「あ」
突然、何かに気がついたような顔つきで、友達の椎名くんが呟いた。
「いたぞ、シロイルカ」
「えっどこどこ?」
「こっちこっち」
椎名くんが誘導しようとしてさりげなく私の手を握る。
今日、これで三回目。
数えている私も私だけど、友達とはいえ普通に女子の手を握る椎名くんも椎名くんだな。
海の中を錯覚させる一面の青い壁と天井に、ライトアップされた巨大な水槽。
この水族館で人気のシロイルカはその中をゆっくりと回遊している。子供連れの家族が前列を独占中だ。それでも水面に近い位置で時々手を振るみたいに立ち泳ぎしてくれるから、ぷにゅっと潰れたクリームパンみたいな愛嬌のある顔を遠くからでも見ることができる。
「かわいー」
「藤川の可愛いって、全然心がこもってなさそうだよな」
「そんなことないよ? 私いま、すごいハイテンションだもん」
「マジか。全然そんな感じないわー」
感情分からなくてごめんなさいね、とそっぽを向いた。
こんな態度じゃ、椎名くんが察知できないのも無理はない。
私も最近ちょっと分かんないしさ。自分自身の心の置き所ってやつが。
藤川って、水族館好きなの?
だったら今度俺と行く?
そんなふうに軽く誘われて、行くって即答しちゃったけど、このお出かけの意味が分かんない。
椎名くんはただのクラスメイトだ。
愛とか恋とか無縁の感じで、ただ気が合うからお友達し続けていた。
椎名くんも多分私のことをただの友達だと思っていて、それ以上でもそれ以下でもないんだろうなって、ずっとそんな気がしていた。
だけど、私だけかな。最近、この関係に疑問を感じるようになってしまったのは。
二人で映画に行ったり、カフェに行ったりすることはあった。
友達として。それはきっと、あり得ないことじゃない。
だけどさ、水族館はちょっと別。
高校生男子が普通、友達とそんなところに行きたがるか?
子供なら分かるよ。
でかいサメとかシャチとか海ガメとか、仲のいい子と一緒に見たら興奮するかもしれないって。
でも高校生の男子がいまさら友達誘ってまで見たいものなんて、水族館にある?
ないとしたら、このお出かけって完全に、私と一緒にいるのが目的ってことにならない?
つまり、デートとして。
私の真横に立ってシロイルカを見ている椎名くんに、チラッと視線を向けてみる。
すっっっっごく退屈そう。
目が死んでるもん。
イルカなんか見て何が楽しいんだよこいつらアホじゃね? って顔してるよ。
早く家に帰ってクソして寝ようと思っている顔だよ。
ほんと、何しに来たんだよお前。
君の目的は、私なのか?
私と一緒にいたい……ただそれだけなのか? 椎名くんよ。
「どうした、藤川。シロイルカ見てないじゃん」
不意に椎名くんがこっちを向いた。
私はドキッとして思わず目を逸らした。
「さてはお前、飽きたな?」
「そんなことないよ」
「いいや、その目は完全にもうイルカとかどうでもいいから早く帰ってクソして寝たいって目だったね」
お前の目は節穴だらけだな。
うら若き女子の目を見てそんなふうに思うとは、失礼を通り越してもはや病気だろ。早いところ眼球をえぐり出す手術をした方がいいと思う。
「椎名くんこそ、飽きたんじゃないの? ぶっちゃけ水族館とか、興味ないでしょ? いったい何が目的なのかはっきりしなよ」
「俺の目的?」
椎名くんは図星を指されたような顔つきになった。
心なしか、彼の頬に赤みがさしているような気がする。
「何で私を水族館なんかに……誘ったのよ」
う。
なんか、恥ずかしい。
斜め下を見ちゃう。
もしかして、核心をついた質問をしちゃったんだろうか。
シロイルカは和名で、ロシア語ではベルーガというんだね。
目に入った水槽の説明書きを受験勉強の必須科目ぐらい必死に見ちゃう。
イッカク科シロイルカ属に分類されるクジラ類なんだ。
え? イルカなの? クジラなの? どっち?
「藤川」
改まった声で、椎名くんが私の苗字を呼んだ。
「……俺がここに来たかった本当の理由、知りたい?」
「えっ……?」
なになに、どうした椎名くん。
私はゆっくり視線を戻す。
椎名くんは私をまっすぐに見ている。なんかやけに男らしいぞ。
「本当の……理由?」
「藤川にはもっと早くちゃんと言おうと思っていたんだけど……なかなか言う勇気なくてさ。もし、気持ち悪いって思われたらどうしようとか、余計なこと考えちゃって」
椎名くんの瞳に水槽の煌めきが反射している。
シロイルカの隣の水槽で、ちょうどマイワシの大群が流れ星のように私たちの横を通り過ぎた。北欧のオーロラを思わせる不規則なウェーブで回遊する魚たち。その動きは予測不能すぎて、目を奪われそうになる。
だけど、今はもっと見ていたいものが目の前にあって、そっちの煌めきの方に目が離せない。
さっきまで死んでいたはずの目の内側で、決意という名の導火線に火がついている。それが今にも爆発しそうになっているから。
緊張に耐えられない。
「椎名く──」
「ずっと前から、好きだったんだ」
私と同時に発した彼の言葉で、私は突然、被爆した。
激しい爆風によろけそうになったその時、とどめを刺すかのように椎名くんが言った。
「好きなんだ……オオメンダコのこと」
オオメンダコ。
それは深海に住むタコの一種。八本ある腕がスカートのようにふわふわした膜でつながっており、頭についている耳のようなヒレをパタパタさせて泳ぐ姿がとっても可愛い。普通のメンダコは15センチから20センチの手のひらサイズだけど、オオメンダコは超激レアで30センチにもなる大きさ。そのキモ可愛い見た目で「深海のアイドル」とも呼ばれている超人気生物である。
「あああああああ〜〜!! 可愛い可愛い、可愛い〜〜〜!!!」
椎名くんはオオメンダコの水槽に貼り付いて、私には絶対に言わない可愛いを連呼している。
いや、まあ。
いいんですけどね。
たしかに、可愛いわ。うん。ちょっとキモいけど、納得の可愛さと言っても過言じゃないわ。
「ごめんな、藤川。俺ばっかりテンション上がっちゃって。超レアすぎて、日本でも展示してるのはここだけだって聞いてからずっと本物見たかったんだよな。やっと見られて興奮しちゃったよ」
「ううん、いいよ。見たいもの見たらそりゃテンション上がるよね」
高校生男子が水族館に来たがる理由。それは、サメやシャチでもなく、ましてやクラスメイトの女子なんかでもなく、オオメンダコでした。
……って、読めるか、そんな変化球。
椎名くんだけだろ、そんな特殊な奴。
まあ、椎名くんらしいけど。
いつものオチに少しホッとした反面、今日はほんの少しだけ違うパターンもあるんじゃないかと期待してしまった自分にガッカリした。
ため息をつく。水槽に映る私の顔がやけに暗い。
椎名くんはオオメンダコに夢中で、私の表情に全然気づいてない。
悔しいな。
いつもそう。
私ばっかり、振り回されてさ。
「でも、藤川は見たがってたシロイルカに一瞬で飽きてたじゃん。クールな奴だよな、まったく」
椎名くんが背中越しに笑う。
「椎名くんのタコ愛ほどではなかっただけだよ。ちゃんと感動してました」
「ホントか?」
椎名くんは私を振り返り、ニヤッとした。
「本当はシロイルカとかどうでも良くて、藤川は俺と一緒にいたかっただけなんじゃねーの?」
私のギクッとした顔が水槽に映った。
「は……っ⁉︎ 何バカなこと言ってんの──」
もう、こいつはいっぺんぶん殴ってやろうかと思った時だった。
椎名くんの真顔が近づいてきて、私の唇が当たり前のように奪われた。
う。
うわああああああ!!!
あまりの衝撃に、私の魂がオオメンダコのようにふわふわと空を飛んだ。
抜け殻になってる私から唇を離して、やけにイケメンな顔をした椎名くんが至近距離で微笑む。
「……今の顔は可愛かったかも。オオメンダコの次くらいにだけど」
悲報。
私のキス顔、オオメンダコに負ける。
いやいやいやいや。
ちょっと待ってってば!
「な、なんで⁉︎ ただの友達に、普通こんなことする⁉︎」
「えっ」
椎名くんはキョトンと目を丸くした。
「俺、とっくに藤川の彼氏だと思ってたんだけど……違うの?」
「ええっ⁉︎」
私はびっくりした瞬間に後ろ足だけで立っちゃったネコみたいに固まった。
「い、いつから……?」
「いつだっけ。二ヶ月くらい前に、美容院で告白したじゃん。俺と付き合ってくれって」
そういえば。
今から約二ヶ月前、新規オープンセールをしていた美容院で椎名くんとバッタリ一緒になったことがあった。その時、カップルだったら5%オフですよって美容師さんに言われて──椎名くんは迷わずさっきの言葉を口にしたんだった。
店中に響く声で告白されて、あの時は恥ずかしかったな。
って、あれ、本気だったの⁉︎
「あの時、お前もOKしてくれたじゃん」
「だって、あれは5%オフのためでしょ?」
「バーカ。俺がそんなケチな男に見えるか?」
……ケチな男だなって思ってました。今の今まで。
なんかすまん、椎名くん!
「その後だって散々二人でデートしたじゃん。映画見に行ったり、二人で一つのパフェ食べたりしたじゃん」
「してたけど……私はデートだっていう認識はしてなかったよ!」
だって、あの告白が本気だと思ってなかったんだもん。
汗が止まらない。
ひんやりしている水族館の中なのに、おかしいな⁉︎
「じゃあ──藤川は俺のこと、好きじゃないのか?」
椎名くんがマジな顔で私に尋ねる。
椎名くんはこんな顔でいつも変なことを言う男の子だ。
私は、そんな彼のことが……。
「……好きかも。シロイルカの次くらいには」
「テンション低っ!!」
椎名くんは死んだ魚のような目になった。
「あははは! うそうそ。ちゃんと好きだよ、椎名くん」
私は笑ったフリをしながら、勇気を出して椎名くんの手を握った。
「あ、四回目」
椎名くんが嬉しそうに呟く。
椎名くんも数えてたのか。
私たちは本当に気が合う。
「これからもよろしくな、藤川」
「こちらこそ。よろしくお願いします、椎名くん」
距離が近づいて、隣同士ピッタリと寄り添った。
絡まる指が恋人繋ぎに変わる。
それでもきっと、これからも椎名くんは変わらない。
相変わらず私のそばで、変なことを言い続けるんだろう。
本気とも嘘とも分からないような、笑える話をしてくれるんだろう。
「あのさあ、椎名くん。ひとつお願いがあるんだけど」
「何? 今オオメンダコ見るのに忙しいんだけど」
そんなもん、忙しいわけあるか。
こっちを見るのが恥ずかしいだけだろ。
まあ、その方が私にとっても都合がいい。
こういうのは目を見ない方が言い出しやすい。
「私のこと、ちゃんと好きだって言って欲しいんだけど。今んとこ、オオメンダコへの告白しか聞いてないから」
「俺が大好きなオオメンダコの前で俺に告白させるとか、嫉妬深えわ藤川。こわー」
「お前のタコ愛の方が怖いわ。っていうか、タコと私を同列にすな」
「……お前のそのキレッキレのツッコミが好きだよ」
「何それ。嬉しくないわー」
椎名くんがいつものようにふにゃっと笑う。私はそれを見て思わず笑う。
ほらね。
やっぱり椎名くんは、変わらない。
