「あ」
突然、何かに気がついたような顔つきで、友達の椎名くんが呟いた。
いつもの平和な昼休み、私は購買部で人気の焼きそばパンをゲットした幸せを教室まで引きずってきたところだった。
この焼きそばパンの人気といったら半端ではなく、四時間目の授業が終わると同時に買いに行かなければ秒で売り切れると噂されているほどだ。
私もこの高校で二年間ずっと焼きそばパンをゲットしようと狙っていたけど、成功したのはこれで二回目。
ゲットできたら奇跡に近い幻のパン。椎名くんがそれに気づいたのは必然だったと言えるだろう。
「それ、買えたんだ」
「うん。ラス1。運よくゲットできてさー」
「焼きそばパンと言えば、知ってる? 藤川。うちの学校の七不思議」
「七不思議? そんなもん、うちの高校にあったっけ?」
焼きそばパンの袋を破こうとした私に、椎名くんは真顔で迫った。
「最後の焼きそばパンをゲットした人は、一番近くにいる人と必ずシェアしなくてはいけない。さもないと、恐ろしい不幸が襲いかかる」
何それ。聞いたことないんだけど。
「まさか。それ、椎名くんの創作でしょ? 焼きそばパン欲しさに言ってるだけでしょ?」
「いや、俺もこの前初めて聞いたんだが、どうやら本当らしいんだ。ある人が最後の焼きそばパンを誰にもシェアせずに食べたところ、突然ホームランボールが飛んできて、顔面に当たったらしい。おかげで食べたばかりの麺が鼻から出てしまったところを好きな女子に見られたそうだ。恐ろしい」
「そりゃ恐ろしいな。ボールが顔面に当たる恐怖にも勝るわ」
私は焼きそばパンを一口頬張った。んまい。麺はモチモチでコッペパンの間にたっぷり詰め込まれ、お好み焼きソースの甘辛さが絶妙なバランスで混ざり合っている。
「俺の話を聞いていたのか、藤川! このままじゃ、お前も不幸になるんだぞ! おとなしく焼きそばパンを半分よこすんだ!」
「やだよ、マジでうまいよこの焼きそばパン」
椎名くんは私の肩を掴んで真剣な顔をした。
「この分からず屋! もっと恐ろしい話があるんだぞ! 今度こそ真面目に聞け! ある男が、やはり最後の焼きそばパンをゲットした帰り、不良に絡まれてしまったそうだ。『パンを買ってこい』と命令された男は、焼きそばパンを差し出す勇気が出せず、代わりにジャムパンを買って行った。するとその不良は『俺が買ってこいって言ったのはジャムパンじゃねえ、チョココロネだ!』と言い出し、結局彼はボコボコにされてしまったらしい……!」
「チョココロネを欲しがる不良、可愛すぎんか」
ああ、パンもふわふわで美味しいな。また買おう。
焼きそばパンを夢中で頬張る私を見て、椎名くんが泣いた。
「聞けよ人の話!」
「他にないの? 面白エピソード」
「お前の心は機械仕掛けか」
椎名くんが恨めしそうに、半分以下になった私の焼きそばパンを見つめる。
「……じゃあ、最後にとっておきの悲しいエピソードを紹介しよう。これは俺の女友達の話なんだが……」
椎名くんの声に耳を傾けながら、私は焼きそばパンをゆっくり味わう。
「女友達──仮にFとしよう。Fは、幻の焼きそばパンをゲットして一人で食べようとしていた」
おいおい。そのFって、藤川じゃないか?
どんな話になるのか楽しみじゃないか。
「その時、男友達のSがやってきて、『パンを半分こしよう』と言った。FはSに淡い恋心を持っていたのだが、パンを分け合うという行為が恥ずかしく思えて結局最後まで一人で食べてしまった」
おいおい。そのSって、椎名くんじゃないか?
淡い恋心って何だよ。
そんなもの私は持っていないからね!
まあ、創作としては面白い。
焼きそばパンのソースはパック牛乳とも相性がバッチリだ。
「ところが、その翌日。Sは遠くの町に引っ越ししてしまった」
私はズズッと音を立てて吸い込んでいたストローから唇を離した。
椎名くんは悲しそうな瞳で私を見つめていた。
「それが最後だったんだ。FがSに告白するチャンスは永遠に失われてしまった」
「悲しい、な」
「悲しいだろう」
椎名くんはふと視線を窓の外に向けた。
桜が咲き誇る、四月の空だ。
「Sも本当はFのことが好きだったんだ。なのに、ずっとそれが言い出せないまま友達としてそばにいた。もし彼女が焼きそばパンを半分くれたら、勇気を出してお礼に好きだと言おうと思っていたけど──それも叶わぬままで。二人はお互いに後悔を背負って、焼きそばパンを見るたびにあの日のことを思い出すんだ。桜が舞い散る、あの日の空を」
椎名くんにつられて、私も空を見る。
晴天なのにどこか雲が厚めに見える。窓枠の外からはらはらと舞い落ちる桜の花弁はまるでスローな雨のように一瞬光って消えていく。
創作だよね。
胸に迫る切なさを焼きそばパンと一緒に飲み下した。
気づいたら、最後の一口。
「くれよ、藤川」
最後の焼きそばパン。
伸びてきた椎名くんの手に奪われかけたそれを、私はパクッと口に入れた。
「あああああああ〜〜!! おま、お前な! そういうとこだぞ、藤川!!」
「いや〜、面白かったよ椎名くん。おかげで幻の焼きそばパンのありがたみを感じた」
椎名くんは私を涙目で睨みつけ、
「後悔するぞ」
と捨て台詞を吐いた。
◇
後悔なんてしない。
あれはただの創作だし。
そう思ったことを私が悔やむことになったのは、その日の放課後。
帰り道で椎名くんの家の前を通りがかった時だった。
そこには、狭い住宅街の路地を塞ぐようにして2トントラックが停まっていた。
トラックの横腹にはCMで有名な引っ越し屋のキャラクターが描かれていて、何のためにそれが来たのか周囲に教えているかのようだった。
私が椎名くんの話を思い出したのは言うまでもない。
焼きそばパンを一人で食べてしまった椎名くんの女友達、F。
Fが好きだった男友達のSは、お互いに想いあっていたのに、それを告白し合うきっかけを逃して──そのままSは引っ越ししてしまう。
「これで最後だな」
椎名くんに似ている声がした。
トラックの向こう側で住人が荷台へ荷物を運び込んでいるんだと気づいた。
私は思わず電柱の陰に隠れた。
今の声は、椎名くんのお父さん?
「うん。ありがとう。今までお世話になりました」
「家族が一人いなくなるのは寂しいな。たまには連絡してくるんだぞ」
「分かってるよ」
返事をしたのは椎名くんだろうか。
一人いなくなるって……どうして?
「友達にはちゃんと別れを言ったのか? お前が海外留学するって聞いて、みんなびっくりしただろう」
何それ。
海外留学?
今、初めて聞いたんだけど。
息が止まる私とは対照的に、椎名くんは笑っていた。
「実はさあ、みんなには言えなかったんだよね。俺がこの春からいなくなるってこと……。みんなが悲しむ顔とか、見たくなかったしさ」
何それ。
何それ。
聞いてない。
「でも、いいんだよ。どうせ俺っていつも真面目そうな顔をしながら変なことばっか言ってたからさ、本当のこと言っても誰も信じてくれなかったと思う。一人だけ、信じてほしいヤツがいたんだけど──そいつも結局、俺の話は冗談だと思い込んでて真剣に聞いてくれなかった」
「お前がいつも話してた女の子のことか。バカだなあ、ちゃんと告白しないからそうなるんじゃないか」
好きだったんだろ、と椎名くんのお父さんらしき人が言った。
「うん……」
椎名くんが頷いた。
嘘だよ。
嘘だって言ってよ。
「今からでも言ってきたらどうだ」
「もう、遅いよ。飛行機の時間に遅れる」
「後悔しないのか?」
後悔するぞ。
椎名くんの捨て台詞が、私の頭の中でリフレインした。
後悔なんてしない。
それは、創作だったらの話。
創作じゃないなら、話は別。
最後の一口をあげれば良かったなんて、ずっと後悔し続けるなんて、そんなの私は──絶対に嫌だ。
「椎名くん!」
私は電柱の陰から飛び出した。
引っ越しトラックの荷台の前で立ち話をしていた二人が振り返る。
……まったく知らない顔の、ハゲたおっさんとデブの学ラン高校生が。
誰だよ、お前ら。
「あのー、すいません。うちの家の前にトラック停めるの、やめてもらえませんか?」
その時、椎名くんの家の中から椎名くん本人が出てきて二人に注意した。ハゲたおっさんとデブの学生は「すいませーん」とふてぶてしい声で謝ると、トラックと共に去っていった。
後には、困惑顔の椎名くんと逃げ場を失った私が取り残されていた。
「何やってんの、藤川」
「いや……偶然通りかかっただけ。っていうか、何なん? さっきの人たち」
「ああ、隣に住んでる人。明日から息子さんだけカナダに留学するらしくてさー、引っ越しのトラックがうちの方まで侵入してきて迷惑してたんだわ」
「声がやけに椎名くんに似てなかった?」
「そう? よく分かんない。俺はそう思ったことなかったけど。似てた?」
思い込みって怖い。
完全に椎名くんの声だと思っていた私の脳みそ、どうなってんだ。
「なんだよ、藤川。俺が引っ越しするとでも思った?」
椎名くんがニヤニヤしながら私に近づいてきた。
「だって、椎名くんが昼休みに変な話するから!」
「そんな話したっけ? あ、不良がチョココロネ食べたがってた話か」
「うっさい、死ね!」
椎名くんの弁慶の泣き所を蹴り飛ばしたら、椎名くんはぎゃあっと叫んで片膝をついた。
「おのれ、藤川! 今の仕打ち、後悔させてやるからなっ!」
「しないもん」
私は笑いながらダッシュで逃げ出した。
分け合わないと不幸になる焼きそばパン? 何だそれ。
私は明日もきっとこうして笑っているだろう。
◇
その翌日の昼休み。
購買部のパン行列に並んでいた私は、隣のクラスの佐藤さんとバッタリ出会った。
佐藤さんは椎名くん関係で最近友達になった人で、他人の心が読めるんじゃないの? っていうくらい勘が鋭い。
「あっ、藤川さん。焼きそばパン買いに行くの?」
「うん、そう。よく分かったね」
ほらな。勘が鋭い。
「大人気だよね、ここの焼きそばパン。そういえば、知ってる? この学校の七不思議のひとつに、ここの焼きそばパンが入ってるの」
「えっ? あれって本当なの?」
驚いた私を見て、佐藤さんはふふっと意味深な笑みを浮かべた。
「うん。焼きそばパンを好きな人と分け合うと、その二人は結ばれるっていう七不思議。だから大人気ですぐ売り切れちゃうんだよ」
「えっ……そうだったんだ!」
おいおい、椎名くん。
七不思議の内容、違うじゃないか。
それともあれは……わざとですか?
あんな変な嘘ついてまで私と分け合って食べようとしたのは、そういうこと?
ムズムズしながら行列に並んでいたら、焼きそばパン争奪戦に負けてしまった。
今日は仕方なくおにぎりを買って教室に帰る。
すると。
「ジャーン」
今どきあり得ないほど古典的な効果音をつけて、椎名くんが私に焼きそばパンを見せつけてきた。
「うそ。それ、買えたんだ」
「うん。ラス1。運よくゲットできてさー」
焼きそばパンと椎名くんを交互に見つめると、椎名くんはニヤリと笑った。
「半分こする?」
「えっ。いいの?」
これを分け合って食べた二人は結ばれる。
さっきの佐藤さんの話が本当だったら……?
悔しいけど、ちょっとドキドキするじゃないか。
椎名くんはパンを半分に千切った。
その片方をおずおずと手を伸ばした私に渡す。
……と見せかけて。
「譲らねえよ、バーカ」
椎名くんは嬉しそうに、両手に持った焼きそばパンを一気食いしてしまった。
このやろう。
それがしたかったのか。私のドキドキを返せ。
「不幸になったな、藤川。ざまあみろ!」
「子どもか」
「あははははっ……ぐっ……! い、いかん、一気に食べたから……焼きそばが喉に詰まった!」
「お前が不幸になってんじゃん」
「助けてくれ、藤川! みず、水をくれええ!」
相変わらず、椎名くんは変なやつだ。
だけど、彼といると笑いが絶えない。
今度焼きそばパンをゲットできたら、椎名くんに半分渡そうかな、なんて思う。
今度がいつになるのか、私にも分からないけど。
