誓詞~健やかなるときも病めるときも~


 時雨君が戻って来たのは、あれから1時間ほど経過した頃だった。

「よく戻った! 肝が冷えたぜ」

 ふらつく時雨君を椅子に座らせる。清水君がキッチンへと駆け込み、大量の何かを盆に乗せて帰ってきた。

「はいっ、エネルギー補給して!」

 時雨君は目の前に差し出された和菓子の山から練り切りをひとつ鷲掴みすると、ばくりと頬張る。咀嚼している間に、待機中の話をした。今はもう鳴り止んでいる常田實のスマートフォンを一瞥する。

「俺たちだけで触れていいものか判断が難しかったので、アプリは開かずそのままにしている状態です」

 淹れたての緑茶を飲んで漸くひと息ついた様子の時雨君が口を開いた。

「なるほど。そこまで視えていたんですね。……新郎新婦、か」
「はい。黒髪の和装をした女性でした」

 デスクの方に置かれていた黒手袋と常田實のスマートフォンを持って来るように言われ、その通りにする。

「動画にも映ってたっていう、あの日記の女が元凶なんだろ? 一体やつは何者なんだ」
「うーん。一応この件については粗方話が済んだので、もう名前を出してしまいますけど」

 そう前置きをして、時雨君があちら側としてきた話し合いの顛末を教えてくれた。

「皆さんも、門ふみえがこの世ならざる存在だということは十分わかっていると思います。でも厳密に言うと、あれはひとりじゃない」
「と、いうと……?」
「常田實にも動画で視たのと同じような女性の風貌で映っていたと思います。でも僕の目には、あれが人形(ひとがた)の中でひしめき合う大量の未浄化に視える」

 時雨君の瞳は虚空を見つめていた。

「ずっと、なんかおかしいなと思ってたんですよ。仮にひとりの浮遊霊が通りすがりの生身の男に執着したところで、こんなあからさまに向こうが干渉してくるなんてこと、まず考えにくいから」

 交渉に応じ出てきたのは、なんと日記に田處という名で登場した存在。現世では懸衣翁(けんえおう)などと呼ばれる、いわゆる“三途の川”で亡者の入国管理官をしている者らしい。

 勝手に生者を連れていかれては困ると伝えると、「お前たちがいつまでも手を(こまね)いているので、我々が直接役を担える者に白羽の矢を立てたまで」という回答が返ってきたのだという。

「蓋を開けてみたら、かなり根深い問題が絡んでいたってわけです」

 かねてより両国間では、輪廻の停滞が問題視されているらしい。魂はある一定の数で循環しているのだが、近年は死したあとも現世に留まり続ける未浄化の数が急増しているのだとか。

 中には「また生まれるのが怖い」と敢えて生まれ変わりを拒否する者も多く、状況は深刻なのだと言っていた。このままでは世の均衡が崩れ、ひいては現世人口数の目減りにも繋がってしまうのだと。

 柊も問題解消のために日夜動いているそうだが、向こうから言わせれば「一向に改善していない」らしい。そうしてあちら側が痺れを切らし、直接手を下そうと干渉するに至った中のひとつが、今回の事件だというのだ。

 常田實が抜擢されたのは、“伴侶”の意味どおり長い時を連れ添う相手――つまり、大量の未浄化たちが生まれ変わるまでの旅路に寄り添うパートナーとしての役目だった。

「要は共通のタグを持つ大勢の未浄化を“ひとり”の中にぎゅっと圧縮して伴侶役に引率をさせ、もうまとめて生まれ変わりを促進させちゃおう、っていう超力業です」
「そ、そんな無茶な……」

 ちなみに門ふみ恵は、“恋愛に関する強い執着や情念系のタグ”で集まった者たちだという。

 “ひとみ”も別種の未浄化の集合体だろうということだった。藤原悠は、やはり不適格と判断され消滅したのだと聞かされ、言葉を失う。
 また新たな“伴侶役”を勝手に決められる前に、急ぎ全体会議を開かなければいけない、と頭を痛めていた。

「藤原悠みたいな反応がむしろ普通っていうか、人間らしい反応だとは思いますけどね」

 むしろ常田實のほうがイレギュラーだったのだと、時雨君は言った。

「常田實って、よくも悪くも人間臭くないんですよ。永遠の愛を求めていて共存関係も成立しちゃっていたので、たぶん藤原悠のいざこざがなければ、全く抵抗がない状態で向こうに馴染んでいたと思います。……確かにこうしてみると、向こう側からすれば激レアな人材のはずなので、納得の抜擢ではある」
「ええ、例えばどこらへんが?」
「限りなく我欲が薄いところとか、不変的な愛を――もっというと命すらも迷わず捧げられるところとか? 変容が常の現世において、それって結構難しいことだから」

 時雨君は、黒手袋をはめると袋からスマートフォンを取り出した。先ほどひとりでに点灯した画面に電源は入っておらず。電源を入れて見てみると、おびただしい量のにっきろぐの通知が来ていた。
 花守室長は画面の日付を見て目を丸くしている。

「2028、2029……おいおいなんじゃこりゃ! 何年先の日記まで書かれてるんだよ」
「旅行中の様子を僕らに見せたいんでしょうね。でもこれはうちで浄化しておくので、これ以上見ないほうがいいです。こっちの感覚が狂うだけだから」

 そう言ってスマートフォンの電源をすぐに切ると、箱の中へ放った。

「ていうか、聞いてくださいよ。契約書なんて随分手の込んだことするじゃんって言ったら、なんて返ってきたと思います? “知らぬ間に名を書かせ契約で縛り付けるのは、人間の得意とする手法だろう。それに倣い形で残してやったのに、文句の多いことだ”だってさ! あー、思い出したら腹が立ってきた」

 怒りに任せてどら焼きにかぶりついている時雨君を見ていたら、急にこちらを向いたのでびくりとした。

「あぁ、そういえば危なかった人がもうひとりいた」
「え?」
「あの子もなかなか良いねって言われてましたよ。クリーンで変に擦れてない感じですもんね」
「ひえっ。ちょっと土井さん、やばいじゃないですか!」

 緑茶のお代わりを淹れていた清水君に両肩を激しく揺らされ、頭がぐわんぐわんする。「いやだめだ、先につばを付けて置いたのは俺たちだぞ!」と花守室長まで一緒になって騒いでいる。

「そこはさすがに止めましたよ。僕の御守りも持ってるんですよね?」
「持ってる」
「なら大丈夫です。ま、これからもよろしく頼みますよ、土井さん」
「あ、名前……」

 ふたりがにんまりしながらこちらを見た。

「てか、ぼけっとしてないで荻原美香の状態確認行ってもらっていいですかね。僕は兄貴に報告入れないといけないし」
「おおっ。荻原美香は無事なんだな?」
「とりあえずは大丈夫だと思います。これ以上常田實に執着しなければ」

 “とりあえず”というのが若干引っかかるが、もう身体症状は消失しているだろうということで、これからすぐに移送先まで安否を確認しに行くこととなった。

 常田實と藤原悠が戻ることは、もうない。縁者に、その真実を伝えることもかなわない。

 奇対室で扱う事件は事後処理がいちばん大変なのだと聞いていたが、俺はそのことをこの後嫌というほど実感することになるのだった。