Letter~手紙がつなぐもの〜

目を覚ますと、そこはベッドの中だった。窓から見える空は早朝のそれで、水色をさらに薄くした空が広がっている。昨日の夜は疲れていたけれど、便箋をそっと机の上に置いて、ゆっくりと深呼吸して、気合いを入れてから手紙を書き始めた。それは確かだ。けれど、ベッドに移動した記憶はない。ボ〜ッとする頭でよくよく考えてみると、手紙を書き終わり、後は名前を書くだけと言うところになって、ほっとした安心感からか、溜まっていた疲れが出たからか、急に胸が苦しくなって、意識が遠のき始めたことを思い出した。 
 確か、その後机に置いてあるブザーを押したはずだから、きっと母か誰かが部屋に来てくれて、ベッドに寝かせてくれたんだろう。また、心配をかけるようなことをしてしまったことに後悔しながら、机を見ると、そこには書いたはずの手紙がなかった。
 あれ?慌てて、と言ってもゆっくり慎重に立ち上がって、机の側に行って引き出しを開けてみるけど、書き上げたはずの手紙は影も形もない。もちろん、床の上にもゴミ箱にも。ほのかに持っていってもらおうと思ったのに…また書き直さなきゃ…そう思っていると、ピコン、ピコンと立て続けにスマホが鳴った。
 ベッドサイドに置いてあるスマホを手に取ると、メッセージはほのかからだった。今まで時刻は見てなかったけど、スマホは朝6時18分を指している。
 こんな早朝にどうしてほのかから?朝ごはんの時か、部屋に入ってきて言えばいいのに…。そう思って、メッセージを開いた。
「おはよう。昨日書いてた手紙、今日持っていくね。今日朝練だから早く家を出るからメッセで失礼!」
それと、いってきますの猫のキャラクターのスタンプ。
 あ、そうゆうことね。手紙がなくなったわけじゃないことに安心して、ホッと息をついた。それにしても、文章自体は書き終わっていたとはいえ、名前まできちんと書いていただろうか?記憶にないことで、ちょっと不安になったけれど、もし書いてなかったとしても、ほのかがきちんとフォローして書いてくれているだろう。今までもそうしてくれていたように、きっとなんとかしてくれるという安心感がほのかにはある。まぁ、私が一方的に頼り切っているだけかもしれないけど…どうも、体調が良くないと思考もネガティブになりがちだ。私は、気を取り直すように窓の外の空を見上げた。

 その日を境にして私の周りはにわかに慌ただしくなり始めた。
 ついに、両親が渡航して心臓移植をする決断をしたからだ。と、いっても私自身にできることはほとんどない。寝て、食べて、少し動いて体力維持に努めるだけ。バタバタと関係各所と連絡をとったりしているのは両親だ。受け入れてくれる病院から提示された、いわゆる保証金の金額は、やはり募金をしてもらわなければ賄えない。その中で、目標額をいくらぐらいに設定すればいいのか、早ければ早い方がいいとはいえ、時期はいつ頃を目標にするのか。今までに大まかに決めていた事柄を詳細に詰め始める。何事にも専門家の方はいるようで、医師だけでなく移植専門のNPOの方などと連携を進めながら、事はどんどんと進んでいく。病人の私が心配してしまうほど、両親は大忙しで、とても移植について話せる雰囲気ではなかった。
 移植が必要なことはわかっている。移植をするか死ぬかの2択。生きようと思ったら、移植しかないのはわかっている。なのに心がついていかない。この前受診した時からずっと、このモヤモヤとした気持ちを抱えていたにも関わらず、私は両親にもほのかにもそのことを話せずにいた。

「こんにちは。」
 私がベッドでゴロゴロしていると、ノックの音と共にドアが開いた。
 今日は訪問看護の日だ。理学療法士と看護師の資格を両方持っているという稀有な存在の沼田さんが部屋に入ってくる。今年50歳を迎えるという沼田さんは、腰が痛くなる時が増えちゃって、ほんと歳はとりたくないわぁって、自分のネガティブなことも明るい笑顔で笑いながら話せる、朗らかな人だ。
「今日の調子はどう?」
 できる限り効率良く動くために、機械をセットしたりしながら話しかけてくれる。
「悪くはないですよ。まぁ、絶好調ってわけではないけど…」
「相変わらずってところかな?」
 心音や血圧の数値を見ながら、沼田さんが確認し、書類に書き込んでいる。
「私も色々聞いたけど、渡航に向けて、結構進み出してるみたいね。」
「みたいですね。でも、なんだか、あんまり現実味がなくて。」
「まぁ、まどかちゃんとしては、それまで体力を落とさないことと、何より生きることが大切だから。それ以外は、ご両親やそれを支えてくれる方達に任せておけばいいよ。」
「生きることが大切?」
「そうよ。それまでに何かあったら、移植は受けられない。だから、その日を迎えるまで、できるだけ元気に生きていかなきゃ。今日も状態を見ていくわね。あとはリハビリも。」
 そう、移植は移植ができる状態で順番が回ってくることも、奇跡に等しかった。さまざまな要因で、移植を望みながらも受けることができない人が大勢いる。なのに、私は何を贅沢なことを悩んでいるんだろう。そう思ったけど、やっぱり心のモヤは晴れてはくれない。
 私は沼田さんにされるがままに体の向きを変えたり、動かしたりしてリハビリをしていた。決してリハビリに集中していたわけではなく、心の中のモヤモヤに囚われて、話を続けることができず、すっかりだまってしまった。それに気づいた沼田さんが、会話を続けてくれる。
「他にも、何か不安がある?あればなんでも話してね。誰かに話すことって、大切だから。それだけでスッキリすることってあるもんよ。」
「いや、あの…不安っていうか…」
「ん?」
「…なんか、モヤモヤしたことはいつも感じます。」
「モヤモヤ?」
 沼田さんのやさしい笑顔を見ているうちに、ここ最近ずっと考えていた自分の気持ちを吐き出しても許されるような気がした。
「心臓移植が怖い気持ちももちろんあるんですけど…何より誰かの命をもらうって、いいのかなって…。」
「うん、そうか、それはきっともらう人はみんな思うだろうね。」
 沼田さんは手を止めて、私のベッドサイドに腰を下ろし、私と目線を合わせてくれる。
「まどかちゃんが考えていることは決しておかしなことじゃない。そこは自信持って。きっと、移植を受けないといけない人みんなが多かれ少なかれ思うことよ。でもね、移植って誰かの命をもらうだけじゃないのよ。ドナーの方は亡くなってしまうけれど、ご家族にとっては移植が希望になることがあるの。」
「希望?」
「そう。でも、今は話すのはやめておくわ。移植コーディーネーターの方に会ったことある?きっとその方に聞いた方がリアルな声が聞けると思う。私だって、聞き齧っただけだもの。で?その不安とかモヤモヤした気持ち、ご家族に話した?」
 沼田さんが私の頭をそっと撫でてくれる。暖かいその手は、撫でられているだけで安心感が大きくなっていく。
「…家族には…ちょっと…。」
「言いにくい?」
「言いにくいし、忙しそうだし…」
「ほのかちゃんにも?」
「ほのかは…きっと心配しちゃうから…。」
「そっか、あんまり心配かけたくない?まどかちゃんもほのかちゃんも二人とも優しいね。お互いがお互いを思い合ってる。」
「違う…私は迷惑をかけているだけ…。」
「そんなことないと思うな。まどかちゃんはまどかちゃんで、ほのかちゃんの力になれている事、絶対にあるはずよ。そして、ほのかちゃんはそんなまどかちゃんが大好きだもの。それは見てたらわかるわよ。私だったら、大好きな人から相談されたり、弱い所を見せてくれたら嬉しいと思うもの。ほのかちゃんだって、迷惑だと思わずに、受け止めてくれるはずよ。…でも、そうね…家族だから、今目の前にいる友達だから言いにくいって気持ちもわかるわ。特にまどかちゃんは気遣い屋さんだから。他に、誰か相談しやすい人がいるといいんだけど…」
 沼田さんの言葉に、咲ちゃんのことが頭に浮かんだ。いっそ全部真実を書いてしまって、相談に乗ってもらったらいいんじゃないか。会ったこともない人だから、今後も会う予定のない人だから相談しやすい気がする。でも、私は心の中で首を振った。それでもやっぱり、手紙の中だけは自由になった自分でいたい。こんな病気の体の自分とはおさらばしたい。
 無言になった私をじっと見つめていた沼田さんが、励ますように私の右肩をトントンと叩いた。
「大丈夫、誰でも言いたいと思った人に言ってもらったら大丈夫だから。もちろん私にでも。あまり気を遣わないで。いろんな人に甘えていいのよ。でも、今日はもう帰る時間だから、また明後日お話ししましょ。相談だけじゃなくて、面白いお話も、色々ね。」
「はい。」
 パタンと優しく扉が閉まる音がした後、私は目を閉じた。
 頭に思い浮かべるのは咲ちゃんのこと。この前の返事が来るのはいつだろう。どんな返事が来るかな?そして、私はどんな返事を書くのだろう。私はどんな中学生になりたかったんだろう。移植をしたら、今思い描いている普通の中学生の夢は叶うのだろうか。

 ほのかが次の手紙を持って帰ってきてくれたのは、夏休みが始まる直前だった。今回も眩しいぐらいの元気な文字で、私が書いたことに一つ一つ丁寧に返事が綴られている。咲ちゃんが本好きではなかったことは残念だけど、それもそうだなって思う。だって、咲ちゃんの字はどこまでも伸び伸びとしていて、元気いっぱい。とても家の中に閉じこもって本を読んでいるタイプには見えなかったから。字はその人を表すとはよく聞くけれど、咲ちゃんなんてまさにそれだなぁと思ってちょっと面白かった。また、手紙の中で、夏休みの予定が触れられていて、夏休みなんてものをすっかり忘れていた自分にびっくりした。もちろん、学校に通い始めた頃は夏休みっている長期休みが嬉しかった。ワークに日記にと宿題は面倒だったけれど、毎日遊ぶことができるなんてなんて幸せだろうと。けれど、病気になってみて毎日が夏休みのように、学校に行かなくなってしまうと、何も嬉しくはない。それに、去年までだったらまだ、ほのかが話し相手にも遊び相手にもなってくれたけれど、今年は部活に忙しそうだ。その上、夏休みの間はほのかも協力して主要な駅前で募金のお願いに立つと言っていたし、家にいる時間すら少なそうだ。
 夏休みと言っても、現実には何も予定がないことを悲しく思いながら、もし自分が元気だったらどんな夏休みを過ごしたいか考えた。部活に入っていたら部活三昧だっただろう。この前ほのかから聞いたところによると、吹奏楽部は夏休みにコンクールという試合みたいなものがあるらしい。吹奏楽部に入った私は、きっとコンクールのために毎日必死に練習していたんじゃないかと思う。それに、家族でキャンプも行きたかった。川のそばでキャンプして、父が頑張って火を起こしたコンロで、バーベキューをし、焼いたお肉を食べたり、水着で河原で遊んだりする。毎年ある地元に花火大会に友達と行くのもいいかもしれない。みんなで浴衣を着て、河川敷に並んで座る。団扇で仰ぎながら「暑いね」「でも、綺麗だね」「あっちでイカ焼き買ってくる」なんて言いながら。
 こんな風に想像を逞しくしながら、私は勢いで返事を書いてしまおうと思ったけれど、結局ほのかの夏休み明け直前に返事を書くことにした。だって、私にだって何か良い夏休みの出来事があるかもしれないから。もしあれば、一番にそれを咲ちゃんに報告したいから。

 私の夏休みは想像とは違って、ほとんどが日常と大差なく終わってしまった。けれど、とても大きないい事が一つだけあった。それは夏休み中盤の日曜日に家族全員で花火を見たことだ。もちろん、ほのかと私は夏らしい柄の浴衣を着て。植え込み型の人工心臓をつけている私が浴衣を着るのは、私が思っていた以上に大変だった。必要な機械のがいろいろあって帯を締めるのに邪魔をするからだ。でも、着付けを頼んだのはプロ。あれやこれやとして、見れる形に仕上げてくれた。そして、着付けが終わった私たちをとっておきの場所に連れて行ってくれたのは父だった。そこは、ビルの屋上でバーベキューをしながら花火が見える場所。父が私たちにサプライズプレゼントをしようと、こっそり予約していたらしい。驚き喜ぶ私達二人を見て、得意そうになった父の顔がなんとも言えず可愛かった。父が火おこしに悪戦苦闘しているうちに、青かった空がだんだん紫がかってきて、ついには群青色になった。なんとかついた火で、バーベキューをしながら花火を見る。私が想像したことが現実になっている。私はその日1年分、いや1生分の幸せを使い切ったんじゃないかというほど楽しんだ。
 体調を崩す事なく、1日を楽しみ切った私は、翌朝もスッキリ目が覚めたので、思い出が色褪せないうちにと手紙を書く準備をする。きっとこれ以上に楽しい夏休みなんてないだろうから。
 今回使う便箋は、夜に向かう空を連想させる赤紫の空のものだ。そして、封筒にしまう時に、昨日描いた花火の絵も一緒に忍ばせた。この楽しかった気持ちをお裾分けできますように。

 小鳥遊 咲 様

 こんにちは。お元気ですか。夏休みは予定通りお友達と楽しく過ごせましたか?お泊まり会の他は何をして過ごしていたのかな?
 私といえば、夏休みの宿題をやったり、ごろごろしたりしているうちに夏休みが終わりそうだよ。友達は大抵部活に入っているから、なかなか遊ぶ日も作れないし、ほんとただゴロゴロしているだけだったの。でもね、ゴロゴロしながらこれからのこととか色々考えてたな。あ、でも、1つだけ良いことがあって、浴衣を着て花火大会に行ったんだ。行ったのはこれを書いている前の日。昨日だよ。このワクワクした楽しかった気持ちをどうしても伝えたくて、早速書いてるんだけど、思うように伝えれる気がしなの。だから、その時書いた花火の絵を同封するね。絵が上手なわけじゃないんだけど、この気持ち咲ちゃんに伝わるといいな。
 あと、この前オススメの漫画を教えてくれてありがとう。今めっちゃ流行ってるやつだよね?私も読みたいなって思ってたけど、まだ読めてなかったから、夏休み中に読んだよ!二人が付き合うのか、付き合わないのか、微妙な関係だよね!この先どうなるのってドキドキしちゃった。面白い本を教えてくれてありがとう。
 このお手紙が咲ちゃんに届く頃には少し涼しくなっているといいね。部活する時は、熱中症に気をつけてね。
   
                           相田 ほのか より