい。顔も、丸顔につぶらな瞳をしていて、熊っぽい。

 女子のうち一人は追試のとき、女装した僕に話しかけてきたギャル系女子の夏目美羽(なつめみう)。普段の僕は黒縁眼鏡をかけて前髪も長めのせいか、僕が咲月の双子の兄だと自己紹介しても、追試を代わりに受けていたのが僕だとは全く気付いていなさそうだった。
 もう一人の女子は久世伊緒莉(くぜいおり)。彼女は追試組ではない。成績はクラスの上位だそうだが、何故か咲月とも仲がいいらしい。理数系が苦手で現国や英語が得意。僕は現国が一番苦手なので、現国の助っ人として彼女にも声をかけたようだ。

 熊さんだけ午前中はラグビー部の練習があったため、14時頃に遅れてやってきたが、他の人たちは昼食持参で午前中のうちに三々五々に集まってきた。

 桐生君は、試験勉強をしていないだけで理解力は悪くない。理数科目では解き方のポイントを教えてあげると、すぐに応用問題まで解けるようになった。
 咲月と夏目さんは、二次関数を解くのに中学で習うことからおさらいしないといけないので、公式を理解してもらうまでにかなり時間がかかった。
 それでも、意外なほどにみんなちゃんと真面目に勉強していたし、僕も現国の解き方のポイントを久世さんに教えてもらったりしたから、それなりに有意義な時間だった。

 夕方になり勉強会は終了した。女子たちが女子会と称して2階の咲月の部屋に行ったため、残された僕たちはリビングで男子会をすることになった。

「なぁ、熊。お前の知り合いに、誰か代わりに合コンに行ってくれる奴いねえ? 今週の土曜なんだけど。代わりに行ってくれる人がいたら、お礼に今度、学食奢る」

 女子二人が差し入れに持ってきてくれたドーナツを食べながら、桐生君が熊さんにそんなことを訊ねる。僕はこの時間におやつを食べると夕食を食べられなくなるので、ドーナツには手を出さず紅茶に息を吹きかけていた。

「桐生の代理? それ絶対、イケメン呼んでるって事前に言ってあるやつじゃん! 誰にも頼めねーし、お前の代理で行く猛者はいないって!」

 熊さんはドーナツを口に頬ばりながら、大袈裟に嘆いてみせた。
 ごっくんと音を鳴らして口の中のものを飲み込み、桐生君にうろんな目を向ける。

「何で合コン行かないことにしたんだよ。追試の日に彼女と別れるって言ってなかったか? もしかして、もう新しい彼女ができたとか?」

 桐生君は、なぜか僕をチラと見た。

「彼女とは別れた。新しい彼女はいない。……そういうのがちょっと面倒になっただけだ」
 
 熊さんは2個目のドーナツに伸ばしかけた手を引っ込め、つぶらな瞳を更に丸くした。

「急に勉強会するって言ったり、合コン行かないって言ったり、どうしたんだ!? もしかして、次は女教師でも狙ってるとか?」

 これには、僕まで、口に含んでいた紅茶を噴き出しそうになった。慌てて飲み込んだせいで、ゴホゴホと咳き込んでしまう。

「大丈夫か?」

 隣にいた桐生君が背中をさすってくれる。

「熊。お前が馬鹿なこと言うから、橘平がむせただろ」

「ご、ごめん」

 神妙な面持ちで大きな体を縮こませる熊さんに、「大丈夫だよ」と返した。

 そもそもは、友達からそんなことを言われる桐生君の素行の悪さのせいだ。
 苦情を込めて、隣の男をジト目でにらむ。

 でも、こういうときに咄嗟に背中をさするところとか、さりげなく心配するところとか、やっぱり根は他人を気遣える優しい人なのだと思う。桐生君みたいに背が高くて顔もいい人にこんなふうに優しくされて、コロッと恋に落ちてしまう女子の気持ちはわからないでもない。

「女教師も狙ってない。しばらく、女関係はいい」

 僕の咳き込みが落ち着いたところで、桐生君が返事をする。

「それは告白されても断るってことか? お前が彼女と別れたって知られたら、告白する女子の行列ができるぞ」

「お前はいちいち極端なんだよ。……でも、色々訊かれたり言われたりは面倒だから、別れたことはここだけの話にしておいてくれ」

「それはいいけど……。桐生の代わりに行ってくれそうな人なー」
 
 困った様子で熊さんは2個目のドーナツに手を伸ばす。

「熊さんは、そういうの行かないの?」

 僕は初めて口を挟んだ。
 熊さんにいま彼女がいなくて出会いを求めているのなら、熊さんが代わりに行けばいいのではと思ったのだ。タイプは全然違うけど、背は桐生君くらい高いし、熊さんも体格に似合わず愛嬌がある顔をしているので、女子受けは良さそうに思える。

 熊さんと桐生君が顔を見合わせて、なんとなく微妙な空気になった。
 僕、別に変なこと言ってないよな?

「俺は……、好きな人、いるから……」

「正直に言ったらいいじゃん。今日来たのも、色々訊きたいことがあったからだろ」

 口ごもった熊さんに、桐生君が発破をかけるようなことを言う。

 熊さんは一口分残っていたドーナツを口の中に放り込むと、ソファから降り、カーペットの上で畏まった。


「実は俺……神楽さんのことが好きなんだ……。妹さんの好みのタイプって、橘平君、知ってる?」

「ええっ!?」 

 思いもよらぬ熊さんの告白に、僕はバッと桐生君を見た。

 昨日、桐生君が、一緒に遊園地に行くメンバーの中に咲月のことを気に入ってる人がいると言っていた。あれは熊さんのことだったのかと合点がいく。同時に、面倒なことになった、とも思った。
 咲月は桐生君のことが好きだと言っていた。サッカーを頑張っていた頃の桐生君ならともかくとして、今の彼を好きな理由は、おそらく見た目だろう。
 全くタイプの違う熊さんに、「長身のイケメンが好きみたい」などとは言えない。
 桐生君と元カノとの修羅場に巻き込まれたばかりで、これ以上、他人の恋愛事に関わりたくはなかった。でも、熊さんの必死の眼差しを前に、「僕を巻き込まないで」と正直に言うこともできない。

「咲月の……、どこがいいんだ?」

 ひとまず、熊さんの本気度を確かめてみることにする。
 咲月は顔はそこそこ可愛いほうだと思うが、家での様子をみるに、性格はわがままで気が強い。
 床に正座し、肩をこわばらせた熊さんが、きょろきょろと挙動不審に視線を泳がせる。

「一番いいと思うのは……。優しいところかな」

 大きな顔が、みるみる赤くなっていく。

「どこが? あれのどこが優しいんだ?」

 思わず、本気で訝しんでしまった。

「前に俺が部活で右の手首を痛めたことがあって、左手で黒板を消してたら、神楽(かぐら)さんがすぐに気づいて、『右手怪我してるんでしょ』って言って黒板消しを変わってくれたんだ。あと、文字を書きにくいだろうからってノートのコピーもくれた。俺だけじゃなくて、普段よく話す人とかじゃなくても、体調が悪そうなときとか、一番に気づいて声かけてるの見たことある」

 そういうことなら、納得のいく話ではある。
 昔から、僕が無理をして呼吸苦を起こしたり、鈍くさいせいでよく転んだりするため、小学生の頃は母親がもう一人いるみたいにあいつが僕のことを気にかけていた。その延長で、今も他人の不調に敏いのだろう。

「告白はしないのか? 多分あいつ今、彼氏いないぞ」

 桐生君が「しばらく女関係はいい」と言っている以上、熊さんに告白されれば、そちらに傾く可能性もある。

「この前さ、女子が恋バナしてるの、たまたま聞いちゃって……。神楽さん、『桐生君がフリーなら告白するのに』って言ってたんだよね……」

 僕が言葉に詰まり、急に気まずい空気になった。
 好きな相手が桐生君と聞いても諦めないところは、運動部だからなのか、メンタルつよ、と秘かに驚嘆する。

「桐生君は……、咲月とつきあう気はないの?」

 熊さんには悪いが、そこのベクトルが双方向になるのが、一番話は早い。

「顔は好みだけどな」

 桐生君は、片頬だけを上げる意味深な笑みを浮かべてみせた。

「俺よりも、熊のほうが彼女には合ってる」

 まぁ。僕も、ぶっちゃけ、桐生君よりは熊さんのほうが安心できる。でも、咲月の気持ちもあるからなぁ。

「咲月の好みのタイプは僕も知らないけど……。自分のことを一番大事にしてくれる人が、あいつは好きだと思う」

 よくわからない、といった感じで、熊さんがきょとんとした顔をした。

「僕が病気持ちだったから、うちではいつも僕のことが優先されていたんだ。小さい頃は、入院のたびに母親が付き添っていたから、その間、妹は祖母の家に預けられていた。外出の予定を立てても、僕が体調を崩して中止になることはしょっちゅうだったし……。だから咲月は、自分のことを甘やかして、一番大事にしてくれる人に弱いと思う」

「それなら、俺、大丈夫!」

 熊さんの目が、急にキラキラと輝きだす。
 膝の上に置いていた両手を一回り以上大きな手に握られ、僕は思わず、体を引き気味にのけ反らせた。

「俺、頑張る。妹さんのこと、誰よりも大事にします!」

「ストップ! 橘平が怯えてんだろ」

 熊さんの大きな手は、桐生君によってぺりっと引き剥された。

「大事にする前に、まずは告白だろ。好きになって半年近く経つのに、何でまだ動かねーんだよ」

「みんなが一緒のときはそれなりに喋れるんだけど、神楽さんと二人きりになると、緊張して、急に何も言えなくなるんだよ……。そうだ!」

 熊さんが、両手をパンと叩き、何かを閃いた顔をした。

「橘平君が練習相手になってくれない? 眼鏡取ってカツラかぶったら、神楽さんに見えそうだよね。橘平君で練習したら、神楽さんとも普通に話せるようになる気がする!」

 再び手を握ってきそうな勢いの熊さんを、桐生君が今度は肩のあたりを足蹴にした。
 勢いはなかったが、熊さんが「痛っ」と小さく呻いて大袈裟によろめき、床に転がる。
 
「駄目に決まってんだろ。勉強教えてもらってるだけでも迷惑かけてんだから、そんなしょうもないこと頼むな」

 君は僕のマネージャーか!?
 女装した僕に彼女の替え玉をさせたのはどこのどいつだ!

 そんな文句を言ってやりたかったが、ぐっと飲み込んだ。

 時を置かずして廊下のほうから足音と声が近付いてくる。どうやら女子会が終わったようだ。
 それに合わせて男子会もお開きとなった。