ゆっくりと考えながら手紙を書き上げたあと、封筒の封を閉じる前にほのかにも見せた。ほのかとして手紙を出すんだから、ほのかだって知っておく必要があると思ったから。ほのかは、「いいじゃない、私が書くより何倍も上手!」と褒めてくれたあと、封筒の開け口に糊を塗って封をし、その上に桜の花のシールをそっと貼った。
「でも、知らなかったなぁ、まどかって吹奏楽部に入りたかったの?」
「そうなの。なんの楽器もできないけど、音楽って楽しい気分にさせてくれるから、自分で演奏できたら素敵だろうなって思って。」
携帯やテレビの画面でずっと映像を見ているのが辛い私は、読書と音楽を聴くことが趣味らしい趣味になっている。特に、読書は体力を使うけれど、音楽は目を閉じて耳を澄ませているだけでいいからとても楽だし、その旋律や歌詞が私の気持ちも持ち上げてくれる。もし自分に楽器が弾けたら、誰かの癒しになる音楽を奏でれるかも知れないと思うと、吹奏楽部に入ることはとても良いことのように思えた。
「ね、もし吹奏楽部に入ってたら、どんな楽器がしたかった?」
「実は、どうしてもやりたい楽器があって…」
「え?なに、なに?」
「あのね、フルートってカッコいいなって思ってたんだ。」
「確かに、あの横にして吹くやつだよね?でもさ、あれって普通のリコーダーよりかなり難しいらしいよ。」
「そうなの?」
「クラスの子がね吹奏楽部に入って、自分の担当楽器を決める前にいろんな楽器の体験をしたみたいで、その時にフルートを吹いたんだって。そしたらさ、イメージとは違って結構フルートが長いらしくて、横に伸ばす腕は痛いし、その上普通に息を吹き込むだけじゃ音が出ないらしいの!なんか、吹くための唇の形?とかなんかあるらしいんだけど…」
ほのかは次々に吹奏楽部の友達から聞いたという話をしてくれて、私はそれを自分ごとのように想像し、楽しんだ。そう、いつも私の世界の窓口はほのかだけだった。ほのかが学校で体験したこと、楽しかったこと、嫌だったこと、いろんなことを教えてくれるから、私はその話の中から想像する。もし私が学校へ行ってたら、その場面では何を思っただろう。どう振る舞っただろうと。少し虚しいけれど、どうしようもない私の日常。けれど、これからはもう一つ窓口が増えることになる。小鳥遊咲ちゃんという、私に向けられた私だけの窓口。咲ちゃんは私のこの状況を知らないから、私が健康な人と同じように振る舞ったって何も気づかない。手紙の中では自由にいられる私。そう思うと、次の手紙には何を書こうとドキドキとワクワクが止まらなくなった。
けれど、学校に行くわけでもなく、基本的に部屋で寝ていることしかできない私には、次の返事までの待ち時間が長すぎる。暇をしている私とは違って、ほのかといえば、毎日部活に精を出しているせいで帰ってくるのが遅くて、なかなか学校の話を聞くことができない。しかも、中間テストの成績が悪かったら、両親に無理矢理塾に入れられてしまうから、もっと私と話をする時間がなくなってしまう。まどかが話してくれないと、急に誰とも繋がっていない孤独感が襲ってくる。そんな孤独を紛らわそうと、時々小学校の時からの友達にメッセージを送ってみるけれど、みんな部活動や習い事に忙しいのか、返事は夜遅くになってしまうし、みんなが私のことを気遣いすぎていて、話がうまく噛み合わない。
早く、普通に戻りたい。そう毎日願っているのに、心臓移植の順番はなかなか回ってこない。それもそのはずで、日本での子供の心臓移植は件数自体が少ない。そのため、アメリカに行って心臓移植をする人も少なくない。けれど、それには莫大なお金がかかってしまう。億の単位のお金は私たち家族が身を粉にして一生働いたとしても稼げる額じゃないし、仮に稼げたとしても、生活がままならなくなってしまう。両親はなんとか募金等で必要なお金をかき集めれないか、連日連夜話し合っているようだったが、きっといろんな難しいことがあるのだろう、状況はなにも変わらないままだった。実際、心臓移植となるとそれだけで怖いのに、それが言葉も通じないアメリカとなるともっと怖い。当然ほのかは一緒に行けないだろうし…。悩むよりも前に何より手術を受けるためには、少しでも体力をつけなければいけないと気を取り直して、できる時は散歩をしてみるが、それもまた難しく、途端にしんどくなることが最近増えてきた。調子のいい日があまりなくなってきていることに、私は微かながら不安を覚る。
だめだ。心が闇に飲まれそう。
落ちていく気持ちを前に、誰かに助けを求めたくなったが、昼間の時間は父は仕事だし、母は今は出掛けている。そして、友達やほのかは学校だ。誰も相手をしてくれない。
私は、仕方なくメッセージを誰かに送るのを諦めると、枕元に置いてある小鳥遊さんからの手紙を手に取って広げてみた。
元気にのびのびと大きく書かれたその字は、みているだけで元気を与えてくれる。私も、こんな風な字で誰かを励ましたい。
そう思って目を閉じていると、気づけば眠ってしまっていたようだ。コンコンとノックする音で目が覚めた。
「はい。」
返事をするとそっとドアノブが下がり、ドアが開く。そこから顔を出したのは、ほのかだった。
「あれ?もうそんな時間?」
だいぶ日が沈むのが遅くなったとはいえ、私の部屋の窓からは夕陽はもちろんのこと、太陽の影すら見えない。まだまだ昼間の色をした青空が広がっている。
時計を見ると、まだ16時だった。
「部活はどうしたの?」
「今日は、行かずに帰ってきた。」
「どこかしんどい?」
「違う違う、まどかが楽しみにしているものを持ってきたよ。」
ほのかがそう言って手渡してくれたのは、小鳥遊さんからの手紙だった。
「わぁ!」
ほのかは、喜ぶ私に手紙を押し付けるように渡すと、自分はいつものようにベッドサイドに椅子を置いて座った。
今回の封筒は紫陽花の花の陰からいたいけな子猫が顔を覗かせているものだ。その猫の顔に愛嬌があって、とても可愛らしかった。その中で宛名に書かれた私の名前の字はのびのびと書かれていて、相変わらず元気がいい。それだけで元気がもらえたような気がして、心の真ん中が暖かくなるのがわかった。開封すると、中も封筒と同じ柄の便箋で、ポップにあしらわれた紫陽花の花にじゃれつくように猫が遊んでいる柄だった。
はやる気持ちを抑えて、文面に目を通す。ほのかも横から一緒に手紙を覗き込んできた。前回から大幅に文章量も増えて、便箋が4枚ほどに渡っていて、私はほのかが読んだことを確認しながら、用紙をめくっていく。
読み終えてしばらくは、余韻に浸っていると、ほのかが優しく声をかけてくれる。
「咲ちゃん?この子めっちゃいいこだね。わざわざこの便箋と封筒を買いに行ってくれたんだね。」
「ほんと。レターセットが自分を表すアイコンだなんて、考えてもみなかった。」
「私もだよ。そんなこと考える友達がいるなんて、真面目か!って思った。」
私たちは顔を見合わせてクスクスと笑い合う。
「でもさ、自然が好きって私と趣味が合うと思うな。私だって、空の色とか、雲の形とか大好きだもん。」
「そうだねぇ。やっぱりこの子とはまどかが文通して丁度よかったんじゃない?趣味が合う。私とはえらい違いだよ。」
「ほのかともそんなに違わないと思うけど…でも、そうだね。ほのかの代わりに私が文通できてよかった。」
「で、この子を見習って、まどかも自分を表すアイコンとして、レターセット選びをするの?」
「それいいかも。でも、私買いに行けないから…」
「それならさ、ネットで見てみようよ。しんどくなったら続きは明日にすればいいから。まだまだ2週間ぐらい時間はあるんだよ。ゆっくり探そうよ。」
そう言って、ほのかは自分のスマホを見て、検索画面を開く。
「で?まどかはどんなのがいいの?」
「ちょっと待って、そんなに急に言われてもわかんないよ。」
急に聞かれたことに私は焦る。えっとえっとの文字だけが頭の中を埋め尽くして、考えることができない。一体何がいいのだろう。私らしさってなんだろう。わからない。
困る私を見て、
「咲ちゃんは、お花とか自然が好きだからこの便箋にしたって。じゃぁ、まどかの場合は、さっき言ってたみたいに空とか雲の形のレターセットがいいのかなぁ?」
そう言ってスマホに「空 便箋」と打ち込んで画像検索をかける。すると、私が思っていた数以上のレターセットが出てきた。
青空に雲がかかっているもの、青空に虹がかかっているもの、夕暮れ時の濃い紫の空に、茜色の空、それを見上げる猫のワンポイントがついたものまである。
「わぁ、いっぱいあるんだね。」
「ね、この空の便箋、ほのかはどう思う?」
ほのかのスマホを借りて、検索で上がってきた画像を見ながら、あれがいいかこれがいいかと二人で話していると、まるで外でショッピングをしているような気がして、なんだか嬉しくなってきた。けれどやっぱり画面を長く見続けるのはしんどくて、今日はいくつか候補を出しただけでお終いにした。続きはまた明日。目標や楽しみができた途端、寂しくてやるせ無かった気持ちがいつの間にか消えて、明日を迎えることが楽しくなる。明日は、空の便箋以外にも見てみたいな。私が好きなものってなんだろう。そんなことを考えながら、その日は眠りについた。
翌日から一週間ほどかけて、私は便箋選びをした。「星 便箋」の検索ワードを入れた時は、シンプルな流れ星を模した罫線の便箋から、背後にうっすらと星座を描いたものまで出てくるし、「雲 便箋」と検索ワードを入れた時は空の時では出てこなかったようなポップなものまでたくさん出てくる。空だけじゃなくて、好きな動物である「ペンギン 便箋」と入れると、文字を書く場所がペンギンの体になっているものから、有名なペンギンのキャラクターのものまでたくさん。
世の中にはこんなにもたくさんの便箋があるのかと驚きながら、空、星、動物、自然、花と、自分が好きだと思うものを毎日少しずつ検索してみた。
けれどその中でもやっぱり一番気になるのは、空の便箋だ。やっぱり時刻によって違う色を見せる空を切り取った便箋がいい。ワンセットに4パターン入っているこのレターセトを買えば、今年の文通の間はこれでいけるかもしれない。私は一番のお気に入りを見つけると、その画像とECサイトのURLを母のLINEに貼り付けて送ろうとする。送信マークを押したちょうどその時、ノックの音が聞こえたと思ったら、母が中に入ってきた。
「ちょうどよかった。今お母さんに買って欲しい便箋のやつLINEしといたからね。」「わかったわ。買っておけばいいのね。例の文通のやつ?」
「えへへ。そうなの。私らしさを表す便箋としてね、空のやつを買おうと思って。」
「文通は、楽しい?」
そう聞きながら、私の近くに来た母は、困ったような顔で、私の頬に手を添えた。
「文通することで、無理してない?顔色があまり良くない。それに、むくみも出てる。」
本当は少し調子は悪かった。でも、早く注文しないと手紙を出す期限までに便箋が届かない。届いた後だって、急いで全てが書けるとは限らないのだ。だから、どうせ横になってるだけだしと思いながら、便箋選びに精を出してしまった事は否めない。
「無理は…してないつもり。」
布団を引っ張り上げて、顔を隠しながら言うと、母はため息をつきながら立ち上がった。
「楽しいのはいい事なんだけどね。でも、無理は禁物。便箋は買っておくわ。それと、覚えてると思うけど、週明けには大学病院の方で検査があるから。いい?」
「わかってる。」
布団の中でもごもごと答える私をみた後、母は何も言わずにそっと出ていった。
残念なことに、注文した便箋が届くより前に病院で検査の日になってしまった。できれば、届いた便箋に手紙を書いて、前向きな気持ちになってから検査日を迎えたかった。以前から体調不良の日が続いている。あまりいい結果は期待できないだろうと、覚悟を決めて車に乗る。検査結果が悪くなっていると、確かにショックだけど、一方でそれは仕方がないと諦めの気持ちもある。でも、何より悲しくなるのは、そのことを告げられた時の母の顔だ。流石に、娘の前で泣く事はなかったけど、絶望に打ちひしがれた顔で、目の淵に涙を溜めながら医師の説明を聞く姿を見るにつけ、申し訳ない気持ちになてしまう。
今日もそんな顔をさせてしまうのだろうと思うと、ただでさえ憂鬱な検査の日が、もっと嫌になるのだった。
病院に着いたら、必要な検査を一通りされる。さまざまな検査があるので、終わった頃にはすっかりお昼の時間だ。心臓に負担をかけないようにするため、普段は極度に塩分を控えたものしか食べれない私は、外食ができない。けれど、この病院でなら対応食を出してくれるので、唯一外食ができる。楽しみであると同時に、母の負担を少しでも減らせることが私には嬉しい。今日は、豚の生姜焼き定食を注文する。一気に食べれないけど、少しずつ食べて行く。生姜が効いていて美味しい。
母はそんな私を見つめながら自分はサンドイッチとコーヒーで昼食を取る。私に気を使っているせいで話題が思いつかないのか、それとも検査結果が心配だからか、いつまでも黙っている母に、私は明るく話しかけた。
「便箋って今日届く予定になってる?」
「確かそうなってたと思うけど…ああ、もう届いたみたいね。」
スマホを取り出して、配送記録を見ながら答えてくれる。
「届いたんだ!じゃぁ、帰ったら手紙書けるね。」
「今日は外出で疲れてるんだから、あんまり無理しないでよ。」
「わかってるよぉ。でも、書きたいことがいっぱいあるんだ。」
「何を書くの?」
「それはねぇ…秘密。」
ふふふっと笑うと、母も釣られて一緒に笑った。母の笑顔を見ると、私も安心する。けれど、後何回こんな時間を一緒に過ごすことができるだろう。ふとよぎった不安を打ち消すように、私は最近読み出した本の話や、みんながいない昼間にしていることなどを話した。
話が弾んでいたせいで、気づけばすっかり午後の診察の予約時間になっている。午後の時間は午前に受けた検査の結果を伝えられるんだ。
屋上にあるレストランから、慌てて心臓内科の待合に移動すると、ちょうどタイミングを見計らったように名前が呼ばれた。待合で座る間もなく、そのまま母と二人で診察室に入る。
「失礼します。」
私たちが声をかけながらドアを開けると、厳しい顔でモニターを見ていた主治医の伊藤先生が、優しく声をかけてくれる。
「検査、お疲れだったね。早速だけど、検査結果をお伝えしようか。」
途端に私たちの間の空気が緊張する。私自身、結果は決して良くないだろうとは思いつつも、少しの期待もしてしまう。できればこのままで、あわよくば少し改善していますように。。母の顔をチラッと盗み見ると、伊藤先生の言葉を一言一句漏らさないようにしようというような気迫と覚悟に満ちた顔をしていた。
いろんな数値を指し示したり、書き込んだりしながら先生が私にもわかりやすいように説明してくれる。
「端的に言うと、人工心臓の具合も含めて、大きく悪くなっている箇所はないよ。けれど、小康状態を保っているとも言い難い。緩やかにだけど、今あるまどかちゃんの心臓の働きは悪くなっていっているし、その影響と薬の影響が相まって、腎臓と肝臓の数値も悪化はしている。けれど、今すぐ薬を変える必要はないし、このままでしばらくは様子を見よう。」
先生の言葉にホッと息を吐くと、母も一緒だったらしく、二人して顔が緩んだ。
「でも、最近あまり調子良くはないんだよね?」
「そうですね…息苦しさとか、眩暈とかそうゆうのを感じることが以前より増えた気がします。」
「とりあえず、それに対応する薬は頓服で出しておくよ。肝臓や腎臓の数値が悪いから、毎日服用することであまり体に負担はかけたくない。必要な時だけ飲んでくれる?」
「はい。」
「それと、体調が悪いとなかなか難しいかもしれないけれど、できるだけ食べて、少しでも体を動かして体力はつけておいた方がいいよ。体力がなければ手術も渡航もできない。」
「やっぱり、私、海外で移植を?」
思ってもない先生の発言に、疑問を口にすると、先生はおやっという感じで母を見た。
「話は、まだ?」
「あ、そうなんです。なかなか言い出せなくて…それにもしかしたら、今回の検査で渡航を含め色々無理になるんじゃないかと不安もありましたし…。」
しどろもどろで話す母に対して、伊藤先生は大きくうなづいた。
「まどかちゃんが国内の移植待機登録をした時点で、先生とご両親は海外での移植も考えて受け入れ可能な病院を探していたんだよ。それは知っていたかな?受け入れ可能な病院自体は割とすぐに見つかったんだけどね、あとは資金面だとか、まどかちゃんの精神状態だとかいろんなことがあって保留にしていたんだ。でも、そろそろ真剣に動き出してもいい時期だと思う。」
私と目線を合わせて、しっかり話した後、先生は母の方に向き直る。
「今なら、体力的にはまだ間に合います。ただそれほど長くは待てないでしょう。まだまだ成長期ですし、一概には言えませんが1〜2年以内が限度になってくる可能性はあります。ある程度の見通しは立てられていたかと思いますが、これからいろんなことを急ピッチで進めていきましょう。」
その後、母が質問する形で、アメリカでの心臓移植の具体的な話が進められていく。自分のことなのに、まるで自分のことじゃないみたいだ。あんなに待ち望んでいたはずの心臓移植。移植さえすれば、私は健康な頃の自分にかなり近づける。けれど、移植が現実味を帯びてくればくるほど、移植に対する不安だとかが渦巻いてくるのがわかった。そのせいか、時折、先生や母に尋ねられたことに上の空で返事をしてしまったし、二人の話は私の中にしっくり落ちてもこなかった。
その晩、すっかり日が落ちた頃家に到着すると、私は急いで届いていたレターセットを開封した。朝一番の日の光を浴びて黄色っぽく輝く空、昼間の突き抜けるような青にぽっかり白い雲が浮かぶ空、雨上がりの濃い青に虹がかかった空、夕日を浴びて赤紫に染まる空。4種類の空の中から、私は昼間の明るい青の便箋を選んだ。今の澱んだ気持ちを明るくしてくれるような澄み切った青空。
正直、今までは移植手術のことを真剣に考えないようにしていた。楽しみではあるけど、手術を受けることはやっぱり怖いし、私のせいで心臓を持っていたその誰かが生きれなくなってしまうのかと思うと、なんだか恐ろしい。移植なんてしなくても、投薬とか、画期的な新しい治療で治るんじゃないかって、夢みたいなことをずっと期待していた。けれど、今日思いがけず自分に残された期限がそこまで長くないということと、異色にかなり前向きな母と伊藤先生の話を聞いて、期待は期待のままで終わることを知った。もう、頭の中はごちゃごちゃで、正直しんどい。でも、そんな日だから、私は何者にでもなれる手紙に逃げたかった。手紙の中では、私は普通の女子中学生なんだから。
小鳥遊 咲 様
咲ちゃん、こんにちは。この前もらったお手紙で、咲ちゃんって呼んでいいって書いてくれたから、早速呼んでみました。私のことも、ほのかって呼んでくれてとても嬉しい。なんだか、距離がグッと近くなった感じがするね。ありがとう。
咲ちゃんは運動が苦手なのに、テニス部に入ってるなんてすごいなぁ。私も咲ちゃんみたいに頑張らないとって思って、吹奏楽の子に頼んで、楽器の体験をさせてもらいました。一番の希望だったフルートをさせてもらったんだけど、思ったより長くて腕は痛いし、音は出ないしで大変でした。そんなことがあって、自信をすっかり無くした私は、結局帰宅部です。
あと、咲ちゃんが手紙に書いてくれた、便箋がアイコンっていうのがとても魅力的で、私もそれを真似してみることにしました。えへへ、このレターセットを見て貰えばわかると思うけど、私の好きなのは空です!青空も、雨の日の空も、雷空も、もちろん星空だって、空ならなんでも大好き。私は毎日のように空を見上げてるの。雲の形は毎日変わって飽きないし、いつだって私に元気をくれるから。今日は、咲ちゃんにも私の気持ちを味わって欲しくて、大好きな昼間の突き抜けるような青色の空の便箋で手紙を書くね。
なんか、自分の話ばっかりしちゃったけど、咲ちゃんの便箋もとってもよかった!そうか、今は紫陽花の季節なんだって気付かされたし、外に出なくても目を閉じれば今の季節の外の景色を想像できたよ。素敵な便箋での手紙をありがとう。次のお手紙と、そして便箋を期待しているね。私も、空シリーズで手紙を書こうと思うから、次はいつの空か楽しみにしててね。
それと、空の他に私の好きなことは読書だよ。そんなにたくさん読んでるわけじゃないけど。もし、咲ちゃんも読書が好きだったら、オススメの本の話なんかもできたら嬉しいな。
あ、この前にもまして長々と書いちゃったかもしれない、ごめんね。次の期末テストも頑張ろうね。じゃぁ、また。
相田 ほのか
「でも、知らなかったなぁ、まどかって吹奏楽部に入りたかったの?」
「そうなの。なんの楽器もできないけど、音楽って楽しい気分にさせてくれるから、自分で演奏できたら素敵だろうなって思って。」
携帯やテレビの画面でずっと映像を見ているのが辛い私は、読書と音楽を聴くことが趣味らしい趣味になっている。特に、読書は体力を使うけれど、音楽は目を閉じて耳を澄ませているだけでいいからとても楽だし、その旋律や歌詞が私の気持ちも持ち上げてくれる。もし自分に楽器が弾けたら、誰かの癒しになる音楽を奏でれるかも知れないと思うと、吹奏楽部に入ることはとても良いことのように思えた。
「ね、もし吹奏楽部に入ってたら、どんな楽器がしたかった?」
「実は、どうしてもやりたい楽器があって…」
「え?なに、なに?」
「あのね、フルートってカッコいいなって思ってたんだ。」
「確かに、あの横にして吹くやつだよね?でもさ、あれって普通のリコーダーよりかなり難しいらしいよ。」
「そうなの?」
「クラスの子がね吹奏楽部に入って、自分の担当楽器を決める前にいろんな楽器の体験をしたみたいで、その時にフルートを吹いたんだって。そしたらさ、イメージとは違って結構フルートが長いらしくて、横に伸ばす腕は痛いし、その上普通に息を吹き込むだけじゃ音が出ないらしいの!なんか、吹くための唇の形?とかなんかあるらしいんだけど…」
ほのかは次々に吹奏楽部の友達から聞いたという話をしてくれて、私はそれを自分ごとのように想像し、楽しんだ。そう、いつも私の世界の窓口はほのかだけだった。ほのかが学校で体験したこと、楽しかったこと、嫌だったこと、いろんなことを教えてくれるから、私はその話の中から想像する。もし私が学校へ行ってたら、その場面では何を思っただろう。どう振る舞っただろうと。少し虚しいけれど、どうしようもない私の日常。けれど、これからはもう一つ窓口が増えることになる。小鳥遊咲ちゃんという、私に向けられた私だけの窓口。咲ちゃんは私のこの状況を知らないから、私が健康な人と同じように振る舞ったって何も気づかない。手紙の中では自由にいられる私。そう思うと、次の手紙には何を書こうとドキドキとワクワクが止まらなくなった。
けれど、学校に行くわけでもなく、基本的に部屋で寝ていることしかできない私には、次の返事までの待ち時間が長すぎる。暇をしている私とは違って、ほのかといえば、毎日部活に精を出しているせいで帰ってくるのが遅くて、なかなか学校の話を聞くことができない。しかも、中間テストの成績が悪かったら、両親に無理矢理塾に入れられてしまうから、もっと私と話をする時間がなくなってしまう。まどかが話してくれないと、急に誰とも繋がっていない孤独感が襲ってくる。そんな孤独を紛らわそうと、時々小学校の時からの友達にメッセージを送ってみるけれど、みんな部活動や習い事に忙しいのか、返事は夜遅くになってしまうし、みんなが私のことを気遣いすぎていて、話がうまく噛み合わない。
早く、普通に戻りたい。そう毎日願っているのに、心臓移植の順番はなかなか回ってこない。それもそのはずで、日本での子供の心臓移植は件数自体が少ない。そのため、アメリカに行って心臓移植をする人も少なくない。けれど、それには莫大なお金がかかってしまう。億の単位のお金は私たち家族が身を粉にして一生働いたとしても稼げる額じゃないし、仮に稼げたとしても、生活がままならなくなってしまう。両親はなんとか募金等で必要なお金をかき集めれないか、連日連夜話し合っているようだったが、きっといろんな難しいことがあるのだろう、状況はなにも変わらないままだった。実際、心臓移植となるとそれだけで怖いのに、それが言葉も通じないアメリカとなるともっと怖い。当然ほのかは一緒に行けないだろうし…。悩むよりも前に何より手術を受けるためには、少しでも体力をつけなければいけないと気を取り直して、できる時は散歩をしてみるが、それもまた難しく、途端にしんどくなることが最近増えてきた。調子のいい日があまりなくなってきていることに、私は微かながら不安を覚る。
だめだ。心が闇に飲まれそう。
落ちていく気持ちを前に、誰かに助けを求めたくなったが、昼間の時間は父は仕事だし、母は今は出掛けている。そして、友達やほのかは学校だ。誰も相手をしてくれない。
私は、仕方なくメッセージを誰かに送るのを諦めると、枕元に置いてある小鳥遊さんからの手紙を手に取って広げてみた。
元気にのびのびと大きく書かれたその字は、みているだけで元気を与えてくれる。私も、こんな風な字で誰かを励ましたい。
そう思って目を閉じていると、気づけば眠ってしまっていたようだ。コンコンとノックする音で目が覚めた。
「はい。」
返事をするとそっとドアノブが下がり、ドアが開く。そこから顔を出したのは、ほのかだった。
「あれ?もうそんな時間?」
だいぶ日が沈むのが遅くなったとはいえ、私の部屋の窓からは夕陽はもちろんのこと、太陽の影すら見えない。まだまだ昼間の色をした青空が広がっている。
時計を見ると、まだ16時だった。
「部活はどうしたの?」
「今日は、行かずに帰ってきた。」
「どこかしんどい?」
「違う違う、まどかが楽しみにしているものを持ってきたよ。」
ほのかがそう言って手渡してくれたのは、小鳥遊さんからの手紙だった。
「わぁ!」
ほのかは、喜ぶ私に手紙を押し付けるように渡すと、自分はいつものようにベッドサイドに椅子を置いて座った。
今回の封筒は紫陽花の花の陰からいたいけな子猫が顔を覗かせているものだ。その猫の顔に愛嬌があって、とても可愛らしかった。その中で宛名に書かれた私の名前の字はのびのびと書かれていて、相変わらず元気がいい。それだけで元気がもらえたような気がして、心の真ん中が暖かくなるのがわかった。開封すると、中も封筒と同じ柄の便箋で、ポップにあしらわれた紫陽花の花にじゃれつくように猫が遊んでいる柄だった。
はやる気持ちを抑えて、文面に目を通す。ほのかも横から一緒に手紙を覗き込んできた。前回から大幅に文章量も増えて、便箋が4枚ほどに渡っていて、私はほのかが読んだことを確認しながら、用紙をめくっていく。
読み終えてしばらくは、余韻に浸っていると、ほのかが優しく声をかけてくれる。
「咲ちゃん?この子めっちゃいいこだね。わざわざこの便箋と封筒を買いに行ってくれたんだね。」
「ほんと。レターセットが自分を表すアイコンだなんて、考えてもみなかった。」
「私もだよ。そんなこと考える友達がいるなんて、真面目か!って思った。」
私たちは顔を見合わせてクスクスと笑い合う。
「でもさ、自然が好きって私と趣味が合うと思うな。私だって、空の色とか、雲の形とか大好きだもん。」
「そうだねぇ。やっぱりこの子とはまどかが文通して丁度よかったんじゃない?趣味が合う。私とはえらい違いだよ。」
「ほのかともそんなに違わないと思うけど…でも、そうだね。ほのかの代わりに私が文通できてよかった。」
「で、この子を見習って、まどかも自分を表すアイコンとして、レターセット選びをするの?」
「それいいかも。でも、私買いに行けないから…」
「それならさ、ネットで見てみようよ。しんどくなったら続きは明日にすればいいから。まだまだ2週間ぐらい時間はあるんだよ。ゆっくり探そうよ。」
そう言って、ほのかは自分のスマホを見て、検索画面を開く。
「で?まどかはどんなのがいいの?」
「ちょっと待って、そんなに急に言われてもわかんないよ。」
急に聞かれたことに私は焦る。えっとえっとの文字だけが頭の中を埋め尽くして、考えることができない。一体何がいいのだろう。私らしさってなんだろう。わからない。
困る私を見て、
「咲ちゃんは、お花とか自然が好きだからこの便箋にしたって。じゃぁ、まどかの場合は、さっき言ってたみたいに空とか雲の形のレターセットがいいのかなぁ?」
そう言ってスマホに「空 便箋」と打ち込んで画像検索をかける。すると、私が思っていた数以上のレターセットが出てきた。
青空に雲がかかっているもの、青空に虹がかかっているもの、夕暮れ時の濃い紫の空に、茜色の空、それを見上げる猫のワンポイントがついたものまである。
「わぁ、いっぱいあるんだね。」
「ね、この空の便箋、ほのかはどう思う?」
ほのかのスマホを借りて、検索で上がってきた画像を見ながら、あれがいいかこれがいいかと二人で話していると、まるで外でショッピングをしているような気がして、なんだか嬉しくなってきた。けれどやっぱり画面を長く見続けるのはしんどくて、今日はいくつか候補を出しただけでお終いにした。続きはまた明日。目標や楽しみができた途端、寂しくてやるせ無かった気持ちがいつの間にか消えて、明日を迎えることが楽しくなる。明日は、空の便箋以外にも見てみたいな。私が好きなものってなんだろう。そんなことを考えながら、その日は眠りについた。
翌日から一週間ほどかけて、私は便箋選びをした。「星 便箋」の検索ワードを入れた時は、シンプルな流れ星を模した罫線の便箋から、背後にうっすらと星座を描いたものまで出てくるし、「雲 便箋」と検索ワードを入れた時は空の時では出てこなかったようなポップなものまでたくさん出てくる。空だけじゃなくて、好きな動物である「ペンギン 便箋」と入れると、文字を書く場所がペンギンの体になっているものから、有名なペンギンのキャラクターのものまでたくさん。
世の中にはこんなにもたくさんの便箋があるのかと驚きながら、空、星、動物、自然、花と、自分が好きだと思うものを毎日少しずつ検索してみた。
けれどその中でもやっぱり一番気になるのは、空の便箋だ。やっぱり時刻によって違う色を見せる空を切り取った便箋がいい。ワンセットに4パターン入っているこのレターセトを買えば、今年の文通の間はこれでいけるかもしれない。私は一番のお気に入りを見つけると、その画像とECサイトのURLを母のLINEに貼り付けて送ろうとする。送信マークを押したちょうどその時、ノックの音が聞こえたと思ったら、母が中に入ってきた。
「ちょうどよかった。今お母さんに買って欲しい便箋のやつLINEしといたからね。」「わかったわ。買っておけばいいのね。例の文通のやつ?」
「えへへ。そうなの。私らしさを表す便箋としてね、空のやつを買おうと思って。」
「文通は、楽しい?」
そう聞きながら、私の近くに来た母は、困ったような顔で、私の頬に手を添えた。
「文通することで、無理してない?顔色があまり良くない。それに、むくみも出てる。」
本当は少し調子は悪かった。でも、早く注文しないと手紙を出す期限までに便箋が届かない。届いた後だって、急いで全てが書けるとは限らないのだ。だから、どうせ横になってるだけだしと思いながら、便箋選びに精を出してしまった事は否めない。
「無理は…してないつもり。」
布団を引っ張り上げて、顔を隠しながら言うと、母はため息をつきながら立ち上がった。
「楽しいのはいい事なんだけどね。でも、無理は禁物。便箋は買っておくわ。それと、覚えてると思うけど、週明けには大学病院の方で検査があるから。いい?」
「わかってる。」
布団の中でもごもごと答える私をみた後、母は何も言わずにそっと出ていった。
残念なことに、注文した便箋が届くより前に病院で検査の日になってしまった。できれば、届いた便箋に手紙を書いて、前向きな気持ちになってから検査日を迎えたかった。以前から体調不良の日が続いている。あまりいい結果は期待できないだろうと、覚悟を決めて車に乗る。検査結果が悪くなっていると、確かにショックだけど、一方でそれは仕方がないと諦めの気持ちもある。でも、何より悲しくなるのは、そのことを告げられた時の母の顔だ。流石に、娘の前で泣く事はなかったけど、絶望に打ちひしがれた顔で、目の淵に涙を溜めながら医師の説明を聞く姿を見るにつけ、申し訳ない気持ちになてしまう。
今日もそんな顔をさせてしまうのだろうと思うと、ただでさえ憂鬱な検査の日が、もっと嫌になるのだった。
病院に着いたら、必要な検査を一通りされる。さまざまな検査があるので、終わった頃にはすっかりお昼の時間だ。心臓に負担をかけないようにするため、普段は極度に塩分を控えたものしか食べれない私は、外食ができない。けれど、この病院でなら対応食を出してくれるので、唯一外食ができる。楽しみであると同時に、母の負担を少しでも減らせることが私には嬉しい。今日は、豚の生姜焼き定食を注文する。一気に食べれないけど、少しずつ食べて行く。生姜が効いていて美味しい。
母はそんな私を見つめながら自分はサンドイッチとコーヒーで昼食を取る。私に気を使っているせいで話題が思いつかないのか、それとも検査結果が心配だからか、いつまでも黙っている母に、私は明るく話しかけた。
「便箋って今日届く予定になってる?」
「確かそうなってたと思うけど…ああ、もう届いたみたいね。」
スマホを取り出して、配送記録を見ながら答えてくれる。
「届いたんだ!じゃぁ、帰ったら手紙書けるね。」
「今日は外出で疲れてるんだから、あんまり無理しないでよ。」
「わかってるよぉ。でも、書きたいことがいっぱいあるんだ。」
「何を書くの?」
「それはねぇ…秘密。」
ふふふっと笑うと、母も釣られて一緒に笑った。母の笑顔を見ると、私も安心する。けれど、後何回こんな時間を一緒に過ごすことができるだろう。ふとよぎった不安を打ち消すように、私は最近読み出した本の話や、みんながいない昼間にしていることなどを話した。
話が弾んでいたせいで、気づけばすっかり午後の診察の予約時間になっている。午後の時間は午前に受けた検査の結果を伝えられるんだ。
屋上にあるレストランから、慌てて心臓内科の待合に移動すると、ちょうどタイミングを見計らったように名前が呼ばれた。待合で座る間もなく、そのまま母と二人で診察室に入る。
「失礼します。」
私たちが声をかけながらドアを開けると、厳しい顔でモニターを見ていた主治医の伊藤先生が、優しく声をかけてくれる。
「検査、お疲れだったね。早速だけど、検査結果をお伝えしようか。」
途端に私たちの間の空気が緊張する。私自身、結果は決して良くないだろうとは思いつつも、少しの期待もしてしまう。できればこのままで、あわよくば少し改善していますように。。母の顔をチラッと盗み見ると、伊藤先生の言葉を一言一句漏らさないようにしようというような気迫と覚悟に満ちた顔をしていた。
いろんな数値を指し示したり、書き込んだりしながら先生が私にもわかりやすいように説明してくれる。
「端的に言うと、人工心臓の具合も含めて、大きく悪くなっている箇所はないよ。けれど、小康状態を保っているとも言い難い。緩やかにだけど、今あるまどかちゃんの心臓の働きは悪くなっていっているし、その影響と薬の影響が相まって、腎臓と肝臓の数値も悪化はしている。けれど、今すぐ薬を変える必要はないし、このままでしばらくは様子を見よう。」
先生の言葉にホッと息を吐くと、母も一緒だったらしく、二人して顔が緩んだ。
「でも、最近あまり調子良くはないんだよね?」
「そうですね…息苦しさとか、眩暈とかそうゆうのを感じることが以前より増えた気がします。」
「とりあえず、それに対応する薬は頓服で出しておくよ。肝臓や腎臓の数値が悪いから、毎日服用することであまり体に負担はかけたくない。必要な時だけ飲んでくれる?」
「はい。」
「それと、体調が悪いとなかなか難しいかもしれないけれど、できるだけ食べて、少しでも体を動かして体力はつけておいた方がいいよ。体力がなければ手術も渡航もできない。」
「やっぱり、私、海外で移植を?」
思ってもない先生の発言に、疑問を口にすると、先生はおやっという感じで母を見た。
「話は、まだ?」
「あ、そうなんです。なかなか言い出せなくて…それにもしかしたら、今回の検査で渡航を含め色々無理になるんじゃないかと不安もありましたし…。」
しどろもどろで話す母に対して、伊藤先生は大きくうなづいた。
「まどかちゃんが国内の移植待機登録をした時点で、先生とご両親は海外での移植も考えて受け入れ可能な病院を探していたんだよ。それは知っていたかな?受け入れ可能な病院自体は割とすぐに見つかったんだけどね、あとは資金面だとか、まどかちゃんの精神状態だとかいろんなことがあって保留にしていたんだ。でも、そろそろ真剣に動き出してもいい時期だと思う。」
私と目線を合わせて、しっかり話した後、先生は母の方に向き直る。
「今なら、体力的にはまだ間に合います。ただそれほど長くは待てないでしょう。まだまだ成長期ですし、一概には言えませんが1〜2年以内が限度になってくる可能性はあります。ある程度の見通しは立てられていたかと思いますが、これからいろんなことを急ピッチで進めていきましょう。」
その後、母が質問する形で、アメリカでの心臓移植の具体的な話が進められていく。自分のことなのに、まるで自分のことじゃないみたいだ。あんなに待ち望んでいたはずの心臓移植。移植さえすれば、私は健康な頃の自分にかなり近づける。けれど、移植が現実味を帯びてくればくるほど、移植に対する不安だとかが渦巻いてくるのがわかった。そのせいか、時折、先生や母に尋ねられたことに上の空で返事をしてしまったし、二人の話は私の中にしっくり落ちてもこなかった。
その晩、すっかり日が落ちた頃家に到着すると、私は急いで届いていたレターセットを開封した。朝一番の日の光を浴びて黄色っぽく輝く空、昼間の突き抜けるような青にぽっかり白い雲が浮かぶ空、雨上がりの濃い青に虹がかかった空、夕日を浴びて赤紫に染まる空。4種類の空の中から、私は昼間の明るい青の便箋を選んだ。今の澱んだ気持ちを明るくしてくれるような澄み切った青空。
正直、今までは移植手術のことを真剣に考えないようにしていた。楽しみではあるけど、手術を受けることはやっぱり怖いし、私のせいで心臓を持っていたその誰かが生きれなくなってしまうのかと思うと、なんだか恐ろしい。移植なんてしなくても、投薬とか、画期的な新しい治療で治るんじゃないかって、夢みたいなことをずっと期待していた。けれど、今日思いがけず自分に残された期限がそこまで長くないということと、異色にかなり前向きな母と伊藤先生の話を聞いて、期待は期待のままで終わることを知った。もう、頭の中はごちゃごちゃで、正直しんどい。でも、そんな日だから、私は何者にでもなれる手紙に逃げたかった。手紙の中では、私は普通の女子中学生なんだから。
小鳥遊 咲 様
咲ちゃん、こんにちは。この前もらったお手紙で、咲ちゃんって呼んでいいって書いてくれたから、早速呼んでみました。私のことも、ほのかって呼んでくれてとても嬉しい。なんだか、距離がグッと近くなった感じがするね。ありがとう。
咲ちゃんは運動が苦手なのに、テニス部に入ってるなんてすごいなぁ。私も咲ちゃんみたいに頑張らないとって思って、吹奏楽の子に頼んで、楽器の体験をさせてもらいました。一番の希望だったフルートをさせてもらったんだけど、思ったより長くて腕は痛いし、音は出ないしで大変でした。そんなことがあって、自信をすっかり無くした私は、結局帰宅部です。
あと、咲ちゃんが手紙に書いてくれた、便箋がアイコンっていうのがとても魅力的で、私もそれを真似してみることにしました。えへへ、このレターセットを見て貰えばわかると思うけど、私の好きなのは空です!青空も、雨の日の空も、雷空も、もちろん星空だって、空ならなんでも大好き。私は毎日のように空を見上げてるの。雲の形は毎日変わって飽きないし、いつだって私に元気をくれるから。今日は、咲ちゃんにも私の気持ちを味わって欲しくて、大好きな昼間の突き抜けるような青色の空の便箋で手紙を書くね。
なんか、自分の話ばっかりしちゃったけど、咲ちゃんの便箋もとってもよかった!そうか、今は紫陽花の季節なんだって気付かされたし、外に出なくても目を閉じれば今の季節の外の景色を想像できたよ。素敵な便箋での手紙をありがとう。次のお手紙と、そして便箋を期待しているね。私も、空シリーズで手紙を書こうと思うから、次はいつの空か楽しみにしててね。
それと、空の他に私の好きなことは読書だよ。そんなにたくさん読んでるわけじゃないけど。もし、咲ちゃんも読書が好きだったら、オススメの本の話なんかもできたら嬉しいな。
あ、この前にもまして長々と書いちゃったかもしれない、ごめんね。次の期末テストも頑張ろうね。じゃぁ、また。
相田 ほのか
