何の音だろうと首を傾げた直後、つんざくような叫び声と怒号が鼓膜を揺らした。
「うぐあぁあっ! あぁあああ!」
「あなたって子は……!」
家の脇から庭先へとものすごい勢いで引きずられて出てきたのは、なんと黒い縄に縛られたゆう君だった。怒号の主はひとみさんだ。
一見すると表情は微笑んでいるように見えるが、口から零れる言葉たちはどれも穏やかさとは程遠い。相反するふたつの事象をうまく結び付けられず、脳がかるくパニックを起こした。
「あらまあ、何事?」
「なんだなんだ」
皆も困惑している。ふたりの後ろから、買い物袋を抱えたふみ恵がふらふらとやって来た。
「もう〜! ひとみさんたら、買ってきたお肉そっちのけで行っちゃうんだもの!」
「あらやだわ。ごめんねふみ恵ちゃん、代わりに持たせちゃって。だって、この子が約束を破るからいけないのよ」
慌ててふみ恵のところまで駆け寄ると、重たい買い物袋を受け取る。
「ふう。ありがとう實さん」
「えっと、あのこれ、ど……どういうこと?」
「それが私もよく分かっていなくて……」
困ったわ、と頬に手を当てているふみ恵の隣で、僕の目は暴れるゆう君を縛り上げている黒い縄へと釘付けになっていた。
黒い縄って……え?
瞬間、血走ったゆう君の目とばちりと合った。激しく首を横に振って呻いているが、口にも黒い縄の猿轡を嵌められているせいで、何を伝えようとしているのかがよく分からない。
「祝いの席に遅れてきて、しかもこの様だなんて……。本当皆さんには申し訳が立たないわ。でも、ぜひ聞いてもらいたいの。ね?」
「ぐぁあッ!」
ため息をつきながらひとみさんがぐん、と縄を引っ張った。ゆう君が苦しげに呻く。
ゆう君だって立派な成人男性だ。ひとみさんのどこにそんな怪力があるのか……。長いこと引きずられて来たようでゆう君の服は全身擦り切れており、顔も汚れて傷だらけだった。
「約束を破ったっていうのは……」
「さすがはふみ恵ちゃん、それよ! この子ね、前にもうちから脱走しようとしたの」
ひとみさんは目尻に涙を浮かべながら言った。
「それでどこの馬の骨とも知らない女の元に行こうとしたのよ……私と言う存在がありながら! でも、私にも至らぬところがあったのかもしれない。だから次はしないでねって、そのときは指切りをして許したの」
「そんなことが……」
ひとみさんが涙ながらに話している最中も、ゆう君はじたばたと暴れ続けている。
「でも、それを破ってまた逃げようとした。……ひどいわ」
「約束を破るのはいけないね」
「あちゃー。指切りしたのにそれはマズいよ、ゆう君」
驚くべきことに、この異様な光景を見ても皆はひとみさんに同情的だった。
「なるほどな。それで俺たちの力が必要ってわけか」
「そういうこと」
それどころか、なるほどねと何故だかすっかり納得した様子で、僕だけが狼狽している。
「えっ、何どういうこと?」
「實くんてやっぱり天然さんだよね。拳万の手伝いをしてほしいってことだよ」
しづかさんがボクシングをするようにファイティングポーズをしてみせた。
……げんまん? そう思った瞬間、頭の中にある歌が響いた。
『ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます。ゆびきった!』
「とりあえず時間食うから、拳万はバーベキュー終わってからにしようぜ」
「そうだね、それがいい」
何てことのないようにしょうやが言う。それに田處の旦那さんも同意していた。嘘だろ、まさかげんまんの意味って……。
「皆さんありがとう。ご協力感謝するわ」
「それじゃ、気を取り直して乾杯といこうぜ! 音頭は實がとるか?」
「えっいやぁ、僕はちょっと……こ、ここはふみ恵が!」
とんでもない状況のなか、唐突に話を振られて冷や汗を掻いた。咄嗟にふみ恵へとパスする。
「えっ、私?」
「ははっ、ヘタレだなぁ實は」
乾いた笑いを浮かべてどうにか誤魔化しながら、必死に頭をフル回転させる。
黒い縄を見て、これは夢なのだと気がついた。僕へ何かを伝えようとしていた姿を見るに、ゆう君もこれが夢の中だと分かっているはず。
「それじゃ……えっと。私たちはもうすぐ結婚します。皆さんに新たな門出を祝ってもらえること、とても嬉しく思っています。ありがとう。か、乾杯……!」
照れながらコップを突き出したふみ恵に、「カンパーイ!」と皆も持っているコップを合わせた。
ぐびりと飲み物を口にしながら、この状況をどうにかしなければと思考を巡らせる。げんまんが具体的にどのようなものなのかは分からないが、きっとただ事じゃない。
皆はさぁ焼こうと各々コップを置いて、野菜や肉の準備を始めた。
「まずは牛タンから焼きますか! 薄いからすぐ焼けるよ~」
「塩ダレはそこだよ。レモンはあっちのお皿から好きにとってね」
――でも、待てよ。
ゆう君はショッキングな方法でないと目が覚めないのなら、逆に抜け出すチャンスでもあるのか?
僕がコップを持ったまま考え事をしていると、ハンドバッグを持ってゆう君の前に屈んだひとみさんが、彼の眼前で徐に何かを取り出してみせた。
「さ、あなたはこれを吞みましょうね♪」
「うぅう! うぅうあううう!」
両手にひとつずつ持ったそれを見て、ゆう君は一層つよく暴れた。しかし縄はびくともしない。爪楊枝入れのようなパックに入った大量のそれは、鈍く輝く銀の裁縫針だった。
「そんな、まさか……!」
これはどうするべきなんだ。止めたら夢の住人にこれは夢だと告げているようなものだ。……針を呑もうとするショックでゆう君が離脱できると思えば、止めないほうがいいのか?
「良かったね。皆が見守ってくれているわ」
「頑張れー!」
「さ、お口あーんして」
ぎちぎちに締められていた猿轡は、ひとみさんの手によっていとも簡単に外された。激しく咳き込むゆう君の顎がくいと持ち上げられる。
その瞬間、くわっと見開いた目をこちらに向けてゆう君が叫んだ。
「逃げろ實! これはもう、ただの悪夢じゃない! 夢じゃないんだ!」
「えっ」
全員が一斉にこちらを見た。真顔だった。しまったと口に手を当てるが、もう遅い。
「目を覚ませ! どうにかして目を覚ませ! でないと――あがッ」
「さっきから何変なこと言ってるの。いうことを聞けない子は、こうよ」
ひとみさんは、キッチンバサミを手に取ると間髪をいれずにゆう君の舌を切り落とした。
「あがぁあああああっ!」
「さ、悪い舌は他のタンと一緒に焼いて食べちゃいましょ」
びたんびたんとゆう君がのたうち回る。舌はジュウウと網の上に転がされた。
「あぁああ! ぃ痛いぃいあぁああ!」
「……っ!」
僕はこみあげてくる胃液を感じながら、完全にパニックを起こしていた。
どうして? 痛みを感じないはずではないのか。
そして何より、なぜ彼はここまでショッキングなことをされているにも関わらず、離脱できていない?
「これが現実なはずがない……そ、そうだ! リアリティチェック!」
――嘘だろ。なんで手が、湿っているんだ?
ひとみさんは、芝生の上でうずくまるゆう君を片腕で引きずり起こすと、今度はテーブルの前まで移動させた。縄がしゅるりと解け、左腕をまな板の上に乗せる。
「あぁ、そうだ。骨付き肉を買うのを忘れてしまったのよ。ちょっと肉付きが悪いけど、皆さんこの子ので我慢してくれる?」
「あはは、ひとみさんは気にしいだなぁ。そんなの全然かまわないよ」
――ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ!
「あぁああぁあああ!」
「あっ、あっちに飛んでっちゃった。しょうや拾ってきて!」
勢いよく振り下ろされた包丁が骨ごと断ち切り、指が辺りに四散した。それをしょうやがトングで回収しては網の上に乗せていく。ゆう君は目を白黒させて痙攣している。
「泣き虫さんねぇ。大丈夫よ。明日にはまた生えてくるから」
ひとみさんが返り血を拭いながら、いつもの穏やかな微笑みを浮かべて言う。
「だって守れない約束をする指はもう要らないでしょう?」
「うあっ、あっ、あぐっ……あぅあっ」
ゆう君の叫ぶ声が耳に木霊する。僕はあまりのショッキングな光景に耐えられず、白目を剥いて倒れた。
「あっ、實さん! ――! ……」
『指切り拳万、嘘ついたら針千本呑ーます。指切った!』
頭の中に指切りの歌がリフレインしていた。
「うぐあぁあっ! あぁあああ!」
「あなたって子は……!」
家の脇から庭先へとものすごい勢いで引きずられて出てきたのは、なんと黒い縄に縛られたゆう君だった。怒号の主はひとみさんだ。
一見すると表情は微笑んでいるように見えるが、口から零れる言葉たちはどれも穏やかさとは程遠い。相反するふたつの事象をうまく結び付けられず、脳がかるくパニックを起こした。
「あらまあ、何事?」
「なんだなんだ」
皆も困惑している。ふたりの後ろから、買い物袋を抱えたふみ恵がふらふらとやって来た。
「もう〜! ひとみさんたら、買ってきたお肉そっちのけで行っちゃうんだもの!」
「あらやだわ。ごめんねふみ恵ちゃん、代わりに持たせちゃって。だって、この子が約束を破るからいけないのよ」
慌ててふみ恵のところまで駆け寄ると、重たい買い物袋を受け取る。
「ふう。ありがとう實さん」
「えっと、あのこれ、ど……どういうこと?」
「それが私もよく分かっていなくて……」
困ったわ、と頬に手を当てているふみ恵の隣で、僕の目は暴れるゆう君を縛り上げている黒い縄へと釘付けになっていた。
黒い縄って……え?
瞬間、血走ったゆう君の目とばちりと合った。激しく首を横に振って呻いているが、口にも黒い縄の猿轡を嵌められているせいで、何を伝えようとしているのかがよく分からない。
「祝いの席に遅れてきて、しかもこの様だなんて……。本当皆さんには申し訳が立たないわ。でも、ぜひ聞いてもらいたいの。ね?」
「ぐぁあッ!」
ため息をつきながらひとみさんがぐん、と縄を引っ張った。ゆう君が苦しげに呻く。
ゆう君だって立派な成人男性だ。ひとみさんのどこにそんな怪力があるのか……。長いこと引きずられて来たようでゆう君の服は全身擦り切れており、顔も汚れて傷だらけだった。
「約束を破ったっていうのは……」
「さすがはふみ恵ちゃん、それよ! この子ね、前にもうちから脱走しようとしたの」
ひとみさんは目尻に涙を浮かべながら言った。
「それでどこの馬の骨とも知らない女の元に行こうとしたのよ……私と言う存在がありながら! でも、私にも至らぬところがあったのかもしれない。だから次はしないでねって、そのときは指切りをして許したの」
「そんなことが……」
ひとみさんが涙ながらに話している最中も、ゆう君はじたばたと暴れ続けている。
「でも、それを破ってまた逃げようとした。……ひどいわ」
「約束を破るのはいけないね」
「あちゃー。指切りしたのにそれはマズいよ、ゆう君」
驚くべきことに、この異様な光景を見ても皆はひとみさんに同情的だった。
「なるほどな。それで俺たちの力が必要ってわけか」
「そういうこと」
それどころか、なるほどねと何故だかすっかり納得した様子で、僕だけが狼狽している。
「えっ、何どういうこと?」
「實くんてやっぱり天然さんだよね。拳万の手伝いをしてほしいってことだよ」
しづかさんがボクシングをするようにファイティングポーズをしてみせた。
……げんまん? そう思った瞬間、頭の中にある歌が響いた。
『ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます。ゆびきった!』
「とりあえず時間食うから、拳万はバーベキュー終わってからにしようぜ」
「そうだね、それがいい」
何てことのないようにしょうやが言う。それに田處の旦那さんも同意していた。嘘だろ、まさかげんまんの意味って……。
「皆さんありがとう。ご協力感謝するわ」
「それじゃ、気を取り直して乾杯といこうぜ! 音頭は實がとるか?」
「えっいやぁ、僕はちょっと……こ、ここはふみ恵が!」
とんでもない状況のなか、唐突に話を振られて冷や汗を掻いた。咄嗟にふみ恵へとパスする。
「えっ、私?」
「ははっ、ヘタレだなぁ實は」
乾いた笑いを浮かべてどうにか誤魔化しながら、必死に頭をフル回転させる。
黒い縄を見て、これは夢なのだと気がついた。僕へ何かを伝えようとしていた姿を見るに、ゆう君もこれが夢の中だと分かっているはず。
「それじゃ……えっと。私たちはもうすぐ結婚します。皆さんに新たな門出を祝ってもらえること、とても嬉しく思っています。ありがとう。か、乾杯……!」
照れながらコップを突き出したふみ恵に、「カンパーイ!」と皆も持っているコップを合わせた。
ぐびりと飲み物を口にしながら、この状況をどうにかしなければと思考を巡らせる。げんまんが具体的にどのようなものなのかは分からないが、きっとただ事じゃない。
皆はさぁ焼こうと各々コップを置いて、野菜や肉の準備を始めた。
「まずは牛タンから焼きますか! 薄いからすぐ焼けるよ~」
「塩ダレはそこだよ。レモンはあっちのお皿から好きにとってね」
――でも、待てよ。
ゆう君はショッキングな方法でないと目が覚めないのなら、逆に抜け出すチャンスでもあるのか?
僕がコップを持ったまま考え事をしていると、ハンドバッグを持ってゆう君の前に屈んだひとみさんが、彼の眼前で徐に何かを取り出してみせた。
「さ、あなたはこれを吞みましょうね♪」
「うぅう! うぅうあううう!」
両手にひとつずつ持ったそれを見て、ゆう君は一層つよく暴れた。しかし縄はびくともしない。爪楊枝入れのようなパックに入った大量のそれは、鈍く輝く銀の裁縫針だった。
「そんな、まさか……!」
これはどうするべきなんだ。止めたら夢の住人にこれは夢だと告げているようなものだ。……針を呑もうとするショックでゆう君が離脱できると思えば、止めないほうがいいのか?
「良かったね。皆が見守ってくれているわ」
「頑張れー!」
「さ、お口あーんして」
ぎちぎちに締められていた猿轡は、ひとみさんの手によっていとも簡単に外された。激しく咳き込むゆう君の顎がくいと持ち上げられる。
その瞬間、くわっと見開いた目をこちらに向けてゆう君が叫んだ。
「逃げろ實! これはもう、ただの悪夢じゃない! 夢じゃないんだ!」
「えっ」
全員が一斉にこちらを見た。真顔だった。しまったと口に手を当てるが、もう遅い。
「目を覚ませ! どうにかして目を覚ませ! でないと――あがッ」
「さっきから何変なこと言ってるの。いうことを聞けない子は、こうよ」
ひとみさんは、キッチンバサミを手に取ると間髪をいれずにゆう君の舌を切り落とした。
「あがぁあああああっ!」
「さ、悪い舌は他のタンと一緒に焼いて食べちゃいましょ」
びたんびたんとゆう君がのたうち回る。舌はジュウウと網の上に転がされた。
「あぁああ! ぃ痛いぃいあぁああ!」
「……っ!」
僕はこみあげてくる胃液を感じながら、完全にパニックを起こしていた。
どうして? 痛みを感じないはずではないのか。
そして何より、なぜ彼はここまでショッキングなことをされているにも関わらず、離脱できていない?
「これが現実なはずがない……そ、そうだ! リアリティチェック!」
――嘘だろ。なんで手が、湿っているんだ?
ひとみさんは、芝生の上でうずくまるゆう君を片腕で引きずり起こすと、今度はテーブルの前まで移動させた。縄がしゅるりと解け、左腕をまな板の上に乗せる。
「あぁ、そうだ。骨付き肉を買うのを忘れてしまったのよ。ちょっと肉付きが悪いけど、皆さんこの子ので我慢してくれる?」
「あはは、ひとみさんは気にしいだなぁ。そんなの全然かまわないよ」
――ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ!
「あぁああぁあああ!」
「あっ、あっちに飛んでっちゃった。しょうや拾ってきて!」
勢いよく振り下ろされた包丁が骨ごと断ち切り、指が辺りに四散した。それをしょうやがトングで回収しては網の上に乗せていく。ゆう君は目を白黒させて痙攣している。
「泣き虫さんねぇ。大丈夫よ。明日にはまた生えてくるから」
ひとみさんが返り血を拭いながら、いつもの穏やかな微笑みを浮かべて言う。
「だって守れない約束をする指はもう要らないでしょう?」
「うあっ、あっ、あぐっ……あぅあっ」
ゆう君の叫ぶ声が耳に木霊する。僕はあまりのショッキングな光景に耐えられず、白目を剥いて倒れた。
「あっ、實さん! ――! ……」
『指切り拳万、嘘ついたら針千本呑ーます。指切った!』
頭の中に指切りの歌がリフレインしていた。
