感染症に端を発した入院は腎機能悪化の原因を調べることになったため、最終的に数週間の入院になってしまった。結局腎機能悪化の原因ははっきりとはしなかったけれど、抗生剤の影響に加えて、心機能の悪化によることも考えられるということだった。以前から、私自身の心臓の中にある僧帽弁という弁の働きが悪くなっていると指摘されてはいたが、一段と状態が悪くなっていたのだ。一度、弁の働きを改善するような手術をすると、腎機能が回復する可能性があるということで、手術を受けることになってしまった。最近頻繁に起こるようになっていた、息苦しさや眩暈もこの手術で治るかもしれないということだ。そして、腎機能が回復したあかつきには、渡航して心臓移植ができる。未来につながる選択肢の一つとして、私の家族は手術を受けることに大賛成だった。
しかし、私は、本当にこのまま手術を受けて良いのかどうか迷っていた。術後の痛みやしんどさというのは毎回あることで、それが嫌だというのもあったけれど、本当はこのまま私が生きながらえ、心臓をもらって、誰かの代わりのように生き続けて良いのかといういつもの迷いだった。
けれど、私の迷いとは裏腹に伊藤先生の計らいで手術日も比較的すぐに予約することができた。手術をする日は12月14日。それまでは、自宅に帰っていても良いし、感染症などが心配な場合は入院を続けていても良いということを聞いた私は、真っ先に自宅に帰ることを選んだ。病院にいるだけだと気が滅入る。自分らしく暮らせる場所に少しでも早く戻りたかった。
11月中旬には退院できたけれど、以前にも増してベッドの上からは動けなくなってしまった。やはり、息切れと眩暈がひどいのだ。
そんな私の状態を気にして、沼田さんが訪問回数を増やしてくれることになった。
今日はその沼田さんが来てくれる日。退院後は初めての訪問だ。今日は土砂降りの日。私の部屋から見える空は、暗く重い雲に一面覆われている。
私が沼田さんを心待ちにしていると、コンコンと控えめにドアがノックされ、沼田さんが顔を出した。
「ひさしぶりだね。今の体調はどう?」
「あんまり…」
「だるかったりとか、そうゆう感じかな?入院中に体力が落ちたのはあるかもね。入院していると、動かないからね。それに、腎機能が低下したせいで、タンパク質をあまり取れなくなったでしょう?それだと二重に筋力も低下しやすくなるし。」
ドアから素早く中に滑り込むと、私のベッドの隣に座って、退院時サマリーと呼ばれる入院時の情報が書かれた用紙を見ながら、病状を確認してくれる。
「今日は、簡単に足のストレッチをしておくことにするね。」
サマリーに目を通した後は、いつものようにテキパキと機械を用意して血圧を測り、足のリハビリに入っていく。曲げたり伸ばしたりされているうちに、私のふくらはぎが攣るようにピンと張るのがわかる。自分で見ても随分細くなってしまっている足だ。
沼田さんは、私の足を触りながら、話しかけてきてくれた。
「また手術することになったんだね。」
「そうなんです…」
「どうした?やっぱり不安?」
物事を深く捉え過ぎない感じの、あっけらかんとしたその言葉は、私を安心させてくれて、沼田さんになんでも相談してみようかという気にさせてくれる。今回もやっぱり一番に話せる相手は沼田さんだった。
「不安っていうか…あの、以前も言ったことなんですけど…こんな手術までして、他の人の心臓を奪って良いのかなって…」
「こんな手術?」
「だって、手術しなかったら、誰かの心臓を貰わなくて済む…」
「でも、そしたらまどかちゃんが死んじゃうよ?」
沼田さんは目を丸くしながら、そうはっきり言う。
「死にたいわけじゃないんでしょう?」
「そりゃ…私だって、生きたいし、普通に戻りたい…でも、心臓をもらうって、誰かの命をもらうってことですよ?私はそこまでして生きる価値なんてない気がする…」
私の弱さを受け止めてくれた沼田さんは、一度マッサージの手を止めると、カバンの中をゴソゴソとして、とあるパンフレットを取り出して私に渡してくれる。そして、またすぐにマッサージに戻ってくれた。
手渡されたパンフレットには、「臓器移植とは」というタイトルが付けられている。
「この前話してくれた時に、移植コーディネーターの人に話を聞いてみてって言ったけど、きっとうまく聞いたりできなかったよね。だから、そのパンフレットを読んでみてほしいな。」
「これを?」
「そう。でも、今のまどかちゃんはだいぶ体力が落ちてるみたいだし、読むのはしんどいかも。かいつまんで話をするね。」
そういうと、一旦区切りがついたのか、マッサージの手を止めてベッドサイドの椅子に腰掛けた。時計を見ると、ちょうど訪問終了予定時間だ。いつもは、さっさと帰ることが多いけど、今日は少し話をしてくれるようだ。そんなに私は不安そうだっただろうか、と一瞬心配になっったが、こうやって誰かに気持ちを話せることはありがたいので、沼田さんの厚意に甘えることにした。
「まず、臓器移植はね脳死判定が下された人がドナーになるの。それは知ってるわよね?」
「はい。」
「脳死っていうのは、つまり脳が死んでしまっているということだから、そのままどんなに器具に繋いで生命を維持したって、元の元気な状態には戻れないわ。そうね、寝ている状態を長引かせるだけといった方がわかりやすいかな。けれど、心臓は動いている。そして、心臓が動いているのにその心臓を取り出すというのは、命を奪っている気がするまどかちゃんの気持ちもよくわかる。実際、日本で移植が進まない理由の一つは、心臓が動いているのに、心臓やその他の臓器をとってしまったら、万に一つも生き返る可能性がなくなるじゃないかっていう、日本人特有の思考によるものが大きいと言われてるの。」
「そうなんですね…」
日本人特有と言われればそうなのかもしれないけれど、心臓を奪ってしまったら生き返る可能性がなくなるとうことに、固執しているのはまさに私だった。
「でも、日本人特有ってことは、海外では違うってこと…?」
「そうねぇ、海外の人に聞いたわけではないから正確なところはわからないわ。でも、きっと多くの人が、ドナーとして臓器を提供することで、大切な人の命が、次の人の命の一部として生きることに喜びを見出しているんじゃないかしら?だって、ほか、このパンフレットにもドナーのご家族の方の声が載ってるわ。是非、読んでほしい。そして、勇気を持って欲しいと思うわ。」
沼田さんはそういうと、黙って私の頭を時間の許す限りいつまでも撫で続けてくれた。
ねぇ、咲ちゃん、私がもしこの病気のこと、移植が必要なことを相談したら、どうしますか?いつものように元気な字で励ましてくれるかな?それとも、人を殺して生きることに嫌悪感を持たれるかな?
私の周りの人は、みんな優しくしてくれるし、治療法にも何にも反対することはない。ただ、私に生きてほしいという思いだけが強く伝わってくる。けれど、世間一般的な考えはどうなんだろう。他人の心臓をもらってまで、弱い私を生かすことに価値なんかないんじゃないと考えるんじゃないだろうか。ドナーの家族は?家族全員が納得して、前向きに提供してくれているのだろうか?臓器を受け取った人を恨む気持ちにはならないのだろうか?
結局はいつもと同じ堂々巡りの考え。けれどその時、私は気づいてしまった。私は単に逃げているだけだ。全てから。本当は生きたい。けれど、移植を受けることで、誰からも恨まれたくない。移植が終わって、ある程度通常の生活に戻れたとしても、頑張ったね、よかったねとみんなから言われたいだけ。人の命を奪ってまで生きたかったの?なんて、言われたくない。しかも、海外での渡航移植に関しては、「大金を積んで、現地の人の移植の順番をずらしてまで、自分の命が助かりたいのか。」という、過激な批判があることを、移植についてネット検索をした時に知ってしまった。お金を積んで移植をしてもらうことは、とても悪いことのように書かれていた。それからだ、移植してまで私が私自身の生を生きる覚悟がなくなったのは。
結局、咲ちゃんとの手紙だってそうだ。本当は病気だってことを言えないでいる。それは、私が手紙の中だけでは唯一普通の人として暮らしたいからだって思ってた。病人だってバレて気を遣われるのも嫌だし。だいたい、相手がどこの誰だかわからないんだから、バレることはないでしょってたかを括って、少しの罪悪感を誤魔化してた。
でも、本当は咲ちゃんに病気だって知られて、「こんな子と文通するなんて、私ハズレじゃん」って思われたくなたっただけだったんだ。いつだって、心が弱い自分。そんな自分が嫌になる。何かをきっかけに、少しで良いから変わりたい、少しで良いから一歩を踏み出したい。そうすれば、移植に対しても、この治療に対してももう少し前向きに考えられる気がする。
そう思った時に咲ちゃんに全てを打ち明けることを思いついた。どうせ、今年度が終われば文通も終わって、関係が切れてしまう。それなら、最後の手紙になる前に、打ち明けて元気なふりをしたほのかのような私としてじゃなく、今のこの病気になっているまどからしいまどかとして残りは文通したい。
その夜、部屋に来てくれて、最近の学校の様子や部活のことを話すほのかに聞いてみた。
「そういや、まだ手紙のお返事来ないの?」
「そうだねぇ、なんか先生たちも忙しいらしくて、持っていけなかったり、取りにいけなかったりしてるぽいよ。」
「じゃぁ、まだまだ先かなぁ?」
「まどか、手紙結構楽しみにしてるもんね。」
「あれ?学校の子はそうじゃないの?」
「う〜ん、正直あんまり話題に登らないかなぁ。他のことで忙しいっていうのもあるだろうし、書くのが面倒っていうのが大半…。」
「そっかぁ…」
「でも、まどかが楽しみにしてる気持ちはわかるよ。やっぱり、外の世界と繋がってるって大切だよね。次はどんなこと書くのか考えてるの?」
「うん。一応考えてることはあるよ。でもね、まだ秘密。」
「秘密なの?そっかぁ。でも、書けたらまた見せてね。」
「うん。読んでいいよ。」
「あ、レターセットは買わなくて大丈夫?」
そう言われて、そこにまで気が回ってなかったことに気付く。以前買った空の便箋はまだ1つだけ使っていない絵柄があった。朝の太陽を浴びて黄色っぽく輝く空の便箋は、私が告白をして、二人の関係が新しくなるという意味ではとてもピッタリな気がする。けど、空の便箋ばかりもなんだか芸がない気がして、ほのかに相談した。
「なんか、毎回空ばかりで、つまんない気がする。」
「確かにね。咲ちゃんは花だけじゃなくて上手に、他のものが入った柄だったりもするもんね。季節感もあるし。」
「そうなの!季節感があるのが良いよね。」
「季節感かぁ…」
「次手紙の返事を書くのはいつぐらいかな?」
「もう11月も半ば過ぎてるよ?早くても12月入ってからでしょ。」
「じゃぁ、もうすっかり冬だね…雪かなぁ?」
「12月といえばクリスマスじゃない?」
「え?サンタ?サンタはなんか子供っぽくない?」
「サンタじゃダメ?」
「あ、じゃぁ、星空!」
「星空?」
「そう、昔やったじゃない。あの東に見える星はなんだ!?って。」
私が幼稚園の頃にやったページェントの一節を真似していうと、ほのかもすぐにわかったみていだった。あの頃は、私もまだ元気で、この楽しさが毎日続くと思っていた頃だった。
「ああ!ページェントの羊飼い!じゃぁ、空繋がりで星空にする?」
「12月と言えば冬!冬といえば雪もあるよ。」
「星空と雪?そんなのあるかなぁ。」
と、独りごちながらほのかがスマホで検索をしてくれると、そこには、紺色の夜空に浮かぶ星座と雪の結晶が描かれたレターセットが写し出された。
「流石に、星空と雪が合わさったのは1種類ぐらいしかないけど、星空だけとか、雪だけとかなら色々出てくるよ。見てみる?」
ほのかに渡された携帯で、私は少しの間ショッピングを楽しんだ。人と話している時、誰かのことを考えている時は気持ちが落ち込まずに済むし、明るくなれる。咲ちゃんと文通することは、何よりも私の支えだ。できれば私が真実を告白しても、咲ちゃんが今のままでいてくれますように。そう願いつつ、咲ちゃんならきっと大丈夫と、どこかで信じている私もいた。
けれど、調子良く過ごせていたのは12月初め頃までだった。私は風邪を発症してしまった。始まりの症状は喉の痛みと微熱だったが、手術前に体調を崩すということは手術を延期しなかればならないかもしれず、家族中に緊張が走った。熱が高いわけではなし、このまま治るかどうかの様子を見ても良いんだけど、と私は思っていけれど、手術前なんだからと母はさっさと病院に連絡した。病院での検査の結果コロナウイルスに罹っていることがわかった。コロナウイルスに罹ると、ウイルスが検出されなくなるまで、当然手術は延期になってしまう。
伊藤先生は、「術後に発症してしまうより、手術前に罹った方が断然マシですよ。むしろ、良かったと思いましょう。」と励ましてくれたが、それはもう家族の落ち込みようったらなかった。特にほのかは、中学でインフルエンザとコロナが流行していたのもあって、私に持ち込まないように、私に近づかないようにしていたにもかかわらず、私が発症したことで、ひどい落ち込みようだった。ほのかのせいじゃないと伝えたかったが、あれよあれよと病室に運び込まれ面会制限がかけられた。
「手術までに、しっかり治しましょうね。」
しっかりマスクをした看護師さんが、点滴のスピードを調整しながら話しかけてくれる。私はゆっくりうなづくと、そのまま目を閉じた。
必ず良くなると思っていたにもかかわらず、翌日には高熱が出るようになり、思うように体が動かせなくなった。咳が出るだけじゃなく、胸も苦しい。確実に重症化していることがわかったけど、先生に身を任せることしができない。
もう何日経ったのかもわからなくなったある日、ふと体が軽くなった気がした。ゆっくりと目を開けると、ちょうどほのかと両親が急いで入ってくるところだった。今までずっと寝てたせいか、目が霞んでよく見えない。
「まどか、まどか!」
みんなが何度も何度も私の名前を呼ぶ。それに応えたいのに、口にマスクを付けられているせいか、何日も声を発しなかったせいか、喉がカサカサで声が出なくなていた。
みんなの顔が涙に濡れているのがわかる。ほのかなんて号泣だ。
あれ、なんでそんなみんな泣いてるのって不思議に思った。私元気だよ。ううん、もうすぐ元気になるからね。
「まどか!手紙の返事、今日返ってきたんだよ!あとで読もうね!返事も書こうね!星座の便箋も持ってきたからね!」
ほのかがいっぱい話してくれる。声を出せない代わりに、うん、うんとうなづいてるけど、ほのかはわかってくれてるかな?
まどかが手を握って、母が手を背中に回して撫でてくれて、父が大きな温かい手を頭に置いて、よしよししてくれる。
なんだか小さな頃に戻ったみたいで恥ずかしかったけど、暖かくて、とっても気持ちい。気持ち良過ぎてなんだかまた眠くなってきちゃう。
「まどか、よく頑張ったね。」
父の穏やかな声を聞いて、私は安心して眠りについた。目が覚めたら、お返事を書こうと思いながら。
Fin.
しかし、私は、本当にこのまま手術を受けて良いのかどうか迷っていた。術後の痛みやしんどさというのは毎回あることで、それが嫌だというのもあったけれど、本当はこのまま私が生きながらえ、心臓をもらって、誰かの代わりのように生き続けて良いのかといういつもの迷いだった。
けれど、私の迷いとは裏腹に伊藤先生の計らいで手術日も比較的すぐに予約することができた。手術をする日は12月14日。それまでは、自宅に帰っていても良いし、感染症などが心配な場合は入院を続けていても良いということを聞いた私は、真っ先に自宅に帰ることを選んだ。病院にいるだけだと気が滅入る。自分らしく暮らせる場所に少しでも早く戻りたかった。
11月中旬には退院できたけれど、以前にも増してベッドの上からは動けなくなってしまった。やはり、息切れと眩暈がひどいのだ。
そんな私の状態を気にして、沼田さんが訪問回数を増やしてくれることになった。
今日はその沼田さんが来てくれる日。退院後は初めての訪問だ。今日は土砂降りの日。私の部屋から見える空は、暗く重い雲に一面覆われている。
私が沼田さんを心待ちにしていると、コンコンと控えめにドアがノックされ、沼田さんが顔を出した。
「ひさしぶりだね。今の体調はどう?」
「あんまり…」
「だるかったりとか、そうゆう感じかな?入院中に体力が落ちたのはあるかもね。入院していると、動かないからね。それに、腎機能が低下したせいで、タンパク質をあまり取れなくなったでしょう?それだと二重に筋力も低下しやすくなるし。」
ドアから素早く中に滑り込むと、私のベッドの隣に座って、退院時サマリーと呼ばれる入院時の情報が書かれた用紙を見ながら、病状を確認してくれる。
「今日は、簡単に足のストレッチをしておくことにするね。」
サマリーに目を通した後は、いつものようにテキパキと機械を用意して血圧を測り、足のリハビリに入っていく。曲げたり伸ばしたりされているうちに、私のふくらはぎが攣るようにピンと張るのがわかる。自分で見ても随分細くなってしまっている足だ。
沼田さんは、私の足を触りながら、話しかけてきてくれた。
「また手術することになったんだね。」
「そうなんです…」
「どうした?やっぱり不安?」
物事を深く捉え過ぎない感じの、あっけらかんとしたその言葉は、私を安心させてくれて、沼田さんになんでも相談してみようかという気にさせてくれる。今回もやっぱり一番に話せる相手は沼田さんだった。
「不安っていうか…あの、以前も言ったことなんですけど…こんな手術までして、他の人の心臓を奪って良いのかなって…」
「こんな手術?」
「だって、手術しなかったら、誰かの心臓を貰わなくて済む…」
「でも、そしたらまどかちゃんが死んじゃうよ?」
沼田さんは目を丸くしながら、そうはっきり言う。
「死にたいわけじゃないんでしょう?」
「そりゃ…私だって、生きたいし、普通に戻りたい…でも、心臓をもらうって、誰かの命をもらうってことですよ?私はそこまでして生きる価値なんてない気がする…」
私の弱さを受け止めてくれた沼田さんは、一度マッサージの手を止めると、カバンの中をゴソゴソとして、とあるパンフレットを取り出して私に渡してくれる。そして、またすぐにマッサージに戻ってくれた。
手渡されたパンフレットには、「臓器移植とは」というタイトルが付けられている。
「この前話してくれた時に、移植コーディネーターの人に話を聞いてみてって言ったけど、きっとうまく聞いたりできなかったよね。だから、そのパンフレットを読んでみてほしいな。」
「これを?」
「そう。でも、今のまどかちゃんはだいぶ体力が落ちてるみたいだし、読むのはしんどいかも。かいつまんで話をするね。」
そういうと、一旦区切りがついたのか、マッサージの手を止めてベッドサイドの椅子に腰掛けた。時計を見ると、ちょうど訪問終了予定時間だ。いつもは、さっさと帰ることが多いけど、今日は少し話をしてくれるようだ。そんなに私は不安そうだっただろうか、と一瞬心配になっったが、こうやって誰かに気持ちを話せることはありがたいので、沼田さんの厚意に甘えることにした。
「まず、臓器移植はね脳死判定が下された人がドナーになるの。それは知ってるわよね?」
「はい。」
「脳死っていうのは、つまり脳が死んでしまっているということだから、そのままどんなに器具に繋いで生命を維持したって、元の元気な状態には戻れないわ。そうね、寝ている状態を長引かせるだけといった方がわかりやすいかな。けれど、心臓は動いている。そして、心臓が動いているのにその心臓を取り出すというのは、命を奪っている気がするまどかちゃんの気持ちもよくわかる。実際、日本で移植が進まない理由の一つは、心臓が動いているのに、心臓やその他の臓器をとってしまったら、万に一つも生き返る可能性がなくなるじゃないかっていう、日本人特有の思考によるものが大きいと言われてるの。」
「そうなんですね…」
日本人特有と言われればそうなのかもしれないけれど、心臓を奪ってしまったら生き返る可能性がなくなるとうことに、固執しているのはまさに私だった。
「でも、日本人特有ってことは、海外では違うってこと…?」
「そうねぇ、海外の人に聞いたわけではないから正確なところはわからないわ。でも、きっと多くの人が、ドナーとして臓器を提供することで、大切な人の命が、次の人の命の一部として生きることに喜びを見出しているんじゃないかしら?だって、ほか、このパンフレットにもドナーのご家族の方の声が載ってるわ。是非、読んでほしい。そして、勇気を持って欲しいと思うわ。」
沼田さんはそういうと、黙って私の頭を時間の許す限りいつまでも撫で続けてくれた。
ねぇ、咲ちゃん、私がもしこの病気のこと、移植が必要なことを相談したら、どうしますか?いつものように元気な字で励ましてくれるかな?それとも、人を殺して生きることに嫌悪感を持たれるかな?
私の周りの人は、みんな優しくしてくれるし、治療法にも何にも反対することはない。ただ、私に生きてほしいという思いだけが強く伝わってくる。けれど、世間一般的な考えはどうなんだろう。他人の心臓をもらってまで、弱い私を生かすことに価値なんかないんじゃないと考えるんじゃないだろうか。ドナーの家族は?家族全員が納得して、前向きに提供してくれているのだろうか?臓器を受け取った人を恨む気持ちにはならないのだろうか?
結局はいつもと同じ堂々巡りの考え。けれどその時、私は気づいてしまった。私は単に逃げているだけだ。全てから。本当は生きたい。けれど、移植を受けることで、誰からも恨まれたくない。移植が終わって、ある程度通常の生活に戻れたとしても、頑張ったね、よかったねとみんなから言われたいだけ。人の命を奪ってまで生きたかったの?なんて、言われたくない。しかも、海外での渡航移植に関しては、「大金を積んで、現地の人の移植の順番をずらしてまで、自分の命が助かりたいのか。」という、過激な批判があることを、移植についてネット検索をした時に知ってしまった。お金を積んで移植をしてもらうことは、とても悪いことのように書かれていた。それからだ、移植してまで私が私自身の生を生きる覚悟がなくなったのは。
結局、咲ちゃんとの手紙だってそうだ。本当は病気だってことを言えないでいる。それは、私が手紙の中だけでは唯一普通の人として暮らしたいからだって思ってた。病人だってバレて気を遣われるのも嫌だし。だいたい、相手がどこの誰だかわからないんだから、バレることはないでしょってたかを括って、少しの罪悪感を誤魔化してた。
でも、本当は咲ちゃんに病気だって知られて、「こんな子と文通するなんて、私ハズレじゃん」って思われたくなたっただけだったんだ。いつだって、心が弱い自分。そんな自分が嫌になる。何かをきっかけに、少しで良いから変わりたい、少しで良いから一歩を踏み出したい。そうすれば、移植に対しても、この治療に対してももう少し前向きに考えられる気がする。
そう思った時に咲ちゃんに全てを打ち明けることを思いついた。どうせ、今年度が終われば文通も終わって、関係が切れてしまう。それなら、最後の手紙になる前に、打ち明けて元気なふりをしたほのかのような私としてじゃなく、今のこの病気になっているまどからしいまどかとして残りは文通したい。
その夜、部屋に来てくれて、最近の学校の様子や部活のことを話すほのかに聞いてみた。
「そういや、まだ手紙のお返事来ないの?」
「そうだねぇ、なんか先生たちも忙しいらしくて、持っていけなかったり、取りにいけなかったりしてるぽいよ。」
「じゃぁ、まだまだ先かなぁ?」
「まどか、手紙結構楽しみにしてるもんね。」
「あれ?学校の子はそうじゃないの?」
「う〜ん、正直あんまり話題に登らないかなぁ。他のことで忙しいっていうのもあるだろうし、書くのが面倒っていうのが大半…。」
「そっかぁ…」
「でも、まどかが楽しみにしてる気持ちはわかるよ。やっぱり、外の世界と繋がってるって大切だよね。次はどんなこと書くのか考えてるの?」
「うん。一応考えてることはあるよ。でもね、まだ秘密。」
「秘密なの?そっかぁ。でも、書けたらまた見せてね。」
「うん。読んでいいよ。」
「あ、レターセットは買わなくて大丈夫?」
そう言われて、そこにまで気が回ってなかったことに気付く。以前買った空の便箋はまだ1つだけ使っていない絵柄があった。朝の太陽を浴びて黄色っぽく輝く空の便箋は、私が告白をして、二人の関係が新しくなるという意味ではとてもピッタリな気がする。けど、空の便箋ばかりもなんだか芸がない気がして、ほのかに相談した。
「なんか、毎回空ばかりで、つまんない気がする。」
「確かにね。咲ちゃんは花だけじゃなくて上手に、他のものが入った柄だったりもするもんね。季節感もあるし。」
「そうなの!季節感があるのが良いよね。」
「季節感かぁ…」
「次手紙の返事を書くのはいつぐらいかな?」
「もう11月も半ば過ぎてるよ?早くても12月入ってからでしょ。」
「じゃぁ、もうすっかり冬だね…雪かなぁ?」
「12月といえばクリスマスじゃない?」
「え?サンタ?サンタはなんか子供っぽくない?」
「サンタじゃダメ?」
「あ、じゃぁ、星空!」
「星空?」
「そう、昔やったじゃない。あの東に見える星はなんだ!?って。」
私が幼稚園の頃にやったページェントの一節を真似していうと、ほのかもすぐにわかったみていだった。あの頃は、私もまだ元気で、この楽しさが毎日続くと思っていた頃だった。
「ああ!ページェントの羊飼い!じゃぁ、空繋がりで星空にする?」
「12月と言えば冬!冬といえば雪もあるよ。」
「星空と雪?そんなのあるかなぁ。」
と、独りごちながらほのかがスマホで検索をしてくれると、そこには、紺色の夜空に浮かぶ星座と雪の結晶が描かれたレターセットが写し出された。
「流石に、星空と雪が合わさったのは1種類ぐらいしかないけど、星空だけとか、雪だけとかなら色々出てくるよ。見てみる?」
ほのかに渡された携帯で、私は少しの間ショッピングを楽しんだ。人と話している時、誰かのことを考えている時は気持ちが落ち込まずに済むし、明るくなれる。咲ちゃんと文通することは、何よりも私の支えだ。できれば私が真実を告白しても、咲ちゃんが今のままでいてくれますように。そう願いつつ、咲ちゃんならきっと大丈夫と、どこかで信じている私もいた。
けれど、調子良く過ごせていたのは12月初め頃までだった。私は風邪を発症してしまった。始まりの症状は喉の痛みと微熱だったが、手術前に体調を崩すということは手術を延期しなかればならないかもしれず、家族中に緊張が走った。熱が高いわけではなし、このまま治るかどうかの様子を見ても良いんだけど、と私は思っていけれど、手術前なんだからと母はさっさと病院に連絡した。病院での検査の結果コロナウイルスに罹っていることがわかった。コロナウイルスに罹ると、ウイルスが検出されなくなるまで、当然手術は延期になってしまう。
伊藤先生は、「術後に発症してしまうより、手術前に罹った方が断然マシですよ。むしろ、良かったと思いましょう。」と励ましてくれたが、それはもう家族の落ち込みようったらなかった。特にほのかは、中学でインフルエンザとコロナが流行していたのもあって、私に持ち込まないように、私に近づかないようにしていたにもかかわらず、私が発症したことで、ひどい落ち込みようだった。ほのかのせいじゃないと伝えたかったが、あれよあれよと病室に運び込まれ面会制限がかけられた。
「手術までに、しっかり治しましょうね。」
しっかりマスクをした看護師さんが、点滴のスピードを調整しながら話しかけてくれる。私はゆっくりうなづくと、そのまま目を閉じた。
必ず良くなると思っていたにもかかわらず、翌日には高熱が出るようになり、思うように体が動かせなくなった。咳が出るだけじゃなく、胸も苦しい。確実に重症化していることがわかったけど、先生に身を任せることしができない。
もう何日経ったのかもわからなくなったある日、ふと体が軽くなった気がした。ゆっくりと目を開けると、ちょうどほのかと両親が急いで入ってくるところだった。今までずっと寝てたせいか、目が霞んでよく見えない。
「まどか、まどか!」
みんなが何度も何度も私の名前を呼ぶ。それに応えたいのに、口にマスクを付けられているせいか、何日も声を発しなかったせいか、喉がカサカサで声が出なくなていた。
みんなの顔が涙に濡れているのがわかる。ほのかなんて号泣だ。
あれ、なんでそんなみんな泣いてるのって不思議に思った。私元気だよ。ううん、もうすぐ元気になるからね。
「まどか!手紙の返事、今日返ってきたんだよ!あとで読もうね!返事も書こうね!星座の便箋も持ってきたからね!」
ほのかがいっぱい話してくれる。声を出せない代わりに、うん、うんとうなづいてるけど、ほのかはわかってくれてるかな?
まどかが手を握って、母が手を背中に回して撫でてくれて、父が大きな温かい手を頭に置いて、よしよししてくれる。
なんだか小さな頃に戻ったみたいで恥ずかしかったけど、暖かくて、とっても気持ちい。気持ち良過ぎてなんだかまた眠くなってきちゃう。
「まどか、よく頑張ったね。」
父の穏やかな声を聞いて、私は安心して眠りについた。目が覚めたら、お返事を書こうと思いながら。
Fin.
