椎名くんは笑わない


「あ」
 突然、何かに気がついたような顔つきで、友達の椎名くんが呟いた。

「よ」
 私はそれに答えて手を振る。


 四月。
 私たちは進級し、高校三年になった。
 春爛漫の風が吹き渡る教室で、彼の顔を見た時は正直ちょっとホッとした。
 
「これで藤川と三年間同じクラスだなー」
「奇跡だねー。うちの科、6組まであるのに」
 
 まあ、二年の時に出していた進路希望を聞いて、だいたい進む道は同じ方向かなと思っていたけど。

「そんなことより聞いてくれ、藤川」
「そんなことって何だ。失礼だな」

 せっかくこっちは椎名くんと同じクラスになれて嬉しいと思っていたのに。
 椎名くんはいつも真面目な顔して変なことを言う人だ。テンションが高いこともあまりない。
 二年間一緒に過ごしてもう慣れた。慣れてしまえば、彼のペースに付き合うのはすごく楽だった。
 今じゃ彼が何を言おうがびっくりすることもないと自信を持って言える。

 そんな私に、彼は真面目な顔でこう言った。


「俺、たまごになりたいんだけど、どうしたらなれる?」
「は?」


 知るか。こっちが聞きたいわ。
 いや、聞いてどうする。


「椎名くんはもう生まれてるからたまごになるのは無理なんじゃない?」
「えっ。藤川、もしかしてニワトリのたまご的なヤツを想像してる?」

 椎名くんが目を丸くした。

「バカだな、藤川。哺乳類はたまごから生まれないんだぞ?」
「知ってるわ」

 なんか恥ずかしい。
 椎名くんならニワトリのたまご的なヤツになりたがっていてもおかしくないかと思った私に正論を説くなんて、椎名くんのやつめ。

「そうじゃなくて、美容師のたまごとか医者のたまごとかいうやつ」
「はいはい。比喩的なね」
「そうそう。その後、親方に『お前もまだまだひよっこだな』って言われる方のやつ」
「誰だよ親方って」
「まずはたまごから始めたいんだよな。なんかいいの知らない?」

 いいたまごと言われても、ピンと来ない。

「椎名くんは将来何になりたいの? 普通は夢に向かって始めるものなんじゃない?」
「俺の夢か……人に語るのはちょっと恥ずかしいな」
「いいじゃん。そういうの聞いてみたい」

 私が身を乗り出すと、椎名くんは恥ずかしそうに首の後ろを撫でながら言った。

「大統領」
「うん。そりゃ人に語らない方がいいな」


 まずは外国籍が必要かな。
 知らんけど。


「そもそもなんで急にたまごになりたいと思ったの?」
「いやー、この春めでたくうちの姉貴が看護学校に入学してさ。これからは私もナースのたまごよとか言い出して偉そうにしてるからさ」
「へえ、椎名くんちってお姉さんいたんだ? おめでとう」

 お姉さんがいるなんて初めて聞いた。
 椎名くんは謎が多い。

「そしたら、うちの兄貴もこの春めでたく相撲部屋に入ることになってさ。これからは俺も力士のたまごだとか言い出して偉そうにしてるからさ」
「え、え? 椎名くんちってお兄さんもいたんだ? 相撲部屋? 力士? え? あ、おめでとう?」

 情報量多いぞ。椎名くんち!
 すでについていけなくなりそうだ。

「そしたら、うちのオカンもこの春めでたく四人目を妊娠してさ。これからは私も四児の母のたまごよとか言い出して偉そうにしてるからさ」
「ちょっと待って。椎名くん、弟か妹もできたの? え? すごい、おめでとう⁉︎」

 頑張ったな、椎名くんのお母さん。
 椎名くん、今年で18になるから年の差エグい兄弟(妹)になるな。

「そしたら、うちの親父もこの春めでたくボイパを習い始めてさ。これからは俺もヒューマンビートボクサーのたまごだぜとか言い出して偉そうにしてるからさ」
「ちょっと、もうお腹いっぱいだよ! お父さんのボイスパーカッションすげー気になるじゃん!」

 お父さんの年齢でボイパデビューって、何がきっかけでそうなったんだろう。

 椎名くんは真面目な顔で腕を組んだ。

「だから俺も何か始めたくてさ」
「うーん。ナースと力士と出産とボイパの次でバランス取るとなったらかなり難しいね……」

 私も一緒に腕を組んで悩んでしまう。
 

「どうしたの? 椎名くんと藤川さん。二人で腕組んじゃって」

 そこへ、去年までは隣のクラスで今年から同じクラスになった佐藤さんがやってきた。普通に可愛いんだけど、普通の域を逸脱しない、とっても話しやすい子だ。

「ああ、佐藤さん。椎名くんが何かのたまごになりたいんだって。何がいいと思う?」
「うん? 意味が分かんないんだけど」

 そりゃそうだよね。私も分かんなかった。

「佐藤さんはこの春から始めたいことってある?」
「そうだなあ。私は将来カウンセラーになりたいから、その勉強かな。あと、占いにも興味があるよ。今度タロットやろうかと思って」
「佐藤さんの占い、当たりそう!」

 佐藤さんは人の心が読めるんじゃないの? と思うくらい勘が鋭い。

「佐藤さんは占い師のたまごか。先を越されたー!」

 椎名くんは悔しがるところがズレている。

「お前ら、何騒いでんだ?」

 そこへ、金髪ヤンキーの小野田くんがやってきた。小野田くんは去年に続いて今年も同じクラスだ。顔がめっちゃ怖いから、多少慣れてきたとはいえちょっとビビる。

「俺、たまごになりたいんだ」
「何っ⁉︎ お前、熱でもあるのか⁉︎」

 あ。正しい反応。
 椎名くんといるとたまに正常なツッコミを忘れちゃうからな。
 なんだか新鮮だ。たまごだけに。


 私が感心していると、椎名くんは冷めた目で小野田くんを見た。

「いや、熱はないよ。何か目指したいなと思っただけ」
「ああ、そっちのたまごか。びっくりした。TKGの方かと思ったぜ」
「それじゃご飯になっちゃうだろ。ご飯になってどうするんだよ。せめてお米の状態だったらまだいい」

 ややこしいこと言うな。

「小野田くんはこの春何か始めたいことある?」
「ああ、あるぞ!」
「なになに?」

 小野田くんはドヤ顔で「ボイパ!」と言った。

 お前もか、小野田。
 何なんだよ、この局地的なボイパ人気。
 狭い地域で流行ってんな。
 ドヤ顔なのがまたムカつくよ。
 椎名くんがチッと小さく舌打ちをした。彼も私と同じ意見のようだ。

「こないだ駅前で路上ライブしてるサラリーマンのおっさんがいてさ。マイク一本で楽曲もないのにずっとブーッブブーッってライ○ップのCMみたいな音出してんの見て感動しちゃって」

 おいおい、それ椎名くんのお父さんじゃないだろうな?
 マイク一本って、トンガってるにも程がある。

「親父を止めてくる! どこの駅だ⁉︎」

 椎名くんが教室を飛び出そうとする。やっぱり椎名くんのお父さんだったのか。

「慌てんな椎名、昨日の夜だからもういねえよ。まだいたら唇腫れてるわ」
「嫌だよ俺、ボイパしすぎて唇腫れてる親父見るの」

 椎名くんが肩を落としながら戻ってくる。
 慰めの言葉も出ない。

「……」

 その時、私たちの隣を無言の沢田くんが通り過ぎた。

「あ、沢田! お前も同じクラスになったんだな。一年間よろしくな」
「あ、うん」

 沢田くんは去年隣のクラスだった人で、佐藤さんの彼氏でもある。
 びっくりするくらい無口でイケメンだから、黒王子なんて呼ばれていることもあったそうだ。

「沢田くんは、今年何か始めたいこととかもう始めたこととかある?」

 沢田くんは何だろう。彼の興味の方向性が全く見えない。
 すると、沢田くんはボソッと言った。

「……モデル」

 モデル⁉︎
 え、有り得なくないけど意外!
 私たちは佐藤さん以外全員驚いた。

「え、マジで⁉︎ どうして⁉︎」
「……スカウトされて」

 サラッとすごいこと言ってる。さすがイケメンは違う!

「すごーい! じゃあ沢田くんはモデルのたまごなんだ! 佐藤さん知ってたの?」
「うん、そのスカウトの時、一緒にいたの。商店街のイメージキャラクターを頼まれたんだよね」

 ん? 商店街?
 規模が小さいな?
 まあいいか。モデルのたまごだから、小さいことからコツコツ顔を売るんだろう。
 街ブラしているイケメンのポスターとか、いいかもしれない。

 そう思った私に、沢田くんがすでに完成したというポスターの画像をスマホで見せてくれた。
 そこには、魚屋さんの前で胸から下を巨大なカツオに飲み込まれ、半魚人状態になっている無表情の沢田くんがいた。

 宣伝文句は『活きがいい! 春のカツオフェア開催中!』だ。


 コラ商店街!!
 イケメンの無駄遣いすな!!!

 あと沢田くんも、断れや。


「くっそー、なんだかんだ言ってみんなも色々始めてんだな。何かのたまご」

 椎名くんはがっかりしたのか、ため息をついた。

「そういえば藤川は何かやってないの?」
「私? うーん、そういえば何もないなあ」

 高校三年になってもまだふわふわしている。
 やりたいこととか、なりたいものが見えてこない。
 
「私たちって、似たもの同士かもね」
「だなー」
 椎名くんはふにゃっと笑う。

 まだ何者でもない。一歩も進んでいない。だけど、それでいいのかもしれない。
 いつかはきっと何かになる。その時まで、私は椎名くんとくだらないおしゃべりができたらそれでいいや。

 佐藤さんが私たちを見てふふっと笑った。

「何? 佐藤さん」
「ううん、何でもない」
「えー、なになに? 教えてよ」

 佐藤さんの鋭い勘が気になる。
 すると佐藤さんは私と椎名くんを隣に並ばせた。


「ほらね。こうすると……椎名くんと藤川さんって、カップルのたまごみたい」


 私はかああっと顔が熱くなるのを感じた。


「や、や、や、やだな! 何言ってんの佐藤さん⁉︎」
 私は思いっきり動揺して噛みまくった。
「だってお似合いだから」
 ふふふ、と佐藤さんは笑っている。

「はよくっつけ! ってみんな思ってるよ?」
「誰が⁉︎ みんなって誰⁉︎」

 そんな奴ら、いるわけない。
 すると椎名くんが嬉しそうに私の肩を叩いた。

「俺ら、たまご?」
「うんうん」

 返事をしたのは佐藤さん。

「やったー! 俺らもたまごだったんだ! よかったな、藤川!」
「ええっ⁉︎ 良かった……のかな?」

 椎名くんはたまごになれたという喜びで、「カップルの」という部分はあまり気にしていないようだ。

 ちょっと待ってよ。
 カップルのたまごって、付き合ってるの? 付き合ってないの? どっち?
 まだ孵っていないってことは付き合っていないんだよね?

 たまごへの謎が深まる。

 だけど大事にあたためていれば、いつの日か私たちもカップルのひよっこと呼ばれる日が来るのだろうか。
 その前に腐らなければいいんだけど。


 私は椎名くんの笑顔につられて思わず笑った。
 賑やかになりそうな高校最後の一年間が、ここから始まる。