友達と勉強をするというのは、なんやかんや脱線してしまうもの。勉強をするという名目で響を我が家に招いたが、結局前のように夜通し遊び倒してしまった。
しかし、体育祭の後に打ち上げまでして、テンション上々で帰っているのだ。真面目に試験勉強が出来るはずがないのは、分かりきっていた。
もっとも、違うことも一つある。以前の経験を活かし、響が起きるまでは刺激を与えずそっとしておいたら、十二時には活動を開始できた。一人で妙な達成感に包まれた。
昼食を摂った後、昨日出来なかった試験勉強を改めて一緒にすることになり、今は俺の部屋でローテーブルを挟んで勉強中。
――真面目に取り組むこと三十分。
俺のスウェットを着て大きな黒縁眼鏡をかけた響が、これまた可愛いこと。真剣に勉強に取り組む姿勢を間近で見たことがなかったので、ついチラチラと見てしまう。
(これが二人いるのか)
見たこともない雅をその隣に並べて妄想してみる――。
不覚にもクラスの一軍連中の好奇心旺盛にキャーキャー言う声が聞こえてきてしまった。イラッとする反面、俺だけがその事実を知っているのだと思うと、一人ほくそ笑んでしまう。
ただ、体育祭実行委員は響の情報を入手していたわけで、その内の全員とまではいかなくとも数人は知っていることになる。響の顔を曇らすことがなければ良いのだが……。
不安げに視線を響の手元に移した時だった。
「金さん、大丈夫?」
ノールックで聞かれ、肩をピクッと震わせる。視線も慌てて自分のノートに向ける。
「え、だ、大丈夫って? 何が?」
動揺を隠しきれない俺に、今度はしっかりと顔を向けてフッと笑った。
「さっきから、一人で百面相してるよ」
「し、してねぇし」
視野の中に入っていたのなら、もっと早くに声をかけて欲しかった。穴があったら入りたい。
誤魔化すように数学の教科書を響の前に持っていく。
「数学の辻、こういう応用問題出すの好きだから、ここもやっといた方が良いぞ」
「そうなんだ。ありがとう」
「あ、あと、英語は文章しっかり読まないと、引っかけとかめっちゃ入れてくるから。俺も過去に何度も泣かされた」
「そっか」
「ま、まぁ、しっかり読めば大抵解ける問題だから、焦らないことが大事だ」
今まさに焦っている俺がアドバイスするようなことではないが、響は素直に頷いてくれる。ただ、その余裕そうな顔に全てを見透かされているような気がして、落ち着こうとすればするほど落ち着かない。そして、それをも見透かしているように響は提案した。
「あのさ、金さん。ちょっと出る?」
「…………?」
「甘いものでも買いに行かない? そこのコンビニに、期間限定でサツマイモのスイーツとか色々出てたよ」
「よし、それ買いに行こう」
俺は提案に乗った。
ひとまず、外の空気を吸いに行こう。このままでは、羞恥に押しつぶされて余計なことを口走りそうでならない。
◇◇◇◇
徒歩五分圏内にあるコンビニへと向かった俺と響。しかし、目的のサツマイモのスイーツが売り切れで、少し距離はあるけれど他のコンビニへと向かった――。
自動ドアをくぐった響は、スウィーツコーナーに一直線。
「あ、金さん。あったよ!」
手招きされて、俺ものんびりと店内を見渡しながら奥へと歩く。
閑静とした住宅街に位置した場所にあるコンビニだからか、客は俺達を含めても四人。一人が出て行こうとしているので、三人になった。
「あんま大きな声出すなよ。響の声、響くんだからさ。恥ずいだろ……って、今のはダジャレじゃないからな。違うからな」
「ははは、金さんがダジャレ言った」
「だから違うって。お前の名前のせいだろ」
理不尽に責任転嫁しながら、陳列された商品を左から順に見ていく。
そこには期間限定メニューとして、サツマイモを使ったモンブランとロールケーキ、たい焼き、そしてカボチャを使ったプリンなどがずらりと並べられている。
「んー、どれにするかな……」
悩んでいる俺の隣で、響もサツマイモのモンブランとロールケーキの二つを交互に「どちらにしようかな」と天の神様に聞いている。この光景は、今や日常になっている。そして、これも――。
「んじゃ、俺モンブラン買うわ。響はロールケーキにしたら?」
「良いの?」
「シェアしたら二倍楽しめるからな」
こうなることは毎回なのに、響は毎度のように嬉しそうにする。だから、次もシェアしたい気持ちになる。
響がロールケーキを持ったので、俺もモンブランを手に取った。
レジに並んで会計をしていると、奥のスタッフルームから「お先に休憩頂きました!」と明るく元気な挨拶をしながら女性店員が出てきた。その姿に俺は目を疑った。だって、そこにいたのは、いつも俯いている早川に似ていたから。否、彼女は早川本人だ。
前髪で顔が隠れていないキリッとした瞳が印象的な彼女は、学校との印象がまるで違う。しかし、それを瞬時に認識出来たのは、肩にかかる髪がガタガタなのと『早川渚』と書かれた名札があったから。
早川も俺と響をすぐに認識し、俺と同様に固まった。
ここは気が付かなかったことにして帰ろう。うん、それが良い。そう思って、三百円をキャッシュトレイに置くと、響が気にした様子もなく声をかけた。
「早川さんじゃん。ここでバイトしてるの?」
「ちょ、響」
「ん?」
俺の気遣いはどこへやら。レジを打っているおばちゃん店員も口を開く。
「あら、早川さんのお友達?」
「いえ」
早川から否定の言葉が出つつも、響はニコニコしながらそれをバッサリ切り捨てる。
「それはもう、とっても仲良しさんだよね。修学旅行も同じ班だもんね」
前半は嘘だが後半は本当なので、早川がどう返事をして良いか迷っているよう。その見た目では考えられない程に、酷くおどおどしている。
「ちが……わないけど、ちが……うし、でも、ちがわない」
「もう、早川さんも隅に置けないわね。もうちょっと休憩してきて良いわよ。はい、お釣り三十円ね」
おばちゃん店員は途中だった会計を終わらせ、ニヤニヤしながら早川の背中を押す。
「い、いえ。私は……」
「大丈夫よ。お客さん、全然いないし」
「でも……」
何故か店外に三人、追いやられてしまった。
人通りもなく静かなそこは、鳥の鳴き声が良く聞こえる。
響はしゃがんで蟻の行列を観察し、早川は俯き加減に斜め下を向いている。俺も明後日の方向をぼんやりと眺めながら、誰かが口を開くのを待つ。誰かと言っても、早川はまず開かないだろうから、響しかいないのだが……。
肝心の響に目を向ければ、俺の視線に気付いたようで見上げてきた。ニコッと微笑まれ、再び蟻の行列へと目をやった。
(って、おい! いっつもみたいに、なんか喋れよ! 気まずいだろ! てか、響が話しかけるからこうなったんだろうが!)
心の中でツッコミつつ、誰も動かなさそうなので俺が静寂を破るハメに……。
「あー、早川は、いつからここでバイトしてんの?」
「……去年」
「へぇ」
会話終了。
帰りたい。今すぐに帰りたい。早川も同じ気持ちだろう。早く仕事に戻りたいはずだ。
チラリと後ろを振り返って店内を見やれば、おばちゃん店員が笑顔で手を振ってきた。
「感じの良い人で働きやすそうだな」
「うん」
これくらい話せばもう良いだろう。
「じゃ、俺ら帰るわ。響、行くぞ」
「はぁい」
間の抜けた返事をしながら響が立ち上がる。二人で来た道を戻ろうと早川に背を向ければ「あ、あの!」と、裏返った声で呼び止められた。
「ん?」
後ろを振り向くと、胸の辺りに早川の頭突きがヒットした。
「……え?」
痛くはないが、驚きのあまり僅かによろける。
人生で頭突きをされたのは初めてで、しかもそれが早川で、俺は呆気に取られる以外の反応は取れそうになかった。
そして、頭突きをしてきた張本人は俺を睨み上げてから店内に入って行った――――。
「……は?」
呆然と立ち尽くす俺に、響は茶化すような笑みを浮かべながらパーカーの袖をピッピッと引っ張ってきた。
「金さん、猛アタック受けてたね」
「それはもう……」
「隅に置けないねぇ」
歩き出す響に付いて俺も足を動かすが、気持ちは付いて来ない。
俺は、早川に何かしただろうか。あの睨み方は、好意を抱く相手に向けるものではないのは確かで、頭突きをしたい程に嫌われているのだろうか。感謝はされど、恨みを買った覚えはない。そう、俺は早川を助ける為に、クラスメイトらに響と付き合っていると思われても文句を言わずに大人しくしているのだ。それなのに、この仕打ちはなんだ?
じわじわと時間差で怒りが込み上げてきた。
「チッ、火曜日学校行ったら、一言文句言ってやる」
「今行かないの?」
「バイト中に迷惑だろ」
「金さん、そういうとこちゃんとしてるよね」
俺は走れなくなって捻くれているだけで、本来は体育会系の優等生タイプ。文科系の優等生タイプの長谷川とは少し違って、礼儀正しさや規律を重んじる真面目さだけでなく、部活動で培った体力やタフな精神力も兼ね備えている。自負するわけではないが、その場の感情に任せて、他者に迷惑がかかることはしない。
そんな俺が……だ。何故、こんな目に遭わねばならないのか。
「俺、マジで何かしたんかな……」
怒りの次は、不安が浮上してきた。
誰に嫌われても良いが、その相手が早川となると話は違ってくる。少なくとも、同じクラスになってからのこの半年間、気にかけていた相手だ。そんな相手に嫌われるのは腑に落ちない。
とはいえ、響が転校して来るまでは、合いの手などいっそ入れることはなかった。
「だからか……」
「金さん、大丈夫?」
小首を傾げて見上げてくる響のように、最初から助けてやらなかったから。だから、俺は恨まれているのか。納得して、自己嫌悪に陥る。
「てか、アイツ。学校でも前髪上げれば良いのにな」
「可愛かったね」
「だな」
「金さんも、とうとう初恋?」
「バッ、ち、違うし」
思わず動揺してしまった。せっかく勉強中の百面相を見られていたことの羞恥心が落ち着いたというのに、また揶揄われそうだ。ここは、冷静に……冷静に。
それはさて置き『前髪を上げれば良い』本気でそう思った。早川の素顔は、漫画の主人公のように前髪を上げると飛びきり可愛い……とまではいかなくとも、それに近しい感想を抱いた。おばちゃん店員に挨拶する様は、根暗とは言わせないような活発なもの。バイト先で見せる顔を時倉らが見たら、絶対と言って良いほど弄らなくなるだろう。むしろ、友達になりたいと言い出すかもしれない。
帰り道、終始早川のことを考えて歩いていたら、響がいつの間にやらロールケーキの袋を切れ目から破っていた。それを俺の口に突っ込んでくる。
「ッんぐ」
「美味しい?」
口に入ったロールケーキを頬張り、ゴクリと飲み込んだ。
「な、何すんだよ」
「早く食べたいなぁって思って」
響も食べかけのロールケーキをパクッと食べた。
「ん、美味しい」
頬を押さえて破顔する様は、本当に美味しいのだと分かるほどだ。ただ、それは響の感想であって、甘いものが得意でない俺は少し違う。
「美味いけど、緑茶が欲しい。コーヒーが飲みたい」
「モンブランならあるよ」
「更に甘々になるだろ。こういうのは、苦いのと食べるから美味いんだよ」
そこの曲がり角を曲がれば家だというのに、何故待てないのか。辟易する反面、嬉しそうにロールケーキを頬張る響が心配になる。
今朝もまた、響が俺の服を涙で濡らしていたから――――。
しかし、体育祭の後に打ち上げまでして、テンション上々で帰っているのだ。真面目に試験勉強が出来るはずがないのは、分かりきっていた。
もっとも、違うことも一つある。以前の経験を活かし、響が起きるまでは刺激を与えずそっとしておいたら、十二時には活動を開始できた。一人で妙な達成感に包まれた。
昼食を摂った後、昨日出来なかった試験勉強を改めて一緒にすることになり、今は俺の部屋でローテーブルを挟んで勉強中。
――真面目に取り組むこと三十分。
俺のスウェットを着て大きな黒縁眼鏡をかけた響が、これまた可愛いこと。真剣に勉強に取り組む姿勢を間近で見たことがなかったので、ついチラチラと見てしまう。
(これが二人いるのか)
見たこともない雅をその隣に並べて妄想してみる――。
不覚にもクラスの一軍連中の好奇心旺盛にキャーキャー言う声が聞こえてきてしまった。イラッとする反面、俺だけがその事実を知っているのだと思うと、一人ほくそ笑んでしまう。
ただ、体育祭実行委員は響の情報を入手していたわけで、その内の全員とまではいかなくとも数人は知っていることになる。響の顔を曇らすことがなければ良いのだが……。
不安げに視線を響の手元に移した時だった。
「金さん、大丈夫?」
ノールックで聞かれ、肩をピクッと震わせる。視線も慌てて自分のノートに向ける。
「え、だ、大丈夫って? 何が?」
動揺を隠しきれない俺に、今度はしっかりと顔を向けてフッと笑った。
「さっきから、一人で百面相してるよ」
「し、してねぇし」
視野の中に入っていたのなら、もっと早くに声をかけて欲しかった。穴があったら入りたい。
誤魔化すように数学の教科書を響の前に持っていく。
「数学の辻、こういう応用問題出すの好きだから、ここもやっといた方が良いぞ」
「そうなんだ。ありがとう」
「あ、あと、英語は文章しっかり読まないと、引っかけとかめっちゃ入れてくるから。俺も過去に何度も泣かされた」
「そっか」
「ま、まぁ、しっかり読めば大抵解ける問題だから、焦らないことが大事だ」
今まさに焦っている俺がアドバイスするようなことではないが、響は素直に頷いてくれる。ただ、その余裕そうな顔に全てを見透かされているような気がして、落ち着こうとすればするほど落ち着かない。そして、それをも見透かしているように響は提案した。
「あのさ、金さん。ちょっと出る?」
「…………?」
「甘いものでも買いに行かない? そこのコンビニに、期間限定でサツマイモのスイーツとか色々出てたよ」
「よし、それ買いに行こう」
俺は提案に乗った。
ひとまず、外の空気を吸いに行こう。このままでは、羞恥に押しつぶされて余計なことを口走りそうでならない。
◇◇◇◇
徒歩五分圏内にあるコンビニへと向かった俺と響。しかし、目的のサツマイモのスイーツが売り切れで、少し距離はあるけれど他のコンビニへと向かった――。
自動ドアをくぐった響は、スウィーツコーナーに一直線。
「あ、金さん。あったよ!」
手招きされて、俺ものんびりと店内を見渡しながら奥へと歩く。
閑静とした住宅街に位置した場所にあるコンビニだからか、客は俺達を含めても四人。一人が出て行こうとしているので、三人になった。
「あんま大きな声出すなよ。響の声、響くんだからさ。恥ずいだろ……って、今のはダジャレじゃないからな。違うからな」
「ははは、金さんがダジャレ言った」
「だから違うって。お前の名前のせいだろ」
理不尽に責任転嫁しながら、陳列された商品を左から順に見ていく。
そこには期間限定メニューとして、サツマイモを使ったモンブランとロールケーキ、たい焼き、そしてカボチャを使ったプリンなどがずらりと並べられている。
「んー、どれにするかな……」
悩んでいる俺の隣で、響もサツマイモのモンブランとロールケーキの二つを交互に「どちらにしようかな」と天の神様に聞いている。この光景は、今や日常になっている。そして、これも――。
「んじゃ、俺モンブラン買うわ。響はロールケーキにしたら?」
「良いの?」
「シェアしたら二倍楽しめるからな」
こうなることは毎回なのに、響は毎度のように嬉しそうにする。だから、次もシェアしたい気持ちになる。
響がロールケーキを持ったので、俺もモンブランを手に取った。
レジに並んで会計をしていると、奥のスタッフルームから「お先に休憩頂きました!」と明るく元気な挨拶をしながら女性店員が出てきた。その姿に俺は目を疑った。だって、そこにいたのは、いつも俯いている早川に似ていたから。否、彼女は早川本人だ。
前髪で顔が隠れていないキリッとした瞳が印象的な彼女は、学校との印象がまるで違う。しかし、それを瞬時に認識出来たのは、肩にかかる髪がガタガタなのと『早川渚』と書かれた名札があったから。
早川も俺と響をすぐに認識し、俺と同様に固まった。
ここは気が付かなかったことにして帰ろう。うん、それが良い。そう思って、三百円をキャッシュトレイに置くと、響が気にした様子もなく声をかけた。
「早川さんじゃん。ここでバイトしてるの?」
「ちょ、響」
「ん?」
俺の気遣いはどこへやら。レジを打っているおばちゃん店員も口を開く。
「あら、早川さんのお友達?」
「いえ」
早川から否定の言葉が出つつも、響はニコニコしながらそれをバッサリ切り捨てる。
「それはもう、とっても仲良しさんだよね。修学旅行も同じ班だもんね」
前半は嘘だが後半は本当なので、早川がどう返事をして良いか迷っているよう。その見た目では考えられない程に、酷くおどおどしている。
「ちが……わないけど、ちが……うし、でも、ちがわない」
「もう、早川さんも隅に置けないわね。もうちょっと休憩してきて良いわよ。はい、お釣り三十円ね」
おばちゃん店員は途中だった会計を終わらせ、ニヤニヤしながら早川の背中を押す。
「い、いえ。私は……」
「大丈夫よ。お客さん、全然いないし」
「でも……」
何故か店外に三人、追いやられてしまった。
人通りもなく静かなそこは、鳥の鳴き声が良く聞こえる。
響はしゃがんで蟻の行列を観察し、早川は俯き加減に斜め下を向いている。俺も明後日の方向をぼんやりと眺めながら、誰かが口を開くのを待つ。誰かと言っても、早川はまず開かないだろうから、響しかいないのだが……。
肝心の響に目を向ければ、俺の視線に気付いたようで見上げてきた。ニコッと微笑まれ、再び蟻の行列へと目をやった。
(って、おい! いっつもみたいに、なんか喋れよ! 気まずいだろ! てか、響が話しかけるからこうなったんだろうが!)
心の中でツッコミつつ、誰も動かなさそうなので俺が静寂を破るハメに……。
「あー、早川は、いつからここでバイトしてんの?」
「……去年」
「へぇ」
会話終了。
帰りたい。今すぐに帰りたい。早川も同じ気持ちだろう。早く仕事に戻りたいはずだ。
チラリと後ろを振り返って店内を見やれば、おばちゃん店員が笑顔で手を振ってきた。
「感じの良い人で働きやすそうだな」
「うん」
これくらい話せばもう良いだろう。
「じゃ、俺ら帰るわ。響、行くぞ」
「はぁい」
間の抜けた返事をしながら響が立ち上がる。二人で来た道を戻ろうと早川に背を向ければ「あ、あの!」と、裏返った声で呼び止められた。
「ん?」
後ろを振り向くと、胸の辺りに早川の頭突きがヒットした。
「……え?」
痛くはないが、驚きのあまり僅かによろける。
人生で頭突きをされたのは初めてで、しかもそれが早川で、俺は呆気に取られる以外の反応は取れそうになかった。
そして、頭突きをしてきた張本人は俺を睨み上げてから店内に入って行った――――。
「……は?」
呆然と立ち尽くす俺に、響は茶化すような笑みを浮かべながらパーカーの袖をピッピッと引っ張ってきた。
「金さん、猛アタック受けてたね」
「それはもう……」
「隅に置けないねぇ」
歩き出す響に付いて俺も足を動かすが、気持ちは付いて来ない。
俺は、早川に何かしただろうか。あの睨み方は、好意を抱く相手に向けるものではないのは確かで、頭突きをしたい程に嫌われているのだろうか。感謝はされど、恨みを買った覚えはない。そう、俺は早川を助ける為に、クラスメイトらに響と付き合っていると思われても文句を言わずに大人しくしているのだ。それなのに、この仕打ちはなんだ?
じわじわと時間差で怒りが込み上げてきた。
「チッ、火曜日学校行ったら、一言文句言ってやる」
「今行かないの?」
「バイト中に迷惑だろ」
「金さん、そういうとこちゃんとしてるよね」
俺は走れなくなって捻くれているだけで、本来は体育会系の優等生タイプ。文科系の優等生タイプの長谷川とは少し違って、礼儀正しさや規律を重んじる真面目さだけでなく、部活動で培った体力やタフな精神力も兼ね備えている。自負するわけではないが、その場の感情に任せて、他者に迷惑がかかることはしない。
そんな俺が……だ。何故、こんな目に遭わねばならないのか。
「俺、マジで何かしたんかな……」
怒りの次は、不安が浮上してきた。
誰に嫌われても良いが、その相手が早川となると話は違ってくる。少なくとも、同じクラスになってからのこの半年間、気にかけていた相手だ。そんな相手に嫌われるのは腑に落ちない。
とはいえ、響が転校して来るまでは、合いの手などいっそ入れることはなかった。
「だからか……」
「金さん、大丈夫?」
小首を傾げて見上げてくる響のように、最初から助けてやらなかったから。だから、俺は恨まれているのか。納得して、自己嫌悪に陥る。
「てか、アイツ。学校でも前髪上げれば良いのにな」
「可愛かったね」
「だな」
「金さんも、とうとう初恋?」
「バッ、ち、違うし」
思わず動揺してしまった。せっかく勉強中の百面相を見られていたことの羞恥心が落ち着いたというのに、また揶揄われそうだ。ここは、冷静に……冷静に。
それはさて置き『前髪を上げれば良い』本気でそう思った。早川の素顔は、漫画の主人公のように前髪を上げると飛びきり可愛い……とまではいかなくとも、それに近しい感想を抱いた。おばちゃん店員に挨拶する様は、根暗とは言わせないような活発なもの。バイト先で見せる顔を時倉らが見たら、絶対と言って良いほど弄らなくなるだろう。むしろ、友達になりたいと言い出すかもしれない。
帰り道、終始早川のことを考えて歩いていたら、響がいつの間にやらロールケーキの袋を切れ目から破っていた。それを俺の口に突っ込んでくる。
「ッんぐ」
「美味しい?」
口に入ったロールケーキを頬張り、ゴクリと飲み込んだ。
「な、何すんだよ」
「早く食べたいなぁって思って」
響も食べかけのロールケーキをパクッと食べた。
「ん、美味しい」
頬を押さえて破顔する様は、本当に美味しいのだと分かるほどだ。ただ、それは響の感想であって、甘いものが得意でない俺は少し違う。
「美味いけど、緑茶が欲しい。コーヒーが飲みたい」
「モンブランならあるよ」
「更に甘々になるだろ。こういうのは、苦いのと食べるから美味いんだよ」
そこの曲がり角を曲がれば家だというのに、何故待てないのか。辟易する反面、嬉しそうにロールケーキを頬張る響が心配になる。
今朝もまた、響が俺の服を涙で濡らしていたから――――。



