聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない...
姿の見えない声の主に僕のこの思いは伝わっているかは分からない。
懺悔、後悔、未練。
様々な思いは空気を伝い、外耳、内耳、中耳、やがて脳へとやってくる。
聞かないように意識したところで、余計に耳に入ってきてしまう。
誰かが発する陰口や罵声のように、聞きたくないことほど耳に届いてくるものだ。
今も容赦なく降り注いでくる声は頭の内側を圧迫し、今にでも張り裂けそうだった。
「…くん...月原くん?」
左肩に感じた軽い感触。
途端、視界は学校の体育館を写し、目を閉じていたことに気付く。
「顔色悪いけど、大丈夫?」
隣に座る同じクラスの女子が心配そうにこちらを覗き込む。
「あ、うん。平気」
そうだった。今は終業式の途中だったか。
僕の返事がかえってきたことに安堵したのか、彼女は微笑み前方に目線を戻す。
さっきまで感じていた頭の痛みがすっと引いていく。
彼女のおかげで事なきを得た。
全校生徒が集められた体育館は、人口密度が高く空気は人の熱で充満している。
冷房設備などあるはずもなく、天井付近に設置された扇風機が、申し訳程度に回っているだけだ。
湿気を含んだ空気は体力をどんどん消耗させ、思考を鈍らせていく。
「...というわけで、明日から夏休みが始まりますが...」
壇上で夏休みの過ごし方について話し始めた生徒指導の先生の話に耳を傾ける。決して真面目だからという訳ではない。
少しでも気を抜けば、また声に引き戻されてしまいそうなのだ。
ホームルームが終わった教室内には半分程の生徒が残っていて、開放感は普段より周りの賑わいを増す。
特にここに留まる理由もない僕はというと、帰るため準備を進めていた。
「蓮、ちょっと。」
僕が学校内で話しかけられることはほとんどない。よっぽど急ぎの内容なのか。
突然のことに戸惑いながらカバンから目線を上げる。
目の前には、幼馴染である高秋がこちらを見つめていた。
「秋、どうかした?」
彼から話しかけてくるなんて珍しい。
そんなことを思っていると彼はゆっくり口を開いた。
「…夏祭りの話、春陽兄から聞いた?」
出来れば避けたかった話題を振られ思わず眉をひそめる。
正直言って乗り気では無い。
表情から思考を感じ取ったのか、心配したような顔で彼は沈黙を破る。
「俺はいいけど…。春陽兄に断るの面倒だと思う。」
あの人の顔と最悪な事態がいくつか頭にちらつき、最善な答えを導き出す。
「...分かったよ。行く」
その言葉に、秋の口元が少しやわらぐ。
「偉い。じゃあ5日後に」
そう言い残し、僕の元から去っていく後ろ姿を見送った。
長身で無口な秋はどこか怖い印象を持たれやすい。
けれどいざという時は誰よりも頼りになることを知っている。当日も秋が何とかしてくれると良いんだけど。
そんな他力本願な考えを抱きながら教室を後にした。
昇降口で靴に履き替え1歩外に出れば辺りが山や畑に囲まれた風景が広がる、真夏日の今日は蝉の大合唱が響き渡っていた。どれだけ歩いてもほとんど変わらぬ景色を尻目にいつもの道をひたすら歩いていく。
蝉の鳴き声の中、自然とそれは聞こえてくる。
いろいろな感情が飛び交っていて、今日はやけに賑やかだった。
きっかけなんて分からず、ある日突然手に入れた。
ただ声が聞こえるだけ。手を差し伸べることも寄り添うことも出来ない自分の無力さを何度も思い知らされる。こんな力なんて1ミリも望んでいない。
望んでなんか、いないのに…
そんなどうしようもできないことを熟考してしまうのは今も僕の耳に入り続ける声のせいか、それとも容赦なく襲いかかる暑さのせいか。
視界からじわじわと彩度が失われ、見ている全てが灰色に変えられていく感覚に襲われる。青い空や自然の緑、確かにそこにあったものたちが目の前から奪われていく。それはあの日を境に多くを奪われた僕そのものを表しているようだ。
自然と脚が止まった時だった。
風が後ろから吹き抜け頬をかすめた。僕を現実世界に引き戻す。
タッ、タッ、タッ
横を通り過ぎ追いていく足音に気付き、視線を上げると長い髪を揺らしながら走る女の子が目に入る。その姿が何故かとても鮮やかで思わず目で追う。
必死に走る彼女だったがある場所で立ち止まった。
あっ。そこは呪われた地とされ立ち入ることを禁じられた神社へと続いてる。
周りは草木が生い茂り、長い石段を登った先にある鳥居は年季が経ち元の綺麗な朱色とは程遠い。
どこか不気味な雰囲気をまとっている。
“ここに脚を踏み入れたら不幸が訪れる”というのはこの町に住んでいる人なら誰でも知っている噂で、人が入っていく姿を見たことは1度もない。
あの場所の近くは常にいろいろな声が耳に入ってくるため、噂はあながち間違ってはいないのではと思う。
立ち尽くしていた彼女は今にも石段に脚を伸ばそうとしていた。同い年くらいなのに制服を着ていない。この辺に住んでいる人ではないのか。
聞こえる者としてあそこに入るのはおすすめできない。
彼女の所へ急いで駆け寄り、思わず手首を掴んだ。
突然の出来事に驚いたようで、ビクッと肩をすくめ、張り詰めた表情で僕を見つめる。
2人の間に沈黙が続き、その間も冷淡な視線を送られる。何か怒らせてしまったか。
急に見ず知らずの人に腕を掴まれたら誰だって不快だし言葉を失うはずだ。誤解を解くために話し始める。
「えっと、この先は神社になってて。立ち入り禁止になってますよ」
言い終えたところで、彼女が何かを言いかけた。
「でも、あの子が…いや…」
何か言いたげな様子な彼女は、言葉を濁し目を伏せる。
「ご、ごめんなさい。けど行かない…と...」
だんだん小さくなっていく声量。
何か隠し事をしているかのように視線が泳ぐ彼女。
この腕は離さない方がいい。
そう肌で感じた。
もし離してしまえば、彼女は一人危険なことに立ち向かっていってしまうような。そんな嫌な予感。
はやくこの場から立ち去るべきだと彼女を連れて動き出そうとした瞬間。
焦りの表情から一変。
彼女は焦燥感に駆られた様子でいきなり腕を振り払い、逃げるように駆け出していった。
一瞬何が起きたのか理解出来ず立ち尽くす。
―マタネ
小さい女の子の声が話しかけてきたが、それどころではなかった。
走り去っていく後ろ姿をただ見送ることしかできなかった。
―でも、あの子が...
彼女の意味深なその言葉が引っかかる。
「おかえりなさいませ、蓮様。今日はお父様が出かけておりますので、夕食はおひとりでとのことでした」
「ただいま、すみさん。わかったよ」
暖かく出迎えてくれたすみさんと軽い挨拶を交わし、自室へ向かうため長い廊下を歩いていく。
父と2人で暮らすには大きすぎる屋敷に、すみさんをはじめお手伝いをしている方、この住み慣れた空間は安心を覚える。
部屋に入り着替えをすませる。
時間を確認すると夕食にはまだ時間があった。
ベッドに横たわり体の力を抜く。
今日は色々なことがあった。
度重なる出来事に体は疲労していたようで、目を閉じればすぐに眠りについてしまう。
すみさんに声をかけられ目覚めた時には、もう夕飯の時間だった。
その日の夜、長時間の仮眠で目が冴えてしまった僕は、無意識に彼女のことを思い出していた。
何か怒りを買うような失礼な態度をとってしまったか。
それにしても...
心の奥底で何か変化が訪れた、そんな気がした。
夏休みが始まり5日後。
夏祭り当日、僕は集合場所になっている学校に向かっていた。
時刻は5時半をすぎた頃、外はまだ明るいが気温が下がり過ごしやすかった。7時から始まる夏祭りには充分間に合う時間だけれど早めに家を出たのにはある目的があった。
あの日から、頭の片隅にずっと残っている。
揺れる長い髪と、逃げるように去っていった後ろ姿。
僕の行動が何か気に障ったなら謝るべきだと思ったし、あの日何をしようとしていたのか単純に興味があった。
そんなことを考えながら歩いていると少しずつ例の石段が見えてきた。
入ってもいいのか、そもそも彼女がいるのかも分からない。
緊張と不安で全身に力が入る。
...登るか。
はぁ...はぁ...
石段の先、鳥居の麓まで登りきった頃には息が上がりへとへとだった。
随分高いんだな。
息を整え後ろを振り返れば、生い茂る草木たちは風で爽やかな音を立て、青い空はどこまでも続いていた。
いつまでも見ていられるな。
美しいこの町の風景にすっかり心惹かれてしまった。
本来の目的を果たすため境内に入る。
建物は腐り、埃や蜘蛛の巣で覆われているといった噂で聞くイメージとは程遠く、誰が手入れでもしているかと思わせるほどだった。
もし誰かいたらと考え足音を立てぬよう慎重に本殿の方へ歩みを進める。
その時だった
「何しているの」
突然後ろから聞こえてくる声に心臓が跳ねる。
心臓は耳のすぐ傍で脈打っているかのように大きく響き渡り、謝罪の言葉や言い訳など、頭をフル回転させ思索したが考えはまとまらず、後ろを振り返る。
一瞬自分の目を疑った。
鳥居の付近に佇み、揺れる髪。見間違うはずない。
僕はその場で立ち尽くし、声を失う。
...会えてしまった。
「だから、何しているの」
質問に対して無言でいることに苛立ちを覚えたのか、彼女は圧を纏ってこちらに迫ってくる。
「...あ、あの。ごめ...」
圧に追い詰められるように1歩、また1歩と後ろへ下がる。
「あ、足踏んでる。そこどいてあげて」
「へ?」
足元をじっと見つめられ、突然のことに事情を飲み込めないまま横にずれる。立っていたところには何もない。
どういうことかと彼女の顔を見つめた。
「そっか。見えないんだ…」
ボソッとつぶやいた彼女は、なぜか頭を悩ませているようでしばらく黙り込んでしまった。
恐怖から一時的に逃れられた僕は落ち着きを取り戻す。
気づけば数分が経っていた。
―オネエチャンノ、トモダチ?
近くで小さな女の子の声が聞こえる。
そういうことか。さっきからの意味深げな発言から察するに彼女も同じような力を...
僕の中で予想が確信に変わった。
そして幼少期に父から言われたあることを思い出す。
古くから伝わってきたという、この能力について。
―先祖たちは五感に関する能力を代々受け継ぎ、死者と関わってきた。
姿の見えない声の主に僕のこの思いは伝わっているかは分からない。
懺悔、後悔、未練。
様々な思いは空気を伝い、外耳、内耳、中耳、やがて脳へとやってくる。
聞かないように意識したところで、余計に耳に入ってきてしまう。
誰かが発する陰口や罵声のように、聞きたくないことほど耳に届いてくるものだ。
今も容赦なく降り注いでくる声は頭の内側を圧迫し、今にでも張り裂けそうだった。
「…くん...月原くん?」
左肩に感じた軽い感触。
途端、視界は学校の体育館を写し、目を閉じていたことに気付く。
「顔色悪いけど、大丈夫?」
隣に座る同じクラスの女子が心配そうにこちらを覗き込む。
「あ、うん。平気」
そうだった。今は終業式の途中だったか。
僕の返事がかえってきたことに安堵したのか、彼女は微笑み前方に目線を戻す。
さっきまで感じていた頭の痛みがすっと引いていく。
彼女のおかげで事なきを得た。
全校生徒が集められた体育館は、人口密度が高く空気は人の熱で充満している。
冷房設備などあるはずもなく、天井付近に設置された扇風機が、申し訳程度に回っているだけだ。
湿気を含んだ空気は体力をどんどん消耗させ、思考を鈍らせていく。
「...というわけで、明日から夏休みが始まりますが...」
壇上で夏休みの過ごし方について話し始めた生徒指導の先生の話に耳を傾ける。決して真面目だからという訳ではない。
少しでも気を抜けば、また声に引き戻されてしまいそうなのだ。
ホームルームが終わった教室内には半分程の生徒が残っていて、開放感は普段より周りの賑わいを増す。
特にここに留まる理由もない僕はというと、帰るため準備を進めていた。
「蓮、ちょっと。」
僕が学校内で話しかけられることはほとんどない。よっぽど急ぎの内容なのか。
突然のことに戸惑いながらカバンから目線を上げる。
目の前には、幼馴染である高秋がこちらを見つめていた。
「秋、どうかした?」
彼から話しかけてくるなんて珍しい。
そんなことを思っていると彼はゆっくり口を開いた。
「…夏祭りの話、春陽兄から聞いた?」
出来れば避けたかった話題を振られ思わず眉をひそめる。
正直言って乗り気では無い。
表情から思考を感じ取ったのか、心配したような顔で彼は沈黙を破る。
「俺はいいけど…。春陽兄に断るの面倒だと思う。」
あの人の顔と最悪な事態がいくつか頭にちらつき、最善な答えを導き出す。
「...分かったよ。行く」
その言葉に、秋の口元が少しやわらぐ。
「偉い。じゃあ5日後に」
そう言い残し、僕の元から去っていく後ろ姿を見送った。
長身で無口な秋はどこか怖い印象を持たれやすい。
けれどいざという時は誰よりも頼りになることを知っている。当日も秋が何とかしてくれると良いんだけど。
そんな他力本願な考えを抱きながら教室を後にした。
昇降口で靴に履き替え1歩外に出れば辺りが山や畑に囲まれた風景が広がる、真夏日の今日は蝉の大合唱が響き渡っていた。どれだけ歩いてもほとんど変わらぬ景色を尻目にいつもの道をひたすら歩いていく。
蝉の鳴き声の中、自然とそれは聞こえてくる。
いろいろな感情が飛び交っていて、今日はやけに賑やかだった。
きっかけなんて分からず、ある日突然手に入れた。
ただ声が聞こえるだけ。手を差し伸べることも寄り添うことも出来ない自分の無力さを何度も思い知らされる。こんな力なんて1ミリも望んでいない。
望んでなんか、いないのに…
そんなどうしようもできないことを熟考してしまうのは今も僕の耳に入り続ける声のせいか、それとも容赦なく襲いかかる暑さのせいか。
視界からじわじわと彩度が失われ、見ている全てが灰色に変えられていく感覚に襲われる。青い空や自然の緑、確かにそこにあったものたちが目の前から奪われていく。それはあの日を境に多くを奪われた僕そのものを表しているようだ。
自然と脚が止まった時だった。
風が後ろから吹き抜け頬をかすめた。僕を現実世界に引き戻す。
タッ、タッ、タッ
横を通り過ぎ追いていく足音に気付き、視線を上げると長い髪を揺らしながら走る女の子が目に入る。その姿が何故かとても鮮やかで思わず目で追う。
必死に走る彼女だったがある場所で立ち止まった。
あっ。そこは呪われた地とされ立ち入ることを禁じられた神社へと続いてる。
周りは草木が生い茂り、長い石段を登った先にある鳥居は年季が経ち元の綺麗な朱色とは程遠い。
どこか不気味な雰囲気をまとっている。
“ここに脚を踏み入れたら不幸が訪れる”というのはこの町に住んでいる人なら誰でも知っている噂で、人が入っていく姿を見たことは1度もない。
あの場所の近くは常にいろいろな声が耳に入ってくるため、噂はあながち間違ってはいないのではと思う。
立ち尽くしていた彼女は今にも石段に脚を伸ばそうとしていた。同い年くらいなのに制服を着ていない。この辺に住んでいる人ではないのか。
聞こえる者としてあそこに入るのはおすすめできない。
彼女の所へ急いで駆け寄り、思わず手首を掴んだ。
突然の出来事に驚いたようで、ビクッと肩をすくめ、張り詰めた表情で僕を見つめる。
2人の間に沈黙が続き、その間も冷淡な視線を送られる。何か怒らせてしまったか。
急に見ず知らずの人に腕を掴まれたら誰だって不快だし言葉を失うはずだ。誤解を解くために話し始める。
「えっと、この先は神社になってて。立ち入り禁止になってますよ」
言い終えたところで、彼女が何かを言いかけた。
「でも、あの子が…いや…」
何か言いたげな様子な彼女は、言葉を濁し目を伏せる。
「ご、ごめんなさい。けど行かない…と...」
だんだん小さくなっていく声量。
何か隠し事をしているかのように視線が泳ぐ彼女。
この腕は離さない方がいい。
そう肌で感じた。
もし離してしまえば、彼女は一人危険なことに立ち向かっていってしまうような。そんな嫌な予感。
はやくこの場から立ち去るべきだと彼女を連れて動き出そうとした瞬間。
焦りの表情から一変。
彼女は焦燥感に駆られた様子でいきなり腕を振り払い、逃げるように駆け出していった。
一瞬何が起きたのか理解出来ず立ち尽くす。
―マタネ
小さい女の子の声が話しかけてきたが、それどころではなかった。
走り去っていく後ろ姿をただ見送ることしかできなかった。
―でも、あの子が...
彼女の意味深なその言葉が引っかかる。
「おかえりなさいませ、蓮様。今日はお父様が出かけておりますので、夕食はおひとりでとのことでした」
「ただいま、すみさん。わかったよ」
暖かく出迎えてくれたすみさんと軽い挨拶を交わし、自室へ向かうため長い廊下を歩いていく。
父と2人で暮らすには大きすぎる屋敷に、すみさんをはじめお手伝いをしている方、この住み慣れた空間は安心を覚える。
部屋に入り着替えをすませる。
時間を確認すると夕食にはまだ時間があった。
ベッドに横たわり体の力を抜く。
今日は色々なことがあった。
度重なる出来事に体は疲労していたようで、目を閉じればすぐに眠りについてしまう。
すみさんに声をかけられ目覚めた時には、もう夕飯の時間だった。
その日の夜、長時間の仮眠で目が冴えてしまった僕は、無意識に彼女のことを思い出していた。
何か怒りを買うような失礼な態度をとってしまったか。
それにしても...
心の奥底で何か変化が訪れた、そんな気がした。
夏休みが始まり5日後。
夏祭り当日、僕は集合場所になっている学校に向かっていた。
時刻は5時半をすぎた頃、外はまだ明るいが気温が下がり過ごしやすかった。7時から始まる夏祭りには充分間に合う時間だけれど早めに家を出たのにはある目的があった。
あの日から、頭の片隅にずっと残っている。
揺れる長い髪と、逃げるように去っていった後ろ姿。
僕の行動が何か気に障ったなら謝るべきだと思ったし、あの日何をしようとしていたのか単純に興味があった。
そんなことを考えながら歩いていると少しずつ例の石段が見えてきた。
入ってもいいのか、そもそも彼女がいるのかも分からない。
緊張と不安で全身に力が入る。
...登るか。
はぁ...はぁ...
石段の先、鳥居の麓まで登りきった頃には息が上がりへとへとだった。
随分高いんだな。
息を整え後ろを振り返れば、生い茂る草木たちは風で爽やかな音を立て、青い空はどこまでも続いていた。
いつまでも見ていられるな。
美しいこの町の風景にすっかり心惹かれてしまった。
本来の目的を果たすため境内に入る。
建物は腐り、埃や蜘蛛の巣で覆われているといった噂で聞くイメージとは程遠く、誰が手入れでもしているかと思わせるほどだった。
もし誰かいたらと考え足音を立てぬよう慎重に本殿の方へ歩みを進める。
その時だった
「何しているの」
突然後ろから聞こえてくる声に心臓が跳ねる。
心臓は耳のすぐ傍で脈打っているかのように大きく響き渡り、謝罪の言葉や言い訳など、頭をフル回転させ思索したが考えはまとまらず、後ろを振り返る。
一瞬自分の目を疑った。
鳥居の付近に佇み、揺れる髪。見間違うはずない。
僕はその場で立ち尽くし、声を失う。
...会えてしまった。
「だから、何しているの」
質問に対して無言でいることに苛立ちを覚えたのか、彼女は圧を纏ってこちらに迫ってくる。
「...あ、あの。ごめ...」
圧に追い詰められるように1歩、また1歩と後ろへ下がる。
「あ、足踏んでる。そこどいてあげて」
「へ?」
足元をじっと見つめられ、突然のことに事情を飲み込めないまま横にずれる。立っていたところには何もない。
どういうことかと彼女の顔を見つめた。
「そっか。見えないんだ…」
ボソッとつぶやいた彼女は、なぜか頭を悩ませているようでしばらく黙り込んでしまった。
恐怖から一時的に逃れられた僕は落ち着きを取り戻す。
気づけば数分が経っていた。
―オネエチャンノ、トモダチ?
近くで小さな女の子の声が聞こえる。
そういうことか。さっきからの意味深げな発言から察するに彼女も同じような力を...
僕の中で予想が確信に変わった。
そして幼少期に父から言われたあることを思い出す。
古くから伝わってきたという、この能力について。
―先祖たちは五感に関する能力を代々受け継ぎ、死者と関わってきた。
