「あ」
突然、私の前に現れた椎名くんがこっちを見て呟いた。
ホカホカの肉まんを求めてやってきた午後九時の近所のコンビニの前。まさかこんな深い時間にバッタリ彼氏に出会ってしまうとは。
彼の手にも肉まんが握られていた。しかもこのコンビニ特製のビッグサイズ肉まんだ。温かそうな湯気が開封されたばかりの包みからホワホワと溢れていた。
「椎名くんも息抜き?」
「まあな」
「なんだか、椎名くんに会ったの久しぶりな気がする」
「分かる。同じクラスなのにな」
私たちは高校三年の受験生だ。受験までちょうどあと一ヶ月というところ。お互いに追い込んでいて、最近は休日でも遊びに行こうと誘い合うことはなくなっていた。
あと一ヶ月の辛抱だからと遠慮していたし、我慢していたから、こんなふうにバッタリ会っちゃって余計に嬉しかった。自然と笑顔になる。
「ちょっと待ってて。私も肉まん買ってくる。家まで一緒に帰ろうよ」
「あー残念。これが最後の肉まんだったぞ」
「えーっ? そんな……」
コンビニに入りかけたところでショックなことを告げられた。思わずがっくりとうつむいた時、鼻先に肉汁の匂いのする湯気が近づいた。
「半分食べる?」
顔を上げると、椎名くんの目が優しく微笑んでいた。
別に、毎日会えなかったわけじゃない。
見慣れているはずの椎名くん。
だけど、今夜の椎名くんはどこか違う人みたいに見えた。
「椎名くん、ちょっと見ない間に足長くなった?」
「測ってないから何とも言えないけど、多分長くなってないよ」
「じゃあさ、鼻の高さ変えた?」
「整形? してないよ」
「えー。じゃ、どこだろう……体脂肪率変わった?」
「それ、見て分かるか?」
肉まんを食べながら歩いて帰る。いつもと同じ、椎名くんは右側で、私が左。
「藤川こそ、少し痩せた?」
「いや。逆に太った」
「ウソ。何キロ?」
「500グラム」
「誤差の範囲じゃん。女子って言うよなー、そういうやつ」
他愛のない話もなんだか懐かしい。
まるで一ヶ月くらい会ってなかったみたい。
私たちがこんなに真面目に受験生やるなんて、出会った頃は想像もつかなかったよ。
教室でずっとくだらないこと話してさ。
友達の沢田くんのことをライバルだと言い張って絶対友達だと認めなかったり、超能力が自分にあるかどうか試したり、流行遅れの人狼ゲームでゾンビになったり、付き合い始めても結局同じムードだったり。
あまりにも時間がありすぎて、くだらなく消化してたな。
だけど、そんな日々がすごく幸せだったんだなって思う。
「あっ、わかった」
椎名くんと電柱と星を見ていて、私は気づいた。
「椎名くんのこと、夜に見たの初めてなんだ。だから新鮮でカッコ良く見えたのかも」
「あっ、そういうことか。どうりで……」
椎名くんも私をチラッと見て納得顔をする。
「どうりで……何?」
「いや、なんでもない」
「なに。気になるじゃん」
もうすぐ家に着く。コンビニが近いところにあるのは嬉しいけど、こういう時は近すぎるのも考えものだ。
「早く言ってよ」
「だからなんでもないって。ちょっと、月が綺麗だなって思っただけ」
「月?」
星は見えるけど、月は出てたっけ?
今夜は曇り空なのか、新月なのか、どこにも見えない気がするんだけど。
空を見上げて月を探している間に、私の家に着いてしまった。
「じゃあまた明日な。風邪ひくなよ」
「あ、うん」
椎名くんはあっさりとそう言って逃げるように足早に行ってしまった。
いつも訳の分かんないことを言う人だなと思う。
意味のないやりとり。くだらないおしゃべり。
だけど、何故か胸がポカポカあったかくなる。
食べかけの肉まんのせいかな。
それとも、久しぶりにデートの気分を味わったおかげかな。
ふわりとこぼれたため息の先に、冷たく凍えた十二月の夜空があった。
このままずっとこの場所にいたい気持ちと、遠い未来に今すぐ飛んでいきたい気持ちが混ざり合ってる。
今がしんどすぎて、逃げたくて、逃げたくて。
でもそれはきっと椎名くんも同じなんだろうなと思った。
私たちは気が合う。どこまでも。
離れていてもひとりじゃない。
「さて、もうひとふんばり、やるか」
半分もらった肉まんのエネルギーで、私は再びやる気に火をつけた。
部屋に戻ってノートを開く。
焦らずに頑張ろう。
そしていつか長い冬を越えたら、いつもと同じようにふざけた話で笑い合おう。
それまでまたね。椎名くん。
