「あ」
突然、何かに気がついたような顔つきで、彼氏の椎名くんが呟いた。
待ち合わせの神社の鳥居の前で待っていた私に、彼は相変わらずのローテンションで近づく。
「久しぶり」
「あ、うん」
ヤバい。落ち着け。
一人だけテンション爆上がりしそうになって、私はこっそり深呼吸した。
一月の澄んだ空気を取り込んだ私の肺が一瞬凍える。
新年が明けて五日目の朝だ。
冬休みに入ってからは受験勉強の焦りで全然遊べなかったけど、そろそろ椎名くんに会いたくなってきたので、思い切って電話で彼を呼び出した。
受験生だし、神社に詣でに行くというのは悪くない口実だと思って。
ちなみに私は元日に家族と初詣に行っているので、今日は2nd詣となる。
二度目の詣が2nd詣という呼び方でいいのか? という疑問は一年前にも感じたけど、結局一年を通じて答えは分からないままだった。多分一年後も同じことを言ってる可能性大。
「なんか楽しそうだな、藤川」
「そう? 別に普通だよ」
逆に、久しぶりに会えたんだから椎名くんも楽しそうにしろよと思う。
すると彼は思い出したように言った。
「やべー。俺、今年に入って五日目なのに、まだ一度も笑ってないわ」
「なんかそれ、一年前にも聞いたような気がする」
「やっぱそう? 俺も一年前に同じこと言ったような気がする」
「受験勉強のしすぎなんじゃない?」
「いや、最近はもう諦めの境地に入ってて、ダラダラしてる。孤高のグルメを一気見したりしてる」
「それ、去年も言ってたよ。ヤバいね」
椎名くん、相変わらずすぎるだろ。
思わず笑った私を見て、椎名くんはため息をつく。
「藤川って笑いのハードルが低そうでいいよな。俺はもう何が起きても笑えないもん。目の前を人面犬が横切っても笑えないね」
「それは笑うやつじゃないじゃん。怖がるやつじゃん」
「その人面犬の顔がうちの親父だとしても笑えないね」
「それはもう泣くやつじゃん。お父さん、犬になっちゃったんだよ? 笑ってる場合じゃないよ」
椎名くんはいつもどこか着眼点がズレている。
すると、椎名くんが私の目をじっと見つめながら言った。
「なんか面白いことやってくんない? 藤川」
五日も笑ってない男を笑らせろだと?
ハードル高えわ。
「去年はどうやって笑ったんだっけ」
「忘れた。でも、おみくじを引いたような気がする」
「よし、引いてみるか」
椎名くんは本堂へお参りに行く前におみくじ売り場の方へ足を向ける。私も仕方がないからついていって、一緒におみくじを引いた。
去年はたしか、二人とも大吉でも大凶でもない吉あたりでガッカリしたよな。
今年は受験もあるから大吉を引きたいところ。
木で出来たみくじ箱をカラカラと振り、中から割り箸よりも細い棒が一本だけ降りてくる。その先に書かれた番号と同じ番号の棚からおみくじをもらう仕組みだ。
もらった紙をせーので見てみる。
「出た、ドン! 吉!」
「あっ。私は大吉だ。やったー」
「…………」
「…………」
「…………凶は?」
やっぱり今年も凶をお望みか。今年は本当に笑えなくなるぞ、椎名くん!
「えー今年も吉とか、マジ無理。せめて大吉だろ」
「少なくともって言い方だけど、大吉が一番いい結果だからね? 求めてるとこがおかしいよ?」
「一番笑えるパターンとしては藤川が大凶で俺が大吉だったんだけどな」
「笑えねえよ」
なにをナチュラルにひどいこと言ってんだって話。
「それより、学問はどうだった? 私は安心して勉学せよだって」
「俺は……諦めるな、まだ間に合う。だって。間に合うって書いてあるから大丈夫そうだな」
「でもさっき諦めの境地で孤高のグルメ見てたって言ってたじゃん。諦めてんじゃん。ヤバいじゃん」
「あっ。本当だ」
「おみくじ引いて良かったね。大事なことに気づけたし」
「まあそれはそうなんだけど……笑いが足りない」
もうそこは求めるなよ。と思うのだが、椎名くんがガッカリしていると私も暗くなってしまう。
私も笑顔の椎名くんに会いたいよ。
「そうだ! 沢田くんに会ったらどうかな⁉︎ 椎名くん、沢田くんが笑いのツボだって言ってたじゃん!」
ふと思い出した。
椎名くんが去年笑ったのは、沢田くんの笑えるエピソードを思い出したおかげだったということを。
沢田くんは椎名くんのライバルであり師匠でもある、つまりは仲のいい友達だ。ハロウィンの時は椎名くんがナスの全身着ぐるみを着て、沢田くんがカボチャの全身着ぐるみを着て、町内を一緒に練り歩いたこともあった。私は恥ずかしくて同行できなかったけど。
沢田くんに会えばまた笑いが起きるかもしれない。
しかし、椎名くんは暗い顔をして首を横に振った。
「沢田か……あいつにだけは今は会いたくない」
「なんで⁉︎」
「ダメなんだ。どうしても」
「沢田くんと何かあったの?」
椎名くんは眉間に皺を寄せたまま頷いた。
あんなに仲の良い二人が仲違いだなんて、いったい何があったのだろう。
「実は……この間コンビニで負けた方がジュース奢りな? って言ってあいつとジャンケンしたんだけど、俺が三連敗しちゃってさ。しょうがないから好きなもの選んでいいよって言ったんだけど、あいつが頼んだホットカフェオレが俺の想定より30円高くて、結局あいつに30円借金したっていうほろ苦い思い出が……」
「即返金しろ」
ジュージャンを3回やってる時点でこいつお金ないなって、私なら気づくが。
沢田くんはきっと優しいから言い出せなかったんだろうな。
「返したいのはやまやまだが、今日はお賽銭で使う分しか持ってきてないんだ」
「そっか……確かに、たかが30円と言えど返してもらえなかったらモヤモヤするかもね」
「それだけじゃないんだ。大掃除で要らないゲームソフトを売却することになった時、あいつに借りてたソフトまでうっかり中古屋に売ってしまったことをこのタイミングで思い出して」
「あー気まずい気まずい」
「しかも半年前に借りたやつ」
「半年? 沢田くんもよく何も言わなかったね」
「あいつ、無口だからなー」
そういう問題じゃないだろ。
沢田くん、いい人すぎる。
「買い戻してあげなよ。可哀想に」
「売った時は100円だったのに、いざ買うとなったら1500円の値がついてても?」
「あーそれはちょっとやだね」
「だろ? アコギな商売しやがって。そういうわけなんだ、ごめん沢田。お前とはもう永遠に会えないかもしれない」
椎名くんは心の中の沢田くんに話しかけて重いため息をつく。
……いや、買い戻せよ。
1500円で友情を諦めるな、椎名くん!
「もう、1500円くらい私が出してあげるから買って返そうよ。それなら沢田くんにも会えて、椎名くんも笑えるんじゃないの?」
「えっ? それだと俺が藤川に1500円借金した気まずさで藤川に会えなくなるけど」
「そうなる前にすぐ返しに来ればいいでしょ!」
私は肩にかけていたミニショルダーバッグからお財布を出そうとした。
すると、その手を椎名くんが掴んだ。
びっくりして見上げれば、男前の顔をした椎名くんがいた。
「いや……藤川にそこまでさせるわけにはいかない。藤川に会いたいから会いに来たのに、また気まずくて会えなくなるのは嫌だし」
「椎名くん……」
椎名くんも私に会いたいと思ってたんだ。
胸の内側がじんわりとあったかくなる。
「ソフトは俺が買ってくるよ。お年玉でもらった一万円札があるし」
「あんのかい」
「うん。ないのは小銭だけ」
「腹たつな。だったら早く買いに行きなよ」
「うん」
椎名くんはダッシュで神社の境内を出ようとした。
けど、途中で足を止めて私を振り返り、何故か戻ってきた。
「どうしたの椎名くん。うおっ?」
椎名くんは突然私を正面から抱きしめた。
「やっぱ、沢田に会うのはまた今度にする。今は藤川と離れたくないから」
「椎名くん……」
う……。
最近会うの我慢してたせいもあってか、すごく嬉しい。
泣きそうになるくらい嬉しい。
これは神様からのご褒美かな。
椎名くんに会いたくて、ずっとずっと頑張ってきたから。
私は小さく鼻をすすりながら、横を向いて真っ白なため息をついた。
「あーあ。沢田くん、可哀想」
「それがあいつの運命ってことだな」
「ひどいことした人が言うセリフじゃないね」
「そんな俺と知り合ってしまったことも含めてあいつの運命だな」
こいつ、開き直ってやがる。
「マジ可哀想」
悪いと思いつつ、つい笑っちゃう。
すると、椎名くんも微妙に体を揺らしながら笑い出した。
「あっ。椎名くん、いま笑った!」
「しまった。藤川につられて、微妙な初笑いになっちゃった」
私たちは体を離し、顔を見合わせてまた笑った。
「去年もこうやって藤川の笑い声につられたんだよなー。また藤川に俺の初めてを奪われたわー」
「人聞きの悪い言い方しないでよ」
私たちの笑い声が青い空に抜けていく。
なんだか分からないけど面白い。
理由なんていらなかった。理屈なんていらなかった。オチも特にない。
この空気感だけで、私たちはいくらでも笑える。
「今年もよろしくね、椎名くん」
「こちらこそよろしく」
私たちは手を繋いで賽銭箱の前に行き、横に並んで手を合わせた。
去年はまだ曖昧だった願い事。
今年はもう少しだけ、祈りを強くしよう。
来年も、その先も、こうして隣にいられたらいいね。
「さて、中古ゲーム屋行ってそのあと沢田んち行くか!」
「そうしよう。ところで、沢田くんから何のゲーム借りてたの?」
「ドラクエ一作目」
「マジで⁉︎ ファミコンじゃん! 逆にレア」
「うん。あ、そういえば沢田がメモってた復活の呪文も無くしてたんだわ。やっベー。やっぱあいつには永遠に会えないな」
どんだけレベル上げしてたのか知らないけど、それは痛恨の一撃。
「あーあ。沢田くん可哀想」
「まあ、それがあいつの運命だから」
「最悪だな、椎名くん」
開き直る椎名くんと、私はちょっぴり悪い笑みを交わした。
神様。こんな悪い私たちですが、どうかバチが当たりませんように。
真っ赤な鳥居を振り返り、私は元気よく頭を下げた。
