余命半年のウソ

 私たちの関係はあの嘘から始まった。
 あなたのお説教から逃げたい一心でついた嘘。
 あなたを深く好きになり、苦しむことになった嘘。
 けれど、その嘘が本当の私として生きる勇気をくれた。
 全てはあの九月から始まった――。

 *

 よく冷えた予備校の面談室に響く空調の音を聞きながら、私の向かい側で赤ペンをくるくると器用に回す長い指に視線を向けていると、赤ペンがトントンと机の上の用紙を叩いた。
鈴木(すずき)、もう少し頑張ったらどうだ?」
 絶望的な点数が書かれた八月の模試の結果に視線を落としながら秋川春人(あきかわはると)が言った。
 予備校講師で私の担任である。私も含め生徒たちはアキハルと呼んでいる。
「すみませんでした。次は頑張ります」
 私を見るアキハルの眉間に縦ジワが刻まれる。
「気のせいかな? その言葉、先月も聞いた気がするが?」
 夏期講習をさぼった時も同じことを言ったかもしれない。細かいことをいちいち覚えているのは、国立難関大卒だからなのか。アキハルは無駄に記憶力がいい。
「そうでしたっけ?」
 えへっと笑って誤魔化すと、一重の切れ長の目がギロリとこちらを向き、赤ペンがもう一度机を叩いた。
「もう九月だ。鈴木、いいか。高三の九月は一度しかないんだぞ。来年の春に後悔しない為にもだな」
 いつものお説教が始まる。まともに聞くと、三十分は掴まる。ああ、本当うざい。そんなに長いお説教を聞いている暇はない。
「あの先生、それくらいで」
「いや、今日は最後まで言わせてもらう」
「でも、授業があるでしょ?」
「次の授業は一時間後だ。まだ時間はあるぞ」
 冗談じゃない。五分以内に予備校を出なければ、軽音部のリハーサルに間に合わない。今週末は大事な引退ライブがあるのだ。何とかここから脱出しなければ。そう思った時、昨日読んだ小説が浮かぶ。私と同じ年の子が余命半年と宣告される話だった。この設定を使えないだろうか?

「私、余命半年なんです。だから勉強する意味ないと思うんです」

 口にした途端、喉が震えた。余命半年だなんて、何言っているんだろう。これでは藪蛇。ふざけているのかってアキハルに叱られる。恐る恐る前を向くと、無表情だったアキハルの眉が軽くあがり、視線が左右に揺れたように見えた。そんな表情を見たのは初めてだった。まさか、信じたのだろうか? そう思った時、アキハルが静かに赤ペンを置いた。

「奇遇だな。実は俺も余命半年だ」

 予想外の返しに両目が泳ぐ。いや、まさか、アキハルが余命半年だなんてありえない。授業だっていつも一時間、教壇の前に立って通る声で解説しているし、全然病人らしくない。これは余命半年と言った私への仕返しか?
「何だ?」
 じっとアキハルを見ていると聞かれた。
「嘘ですよね?」
 思い切って、そう聞くとアキハルがなぜか悲しそうに眉を寄せる。
「嘘だなんて酷いな。これでもステージⅣの末期がん患者なんだぞ。しかも珍しい種類のガンで効く抗がん剤がないと言われている」
 さらにアキハルが深刻そうな表情を浮かべるから、背中に冷や汗をかく。
「……冗談ですよね?」
 アキハルが首を左右に振った。
「冗談でこんなこと言えるか」
「えっ……本当に?」
「そうだと言っているだろう。だから俺にとっても最後の受験になるんだ。なあ、鈴木。俺たちは余命半年だが、最後まで頑張ってみないか? 大学に通えなくても合格の結果を受け取ることに意味はあると思うぞ」
 俺たちは余命半年って、アキハル、私の話を信じているの? どうしよう。今さら違うとは言いづらい。ていうか、本当にアキハル末期ガンなの?
「先生、私をからかってませんよね?」
「からかっていない。本当のことだ」
 アキハルが真っすぐな視線を向けながら言った。本当なんだと思った。そんなアキハルに余命半年だと嘘をついたことが後ろ目たくなる。私はなんてことを言ったんだろう。
「そんなに深刻な顔をするな。今すぐどうこうなる訳じゃないんだから」
「先生、あの、私、何て言ったらいいのか……」
「お互いに後悔のないように最後まで生きよう。だから勉強頑張るんだぞ」
「はい」
 そう言うしかなかった。それからアキハルは気合いを入れるようにワイシャツの袖を捲り上げると、赤ペンを持ち、模試の結果について解説し始める。ライブのリハーサルに遅れることになるけど、アキハルの話を遮れなかった。
 私は十二歳年上の姉を白血病で亡くしている。だから、アキハルが末期ガンで余命半年だと聞き、他人ごとには思えなかった。
 命を削りながらアキハルが私の為に勉強の指導をしてくれていると思ったらいい加減には聞けなくなった。
 背筋を伸ばし、メモを取りながら最後まで話を聞き、その日の面談は終わった。 


 文化祭の引退ライブ後、私は猛勉強を始めた。アキハルの為に頑張りたかった。私が頑張ればアキハルも喜んでくれて、少しはアキハルの余命も延びるかもしれない。ポジティブな感情は病気を治すと本にも書いてあったし。
 アキハルは口うるさいが、知り合いが亡くなるのは嫌だ。せめて私が予備校を卒業する時までは元気でいて欲しい。姉が亡くなった時のような悲しい思いはもうしたくないのだ。だから私は問題集をひたすら解いた。今日も予備校の後は由美(ゆみ)ちゃんと一緒に駅前のファミレスに寄り、糖分を補給しながら苦手な古文の問題集に手をつけていた。
理桜(りお)、急にどうしたの? 勉強熱心じゃん」
 パフェを食べながら由美ちゃんが二重の大きな目を向けてくる。
「軽音も引退したし、そろそろ受験勉強に本腰を入れようかと」
 口止めされているので、アキハルが余命半年だということは仲良しの由美ちゃんに言えなくて、ちょっと心苦しい。
「そっか。共通テストまであと四ヶ月だもんね。はあー、灰色の高三だ」
 チョコパを食べながら由美ちゃんが肩を落とした。受験という言葉に私も鳩尾の辺りがキュッと締め付けられる。来年の春どこかに所属していなければならないことが気を重たくする。
「ねえ、理桜、あれ」
 由美ちゃんが眉を上げたまま入口に視線を向ける。私も由美ちゃんの視線を追うように後ろを向いた。すると、ファミレスの出入口に立つスーツ姿のアキハルと紺のブレザーとスカートの制服を着た高山(たかやま)さんがいた。高山さんは話したことはないけど、予備校の講師室の前でよくアキハルと立ち話をしている姿を見かけるので知っていた。
「アキハルと高山さん?」
 由美ちゃんが頷いた。
「あっ、こっちに来る」
「え!」
 振り向こうとしたら、「見つかる」と由美ちゃんに言われ、回そうとした顔を慌てて前に戻した。すぐ後ろの席に誰かが座る気配がした。
「ご注文はそちらのタッチパネルでお願いいたします」
 後ろの席で店員がそう言ったのが聞こえた。思った以上に筒抜けだ。由美ちゃんと話したら一発でバレそうだ。こんな所でアキハルに会うのは何となく気まずいので、スマホを掴み、由美ちゃんにメッセージを送った。
【アキハルたちが帰るまではスマホで話そう】
 すぐに由美ちゃんから【OK】スタンプが返って来て、私は頷いた。
「先生、忙しい中、時間を取ってくれてありがとう」
 後ろから高山さんの声がした。
「予備校では出来ない相談って何だ?」
「あの、先生。好きです。受験が終わったら彼女にして下さい」
 口に入れたプリンを噴き出しそうになった。
 高山さん、彼女にして下さいってアキハルに言ったの? 嘘でしょ?
 今聞いたことが信じられなくて、由美ちゃんを見ると、笑いたそうな顔をしていた。スマホを見ると【高山さん、アキハルに告った。ヤバい。私、驚き過ぎて笑いそう】と由美ちゃんからメッセージが来ていた。
 今聞いたことはどうやら幻聴ではなかったよう。
 まさかこんな面白い場面に遭遇するとは思わなかった。不愛想なアキハルでも容姿端麗な高山さんに告白されれば嬉しそうな顔をするのだろうか。今、アキハルがどんな表情をしているか気になるが、ふり向けば気づかれるので我慢した。
「高山……」
 アキハルの驚きを含んだような声を聞いて、お説教マシーンのアキハルにも人間らしい感情はあるのだと思った。
「先生、今すぐつき合ってって訳じゃないの。だから断らないで。受験が終わるまであと、半年あるし」
 高山さん、かなり必死だ。これは本気の告白なんだ。そう思ったら、何だかドキドキしてくる。さあ、アキハルはなんて答えるの?
「そう言われてもな」
「お願い先生、答えは受験が終わってからで」
 高山さん強い。このまま押し切るのか。
「ごめん」
 アキハル断るの? やっぱ余命半年だから?
「どうしてですか? 先生、私のこと嫌い?」
 高山さん、まだ食い下がるんだ。
「いや、嫌いとかそういうんじゃなくて。その、俺、余命半年なんだ」
 アキハル本当のこと言っちゃった。
「はあ? 先生、何の冗談ですか?」
「いや、冗談ではないんだ。だから俺のことは忘れてくれ」
「私、そんなに魅力ないんですか?」
「高山ごめん。受験が終わったら、俺、死んでるかもしれないんだ。だから今日限りで俺のことは諦めてくれ。今まで通り講師と生徒のままでいよう」
「酷い! そんな嘘までつくなんて」
 パシャと水がかかる音がした。
 これはもしや……。
「わかりました。失礼します」
 高山さんが立ち上がり、そのままファミレスを出て行った。
 由美ちゃんからメッセージがくる。
【高山さん、アキハルに水ぶっかけた】
 やはりそうだったのか。高山さん、気が強そうに見えたけど、本当に気が強いんだ。
「先生、派手にやられましたね。おしぼり使って下さい」
 男性店員がアキハルに話しかけたよう。
藤井(ふじい)、すまんな」
 店員はアキハルの知り合いのようだ。
「あんな断わり方するからですよ。余命半年だなんて。俺が予備校にいた時からそうやって断ってましたよね」
「そうだったかな」
「そうですよ。嘘だってわかる嘘つくなら、まだ興味がないとか、タイプじゃないとかって断った方が良かったんじゃないんですか」
 嘘だってわかる嘘? その言葉が引っかかる。
「気まずくなるだろう。生徒は受験が終わるまでお客様なんだから。勉強に集中してもらうには余命半年が丁度いいんだ。受験が終わった後に笑えるだろ?」
「全然笑えませんよ。そんな嘘」
「俺は面白いと思うけどな」
 そう言ってアキハルが笑う。笑い声を聞きながら疑問が浮かぶ。私はスマホを手に取り、その疑問を由美ちゃんに送った。
【アキハルが余命半年なのは嘘なの?】
【当たり前じゃん】
 由美ちゃんの返信を見た瞬間、アキハルに騙されたことに気づいた。アキハルの嘘を本気にしてバカみたい。そりゃ、先に余命半年だと言い出したのは私だけど、でも、それを嘘で返すなんて酷い。
 文化祭が終わってからのこの一週間は真剣にアキハルの為に勉強したのだ。すごく行きたかったけど、軽音部の打ち上げだって行かなかった。それに私の涙を返せ! 余命半年って聞いて泣いたんだぞ! 
 文句言ってやる。そう思い、立ち上がって後ろの席を見るが、アキハルの姿はなく、テーブルを片付けていた男性店員と目が合う。
「お客様、どうされました?」
 声を聞いて、アキハルと話していた人だとわかる。
 大学生くらいの年齢で、茶髪でちょっとチャラい感じの人だ。
「あの、今ここにいた秋川先生は?」
「帰りましたけど。もしかして、先生の生徒?」
「はい。先生が余命半年だと言ってましたけど」
「ああ、嘘だから気にしないで」
 やっぱり嘘か。くぅーアキハルめ! 本気で心配した私がバカみたい。
「秋川先生はいつもあんな風に断っているんですか?」
 由美ちゃんが会話に入って来た。
「そうだよ。生徒は恋愛対象にはならないからって。それに、ここだけの話、実は秋川先生は女よりも男が好きなんだ」
「えっ……!」
 衝撃の言葉に由美ちゃんと顔を見合わせる。
「この話、絶対内緒ね。俺、後で先生に叱られるからさ」
「あっ……はい」
 何とかそう相槌をし、由美ちゃんと席に戻った。
 頭の中が混乱する。アキハルが男好きって本当に? だから高山さんは恋愛対象にならなくて、余命半年って嘘をついて断ったの? それってかなり酷すぎるよね。アキハルってそんな最低な奴だったの?
 アキハルへの怒りがふつふつと沸き上がってくる。
 さっき高山さんに水をかけられた時は、可哀想だと思ったけど、そんな気持ちは全部吹き飛んだ。水をかけられて当然だ。絶対に私を騙した仕返しをしてやる! 

 帰宅後、お風呂に入っている時、私がアキハルの彼女になることが出来たら、騙された仕返しになると思った。
 突拍子もない考えに最初はバカらしいと思ったが、だんだん、それもありかと思えてくる。だってアキハルは男好き。それなら私と付き合うことは罰になる。だから、余命半年の嘘を利用して、死ぬ前に一度でいいから彼氏が欲しいとかって、余命半年設定の私が告白すれば簡単に断れないかも。それも付き合う相手は後腐れがない余命半年の人――そうやって限定すれば私が交際できる人はアキハルしかいない。
 断わるとしたら、余命半年が嘘だったと言うしかない。それでアキハルが謝罪して、私も嘘だったって謝ればお相子だ。よし、これでいこう! 私を騙した償いをさせてやる!
 勢いよくバスタブから立ち上がり、私は急いでお風呂を出た。今思いついたアイデアを忘れないようにどこかに書留めたかった。私にしては冴えているアイデアだ。真剣な私の気持ちを踏みにじった罰をアキハルに絶対与えてやるんだから。

 作戦を実行したのは土曜日だった。アキハルに予備校の外で相談したいことがあると伝えると、午後三時なら時間が取れると言われ、予備校がある駅の反対口にある【ライアー】というカフェを指定された。
 ビルの地下一階に入っていて、赤茶のタイルの壁に囲まれた階段を下りた正面に、白い看板が立っていた。茶色の字で【ライアー】と書かれている。
 看板の前まで行くとコーヒーの香りがした。板チョコのようなドアを引くと、カランコロンとドアベルが軽快に鳴った。薄暗い店内はジャズが流れ、大人の雰囲気が漂う。私が普段行くようなチェーン展開しているカフェとは違って、少し緊張する。今日は制服ではなく、落ち着いた雰囲気のワンピースを着てきて良かった。制服や普段のカジュアルな服装だったら、間違いなく私は浮いていただろう。ここはそんな場所だ。
「いらっしゃいませ」
 ドアの前でアキハルの姿を探してキョロキョロしていたら、カウンター奥の男性に声をかけられた。背が高く、白いワイシャツに黒いベストを着た人だ。
「あの、待ち合わせで」
 少し上ずった声で答えると、鼻筋の通った綺麗な顔が優しく微笑んだ。
「もしかして秋川のお客さん?」
「はい。秋川先生と待ち合わせです」
「もう来てますよ。こちらへどうぞ」
  カウンターから出て来た店員がテーブル席の奥まで案内してくれる。白い壁に囲まれた個室で、メープル色のテーブルの両脇にカフェオレ色のソファがあり、スーツ姿のアキハルが座っていた。
「店すぐわかった? ここ地下だからわかりづらかったよな」
 アキハルの向かい側に腰を下ろすと聞かれた。
「大丈夫です。グーグルマップに教えてもらったので」
「便利な世の中になったな。俺が高校生の時はスマホじゃなくてガラケーだったけどな」
「先生もおじさんくさいこと言うんですね」
「30のおっさんだからな。コーヒーでいい?」
 頷くとアキハルが席を立ち、先ほどのイケメン店員がいるカウンターの方に行き、帰って来た。手にはコーヒーカップが二つ載った銀色のトレイがあった。
「お待たせしました。ブレンドコーヒーです」
 アキハルが私の前に白いコーヒーカップを置いた。
「ここって、セルフサービスのお店なんですか?」
「違うけど。テーブルでオーダーして持って来てもらう店。でも、俺は常連だからセルフサービスもOK」
 得意げな顔をして言ったアキハルを見て、笑みがこぼれた。
「俺、変なこと言った?」
 笑みを浮かべた私をアキハルが軽く眉を上げて見る。
「いえ。あの、いただきます」
 添えられたスティックの砂糖を一本入れてブレンドコーヒーを口にすると、いつも飲んでいるチェーン店のものよりも苦い。思わずうっと顔をしかめる。
「これも使う?」
 アキハルがお砂糖のスティックを私の前に置いた。
「先生は使わないの?」
「俺はブラックだから」
 涼しげな顔でアキハルはコーヒーを飲んだ。しかも美味しそうな表情を浮かべて。アキハルは苦くないんだと思ったら、妙な対抗心が湧き上がる。
「大丈夫です」
 平気な顔をしてもう一口飲んだ。やっぱり苦いけど表情に出さないように頑張る。そんな私を見てアキハルがクスッと笑ったから驚いた。予備校で、アキハルのそんな緩い表情は見たことがない。
「先生も笑うんですね」
「えっ」とアキハルが私を見る。その視線を受けて、頬が熱くなった。つい変なことを言ってしまった。人間だから笑うに決まってるじゃんと、自分にツッコミを入れコーヒーを飲む。
 テーブルに頬杖をついたアキハルがじっと見てくる。切れ長の目に見つめられて、何だか落ち着かない。
「な、なんですか?」
「予備校の外で会う鈴木が珍しいから見てる。つまんなそうな顔をしている所しか見たことがないから」
 アキハルにそんな風に思われていたとは思わなかった。
「そんなことないですよ」
 認めるのが悔しくて言い返すが、アキハルが言ったことは当たっている。予備校は母に言われて仕方なく通っている所だから、きっとそれが顔に出ているんだ。
「ところで俺に相談って何?」
 俯いてコーヒーカップを見ていたら、アキハルが切り出した。
 緊張する。嘘の告白だけど、私にとっては人生初の告白だ。えーと、まず何から言うんだっけ?
「お待たせしました。プリンアラモードです」
 アキハルと向き合ったタイミングでさっきの店員が現れた。トレイの上にはプリンアラモードが二つ載っている。
「えっ、頼んでないですけど」
「俺の奢りだから遠慮するな。鈴木は甘い物好きだろ?」
 私の前に置かれた豪華なプリンアラモードを見て頬が緩んだ。こんなに美味しそうなものを出されて断るなんて絶対にできない。
「好きです。いただきます!」
 胸の前で手を合わせてから、目の前のプリンアラモードにスプーンを入れた。まずは器の縁にレースのように飾られた生クリーム。それから、プリンの横に添えられた甘酸っぱいサクランボを口にし、バナナ、苺、メロンなどの果物類をいただいてから、本命のプリンにいった。カラメルソースの苦味とプリンの甘味が混ざってめちゃくちゃ美味しい! 天国はここにあったんだ。
「鈴木は幸せそうに食べるんだな」
 笑いを含んだ声でアキハルが言った。
「だって幸せですから。ここのプリン濃厚で卵の味がしっかりしてますね」
「手作りプリンだからな。さっきの彼、パティシエをやっていたんだよ。だから、スイーツ類はこだわって作っている」
 すごくいい事を聞いた。ここに来れば美味しいスイーツが食べられる。今度由美ちゃんと来よう。
「この店に予備校関係者は連れてくるなよ。ここは俺の隠れ家だからな」
 残念。由美ちゃんと来たかったのに。でも、そんな大事な隠れ家をなぜ私に教えたのだろう?
「駅前のファミレスでも良かったのに」
 ついそんな言葉が出た。
「鈴木の相談内容がわからないから、ここにしたんだ。お前が外で会いたいだなんて余程のことだろう? 深刻な話でも大丈夫なように個室がある店にしたかったんだ」
 アキハルが真面目な顔をして言った。まさか、私が余命半年だから心配してくれているんだろうか?
「先生、それって私が余命半年だから?」
 アキハルが頷いた。
「鈴木、体調は大丈夫か?」
 気遣われて後ろめたくなる。
「ええ、まあ、元気です。薬のおかげかな」
 ハハッと笑って誤魔化した。
「そうか。良かった」
 ほっとしたような表情を浮かべるアキハルを見て、胸がチクリと痛んだ。
「それで、相談って何だ?」
 プリンアラモードを食べ終わった私にアキハルが言った。
 どうしよう。嘘をついた罰を与えようと思って告白しようとしていたけど、私、何様なの? 嘘をついていたのは私も同じなのに。
「言いづらい事なのかな?」
 俯いた私に優しい声がかかる。
 謝ろう。余命半年は嘘でした。ごめんなさいって言えばいいよね。
「あの……」
 真っすぐにアキハルを見た。切れ長の目と合った瞬間、なぜかドキッとして私は違うことを口走った。
「彼氏になって下さい!」
 私のセリフに合わせたようにBGMに流れていたジャズも止まり、しーんと静かになる。
 こっちを見るアキハルの目が大きく見開かれ、「ちょっと待って」と言って、慌てた様子でコーヒーを口にした。もしや、アキハル、私に思いっきり引いた? ていうか、私、何言っちゃってるんだろう。早く訂正しなきゃ。
「今のは……」
 カチャリと、私の言葉を遮るようにアキハルがコーヒーカップを置いた。どこか遠くを見るアキハルの瞳が暗闇の中を見ているような気がして、思わず言葉を呑み込んだ。
「俺たちには半年しかない。それでもいい?」
 いいって何? まさか……。
「彼氏になってくれるんですか?」
 アキハルが穏やかな笑みを浮かべた。
「余命半年なんて言われたら、人生最後の恋をしたいって、鈴木の年なら思うよな」
 私が余命半年だって、本気で信じているの? 普通は嘘だって思うのに。私に簡単に騙される程、アキハルってチョロいの?
「いいんですか? 私、秋川先生の生徒ですよ。生徒とは付き合えないんじゃないんですか? それに秋川先生、彼女いたりしないんですか?」
「彼女はいないよ。生徒と大っぴらには付き合えないけど、こっそりなら大丈夫だ」
 こっそりなら大丈夫だと言われても困る。早く嘘だって言わなきゃ。
「それに、幸せそうにプリンアラモードを食べる鈴木を見ていたら、俺も人生最後の恋をしてみたくなった。鈴木の彼氏になったら楽しそうだ」
 ええ! アキハル、本気なの?
「理桜」
 優しい声でそう呼ばれた瞬間、心臓が大きく脈打った。理桜だなんて、アキハルに初めて呼ばれた。どうしてそんなに優しい声で呼ぶの?
「クリームついてる」
 アキハルの綺麗な人差し指が私の頬を掬う。彼の指の感触を感じて、頬が熱くなる。驚いてアキハルを見ると、私の頬から掬い取った生クリームをペロリと舐めた。その瞬間、私の体の一部が食べられたようで恥ずかしい。
「舐めるんですか?」
「彼女の頬の生クリームは舐めるよ」
 彼女と言われて、自分でも驚くほど動揺する。
「私、彼女なの?」
「そうだよ。理桜が俺にお願いして、了承したんだから、今から俺の彼女になると思うが」
「もう少し考えた方がいいのでは?」
「どうして? 俺たちには半年しかないのに」
 アキハルが挑戦的な目を向けてくる。もしかして試されているの? やっぱりアキハルは私が余命半年だって嘘をついているのを知っていて、私を困らせる為に私の提案を飲んだのだろうか? それで私の方から逃げ出すのを待っているとしたら……。そう考えると、アキハルがあっさりと了承したのも納得できる。私が根を上げるのを待っているんだ。そう思ったら闘志が湧く。そっちがその気なら、こっちだってやってやろうじゃない。絶対に私が勝って、先に余命半年の嘘をアキハルに認めさせてみせる。
「それとも提案をなかったことにするか? 俺は別に構わないが」
 黙ったままの私にアキハルが言った。ここで引いたら私の負けだ。絶対にそれは嫌だ。
「いいえ。今日からよろしくお願いいたします。人生最後の恋を一緒にしましょう」
 作った笑顔を向けると、アキハルは意外そうに眉を上げた。
「わかった。今日から俺たちは恋人だ。よろしく理桜」
 アキハルに握手を求められ、手を出すと体温の高い大きな手が私の手を握った。骨ばった硬い手の感触が男性の手だと思った。急に鼓動が速くなって、何だか息苦しい。
「今日から半年、楽しく過ごしましょう」
 アキハルに飲み込まれないように真っすぐに見た。
 アキハルが口の端を上げ、不敵な笑みを浮かべる。
 半年後、謝っているのは絶対にアキハルだ。この勝負勝ってみせる。
 
 こうしてアキハルとの対決が始まった訳だけど、この時の私は彼がどれほどの覚悟でいてくれたか知らなかった。