「あ」
突然、何かに気がついたような顔つきで、彼氏の椎名くんが呟いた。
「どうしたの?」
「なんか、家の前に変なものが置いてある」
いつもの学校帰り。同じ高校に通っている私と椎名くんは家もけっこう近い。行きも帰りも方向が同じということで、必然的にいつも一緒に帰っているんだけど、その彼が帰宅する直前のことだった。
「ダンボール?」
よく見ると、確かに彼の家の玄関前には小さなダンボールが置いてあった。近づいてみると、蓋の閉じたダンボールの中から
「キャン、キャン!」
と鳴き声がする。
「え、犬?」
「なんか張り紙がしてあるぞ。『ぼくのなまえわチャッピーです。かわいがってね』だって。下手くそな字だな。小学生のいたずらか?」
「なまえもひらがなだし、〜はのはをわって書いちゃってるから、きっと低学年だね」
「俺ん家の前に捨てて行くなよ。迷惑だなー」
椎名くんは蓋を開けずにダンボールを持ち上げた。
「どうするの?」
「隣に置いてくる」
「外道か」
真顔で堂々と外道な振る舞いができる椎名くん。
ある意味、尊敬するわ。
「せめてどんな犬か顔を見てみようよ」
「情が移ったらどうするんだ。飼いたくなっちゃったら困るだろ。親父が前に同じようなことをして母ちゃんに『今すぐ元の場所に戻してこい!』ってこっぴどく叱られてたしな」
「そうだったんだ……」
「まあ、親父が拾ってきたのは犬じゃなくてカー○ルサンダースの等身大人形だったんだけどな」
「そりゃ元に戻せって言うよね」
椎名くんのお母さんが正しい。酔ってたのかな、お父さんは。
「とにかく、うちはペットとかダメだから」
「うちもダメ」
そう言うものの、ダンボールの中で鳴き続けている声を聞くと可哀想になってくる。
「そうだ、沢田くんに飼ってもらったらどうかな?」
沢田くんは同じクラスの友達だ。ほとんどしゃべらないからミステリアスだけど悪い人じゃない。生き物を大切に育ててくれそうな気がする。
「あいつはダメだ」
「なんで?」
「世話のしすぎでチャッピーを甘やかしてブクブク太らせそうだ。チャッピーが病気になったら可哀想だろ」
「待って。椎名くん、もう情が移ってない?」
さてはチョロいな、椎名くん。
「じゃあ、小野田くんだったらどう? ああ見えて意外と可愛がるかも」
私はクラスメイトの小野田くんを推してみた。
小野田くんは金髪で顔がめちゃくちゃ怖いけど、悪い人ではないと思う。多分。
「あんな奴、ダメだ。チャッピーが殺される。棘のついた鉄の首輪で散歩とかさせられるぞ。二十分くらい」
「適切な時間じゃん」
短いくらいだと思うけどな。
こうしている間に椎名くんの過保護度が増している気がする。
「じゃあ、佐藤さんだったらどう? 佐藤さんは優しい女の子だからきっとチャッピーを可愛がってくれるよ」
佐藤さんも私の友達で、さっきダメだと言われていた沢田くんの彼女だ。顔は地味だけど普通に優しい女の子だし、佐藤さんだったら椎名くんも文句は言うまいと思っていたんだけど。
「佐藤さん⁉︎ ダメだ、佐藤さんがチャッピーを可愛がったりしたら沢田はどうなるんだ。佐藤さんだけがあいつの唯一の拠り所だろ? 佐藤さんをチャッピーに取られたら沢田は本当の一人ぼっちになってしまうぞ。そんな可哀想なことはできん!」
「じゃあ椎名くんが沢田くんの友達になってあげればいいじゃん。っていうかまだ友達だと認めてなかったの?」
椎名くんは沢田くんと知り合った頃から沢田くんをライバルだと言い張っていて、決して友達だと認めていないのだった。
もう出会って一年以上経っているのに。
「とにかくチャッピーは誰にもやれん! 藤川、お前にもな!」
「じゃあ椎名くんが飼いなよ」
「そこまで言われたら仕方ない……そうするか!」
椎名くんは嬉しそうにダンボールを抱いて笑った。
別にそこまで言ってないんだけどな。
意地っ張りなところがちょっと可愛いと思ってしまう自分が悔しい。
「じゃあ、蓋を開けてみようか」
椎名くんはダンボールを足元に降ろし、しゃがみ込んだ。
私も中腰になってそれを見守る。
どんな子犬が入っているのか楽しみだ。
「それでは、オープン!」
飛び出してこないようにそーっと蓋を開ける椎名くん。
ワクワクしながら覗き込むと、中に入っていたのはフワフワした茶色の毛並みの可愛いトイプードル──のぬいぐるみだった。
「フンガー!」
椎名くんは怒り狂ってダンボールを破った。
「どこの小学生様だ! こんな悪質なイタズラをしやがって! センスあるなあ、オイ! ポッキーやるから出て来いやあ!!」
「落ち着いて、椎名くん! たかがぬいぐるみドッキリ食らっただけじゃん。おとなげないこと言うのやめなよ」
私はダンボールの中に入っていたぬいぐるみを拾い上げた。
「ほら、これはこれで結構可愛いよ? 電池で動くみたい」
ひっくり返すと、お腹の部分に電池を入れる蓋がある。
何気なくいじっていたら突然蓋が開いた。
電池は、入っていなかった。
「……えっ?」
私は一瞬固まった。
さっきまでこの子鳴いてなかったっけ?
電池ないのに、どうやって?
その時、どこかから「おーい!」と誰かに呼びかける声がした。
「チャッピー、どこだー?」
声のする方を見てみると、そこには金髪の小野田くんがいた。
「あ、小野田くん」
「椎名と藤川か」
小野田くんが私たちに気がついて、こっちに近づいてきた。
「うちの犬、見なかった? チャッピーっていう茶色のトイプードルなんだけど」
「は?」
小野田くんの言葉に、私と椎名くんは眉を顰めた。
「お前か! こんなくだらねえドッキリ仕掛けたのは!」
「ドッキリ?」
「ダンボールの中にぬいぐるみ入れて、俺んちの前に置いただろ! 本物の犬かと思って喜んだ俺の気持ちを返せ!」
「あ、チャッピー! こんなところにいたのか!」
小野田くんは私が抱いていたトイプードルのぬいぐるみを見てホッとしたような顔をした。
イタズラにしては妙な反応だ。
「それ、小野田くんの犬?」
「そうだよ」
「ぬいぐるみ、だよね?」
「そうだよ」
「じゃあ、勝手に動いたり鳴いたりはしないはず、だよね……?」
「しないはずなんだけどな。うちのは何故か勝手に動くんだ」
小野田くんは当たり前のようにそう言った。
……いや、怖っ! 急にホラー!
「最近、俺のところから勝手に抜け出して人んちの前でかくれんぼしてることが多いんだよな。俺に見つけられたがってるのかな? 可愛いだろ。やらん」
小野田くんは凶悪そうな笑みを浮かべ、私からチャッピーを受け取った。そしてしっかり胸に抱きしめると、来た道を嬉しそうに戻っていった。
すぐにキャン、キャン! という悲鳴のような鳴き声が彼らの去った方角から聞こえてきた。
「ねえ、今の何⁉︎ めっちゃ怖いんだけど!」
椎名くんは青ざめた顔をしてうなずいた。
「ああ、あんな怖い顔面のくせにトイプードルのぬいぐるみを抱いて堂々と歩いて帰るとはな」
「いや、そこじゃない! そこも怖いけども!」
「ああ、マジで怖いよな。自分があのトイプードルに好かれてると思ってるところ。あの犬、絶対あいつから脱走してきてるだろ。あんなに嫌われてるのに気づかないなんて鈍感すぎて怖いよ」
「小野田くんの怖さはいいから!」
椎名くんの感覚はどうもズレている。
「あの犬、ぬいぐるみなのに勝手に動いてた! 怖くない⁉︎」
「そう? そこは別に」
「何で⁉︎」
椎名くんといい、小野田くんといい、頭がどうかしてる。ついでに椎名くんのお父さんも。
「チャッピーって何者だったんだろうね」
「どうでもいいや。そもそもうちペット飼えないしな。じゃあまた明日〜」
「あ、うん。またね」
椎名くんがいつものように手を振って玄関のドアを開ける。
なんで怖がらないんだろう。
ちょっと怖いと思っていたけど、私もそのうちどうでも良くなってきた。椎名くんが変なのは前々から分かっていたし、いまさら驚くこともない。
……慣れっていうのが一番怖いな。
そんな結論に達した、いつもの秋の日暮れ時だった。
