「あ」
突然、何かに気がついたような顔つきで、友達の椎名くんが呟いた。
私は偶然彼とタイミングが一緒になった下駄箱の前で、それを耳にした。彼の手には脱いだばかりの靴がぶら下げられていた。まるで置き場をなくして困っているみたいに。
「どうしたの、椎名くん。靴しまわないの?」
「そんなことより、大変なことに気づいてしまった」
「え、なになに」
下駄箱の中に何かあるのか。
見ると、本当に何かがあった。
可愛らしいチェック柄の封筒だ。中身はきっと女子がしたためた手紙が入っているに違いない。
「えーっ! 何これ、もしかして……!」
「そうだ。藤川、お前も気づいたか。ヤバいな、どうしよう」
椎名くんは深刻な顔で呟く。
「今日、俺、靴下を色違いで履いてきちゃった」
「うん、ヤバいね。どうしよう。いやどうでもいいよ、バカ!」
靴下の色よりもっと動揺すべきことがあるだろ。
鈍い椎名くんに、私はその事実を突きつけてやる。
「これ、ラブレターじゃない⁉︎ 椎名くん、女子に告られてるよ!」
「何故ラブレターだと分かるんだ? まだ読んでもいないのに。藤川には透視能力でもあるのか?」
「ないけど、見りゃ分かるじゃん?」
「決めつけは良くないぞ。中身は不幸の手紙かもしれないだろ」
「高校二年生にもなって不幸の手紙を書く奴の方が確率低いと思うけど」
「まあ、落ち着けよ藤川」
椎名くんは憎らしいくらい冷静に手紙を手に取った。
「もし仮に、これがラブレターだったとしよう。その子がすげー可愛い子だったとしよう。その子に俺が呼び出されたとしよう。さて俺はどうすると思う?」
「えっ……さ、さあ……」
私はちょっとドキッとした。
もしも椎名くんがすげー可愛い女の子に告白されたら?
そんなこと、考えたこともなかった。
椎名くんは言動がちょっとおかしいところもあるけど、見た目は悪い方じゃない。頭だって別に悪くないし、女子に告白されてもおかしくはないタイプだと言えよう。
だけど、椎名くんが女子と普通に付き合う姿が想像できない。
戸惑う私を見つめて、椎名くんはボソッと言った。
「……会いに行かないに決まってるだろ」
彼と視線が一秒、絡まり合った。
「えっ……何で?」
「分かんないのか藤川」
「う、うん」
すると椎名くんはクールな笑みを浮かべた。
「違う色の靴下を履いてきちゃったからだよ。バレたら恥ずかしいだろ」
「お前がそういうやつだから想像できないんだよ。バーカ」
「そんなことより、早く手紙を読みなよ」
私が催促したその時だった。
「おい、お前ら下駄箱の前で立ち止まんな。邪魔なんだよコラ」
誰かにいきなり声をかけられた。
振り向くと、うちのクラスの金髪ヤンキー、小野田くんがこっちを睨んでいた。
「あ、ごめんなさい」
気づけば、下駄箱前には登校してきた生徒が続々とやってきている。
「まずいな。もしもこんなところで読んで、俺が嬉しそうな顔でもしてみろ。あいつ、ラブレターもらったな! なんて噂があっという間に広まる。ラブレターの差出人の捜索が一斉に始まり、魔女狩りが行われることだろう。その結果、恥ずかしがり屋の彼女は『あたし、こんなの出してません!』と否定に走り、俺は自作自演の疑いをかけられて恥をかく。さらに靴下の色が違っているとバレたら、俺はもう立ち直れない」
「靴下の色でトドメ刺されるの?」
どこでピーク迎えてんだよ、こいつ。
「じゃあ目立たないところに行こ。男子トイレの個室に入れば?」
「バカを言え」
椎名くんは即座に却下した。
「男子トイレの個室に入った時点で大便確定。そこで手紙を読む時間が一分過ぎるごとに便の種類まで想像されてしまうに違いない。違うんだ、ラブレター読んでたんだよ! なんて言い訳すればさっきのパターン上、手紙女子は名乗りを上げず、俺は長便を隠すためにありもしないラブレターを捏造したとんでもない嘘つきというレッテルを貼られる。さらに靴下の色が違っているとバレたら、俺はもう立ち直れない」
「もう脱げや靴下」
面倒くせえな。
「椎名くんが読むべきだと思うけど、そんなに周りの目が気になるなら私が読もうか?」
「それが平和かもしれないな」
椎名くんはチェックの封筒を私に渡した。
廊下の端に寄り、人の流れを邪魔しない位置で手紙を広げる。
『椎名くんへ。
あなたにどうしても伝えたいことがあります。今日の放課後、屋上まで来てください。最近、あなたの存在が気になって仕方がないOより』
手紙はいたってシンプルにそう書かれていた。丸くて可愛い文字だ。そんなに上手な字ではないけど、女の子が一生懸命に書いた感じがして好感が持てる。
「Oって誰? 心当たりある?」
「分からない。それに、これじゃ愛の告白かどうかもはっきり分からないな。誰にも内緒でどうしても伝えたいこととは何だ? もしかしたら『社会の窓が開いてますよ』的なことかも……」
そこで椎名くんはハッと自分の靴下を見た。
「いや、ないない。靴下、色違いですよって手紙で先回りで書けたらそれはもう預言者」
「だよな。もしも彼女が本当に預言者で、俺の失態を手紙に書いてくれたんだとしても、放課後に教えてくれるのは遅すぎる。もっと早く言ってくれなきゃ! 預言者だとしたら無能すぎる」
「うんうん」
「しかしドジっ子の預言者だとしたらけっこう可愛い」
「あー、そう捉えるかあ」
うっかり放課後まで待たせちゃった。てへ。みたいな?
想像したらけっこう可愛いかもなあ、なんて私も納得してしまいそうになった。
その後も椎名くんは手紙の主について想像を膨らませ続けた。
そして、放課後までには彼女の完璧なキャラが完成していた。
「彼女の名前は大橋さん(イニシャルO)。下級生だ。身長153センチ、体重42キロ。職業、預言者(見習い)。俺の靴下の色が左右で違うことを預言で知るも、伝える方法が分からずに苦悩している。性格はドジ。語尾は〜なのであります。髪の色はピンクでツインテール。ペットはミニブタだ」
「それでいいのか」
「ペットをミニブタにするかウリ坊にするかでまだ少し悩んでいる」
「悩むとこはそこだけか?」
もう、何も言うまい。
セピア色に染まった教室で、私はにっこり笑って彼に手を振った。
「頑張ってね、椎名くん。何を言われても落ち込むなよ」
「……藤川」
椎名くんはやけに真顔で私をじっと見つめていた。
「藤川はいいの? 俺が行っても」
何だそれ。私は振っていた手を止めた。
「止めるなら今のうちだよ」
「え? 何で?」
私たちの間に奇妙な沈黙が浮かんで、流れた。
「何でもない。じゃあな」
椎名くんはどことなく寂しそうな背中を見せて、夕暮れの廊下に消えた。
なんか、変だったな。椎名くん。
まあ、椎名くんはいつも変なんだけど。
「さてと。私も帰ろうかな」
ひとりごとを呟いて、私はノロノロと鞄を掴んだ。
椎名くんめ、変な空気にしおって。
何が、止めるなら今のうちだ。
私たちはそういうのじゃないでしょう。
椎名くんが真顔で変なことを言って、私が冷静につっこむ。
それがただ、楽しいから。楽しかった、から、そばにいただけ。
それだけだったはずじゃない。
ひとりぼっちで飛び出す教室。廊下に長く伸びる影。
おのれ、夕陽め。
私を切なくさせるんじゃないよ。
椎名くんなんかいなくても、一人で帰れるったら。
俯いたまま下駄箱までやってきた。
そして私は、何故かそこに椎名くんの背中を発見した。
今頃は屋上にいると思っていたのに。
「椎名くん? どうした」
「うん」
椎名くんは振り向く。いつもの真顔だ。
「よく考えたらさ、預言者の言葉を聞くまでもなく、靴下のことは気づいていたわけで。それならもうわざわざ聞きにいく必要もないかなって」
「行かなかったの⁉︎ 屋上! もう、何やってんの!」
「うん。だからさ」
椎名くんは上履きを脱いで下駄箱に戻す。彼の足元は色違いの靴下だ。
「俺の靴下がこんなんでも平気でいられる人と、俺はいたいんだよ」
何だそれ。鼻の下がむず痒い。
私はわざと雑に上履きを脱いで下駄箱の蓋を開けた。
「あーあ。そんなんじゃ、いつまで経っても彼女できないよ?」
「別にいいよ」
椎名くんは私を見てフッと笑った。
「今は、藤川がいるし」
「……は?」
下駄箱から取り出しかけたローファーを危うく落としそうになる。
「私ゃ別に椎名くんの彼女じゃないんですけどね」
「もちろんそうなんだけど、藤川といると楽しいしさ」
やけに鼻の頭が焼ける。おのれ夕陽め。熱いからとっとと沈んでくれ。
眩しくて椎名くんの方が見れやしない。
お天道様に悪態をつきながら、私は椎名くんと並んで校舎を出た。
すると。
「あれ? 椎名くん?」
背後から、女の子の声がした。
振り向くとそこには、沢田くんと佐藤さんがいた。
二人は隣のクラスの微笑ましいカップルだ。沢田くんは無口なイケメンで、佐藤さんはサトリ能力があるんじゃないかと思うくらいよく気のつく子である。
最近、椎名くんは沢田くんと縁がある。
二人はいつの間にか友達のようなライバルのような存在になっていて、その時いつも一緒にいた私と佐藤さんもすっかり打ち解けた間柄になっていた。
その佐藤さんが笑顔で言う。
「小野田くんとの話、もう終わったの?」
「えっ? 小野田……くん?」
小野田くんといえば……うちのクラスの金髪ヤンキー。
今朝、下駄箱で邪魔だと叱られたことを思い出す。
普段はもちろん、私たちのような普通の高校生とは縁遠い存在。
そんな彼の名前がなぜ突然浮上したのだろうか。
「あれ? 椎名くん、小野田くんに屋上に呼び出されてなかった? 小野田くんが『沢田のライバルを公言するなら俺にも話を通してもらわないと』って言ってたよ。私の便箋貸してあげたの、届いてなかった?」
「まさか……」
椎名くんは預言者の大橋さんからもらったチェック柄の封筒を取り出した。
「これ⁉︎」
「そう、それ。小野田くん、沢田くんと同じ小学校出身で、沢田くんの親友は自分だと思い込んでいるから、最近沢田くんとよく絡んでる椎名くんの存在が気になって仕方ないみたいなの。見た目は怖いけど、繊細な人なんだよね」
『最近、あなたの存在が気になって仕方がないOより』
手紙にも確かにそう書かれていたけど……。
「いや、怖いって!! 金髪ヤンキーの見た目で、この丸っこい字ですか⁉︎ 完璧に下級生の女の子だと思ってたよ! 恐怖倍増だよ!」
「あと……親友じゃない」
沢田くんがボソッと呟く。
「それが、一番怖い……」
確かに、金髪のヤンキーに親友と思い込まれてここまで行動されたら怖いな。
「椎名くん、今からでも屋上行ったら? 無視したら後で何されるか分かんないよ」
私は椎名くんを見上げた。椎名くんは青い顔をしてガタガタ震えながら言った。
「今日、靴下の色を間違えてて恥ずかしいから……絶対行かない」
こうして、小野田くんの呼び出しを無視した椎名くんはダッシュで先に帰って行った。
やっぱり椎名くんが告白されるなんて、エイプリルフールでもない限りあり得ないよなあ。
「何だか嬉しそうだね、藤川さん」
「え、そう? 気のせいだよ」
佐藤さんは何を思ったのかニヤニヤしていた。
沢田くんは何も思ってないみたいに無表情だった。
そんな二人に別れを告げて、私ものんびりと歩き出す。
昨日と何も変わらない日が、明日もやってきますように。
微笑む私の頭の上で、一番星が輝いていた。
突然、何かに気がついたような顔つきで、友達の椎名くんが呟いた。
私は偶然彼とタイミングが一緒になった下駄箱の前で、それを耳にした。彼の手には脱いだばかりの靴がぶら下げられていた。まるで置き場をなくして困っているみたいに。
「どうしたの、椎名くん。靴しまわないの?」
「そんなことより、大変なことに気づいてしまった」
「え、なになに」
下駄箱の中に何かあるのか。
見ると、本当に何かがあった。
可愛らしいチェック柄の封筒だ。中身はきっと女子がしたためた手紙が入っているに違いない。
「えーっ! 何これ、もしかして……!」
「そうだ。藤川、お前も気づいたか。ヤバいな、どうしよう」
椎名くんは深刻な顔で呟く。
「今日、俺、靴下を色違いで履いてきちゃった」
「うん、ヤバいね。どうしよう。いやどうでもいいよ、バカ!」
靴下の色よりもっと動揺すべきことがあるだろ。
鈍い椎名くんに、私はその事実を突きつけてやる。
「これ、ラブレターじゃない⁉︎ 椎名くん、女子に告られてるよ!」
「何故ラブレターだと分かるんだ? まだ読んでもいないのに。藤川には透視能力でもあるのか?」
「ないけど、見りゃ分かるじゃん?」
「決めつけは良くないぞ。中身は不幸の手紙かもしれないだろ」
「高校二年生にもなって不幸の手紙を書く奴の方が確率低いと思うけど」
「まあ、落ち着けよ藤川」
椎名くんは憎らしいくらい冷静に手紙を手に取った。
「もし仮に、これがラブレターだったとしよう。その子がすげー可愛い子だったとしよう。その子に俺が呼び出されたとしよう。さて俺はどうすると思う?」
「えっ……さ、さあ……」
私はちょっとドキッとした。
もしも椎名くんがすげー可愛い女の子に告白されたら?
そんなこと、考えたこともなかった。
椎名くんは言動がちょっとおかしいところもあるけど、見た目は悪い方じゃない。頭だって別に悪くないし、女子に告白されてもおかしくはないタイプだと言えよう。
だけど、椎名くんが女子と普通に付き合う姿が想像できない。
戸惑う私を見つめて、椎名くんはボソッと言った。
「……会いに行かないに決まってるだろ」
彼と視線が一秒、絡まり合った。
「えっ……何で?」
「分かんないのか藤川」
「う、うん」
すると椎名くんはクールな笑みを浮かべた。
「違う色の靴下を履いてきちゃったからだよ。バレたら恥ずかしいだろ」
「お前がそういうやつだから想像できないんだよ。バーカ」
「そんなことより、早く手紙を読みなよ」
私が催促したその時だった。
「おい、お前ら下駄箱の前で立ち止まんな。邪魔なんだよコラ」
誰かにいきなり声をかけられた。
振り向くと、うちのクラスの金髪ヤンキー、小野田くんがこっちを睨んでいた。
「あ、ごめんなさい」
気づけば、下駄箱前には登校してきた生徒が続々とやってきている。
「まずいな。もしもこんなところで読んで、俺が嬉しそうな顔でもしてみろ。あいつ、ラブレターもらったな! なんて噂があっという間に広まる。ラブレターの差出人の捜索が一斉に始まり、魔女狩りが行われることだろう。その結果、恥ずかしがり屋の彼女は『あたし、こんなの出してません!』と否定に走り、俺は自作自演の疑いをかけられて恥をかく。さらに靴下の色が違っているとバレたら、俺はもう立ち直れない」
「靴下の色でトドメ刺されるの?」
どこでピーク迎えてんだよ、こいつ。
「じゃあ目立たないところに行こ。男子トイレの個室に入れば?」
「バカを言え」
椎名くんは即座に却下した。
「男子トイレの個室に入った時点で大便確定。そこで手紙を読む時間が一分過ぎるごとに便の種類まで想像されてしまうに違いない。違うんだ、ラブレター読んでたんだよ! なんて言い訳すればさっきのパターン上、手紙女子は名乗りを上げず、俺は長便を隠すためにありもしないラブレターを捏造したとんでもない嘘つきというレッテルを貼られる。さらに靴下の色が違っているとバレたら、俺はもう立ち直れない」
「もう脱げや靴下」
面倒くせえな。
「椎名くんが読むべきだと思うけど、そんなに周りの目が気になるなら私が読もうか?」
「それが平和かもしれないな」
椎名くんはチェックの封筒を私に渡した。
廊下の端に寄り、人の流れを邪魔しない位置で手紙を広げる。
『椎名くんへ。
あなたにどうしても伝えたいことがあります。今日の放課後、屋上まで来てください。最近、あなたの存在が気になって仕方がないOより』
手紙はいたってシンプルにそう書かれていた。丸くて可愛い文字だ。そんなに上手な字ではないけど、女の子が一生懸命に書いた感じがして好感が持てる。
「Oって誰? 心当たりある?」
「分からない。それに、これじゃ愛の告白かどうかもはっきり分からないな。誰にも内緒でどうしても伝えたいこととは何だ? もしかしたら『社会の窓が開いてますよ』的なことかも……」
そこで椎名くんはハッと自分の靴下を見た。
「いや、ないない。靴下、色違いですよって手紙で先回りで書けたらそれはもう預言者」
「だよな。もしも彼女が本当に預言者で、俺の失態を手紙に書いてくれたんだとしても、放課後に教えてくれるのは遅すぎる。もっと早く言ってくれなきゃ! 預言者だとしたら無能すぎる」
「うんうん」
「しかしドジっ子の預言者だとしたらけっこう可愛い」
「あー、そう捉えるかあ」
うっかり放課後まで待たせちゃった。てへ。みたいな?
想像したらけっこう可愛いかもなあ、なんて私も納得してしまいそうになった。
その後も椎名くんは手紙の主について想像を膨らませ続けた。
そして、放課後までには彼女の完璧なキャラが完成していた。
「彼女の名前は大橋さん(イニシャルO)。下級生だ。身長153センチ、体重42キロ。職業、預言者(見習い)。俺の靴下の色が左右で違うことを預言で知るも、伝える方法が分からずに苦悩している。性格はドジ。語尾は〜なのであります。髪の色はピンクでツインテール。ペットはミニブタだ」
「それでいいのか」
「ペットをミニブタにするかウリ坊にするかでまだ少し悩んでいる」
「悩むとこはそこだけか?」
もう、何も言うまい。
セピア色に染まった教室で、私はにっこり笑って彼に手を振った。
「頑張ってね、椎名くん。何を言われても落ち込むなよ」
「……藤川」
椎名くんはやけに真顔で私をじっと見つめていた。
「藤川はいいの? 俺が行っても」
何だそれ。私は振っていた手を止めた。
「止めるなら今のうちだよ」
「え? 何で?」
私たちの間に奇妙な沈黙が浮かんで、流れた。
「何でもない。じゃあな」
椎名くんはどことなく寂しそうな背中を見せて、夕暮れの廊下に消えた。
なんか、変だったな。椎名くん。
まあ、椎名くんはいつも変なんだけど。
「さてと。私も帰ろうかな」
ひとりごとを呟いて、私はノロノロと鞄を掴んだ。
椎名くんめ、変な空気にしおって。
何が、止めるなら今のうちだ。
私たちはそういうのじゃないでしょう。
椎名くんが真顔で変なことを言って、私が冷静につっこむ。
それがただ、楽しいから。楽しかった、から、そばにいただけ。
それだけだったはずじゃない。
ひとりぼっちで飛び出す教室。廊下に長く伸びる影。
おのれ、夕陽め。
私を切なくさせるんじゃないよ。
椎名くんなんかいなくても、一人で帰れるったら。
俯いたまま下駄箱までやってきた。
そして私は、何故かそこに椎名くんの背中を発見した。
今頃は屋上にいると思っていたのに。
「椎名くん? どうした」
「うん」
椎名くんは振り向く。いつもの真顔だ。
「よく考えたらさ、預言者の言葉を聞くまでもなく、靴下のことは気づいていたわけで。それならもうわざわざ聞きにいく必要もないかなって」
「行かなかったの⁉︎ 屋上! もう、何やってんの!」
「うん。だからさ」
椎名くんは上履きを脱いで下駄箱に戻す。彼の足元は色違いの靴下だ。
「俺の靴下がこんなんでも平気でいられる人と、俺はいたいんだよ」
何だそれ。鼻の下がむず痒い。
私はわざと雑に上履きを脱いで下駄箱の蓋を開けた。
「あーあ。そんなんじゃ、いつまで経っても彼女できないよ?」
「別にいいよ」
椎名くんは私を見てフッと笑った。
「今は、藤川がいるし」
「……は?」
下駄箱から取り出しかけたローファーを危うく落としそうになる。
「私ゃ別に椎名くんの彼女じゃないんですけどね」
「もちろんそうなんだけど、藤川といると楽しいしさ」
やけに鼻の頭が焼ける。おのれ夕陽め。熱いからとっとと沈んでくれ。
眩しくて椎名くんの方が見れやしない。
お天道様に悪態をつきながら、私は椎名くんと並んで校舎を出た。
すると。
「あれ? 椎名くん?」
背後から、女の子の声がした。
振り向くとそこには、沢田くんと佐藤さんがいた。
二人は隣のクラスの微笑ましいカップルだ。沢田くんは無口なイケメンで、佐藤さんはサトリ能力があるんじゃないかと思うくらいよく気のつく子である。
最近、椎名くんは沢田くんと縁がある。
二人はいつの間にか友達のようなライバルのような存在になっていて、その時いつも一緒にいた私と佐藤さんもすっかり打ち解けた間柄になっていた。
その佐藤さんが笑顔で言う。
「小野田くんとの話、もう終わったの?」
「えっ? 小野田……くん?」
小野田くんといえば……うちのクラスの金髪ヤンキー。
今朝、下駄箱で邪魔だと叱られたことを思い出す。
普段はもちろん、私たちのような普通の高校生とは縁遠い存在。
そんな彼の名前がなぜ突然浮上したのだろうか。
「あれ? 椎名くん、小野田くんに屋上に呼び出されてなかった? 小野田くんが『沢田のライバルを公言するなら俺にも話を通してもらわないと』って言ってたよ。私の便箋貸してあげたの、届いてなかった?」
「まさか……」
椎名くんは預言者の大橋さんからもらったチェック柄の封筒を取り出した。
「これ⁉︎」
「そう、それ。小野田くん、沢田くんと同じ小学校出身で、沢田くんの親友は自分だと思い込んでいるから、最近沢田くんとよく絡んでる椎名くんの存在が気になって仕方ないみたいなの。見た目は怖いけど、繊細な人なんだよね」
『最近、あなたの存在が気になって仕方がないOより』
手紙にも確かにそう書かれていたけど……。
「いや、怖いって!! 金髪ヤンキーの見た目で、この丸っこい字ですか⁉︎ 完璧に下級生の女の子だと思ってたよ! 恐怖倍増だよ!」
「あと……親友じゃない」
沢田くんがボソッと呟く。
「それが、一番怖い……」
確かに、金髪のヤンキーに親友と思い込まれてここまで行動されたら怖いな。
「椎名くん、今からでも屋上行ったら? 無視したら後で何されるか分かんないよ」
私は椎名くんを見上げた。椎名くんは青い顔をしてガタガタ震えながら言った。
「今日、靴下の色を間違えてて恥ずかしいから……絶対行かない」
こうして、小野田くんの呼び出しを無視した椎名くんはダッシュで先に帰って行った。
やっぱり椎名くんが告白されるなんて、エイプリルフールでもない限りあり得ないよなあ。
「何だか嬉しそうだね、藤川さん」
「え、そう? 気のせいだよ」
佐藤さんは何を思ったのかニヤニヤしていた。
沢田くんは何も思ってないみたいに無表情だった。
そんな二人に別れを告げて、私ものんびりと歩き出す。
昨日と何も変わらない日が、明日もやってきますように。
微笑む私の頭の上で、一番星が輝いていた。
