<●> <●>
目的地の扉を前にして、抱えていたダンボールを一旦床に置く。つい先ほど課長から手渡されたばかりの「S1Smpd」と刻印された赤バッジ。胸元に輝くそれを見て緩みそうになる口元を引き締め、姿勢を正すと扉をノックした。
「――どうぞ」
「失礼します!」
許しを得て速やかに入室すると、その人はいた。
「おお、土井くん。明けましておめでとう」
「明けましておめでとうございます! 本日付でこちらへ転属になりました、土井道行です。よろしくお願いいたします!」
3歩前まで進みでて敬礼をすると、答礼をした花守室長が歯を見せて笑った。
「室長の花守茂だ。会うのは面談以来だよな。新年早々の異動で慌ただしかったと思うが、今日からよろしく頼む」
「はっ! 恐縮です! 精一杯頑張りますので、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします!」
「元気いっぱいでいいねぇ。まぁそんなに肩肘張らずに。念願の捜1へ異動したはずが、辺鄙なところに来ちまったとがっかりしたろ?」
「いえ、滅相もないことです!」
刑事の花形といわれる警視庁刑事部捜査第1課――通称捜1への配属は、俺のかねてからの夢だった。地道に成果を出し、異動の希望を出し続けたとしても、そもそも空きがなければ所属もできない狭き門だ。
昨年秋の異動シーズンには、面談を受けたものの音沙汰無しだったのですっかり諦めていた。しかし12月に入ってから、なんと奇跡的に異動が決まったのだ。
人員を補填したいところが出て、ぜひ君をと話が出ているがどうかと打診を受けたときには、ふたつ返事で引き受けていた。
まさかの指名とは思わず、その日はなかなか興奮して寝付けなかったものだ。このチャンスを掴まない手はない。
1月も異動時期のひとつではあるが、タイミングからみてもイレギュラーなものであることは明らかだった。
そして、その秋の面談時に所轄の上官と同席していたのが、この花守室長だったのだ。拾い上げてもらった恩に報いねばという思いを胸に、新年仕事初めの今日を迎えた。
捜査第1課とひとくちにいっても、その中には強行犯捜査や殺人犯捜査など、様々な事件に特化したいくつもの係が存在している。俺は室長の執務机に置かれたネームプレートを見やった。
――奇異事象対応室。
これまで所轄の刑事として勤務してきたが、その存在について見聞きしたことは一度もない。しかし捜1の面々からは階の最奥に位置するこの場所へ辿り着くまでの間、すれ違うたびに様々な言葉を投げかけられたり憐れみの目を向けられたりした。
「“つなぎ”に異動とはご愁傷様だな」
「新人が来ると思ったらなるほどなぁ……」
「頑張れよ! 運がよければ違うチームに代われるかもしれないぞ」
“つなぎ”というのは一体どういう意味なのか。奇異とは一体どんな事件を扱っているのか……まだ分からないことだらけだ。
「君の席はここね。つっても、うちは君を入れて3人しかいないから、事務机もふたつしかないんだけどさ」
「あ、ありがとうございます」
促されるまま席に向かおうとして、扉の脇にダンボールを置きっぱなしにしていたことを思い出した。
「すみません。荷物を取ってきます」
足早に扉の方へ向かう。ドアノブへ掛けようとした手が、突如扉が開け放たれたことにより空振った。胸に勢いよく何かが飛び込んでくる。
「わぶっ!」
「おっと! すみません。お怪我はありませんか?」
俺の胸板に激突して鼻先をおさえている青年に声を掛けると、後ろから花守室長が呆れた声を出した。
「おいおい、これからは土井君も出入りするんだから前には注意しろよ」
「すみません、気をつけます……ってそれよりも!」
頭ひとつ分下にある青年の顔が勢いよく俺を見上げた。目を輝かせながら、「ああ、本当に来てくださったんですね! 同年代の仲間が増えて嬉しいなぁ」とナチュラルに握手を求めてくる。
「申し遅れました。土井道行と申します。よろしくお願いします」
「存じています。今日の朝礼で堂々と挨拶しているところを、ぼくも見ていましたから。格好良かったですよ。いやぁ本当に背が高いですね!」
握手に応じた手をぶんぶんと振りながら満面の笑みを浮かべている様は、なんというか尻尾を振っている中型犬を想起させる。
「あの、あなたは……」
「これは失礼しました。ぼくの名前は清水圭太。ここ、奇対室所属の刑事です」
彼の方が2歳年下だから気軽に呼んでくれと言われた。同年代の仲間と言ったのはそういうことかと納得する。
「早くから捜1に所属しているなんて清水君はすごいんだな。俺も見習って頑張らないと」
思ったままを口にしただけなのに、「聞きました? 室長!」「おう、聞いたぜ清水。やっぱ俺の勘は冴えてたな!」となぜかふたりは顔を見合わせて感激している。ちょっと意味が分からない。
「あの、奇対室とは一体どのような事件を扱うところなのでしょうか。さきほど諸先輩方は“つなぎ”がどうとか仰っていたのですが」
扉をおさえていてくれた清水君にかるく会釈をして、抱えた荷物を机まで運び込む。
「ああ、それはうちを知っている人たちが呼ぶ通称というか――まぁこの室内の狭さをみたら何となく想像つくかもしれないんですが、ちょっと肩身の狭いところがあるんですよ」
「目を付けたのは俺だし、土井君にはハズレを引かせちまったようで、ちっとばつが悪いんだけどな」
なるほどそれで、と周囲の反応に合点がいった。“つなぎ”というのも通称というより蔑称に近いものなのだろう。
奇対室にあてがわれているこの場所も、部屋というより元は備品倉庫だった場所を無理やりそれらしくしただけのように見える。
「どうしてですか? 俺は自分の意志で異動を決めたんです。指名してもらったことに感謝こそすれ、ハズレだなんて微塵も思っていません」
「土井君……きみ、天然記念物ってよく言われない?」
「はい?」
そのまますくすく健やかに育ってね、とおいおい泣く仕草をしだした室長を見て反応に困っていると、入口のほうから野太く豪快な笑い声が聞こえた。
声の方へ一斉に顔を向けると、熊のように大柄な男が笑顔で立っている。
「邪魔するよ。さっそく仲良くやっているようじゃないか」
「安西課長!」
黒々とした太い眉に立派なもみあげがトレードマークの安西課長は、大所帯の捜1を束ねる凄腕の警視正だ。慌てて背筋を伸ばし敬礼をする。
「シゲさん、新年早々で悪いが頼まれてくれるか」
「そりゃもちろんですとも」
安西課長が頷くと、後ろに控えていた部下が捜査資料を持って来る。
「昨年終わりに玉川署から引継いでくれと回って来た事件があるんだが。年末年始を挟んだ都合上、伝えるのが今日になってしまってな」
「ほう」
「この事件についての捜査権限はシゲさんに一任するから、あとは頼んだよ」
「はっ。お任せください」
課長を見送った後、早速資料の入った箱の前に集まる。
「いきなり事件がやってきましたねぇ」
「スマホもありますね。被害者のものでしょうか」
「えーっと、何々……」
花守室長が適当に何枚かの書類を手に取って目を通している間に、清水君が素早くノートパソコンを立ち上げ、箱に入っていたUSBメモリーを差し込んだ。
「あ、土井さんもよかったらここに椅子持って来てくださいね。一緒に見ましょう」
「ありがとう」
「おじさんは少々機械に疎いんでな。機器系統は清水が強くて助かってるんだ」
清水君は「少々?」と苦笑いしながらも、マウスを走らせていく。
「あ、これですね」
清水君が、花守室長と俺に分かりやすいように読み上げてくれた。事件の概要はこうだ。
