放課後の校舎を意味もなく歩いていると、空いている扉の先に目が向いた。
空き教室に佇む古びた机には、透明なガラス瓶に土ごと植えられた一輪の花がある。
色褪せた紫色の蕾は、もう少しで開きそうな形を保ったまま、途中で力尽きたように俯いていた。その重さに耐えきれなくなったのか、茎の途中から力なく折れ曲がり、花は床に向かって沈み込んでいる。葉は低姿勢で放射線状に広がっているが、くすんだ緑色に見えた。
窓から陽の光が注がれていても、時間だけが過ぎていき、一向に動く様子はない。
ここまで垂れ下がってしまっては、もう二度と上を向くことはできないのだろう。生き続けることはできず、ただ終わりを待つしかない……そう結論付けてしまいたくなる程に、目の前の花は弱々しく見えた。
あの時から心が折れてしまった僕と、あまりにもよく似ていた。
◇◇◇
『うそ……だろ』
いつもなら誰しも当たる攻撃が、紙一重のタイミングで全て避けられていた。
それだけに留まらず、瞬時に背後に回り込まれ、攻撃を仕掛けようとしている。
『まずい!』
僕は急いでコントローラーを操作し、ゲーム画面のキャラに防御姿勢を取らせた。しかし、これまでの戦いでガードを使い切っており、すぐに身体が無防備に晒されてしまう。
『終わりだ』
相手のキャラが事前に蓄えていた力を一気に解き放つ。その瞬間、画面全体が赤く染まり、キュイーンと効果音が鳴り響く。
やばい、吹き飛ばされる! 少しでも威力を緩和するべく反射的にスティックを倒す。
角度は浅いし、ダメージも低い。まだステージに戻れる――はず、だった。
負けるなんて、ありえない。直前まで会場も僕自身も、勝利を疑っていなかった。
『ゲームセット!! 新生プレイヤーのトオルが、トップ選手のリクを打ち破りました!』
実況の雄叫びに、わーーーーっと観客の歓声が呼応し、会場全体を包み込む。
僕は言葉を失い、力が抜けた手からコントローラーが滑り落ちていく。
何が起きているのか、理解できなかった。
だが、ゲームモニターには、対戦相手のキャラが意気揚々と勝利の雄叫びを上げている。
僕はこれまで、ガン攻めで相手を圧倒し、高校生ながら幾度も大会で優勝をおさめてきた。予選落ちなんて一回もしたことなかった……はずなのに。
『なんだ……この程度か。がっかりだ』
対戦相手のトオルは、はぁ……とため息を吐き、席を立ちあがり去っていく。
何が悪かったんだ。いつも通りのガン攻めスタイルはできていたはず……なのに。
全てが見抜かれ、まるで赤子の手を捻るように、攻撃が通用しなかった。
次第に会場のざわめきも、僕を照らす光も、ゲーム音も、すべてが遠ざかっていく。
その瞬間、僕の世界は灰色に染まり、時の流れが止まってしまった。
◇◇◇
一瞬嫌な記憶が浮かんだが、反射的に息を吐き、意識の外へ追いやった。
椅子に座り、机に両腕を載せて花を見つめていると、突然背中の方からがらがらと教室の扉が開く音がする。誰かが来たのだろう。でも、そんなことはどうでもよかった。
今はただ、初めて出会ったのに、ずっと一緒にいてくれたような雰囲気をまとう、目の前の花を見ていたい。それに、学校に居場所がない僕には、行く所なんてどこにもなかった。
すると、後ろから足音が聞こえ、それは次第に大きくなっていき、僕がいる場所の真横で止まる。そして、花にそっと細長い手を伸ばし、まるで囁くように言った。
「ふふっまるで私みたい」
僕はその優しい声と朽ちゆく花へ寄せる思いに驚き、隣に目を向ける。
そこにいたのは、赤いサングラスをかけた女ヤンキーだった。
髪は金髪で、私立星ノ宮学院高校の藍色のブレザーとスカートを羽織り、黒のジャージを下に重ね着している。一月の寒い季節の学校ではよく見る服装だ。
彼女の胸ポケットを見ると、琴野と書かれた名札プレートがあった。ふちが緑で彩られているということは、同じく二年生なのだろう。ここまで目立つ容姿なら一度は見たことがあっても不思議ではないが、記憶には存在しなかった。
僕はその派手な見た目と、彼女の話が気になり言葉が出ずにいると……
「あなたにとって、この花はどう見えてるのかな。Eスポーツ科二年三組の大枝陸くん?」
「……なんで知ってるんだ?」
「そりゃ、うちの学校の特待生だし。それに……ね」
「あぁ、なるほど」
彼女は目を逸らす。その仕草だけで何を指しているのか分かった。
――あいつもう終わりじゃね?
――特待生のくせに……さっさと引退しろよ
そんな声が頭の奥で勝手に再生される。予選敗退の話が学校中で噂になっていたのだ。
コントローラーを握れなくなった今の僕が、いつまで特待生でいられるか分からない。
星ノ宮学院の特待生であることは、僕にとって肩書だけじゃなく、居場所であり、生活そのものだった。
それだけに、失うと考えただけで、息が詰まる。
「そんで……さ、あなたはどう思う? この花」
「もう……ダメだろ。ここまで首が座ってるんだ。潮時ってやつだろう」
僕の口から出た言葉なのに、全てが跳ね返り僕の胸をチクチクと突き刺す。
「そう言う人がいてもおかしくないかもね。でも……まだいける、立ち直れるよ」
琴野の眼には光が宿っていた。諦めることを知らない真っ直ぐとした瞳だった。
「いやいや、無理でしょ。違う花を育てた方が賢明だと思うけど?」
「ふ~ん、面白いね。ずーっとこの花を見ていたのを見ると、違う答えが来ると思ってた」
「おいっ見てたのか」
まさか人に観察されているとは知らず、顔が熱くなる。
「まぁ些細なことはいいとして……私と、勝負してみない?」
「勝負?」
「この花――桜草が春に咲くのか、あるいは枯れてしまうのか。賭けてみない?」
琴野は何やら企んでいるような笑みを浮かべそう言った。いかにも怪しい。
「それをして何になる? 僕は……忙しいんだけど」
まったくもって嘘だ。コントローラーさえも触れない自分には、時間はこれでもかという位有り余っている。今までは全部クラッシュ&ブレイカーズ、通称クラブレという対戦型アクションゲームに全てを費やしていたのだから……。悔しさもあってつい虚勢を張ってしまう。
「この花がもしも枯れるようなら、あなたの願いを何でも叶えてあげる」
「えっ」
「あ、でも変態なのはなしね、絶対なし」
琴野は自分で言ったくせに、勝手に顔を赤らめて、腕を組む。ちょっとは……考えたけど。
「はいはい。それで、もし花が咲いたら?」
「ふふっ私の願いを叶えてもらいます」
楽し気に自信満々でそう答える。見た目のいかつさとは裏腹に年相応の可愛らしさがあった。
どんな事を叶えたいのかは気になるが、この花の行く末には興味があった。それに、クラブレには触れることすらできない。時間つぶしにはちょうど良いだろう。
「いいのか、分の悪い勝負だぞ」
「私はそうは思わないな~桜草は放っておくと病気になりやすい。だから、手入れは欠かせないんだけど、寒さには強いんだ。それに、唯一の園芸部員として、やれることは全部やるから」
琴野は花に目を向けつつ、僕の方を真っ直ぐに見つめた。どこか気恥ずかしくて、目をそらしてしまう。
でも、この花の行く末は、きっと僕と似たような結末になる気がする。
このままだと咲く可能性は限りなく低い。最悪の形で終わることだってあり得る。
正直言って、怖い。もう立ち上がれなくなるかもしれない。
それでも、逃げるのは簡単だ。だったら、みっともなく足掻いてもいい。
自分にだけは、負けたくなかった。
「分かった、いいよ。ていうか、ここ園芸部の部室だったんだな、勝手に入ってごめん」
「うん、許してあげる。私は普通科二年一組、琴野花音でーす。よろしくっ」
琴野に手を差し出され、握手を交わす。派手な見た目だけど、手は柔らかくて温かった。
「あっやっば、こんな時間だ。明日から放課後はここ集合ね、また明日~」
「おいっ」
僕が言葉を続ける前に、彼女は走り早に行ってしまう。教室には僕と俯いた花だけがぽつりと残った。
空き教室に佇む古びた机には、透明なガラス瓶に土ごと植えられた一輪の花がある。
色褪せた紫色の蕾は、もう少しで開きそうな形を保ったまま、途中で力尽きたように俯いていた。その重さに耐えきれなくなったのか、茎の途中から力なく折れ曲がり、花は床に向かって沈み込んでいる。葉は低姿勢で放射線状に広がっているが、くすんだ緑色に見えた。
窓から陽の光が注がれていても、時間だけが過ぎていき、一向に動く様子はない。
ここまで垂れ下がってしまっては、もう二度と上を向くことはできないのだろう。生き続けることはできず、ただ終わりを待つしかない……そう結論付けてしまいたくなる程に、目の前の花は弱々しく見えた。
あの時から心が折れてしまった僕と、あまりにもよく似ていた。
◇◇◇
『うそ……だろ』
いつもなら誰しも当たる攻撃が、紙一重のタイミングで全て避けられていた。
それだけに留まらず、瞬時に背後に回り込まれ、攻撃を仕掛けようとしている。
『まずい!』
僕は急いでコントローラーを操作し、ゲーム画面のキャラに防御姿勢を取らせた。しかし、これまでの戦いでガードを使い切っており、すぐに身体が無防備に晒されてしまう。
『終わりだ』
相手のキャラが事前に蓄えていた力を一気に解き放つ。その瞬間、画面全体が赤く染まり、キュイーンと効果音が鳴り響く。
やばい、吹き飛ばされる! 少しでも威力を緩和するべく反射的にスティックを倒す。
角度は浅いし、ダメージも低い。まだステージに戻れる――はず、だった。
負けるなんて、ありえない。直前まで会場も僕自身も、勝利を疑っていなかった。
『ゲームセット!! 新生プレイヤーのトオルが、トップ選手のリクを打ち破りました!』
実況の雄叫びに、わーーーーっと観客の歓声が呼応し、会場全体を包み込む。
僕は言葉を失い、力が抜けた手からコントローラーが滑り落ちていく。
何が起きているのか、理解できなかった。
だが、ゲームモニターには、対戦相手のキャラが意気揚々と勝利の雄叫びを上げている。
僕はこれまで、ガン攻めで相手を圧倒し、高校生ながら幾度も大会で優勝をおさめてきた。予選落ちなんて一回もしたことなかった……はずなのに。
『なんだ……この程度か。がっかりだ』
対戦相手のトオルは、はぁ……とため息を吐き、席を立ちあがり去っていく。
何が悪かったんだ。いつも通りのガン攻めスタイルはできていたはず……なのに。
全てが見抜かれ、まるで赤子の手を捻るように、攻撃が通用しなかった。
次第に会場のざわめきも、僕を照らす光も、ゲーム音も、すべてが遠ざかっていく。
その瞬間、僕の世界は灰色に染まり、時の流れが止まってしまった。
◇◇◇
一瞬嫌な記憶が浮かんだが、反射的に息を吐き、意識の外へ追いやった。
椅子に座り、机に両腕を載せて花を見つめていると、突然背中の方からがらがらと教室の扉が開く音がする。誰かが来たのだろう。でも、そんなことはどうでもよかった。
今はただ、初めて出会ったのに、ずっと一緒にいてくれたような雰囲気をまとう、目の前の花を見ていたい。それに、学校に居場所がない僕には、行く所なんてどこにもなかった。
すると、後ろから足音が聞こえ、それは次第に大きくなっていき、僕がいる場所の真横で止まる。そして、花にそっと細長い手を伸ばし、まるで囁くように言った。
「ふふっまるで私みたい」
僕はその優しい声と朽ちゆく花へ寄せる思いに驚き、隣に目を向ける。
そこにいたのは、赤いサングラスをかけた女ヤンキーだった。
髪は金髪で、私立星ノ宮学院高校の藍色のブレザーとスカートを羽織り、黒のジャージを下に重ね着している。一月の寒い季節の学校ではよく見る服装だ。
彼女の胸ポケットを見ると、琴野と書かれた名札プレートがあった。ふちが緑で彩られているということは、同じく二年生なのだろう。ここまで目立つ容姿なら一度は見たことがあっても不思議ではないが、記憶には存在しなかった。
僕はその派手な見た目と、彼女の話が気になり言葉が出ずにいると……
「あなたにとって、この花はどう見えてるのかな。Eスポーツ科二年三組の大枝陸くん?」
「……なんで知ってるんだ?」
「そりゃ、うちの学校の特待生だし。それに……ね」
「あぁ、なるほど」
彼女は目を逸らす。その仕草だけで何を指しているのか分かった。
――あいつもう終わりじゃね?
――特待生のくせに……さっさと引退しろよ
そんな声が頭の奥で勝手に再生される。予選敗退の話が学校中で噂になっていたのだ。
コントローラーを握れなくなった今の僕が、いつまで特待生でいられるか分からない。
星ノ宮学院の特待生であることは、僕にとって肩書だけじゃなく、居場所であり、生活そのものだった。
それだけに、失うと考えただけで、息が詰まる。
「そんで……さ、あなたはどう思う? この花」
「もう……ダメだろ。ここまで首が座ってるんだ。潮時ってやつだろう」
僕の口から出た言葉なのに、全てが跳ね返り僕の胸をチクチクと突き刺す。
「そう言う人がいてもおかしくないかもね。でも……まだいける、立ち直れるよ」
琴野の眼には光が宿っていた。諦めることを知らない真っ直ぐとした瞳だった。
「いやいや、無理でしょ。違う花を育てた方が賢明だと思うけど?」
「ふ~ん、面白いね。ずーっとこの花を見ていたのを見ると、違う答えが来ると思ってた」
「おいっ見てたのか」
まさか人に観察されているとは知らず、顔が熱くなる。
「まぁ些細なことはいいとして……私と、勝負してみない?」
「勝負?」
「この花――桜草が春に咲くのか、あるいは枯れてしまうのか。賭けてみない?」
琴野は何やら企んでいるような笑みを浮かべそう言った。いかにも怪しい。
「それをして何になる? 僕は……忙しいんだけど」
まったくもって嘘だ。コントローラーさえも触れない自分には、時間はこれでもかという位有り余っている。今までは全部クラッシュ&ブレイカーズ、通称クラブレという対戦型アクションゲームに全てを費やしていたのだから……。悔しさもあってつい虚勢を張ってしまう。
「この花がもしも枯れるようなら、あなたの願いを何でも叶えてあげる」
「えっ」
「あ、でも変態なのはなしね、絶対なし」
琴野は自分で言ったくせに、勝手に顔を赤らめて、腕を組む。ちょっとは……考えたけど。
「はいはい。それで、もし花が咲いたら?」
「ふふっ私の願いを叶えてもらいます」
楽し気に自信満々でそう答える。見た目のいかつさとは裏腹に年相応の可愛らしさがあった。
どんな事を叶えたいのかは気になるが、この花の行く末には興味があった。それに、クラブレには触れることすらできない。時間つぶしにはちょうど良いだろう。
「いいのか、分の悪い勝負だぞ」
「私はそうは思わないな~桜草は放っておくと病気になりやすい。だから、手入れは欠かせないんだけど、寒さには強いんだ。それに、唯一の園芸部員として、やれることは全部やるから」
琴野は花に目を向けつつ、僕の方を真っ直ぐに見つめた。どこか気恥ずかしくて、目をそらしてしまう。
でも、この花の行く末は、きっと僕と似たような結末になる気がする。
このままだと咲く可能性は限りなく低い。最悪の形で終わることだってあり得る。
正直言って、怖い。もう立ち上がれなくなるかもしれない。
それでも、逃げるのは簡単だ。だったら、みっともなく足掻いてもいい。
自分にだけは、負けたくなかった。
「分かった、いいよ。ていうか、ここ園芸部の部室だったんだな、勝手に入ってごめん」
「うん、許してあげる。私は普通科二年一組、琴野花音でーす。よろしくっ」
琴野に手を差し出され、握手を交わす。派手な見た目だけど、手は柔らかくて温かった。
「あっやっば、こんな時間だ。明日から放課後はここ集合ね、また明日~」
「おいっ」
僕が言葉を続ける前に、彼女は走り早に行ってしまう。教室には僕と俯いた花だけがぽつりと残った。
