椎名くんは笑わない



「あ」

 突然、何かに気がついたような顔つきで、友達の椎名くんが呟いた。
 彼の視線の先にはザアザア降りの雨。
 午後から降るって、そういえば天気予報で言ってたな。
 すっかり忘れていたけど。
 

「藤川、傘持ってきた?」
「ううん。忘れた」
「何やってんだよ藤川。梅雨入りしたんだから、毎日用意しないとダメだろ」
「じゃあ椎名くんは傘持ってるんだ?」
「持ってるわけないだろ」

 理不尽だな。

 でもそれが椎名くんだ。
 彼はいつも真面目な顔をして変なことを言う。

「しょうがないからコンビニでビニール傘を買うしかないな」
「えー。私それでもう5本くらい無駄に買ってるんだよね。これ以上買ったら親に怒られる。椎名くん買ってよ」
「俺だってもう10本買ってる」
「計画性ないな」
「お互い様だろ」

 私たちは似ている。不本意だけど。

「もう少し雨宿りするか……」

 放課後の教室に好き好んで残っている人なんていない。
 二人きりになっちゃうな。
 まあいいか。
 椎名くんとだったら下らないことをいくらしゃべっていても飽きない。

 
「そういえば、今日A組と体育の授業合同だったじゃん。その時、森島が変なこと言ってたんだけど」
「森島くんって、あのイケメンで超有名な?」

 学校一のモテ男、かな。コミュ力高めで女の子には誰でも愛想振りまくみたいな人。
 私たちとは一度も同じクラスになったことがないから、関わりは薄い。


「その森島くんが、どうかした?」
「藤川のこと可愛いって」


 ドキッとした。言われ慣れてないから、すぐ動揺しちゃう。

「冗談でしょ?」
「マジっぽかったけど、森島だからなー」
「うんうん、森島くんだもんね。誰にでも言いそう」

 私は下敷きを取り出して顔を仰いだ。なんか蒸し暑い。
 椎名くんはそんな私を半分開いた目で見ている。

「嬉しそうだな、藤川」
「ん? そんなことないよ? どうせそんなの本気じゃないし」
「それは分かんないだろ」
 
 変に空気が重たくなる。梅雨のせい? やだな。空気がベタベタして。
 椎名くんは笑っていなかった。やけに気になってチラチラ横顔を見てしまう。

「それで、椎名くんはなんて答えたの……?」
「え?」
「私が可愛いって言われて、椎名くんはどう思ったの?」
「別に。なんとも思わなかったけど」

 思わないのかよ。同意するとか、反発するとか、なんかすればいいのに。


「だって俺、藤川が可愛いなんて思ったことないし」


 椎名くんはつまらなそうにそう言った。
 うわ。
 今のはちょっと痛いな。
 ちょっとというか、だいぶ痛いかも。
 笑って流せない。


「私、帰る」
 下敷きをしまって、鞄をかついで、立ち上がった。
 
「まだ雨降ってるぞ?」
「いい。びしょ濡れになってもいいから帰る。椎名くんと一緒にいたくないから」
「何怒ってんだよ、藤川」

 気づいてないのか。この鈍感!

「うっせ、死ね!」

 私は椎名くんの椅子を思い切り蹴った。椎名くんはその反動で椅子から転げ落ちた。

「痛ってえなあ、そういうとこだぞ、藤川!」
「ふん!」


 何がそういうとこだ。嘘でも可愛いって言えばいいのに!
 これは椎名くんが悪い。



 雨が校庭に無数の波紋を落とす。
 雨音には1/fゆらぎという癒しの効果があるらしい。今の私には雑音でしかないけど。

 雨が嫌いになりそうだ。いますぐここから出て行きたいのに、足が止められる。
 玄関の軒先で、この白い滝の中に突っ込むタイミングを見計らっているうちに嫌なことを思い出す。

 くそっ、椎名くんめ。
 まだもう少しだけ、一緒にいたかったのに。
 そう思っていたのは私だけか。
 そりゃあ私は椎名くんにとってただの友達かもしれないけど。
 でも二人で映画見たり、カフェに行ったり、今まで散々遊んできたのに。
 私なんて可愛くないよ、確かに。
 しゃべっていてもすぐ余計なツッコミ入れて、毒舌も吐くよ。
 だけど、だけどさ。

「あれ? 藤川さん?」

 むしゃくしゃしていた時、横から声をかけられた。
 そこにいたのは森島くんだった。
 茶髪でスマートなサッカー部の、絵に描いたようなイケメン。少女漫画だったらこの時点でもう恋の相手になるだろう。
 椎名くんに比べたら全然森島くんの方がいい。

「傘ないの? もし良かったら、家まで送ろうか」
「えっ。いいの?」
「もちろん。藤川さんなら大歓迎」

 ほら、全然いい。
 優しいし、私のことを女の子扱いしてくれる。

「じゃあ行こうか」

 森島くんと相合傘で帰り始める。
 そっと後ろが気になって振り返ったら、玄関先で立ち止まっている椎名くんがいた。
 私を追いかけてきたのかな?
 いや、そんなはずないか。
 私たちのことを呆然とした顔で見ていたから、べーっと舌を出してやった。

 ざまあみろ。濡れて帰れ、椎名くん!



「どうかしたの? 藤川さん」
「ん? 何でもない」

 後ろを振り返っていたから、森島くんが気にしたらしい。彼も後ろを振り向いて、椎名くんのことを確認したようだった。

「そういえば、今日の体育で椎名と話したんだけどさ」
「……え?」

 つい初めて聞いたフリをしてしまう。
 しんどいな、この話題。
 すると森島くんは笑いながら言った。

「俺が藤川さんのこと可愛いって言ったら、椎名がめちゃくちゃキレてたよ。『はあ⁉︎ 藤川のどこが? お前の目は節穴かっ⁉︎』って」
「あははは、そこまで言わなくてもいいのにね。超ムカつく」
「他の男に言われるのが嫌だったんだろうなあ」

 あははは、と作り笑いしていた頬が引き攣った。

「ん? 何それ」
「俺の藤川に手を出すな! って言われたような気がしたよ」

 森島くんが変なこと言ってる。
 そう言った椎名くんの気持ちが分かったような気がした。本当に、何を言ってるんだろうなこの人は。

「変なこと言わないでよ森島くん、意味分かんない」
「可愛いなあ、藤川さん」
「そういうの、いいから」
「クールで可愛い。本当のことだよ」

 もしかして、モテ期襲来?
 イケメンの森島くんにそんなこと言われるとは。
 嬉しいはずなんだけど、全然嬉しくないぞ。何でだ。
 逆に泣きそうになる。
 
「可愛い」はやっぱり、好きな人に言われなくちゃさ。



『だって俺、藤川が可愛いなんて思ったことないし』
 

 さっきの教室で椎名くんに言われたことがふと頭に蘇る。
 なんでこんな時にあいつの言葉なんか思い出すのかな。腹立つことしかないのに。


「藤川さんって……好きなやついるの?」
 からかうように森島くんが言った。
「いない!」
 私は即答した。

 好きじゃないもん、椎名くんなんか。
 変なことしか言わないし、カバンの中にう○このビニール人形持ってたし、急に超能力を鍛えようとするし、人にドッキリ仕掛けて落とし穴に落とすし、お正月すぎて五日も笑わなかったような変人だ。
 しかもお兄さんは力士で、お父さんはヒューマンビートボクサー(自称)だし。
 
 だけど、幼い子供には優しいところもあるんだよなあ。
 木に引っかかった風船を取ろうとしてあげたり、逃げた蝶を捕まえようとしてあげたり、たまにいいところもあるんだよ。めったにないけど。

 一緒にいると楽しいし、むちゃくちゃ気が合うよ。
 椎名くん以外の人とじゃ思い切り笑えない。

 だけど椎名くんは私のことをずっと友達だとしか思ってないから。
 

「じゃあさ、今度俺とデートでもしない? 水族館とかどうかな」
 森島くんが何か言ってる。
 水族館?
 前後の話をちょっと聞き逃して、単語だけ聞いてた。
 曖昧に笑って、適当に「そうだね」なんて相槌を打ってみると、森島くんは嬉しそうにスマホを取り出した。

「じゃあ、連絡先の交換を──」

 その時だった。

「危ねえ、森島っ!」


 後ろからドーン! と誰かに突き飛ばされ、森島くんが吹っ飛んだ。彼は運悪く、泥の水たまりに顔面から突っ込む。

「大丈夫か森島! 生きてるか⁉︎」

 そう言って心配しているのは椎名くんだ。いつの間にかビニール傘を手にしている。

「何すんだよ、椎名!」
 前面泥水まみれの無惨な姿になった森島くんが怒りを込めて振り向く。

「ごめんごめん。さっき、お前にだけ雷が落ちそうだったから」
「雷がそんなピンポイントで落ちるか!」
「大変だ、すげえ泥ついてるからこれで顔を拭けよ。うちの兄貴が相撲部屋で使ってるまわしの切れ端」
「いらねえよ! まわしって全然洗わないらしいじゃねえか!」
「マジで? じゃあお詫びに今晩お前んちの前でうちの親父にボイパの生ライブさせるわ。二時間くらい」
「マジでやめて!」

 森島くんはやってらんねえと吐き捨てて逃げるように去ってしまった。
 やっぱり常人では椎名くんの理不尽なボケにはついていけないようだ。
 森島くんが不憫でならない。

「もう、何やってんの? 椎名くん! 森島くんに悪いじゃん!」
「藤川こそ、何やってんだよ」

 椎名くんが不機嫌そうに口をへの字に曲げる。

「森島なんかに誘われてヘラヘラしやがって。あいつ、A組の佐藤杏里(あんり)と付き合ってるんだぞ」
「えっ?」
「二股かけられそうになったの、助けてやって何が悪い」


 椎名くんはツンと横を向きながら、私を自分のビニール傘の中に引き入れた。
 距離が近づいて思わずドキッとする。

「藤川って、ほんと男を見る目がないよな」
「そんなことないもん」
「森島の下心に気づかなかったくせに。どこまで鈍いんだよ」

 歩き出した相合傘の下で椎名くんはずっと私に文句を垂れている。
 あんまり言うから、私もつい言い返しちゃう。

「はいはい、どうせ私は鈍いですよ。ごめんなさいね!」
「可愛くねえわマジで」

 それは私もそう思う。
 助けてもらった上に、家まで送ってもらっているんだから、もう少し素直になってやるか。
 
「椎名くん」
「ん?」
「……ありがと」

 雨に消えそうな声で呟いてチラッと横目で見たら、椎名くんは頬の筋肉をピクピクさせて複雑な表情を浮かべていた。

「どうした椎名くん」
「何でもない」
「もしかして、今私のこと可愛いと思った?」


「………………いや」


 すごい間があったけど。
 素直じゃないな。
 とりあえず追及しないでおく。返事を聞いたら、こっちが照れちゃいそうだから。

「そういえば、この傘どうしたの?」
「ああ、玄関の傘立てにあったやつパクった」
「悪いやつだな」
「緊急事態だったからな。仕方ない。後で返す。なんなら、家にあるやつ10本返す」
「椎名くん、それ捨てたいだけだろ」

 緊急事態って。そんなに焦って追いかけてきたってこと?
 椎名くんも可愛いとこあるな。
 ヘラヘラ笑っていたその時、私は傘の柄の部分に何か書かれているのを見つけた。

「ここ、名前書いてあるよ。ほら……沢田空、レベル17って」
「えっ、沢田⁉︎」

 沢田くんは私たちのクラスメイトだ。なんのレベルかは分からないけど、レベル上げしていたなら可哀想なことをしてしまったな。

「早く家に帰って傘返しに行こう」
「そうだね」

 ちょっとスピードを上げる椎名くんに、私は歩幅を合わせてついていく。
 ごめんね、沢田くん。
 ほんの少し、まだ少し、雨よ降れって願ってしまった。
 椎名くんはそんなこと願わない?


「……ところでさ、藤川って水族館好きなの? だったら今度俺と行く?」
「えっ? 行く!」
「即答かよ」


 嬉しそうに椎名くんが笑った。悔しいけれど、いい笑顔だ。
 やっぱり椎名くんといると楽しい。
 雨が降っていても、何をしていても。