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「な、何が起こっているんだ……」
モニターを凝視して固まるのはこれで何度目だろうか。
ひとまず、ひとまずは目を通してしまおう。そう宥めすかされながらここまで様々なデータを見聞きしてきたが、もう限界だった。
気付けばとっぷり日が暮れており、壁掛け時計の針はもうすぐ17時を指そうとしている。
「室長、これヤバすぎますよ。柊直行案件じゃないですか!」
「そりゃうちに寄越して来るわけだ……」
長時間モニターを見続けたせいで、目に疲労が蓄積されている。しかし、目薬をさす清水君の横で、俺は今なおモニターを凝視していた。
「ふう。土井さん、大丈夫ですか? ひとつひとつ見ていくだけでもかなり消耗したでしょう」
「いや、あの……なんなんですかこれは。俺の頭がおかしいのでしょうか」
聞き込み捜査を録音した音声ファイルは、俺が初手で深谷不動産のデータを開いてしまい、結局最後にまとめて聞くことになった。
内容の異様さから、一々手が止まってしまうからだ。全て聞き終わった後は、耳を疑いたくなるような情報の数々に半ば放心した。
スマートフォンのデータは、使用頻度の高そうなアプリのデータから順に見ていった。
初めのうちは、元恋人の付きまとい行為に思い悩む様子が印象的で、男女間のトラブルが生じた可能性もやはり視野に入れておくべきだと考えていた。
しかし、深海不動産とのやりとりから雲行きが一気に怪しくなる。契約締結までのスピード感が不自然なくらい早いのと、同時期に夢を見るようになってからの常田實の精神状態は、はっきり言って正常とは言い難い。
特に、彼が日記をつけていた「にっきろぐ」というアプリ内データと、インステグラムのアカウント。これらには得体の知れない恐怖を感じた。
にっきろぐは、最古のデータが2025年11月16日と始めてからまだ2ヶ月も経っていなかった。しかし、解析モニタの記事一覧には、明らかにそれよりも多い数のデータが表示されていたのだ。
最新の日記は、なんと2027年のものだったのである。今日現在の日付は2026年1月5日だというのに、だ。
古い記事から順に見ていったが、実際にそれだけの時を生きているかのようなリアルさのある未来日記が綴られていた。
そして常田實が惚気垢と称して始めたインステグラムのアカウント。試しに俺や清水君のスマートフォンから同じアカウントを検索してみたがヒットしない。
しかし、常田實のスマートフォンの中には確かにふみ恵という女性との日々のポストが存在していた。にっきろぐの中に書かれていた通りなのであれば、これは本当に“あっち専用”のアカウントということになるのだろう。
「安心してください。土井さんの脳みそは至って正常ですよ」
清水君は苦笑する。難しい顔で腕組みをしていた花守室長がこちらへ視線を向けると、俺に問うてきた。
「土井君。俄かには信じ難いとは思うが、うちの扱う“奇異事象”がどんなものかってのは、これでよく分かってもらえたと思う。君はこれらのことを信じられるか? こういうことがこの先も待ち受けていると分かってもなお、俺たちとやっていきたいと思えるか?」
「あ……」
花守室長の真剣な眼差しを受けて、フリーズしかけていた思考がクリアになった。
「それは、もちろんです! 腑抜けたところを見せてしまい、大変申し訳ありません! 驚きの連続だったもので、反応が遅れてしまいました。自分の理解が及ぶの範疇外のことを目撃してしまうと、人って固まってしまうものなんですね」
失礼します、と断りを入れ、凝り固まった肩を解すために大きく伸びをする。
「……土井さんって、元々心霊やオカルトみたいな類を信じているタイプなんですか?」
「いや、特には。でも、これらが今実際に起こっていることなのは確かなんですよね。 こうして事件として正式に受理されているわけで。であれば、俺は刑事として真摯に向き合うだけですから」
至極真面目に答えたつもりなのだが、きょとんとする清水君の隣で花守室長が腹を抱えて笑いだした。
「あっはっは! いやぁ、心意気を試すようなことを言って悪かった。さすが時雨のお眼鏡に適うだけあるな」
「いえ。あの、時雨というのは」
「ああ。俺が勘で良いと思って推薦した君を、最終的に本採用としたやつの名前さ。これだけの案件だと急いだほうが良さそうだ、一報いれておくか」
それを聞いて、指示される前に清水君が素早くパソコンからどこかへとビデオ通話を掛けた。
モニターには瀬奈時雨と表示されている。数秒発信音が流れた後、モニターにひとりの人物が映し出された。
「……なんですか」
「おう。急ぎの要件で電話した」
無愛想な声の主は、全体的に色素の薄い、どこか不思議な雰囲気を持った青年だった。確か、彼のような色素が欠乏している人のことをアルビノというのだったか……そんなこと今はどうでもいいか。
ぶかぶかのパーカーとラフな格好をしているからか、清水くんよりも更に年が若そうに見える。
「あ、まずは紹介しよう。土井君が今日から正式に奇対室へメンバー入りしました!」
わーパチパチ、と言いながら清水君が拍手をしてくれる。
「土井道行です。よろしくお願いします」
「……どうも」
伸びた白金色の髪の間から、青灰色の瞳がちらと見えた。
「で、愛想のねぇこいつは瀬名時雨。下の名前で呼んでやってくれ。こんななりをしているが、これでも公安部間交渉対策課――通称柊に属している。まぁ、その道のプロってやつだ」
あわい? 柊? ――俺の頭の上に浮かぶ疑問符が見えたのだろう。清水君が丁寧に補足をしてくれた。
「漢字で間と書いて“あわい”。いわゆるこの世とあの世の境界のことです。それから柊というのは、時雨くんちの家紋が柊紋なのでそこからきてます。三つ割り柊に蛇の目、だっけ? 超厳ついやつ」
画面の向こうの彼は身に着けていないようだったが、捜1の赤バッジのように、間交渉対策課の者はその家紋入りのバッジをしているらしい。
「名目上は公安部に名を連ねちゃいるが、代々勅命を受けてきた瀬名家の血族で構成されている組織だ。出張所というか、まぁ事件に対応するための場が警察内部に設けられているって感じだな」
「うちが刑事部でありながら特例的に柊とやりとりしているので、公安嫌いの刑事なんかはお前らズブズブだなとか言って、よく難癖をつけてくるんですよ。全てが秘匿だから何も言えないし……困ったものです」
肩を竦めてため息をつく清水君を見て、ようやく“つなぎ”と呼ばれていることの真の意味を理解した。
公安部は、テロや政治犯罪などの暴力的な破壊活動や国益の侵害となる行為を取り締まる秘匿性の高い部門だ。
密に情報を共有しながら星を挙げることで国民の平和を守る刑事部と、国の安全を脅かすものを取り締まる公安部とでは、スタンスの違いから軋轢が生じることもままある。
「……もう切っていいですかね」
「いいわけあるか! ったく、本題はこっからだ」
間髪入れずに花守室長がツッコミを入れてくれたおかげで、なんとか通話は途切れずに済んだ。冗談抜きで言っていそうだったところがおそろしい。
事件の概要を話していくうちに、ぼうっとしていた時雨君の顔つきが変わっていった。
今日確認した資料についてひとしきり話し終わった頃には、長い長いため息を吐いてこめかみを揉んでいる。
「あー、それ。明日でいいので関連物を全部うちまで持って来てください」
それから、奇対室を出たらあちらの名を絶対口にするなという忠告も受けた。詳しい理由はよく分らないが、音として発するとよろしくないらしい。
「なに、明日? どうみても急いだほうがいいだろうこれは。後で持っていこうかと思っていたんだが」
「いや、もう今日持って来てもらったところでというか……。この人に関してはもう、完全に手遅れです」
「な、何が起こっているんだ……」
モニターを凝視して固まるのはこれで何度目だろうか。
ひとまず、ひとまずは目を通してしまおう。そう宥めすかされながらここまで様々なデータを見聞きしてきたが、もう限界だった。
気付けばとっぷり日が暮れており、壁掛け時計の針はもうすぐ17時を指そうとしている。
「室長、これヤバすぎますよ。柊直行案件じゃないですか!」
「そりゃうちに寄越して来るわけだ……」
長時間モニターを見続けたせいで、目に疲労が蓄積されている。しかし、目薬をさす清水君の横で、俺は今なおモニターを凝視していた。
「ふう。土井さん、大丈夫ですか? ひとつひとつ見ていくだけでもかなり消耗したでしょう」
「いや、あの……なんなんですかこれは。俺の頭がおかしいのでしょうか」
聞き込み捜査を録音した音声ファイルは、俺が初手で深谷不動産のデータを開いてしまい、結局最後にまとめて聞くことになった。
内容の異様さから、一々手が止まってしまうからだ。全て聞き終わった後は、耳を疑いたくなるような情報の数々に半ば放心した。
スマートフォンのデータは、使用頻度の高そうなアプリのデータから順に見ていった。
初めのうちは、元恋人の付きまとい行為に思い悩む様子が印象的で、男女間のトラブルが生じた可能性もやはり視野に入れておくべきだと考えていた。
しかし、深海不動産とのやりとりから雲行きが一気に怪しくなる。契約締結までのスピード感が不自然なくらい早いのと、同時期に夢を見るようになってからの常田實の精神状態は、はっきり言って正常とは言い難い。
特に、彼が日記をつけていた「にっきろぐ」というアプリ内データと、インステグラムのアカウント。これらには得体の知れない恐怖を感じた。
にっきろぐは、最古のデータが2025年11月16日と始めてからまだ2ヶ月も経っていなかった。しかし、解析モニタの記事一覧には、明らかにそれよりも多い数のデータが表示されていたのだ。
最新の日記は、なんと2027年のものだったのである。今日現在の日付は2026年1月5日だというのに、だ。
古い記事から順に見ていったが、実際にそれだけの時を生きているかのようなリアルさのある未来日記が綴られていた。
そして常田實が惚気垢と称して始めたインステグラムのアカウント。試しに俺や清水君のスマートフォンから同じアカウントを検索してみたがヒットしない。
しかし、常田實のスマートフォンの中には確かにふみ恵という女性との日々のポストが存在していた。にっきろぐの中に書かれていた通りなのであれば、これは本当に“あっち専用”のアカウントということになるのだろう。
「安心してください。土井さんの脳みそは至って正常ですよ」
清水君は苦笑する。難しい顔で腕組みをしていた花守室長がこちらへ視線を向けると、俺に問うてきた。
「土井君。俄かには信じ難いとは思うが、うちの扱う“奇異事象”がどんなものかってのは、これでよく分かってもらえたと思う。君はこれらのことを信じられるか? こういうことがこの先も待ち受けていると分かってもなお、俺たちとやっていきたいと思えるか?」
「あ……」
花守室長の真剣な眼差しを受けて、フリーズしかけていた思考がクリアになった。
「それは、もちろんです! 腑抜けたところを見せてしまい、大変申し訳ありません! 驚きの連続だったもので、反応が遅れてしまいました。自分の理解が及ぶの範疇外のことを目撃してしまうと、人って固まってしまうものなんですね」
失礼します、と断りを入れ、凝り固まった肩を解すために大きく伸びをする。
「……土井さんって、元々心霊やオカルトみたいな類を信じているタイプなんですか?」
「いや、特には。でも、これらが今実際に起こっていることなのは確かなんですよね。 こうして事件として正式に受理されているわけで。であれば、俺は刑事として真摯に向き合うだけですから」
至極真面目に答えたつもりなのだが、きょとんとする清水君の隣で花守室長が腹を抱えて笑いだした。
「あっはっは! いやぁ、心意気を試すようなことを言って悪かった。さすが時雨のお眼鏡に適うだけあるな」
「いえ。あの、時雨というのは」
「ああ。俺が勘で良いと思って推薦した君を、最終的に本採用としたやつの名前さ。これだけの案件だと急いだほうが良さそうだ、一報いれておくか」
それを聞いて、指示される前に清水君が素早くパソコンからどこかへとビデオ通話を掛けた。
モニターには瀬奈時雨と表示されている。数秒発信音が流れた後、モニターにひとりの人物が映し出された。
「……なんですか」
「おう。急ぎの要件で電話した」
無愛想な声の主は、全体的に色素の薄い、どこか不思議な雰囲気を持った青年だった。確か、彼のような色素が欠乏している人のことをアルビノというのだったか……そんなこと今はどうでもいいか。
ぶかぶかのパーカーとラフな格好をしているからか、清水くんよりも更に年が若そうに見える。
「あ、まずは紹介しよう。土井君が今日から正式に奇対室へメンバー入りしました!」
わーパチパチ、と言いながら清水君が拍手をしてくれる。
「土井道行です。よろしくお願いします」
「……どうも」
伸びた白金色の髪の間から、青灰色の瞳がちらと見えた。
「で、愛想のねぇこいつは瀬名時雨。下の名前で呼んでやってくれ。こんななりをしているが、これでも公安部間交渉対策課――通称柊に属している。まぁ、その道のプロってやつだ」
あわい? 柊? ――俺の頭の上に浮かぶ疑問符が見えたのだろう。清水君が丁寧に補足をしてくれた。
「漢字で間と書いて“あわい”。いわゆるこの世とあの世の境界のことです。それから柊というのは、時雨くんちの家紋が柊紋なのでそこからきてます。三つ割り柊に蛇の目、だっけ? 超厳ついやつ」
画面の向こうの彼は身に着けていないようだったが、捜1の赤バッジのように、間交渉対策課の者はその家紋入りのバッジをしているらしい。
「名目上は公安部に名を連ねちゃいるが、代々勅命を受けてきた瀬名家の血族で構成されている組織だ。出張所というか、まぁ事件に対応するための場が警察内部に設けられているって感じだな」
「うちが刑事部でありながら特例的に柊とやりとりしているので、公安嫌いの刑事なんかはお前らズブズブだなとか言って、よく難癖をつけてくるんですよ。全てが秘匿だから何も言えないし……困ったものです」
肩を竦めてため息をつく清水君を見て、ようやく“つなぎ”と呼ばれていることの真の意味を理解した。
公安部は、テロや政治犯罪などの暴力的な破壊活動や国益の侵害となる行為を取り締まる秘匿性の高い部門だ。
密に情報を共有しながら星を挙げることで国民の平和を守る刑事部と、国の安全を脅かすものを取り締まる公安部とでは、スタンスの違いから軋轢が生じることもままある。
「……もう切っていいですかね」
「いいわけあるか! ったく、本題はこっからだ」
間髪入れずに花守室長がツッコミを入れてくれたおかげで、なんとか通話は途切れずに済んだ。冗談抜きで言っていそうだったところがおそろしい。
事件の概要を話していくうちに、ぼうっとしていた時雨君の顔つきが変わっていった。
今日確認した資料についてひとしきり話し終わった頃には、長い長いため息を吐いてこめかみを揉んでいる。
「あー、それ。明日でいいので関連物を全部うちまで持って来てください」
それから、奇対室を出たらあちらの名を絶対口にするなという忠告も受けた。詳しい理由はよく分らないが、音として発するとよろしくないらしい。
「なに、明日? どうみても急いだほうがいいだろうこれは。後で持っていこうかと思っていたんだが」
「いや、もう今日持って来てもらったところでというか……。この人に関してはもう、完全に手遅れです」
