「あぁ……なんて美味しいんだ。やっぱり君だったんだね……。ねぇ? もう腹ペコでどうしようもないんだ。だから……全部食べさせて?」
俺の目尻から零れ落ちた涙を啜り上げたイケメンが、恍惚とした表情を浮かべそんなことを宣う。
少女マンガならキュンの1つでも感じるシーンなのかもしれないが、俺にとってはドン引き案件でしかなかった。
だから……。
イケメンの顔を避けて腹パン1つで逃げ出した俺は……たぶん絶対悪くない……と思う。
◆ ◆ ◆
『オヤシロ様に見つかってはいけないよ。見つかったら食べられてしまうからね』
それは曾祖母の口癖だった。
曾祖母の娘である祖母も、孫娘である母も、ずっとずーっと言い聞かせられていた口癖。
その話をする曾祖母の隣で、曽祖父はどこか遠くを睨みつけるように見ていたらしい。
そして絶対曾祖母を渡さないと言わんばかりに腰を抱き寄せていた曽祖父の、火傷の痕が残る太い腕も。
曾祖母が亡くなって、曾祖母を亡くした途端糸の切れた人形のように生気を失くした曽祖父が後を追うように亡くなった。
そんな二人の遺品整理をしている時に祖母が見つけたそうだ。
彼らの……遺言にも似た、懺悔の言葉を。
彼らはここから随分遠くにある山深い村出身だった。
その村には代々その村に伝わる古い掟、今でいう因習があったそうだ。
それが、とある家に生まれた長子の女児は、18の年になると村の守り神様である『オヤシロ様』に嫁がせなければならないというものだった。
嫁……と言葉を変えていても、やはりそれは生贄に等しいものだったらしい。
そしてその家に生まれた女児だった曾祖母。その家の隣家に生まれ幼少期から仲良く過ごしてきた曽祖父。
そんな二人が恋仲にならない訳もなく。そして恋仲の二人が互いを想い、死にたくないと、死なせたくないと思うのは当然のことだった。
だから二人は……生まれ育った家を、村を、因習を捨て、駆け落ちしたそうだ。
その後何年かしてその村はダム建設計画に巻き込まれ、今は水底に沈んでいるらしい。
それがただ単に高度経済成長の一環だったのか、生贄を捧げなかったことによるオヤシロ様の怒りだったのか。
分からないまま曾祖父母は、互いがいる幸福感と、生まれた村を、親を、親戚を、村人を不幸にした罪悪感を抱えて生きてきたそうだ。
更に曾祖母は気づいていた。常に感じていた。
オヤシロ様がけっして自分を、自分の血族を諦めた訳ではないことを。
だから曽祖父母は転勤族となって各地を転々としていた。
それは祖母が生まれてからも同じで。祖母自身にも曽祖父と同じような転勤族の夫を進めて、なるべく一か所に留まらないようにとことあるごとに注意を促していた。
そして祖母の娘である俺の母も同じように言い聞かせられていた。
『オヤシロ様に見つかってはいけないよ。見つかったら食べられてしまうからね』
そんな曾祖母の妄言とも執着とも思える注意喚起は、俺が生まれた時に霧散したらしい。
孫娘が生んだ子供が男である俺だった時、曾祖母は号泣したそうだ。
『あぁ、やっと……やっと……』
そう言って泣き続けた曾祖母は、その後まるで生きる気力を失くしたように衰弱していき……儚くなった。
その後を追うように曽祖父が亡くなった後、我が家はまるで追い立てられるように繰り返していた転居を止めたそうだ。
そんな過去があった事など微塵も知らなかった俺は、生まれてこのかた引っ越しに縁もなく、幼稚園からこちら地元から出ることもなく生活していた。
そして高校ですらチャリで通えるところを選んだあたり、冒険心に欠けると言われても仕方ないと思う。
だけど意外と同じような考えを持っている人間は多く、小中学校はもちろんだが、高校になっても顔見知りが多くいる生活は、新鮮味はないが、新しい人間関係を構築するストレスもないということもあって気に入っていた。
そんな俺の波風立たない日常に波紋をもたらしたのは、ある日転入してきた男子生徒の存在だった。
「冴吹八尋です。どうぞよろしくお願いいたします」
担任の後に続いて入ってきた新顔の男に、俺が持った第一印象は「うわぁ」だった。
我ながら失礼だとは思うが、言い訳を聞いてほしい。
だって、そこそこのレベルとは言え一応進学校なんだよこの学校。
なのに光に透けそうな銀髪(not白髪)、カラコンでもしてんのか透き通るような水色の瞳。
そんなハデハデな見た目の男子高校生がクラスメイトだって入ってきてびっくりしない訳がない。
いやもしかしたら、外国の血が入っていて髪も目も生まれつきなのかもしれない。
だってド派手な髪色や目の色に相応しい、いわゆるイケメンだったからだ。
こりゃ、女子が騒ぐなぁと周囲に耳を傾けてみると、確かに女子たちはきゃあきゃあと騒いでいるが、誰も髪や目の色に言及してるヤツがいない。
不思議に思って、思わず隣の席のヤツに声をかける。
「なぁなぁ、イインチョ。転入生の髪とか目の色って天然なんかなぁ?」
俺の質問に、隣の席のイインチョこと学級委員長をしている山田君は少しだけ首を傾げた。
「そうなんじゃない? 日本人に多い色だし」
イインチョの返事に俺も首を傾げる。銀髪に水色の目が日本人に多い色だって初めて知ったんだが?
訝し気な表情をする俺を訝し気な表情で見るイインチョ。
「……なぁ、転入生の髪色って……銀だよな?」
俺の言葉に、ますます首を傾げるイインチョ。
「……黒だけど? そんなチャラいタイプには見えないよ。冴吹くん……だっけ?」
黒板に視線を戻したイインチョが、担任の書いた転入生の名字を読み上げる。
つられるように前を向くと、そこには黒目黒髪の男子高校生が立っていた。……イケメンなのは変わりないが。
「あ……れ?」
ごしごしと目を擦ってみても、転入生の見た目に変化はない。
挙動不審な俺に気づいたのか、転入生がこちらを見た。にこりと笑みの形に眇められた瞳。
その奥にあった不穏な光に、俺はこの時気づくことはなかった。
「じゃあ、そこで眠そうに目を擦ってる高浜! 冴吹に校内案内してやってくれ」
「おっれぇ?!」
突然の担任からの指名に思わず動揺してしまう。
つか、俺じゃなくて隣のイインチョの方が相応しくねぇか?!
そう言って隣に視線を向けると、「頑張れ~」と口パクで伝えられ、イインチョからの助けは期待できなくなった。
だったらさっききゃあきゃあ騒いでいた女子に……とも思ったけど、不思議なことに誰も何も言わない。
きょろきょろと教室を見回しているうちに、どうやら俺の後ろの席に来るらしい転入生が近づいてきてしまう。
「……冴吹八尋です。えっと……高浜くん? よろしくね」
にこりと微笑まれたはずなのに、俺の背中にゾワリとしたものが走った気がした。
だけど、それは流石に気のせいだと思って、慌てて俺も口を開く。
だって初対面の人間に、まして人当たりの良さそうな笑みを向けてくる人間に恐怖なんて感じる訳がない。
だからきっと……気のせいだ。
「あ、俺、高浜慈雨。よろしくな」
「ふぅん……慈雨っていうんだ……。いい名前だね」
普通の会話だ。初対面同士が自己紹介する時にテッパンの会話だ。そのはずなのに……。
やっぱり俺はぞくぞくとしたナニカを感じた。感じてしまった。
「えっと……ここが体育館に繋がる渡り廊下な。1階からもいけんだけど、そすっと外履きに履き替えないとなんねぇから……。
まぁ、だいたいのヤツは上履きのまま移動してんだけど、センセに見つかるとうるさいからな……」
新学期初日のせいか、まだ部活も休みなのか、人気の少ない校舎の中を男二人連れ立って歩く。
既に2年通ってる俺から見れば当たり前の光景だが、今日からここの生徒になった冴吹にとっては新鮮なのだろう。
あちこちきょろきょろしながら興味深げに歩いている。
「へぇ。あ、あっちは?」
「ん? あぁ、あっちは武道館に繋がる渡り廊下だな」
「へぇ、体育館とは別なんだね」
「まぁ、古い学校だしな」
興味を引かれたのか渡り廊下を歩き出す冴吹。
つられるように俺も冴吹の背中を追いかける。ふわりと窓から吹き込んだ風が冴吹の長めに整えられた髪を揺らし……。
透けるような銀色が俺の目に映った。またかと目を擦って……。
「いって!」
「どうしたの?」
目を刺す激痛に生理的な涙が浮かぶ。
こちらに近づいてきた冴吹が長身を折り曲げるようにして俯いた俺の顔を覗き込んだ。
「いや、擦った時にまつ毛が目に入ったみてぇ……」
つっーと頬を滑っていく涙を拭おうとした瞬間、俺は冴吹に手を、顎を掴まれていた。
ぐっと距離を詰めてきた冴吹がすんっと鼻を鳴らす。
そして……。
「……あぁ、やっぱり……やっと……」
ミツケタ
「さえ……ひぅ?!」
冴吹の真っ赤な舌が俺の頬を滑り落ちていた雫を舐めとった。
舌先に乗ったそれを俺に見せつけるようにしてから、口を閉じる。
こくりと喉を鳴らした後、冴吹は満足げに……微笑んだ。
「あぁ……美味し……。ねぇ? もっと……もっと食べさせて……?」
「ひっ!?」
再び冴吹の整った顔が俺に近づく。
ちゅるりと音を立てて涙が吸われた。滑った温かい肉塊が頬を這う感触にゾワリと腰が震える。
「あぁ……なんて美味しいんだ。やっぱり君だったんだね……。ねぇ? もう腹ペコでどうしようもないんだ。だから……全部食べさせて?」
恍惚とした表情とは裏腹に、透き通った湖面のような瞳を炯々と光らせて冴吹の顔が三度近づく。
それは。
曽祖父母が逃げ切ったと思っていた過去に追いつかれた瞬間だった。
「ふむぅ……んっ……やめっ! んむぅっ!」
武道館の入り口にある準備室という名の狭い倉庫の中。
いきなり顔を舐めるという暴挙に出た冴吹に容赦ない腹パンを喰らわせて逃げ出した。
……はずだった俺は、あっという間に捕まって、細身のくせに意外と力の強かった冴吹にこの倉庫へと引き込まれてしまった。
さらには埃っぽい棚に押し付けられる形で、俺はコイツにキスというには深すぎる、貪るような全てを飲み込まれてしまいそうな口づけを受けている。もう訳が分からない。
剣道部の防具もしまってあることから、この倉庫は顔を顰める程の汗臭さに満ちているはずなのだが、今の俺の鼻が感じているのは目の前の男から漂う得も言われぬ香りだけだった。
森深い山の奥にある湖の、澄んだ水から漂ってくるようなさっぱりとした香り。
それが俺の鼻腔を容赦なく犯していく。
そして口腔内はと言えば。
もう冴吹の舌が這ってない場所などないような勢いで余すことなく全てを暴かれていた。
じゅるじゅると絶え間なく唾液を啜られ、じんじんと舌が痺れを訴える。
離れて欲しくて冴吹のシャツの背中を引っ張るも、ピクリとも動かない。
息継ぎすらままならなくなる猛攻に、いつしか俺の脳内はぼんやりと霞みかかってきた。
「ふっ……あっ……」
冴吹の絶え間ない口づけ、初心者に決して優しくないソレに攻められて、徐々に視界も、思考も黒く塗りつぶされていく。
……キスによる酸欠で気絶とか、恥ずかしすぎるにもほどがあるんだが?! しかも相手が同姓とかマジでどうしてこうなった?!
という俺の内情を誰かが慮ってくれるわけもなく、俺は呆気なく気絶したのだった。
◆ ◆ ◆
――い。
――お……
――おーい
――おーい。
――なぁ、いるんだろう?
……これは……夢……?
ふと気が付けば、俺は見知らぬ場所に立っていた。
……見知らぬ場所のはずだ。
目の前に広がるのは大きな湖だった。
驚くほど澄んだ湖面が日の光を反射してキラキラと輝いている。
振り返れば、緑茂る森があり、その上には透き通るような青空が広がっていた。
だけど、この場所がどこか全く記憶にない。
だけど、どこか懐かしい気がするのは何故だろう?
ぼんやりと湖面を眺めていると、ざわりと水面がさざめいた。
澄んだ水にぽつりと影が差し、それが徐々に大きくなっていく。
ざわりと水をかき分けて顔を覗かせたのは……大きな龍だった。
湖面を思わせる透き通った水色の体と、体色より一層澄んだ大きな瞳をもった巨大な龍だった。
顔だけで俺の全身よりも遥かに大きい。
あの口が開いたら俺など易々と飲み込んでしまいそうだ。
怯えなければ、逃げなければ……。
俺の理性が全力で身体に指示を出すが、何故か身体は聞き入れてくれない。
縫いつけられたようにその場に立ち尽くすことしかできなかった。
『……人の子ヨ……ナニをシにきた……』
不思議な声が耳をついた。
だけど、湖面も森も大地も変化はない。
龍の口元にも変化はない。
これは……恐らく念話とかテレパシーとかそう言ったものだろうか? と疑問に思っていると、俺の意に反して俺の口が言葉を紡いだ。
「これはこれは……。こんな山奥の湖にしてはずいぶんと大きなモノがおるのだなぁ。いや山奥だからか? とは言ってもすぐ近くに人里もあるし……。ふむ。物好きもいるものよ……」
勝手にコクコクと頷く身体に怖気が走るも、ちらりと足元に出来た影を見て、ますます状況が分からなくなった。
大地を色濃く染める俺の影は、俺より小柄で、長い髪を頭頂部で結った、女性らしい曲線を示している。
これは……誰だ?
さっぱり状況がつかめない俺の存在などないように、二人、いや一人と一匹の会話は続いていく。
「ところで龍よ。最近体調はどうだ? あまりよろしくないのではないか? ここは山間。自然の気が淀みやすい地形をしておるからのぅ。身体に影響が出ているのではないか?」
ふらりと頭を揺らせば、さらりと背中を髪が撫でていく気配がした。たぶん。
こんなに髪の毛を伸ばしたことがないので、背中を撫でるものが結った髪の毛束である確証が持てないけど。
意外と髪の毛って重いんだな……なんて現実逃避をするくらいには、今この状況は現実味が薄かった。
『フん。タトエそうだとして……キサマに何ができる……』
顔を顰めたようにも見えなくもない龍の反応に、待ってましたと言わんばかりに両手を広げる俺の身体。
つか、この身体の持ち主はいったい何者なんだよ……。
「この先にある村人に頼まれてな。なんでも最近水源が安定してないとか……。それはひとえにそなたの力が安定していないからであろう?」
俺の身体が発した言葉に、ますます顔を顰めていく(ように見える)龍。
それを後目に、俺の身体は飄々と言葉を発し続ける。
「こう見えてもわしは優秀な巫女でな。ここの淀みを浄化して、そなたにわしの力を分けてやろう。さすればそなたの力も、さらには水源も安定するのではないか?」
芝居がかった動きで言葉を続ける俺の身体。
優秀な巫女だと言っているが……そもそも巫女って……?
神社にいて、境内を掃除したり、おまもりを渡してくれたりする人じゃないのか?
やっぱり状況についていけない俺を無視して、二人の会話は続いていく。
『されど、貴様は人ノ身であろう? いつか老イテ死んでしまうではナイカ。なれば、イマ短い時を足掻くより、このまマ寝カせてはくれまいか?』
どこか苦し気に龍が唸るのを見て、俺はどうにもやるせない気持ちになった。
恐ろしいまでの美しさを持つこの龍が呆気なく生を終えようとしているからだろうか。
それとも……。
どこか龍の気配に……見覚えがあるせいだろうか。
「……ふむ。わしとて早死にするつもりはないが……。そうさのう。人の生などそなたのまばたき一つで終わるもの……。
なればこうしよう。わしは依頼してきた村に根をおろそう。村の男の一人と番って、血を残そう。
わしの……血を継ぐ子は、必ず一人目に女子を生むだろう。その娘が……そなたに力をわけてくれるであろうよ」
どこか聞き覚えのあるそれにびくりと身体が跳ねる。
いや、俺の身体じゃないから実際は跳ねてないんだけど。
だけどそれは……ひいばあちゃんの日記に書いてあった……。
『貴様……我とてカミの端くれ。契約の恐ロしさを知らぬわけではナカろうに……』
「まぁ。そうさの。行き倒れてたわしを助けてくれた村だからなぁ。それに村にとっても悪い話ではあるまい。そなたの力が安定すれば水源も安定する。さらにその娘の産んだ子が、その娘の弟妹達が我が血を繋いでいく。さすればそなたも姿を、力を失わずにおれるであろう? 我の血はそれなりに役立つであろうよ」
『……貴様……。その血を残すタめの相手とやらにタスけられたな?』
じとりと龍が睨んだ気配がする。
それは悪意ではない。たぶん自分をダシにしやがってみたいな感情だと思う。
現に、俺じゃない俺は照れたように頭を掻いている。
完全に図星だ。これ。
「まぁまぁ。いうてくれるな。惚れた弱みというやつだよ。わしの血が残ることでここの淀みも少なくはなるだろう。さらにわしやわしの血族から力を得られるんだ。そなたにとって悪い話でもなかろう?」
『ワレの力が安定すれば、村の水ゲンとしてだケでなく、この地も安定すルしな……』
「それはそうなんだが……」
龍からジト目で見られるという貴重な経験をしながら、二人の話にどこか違和感を持った。
だけど、そんな俺のことなど置き去りにして一人と一匹の会話は続いていく。
『……まぁ、よカろうて……』
龍のまぶたが伏せられて、透き通った水色の瞳が見えなくなった。
再び見開かれた瞳には、さきほどまで浮かんでいた諦念は消え、キラキラとした輝きが溢れ出した。
「なれば……契約を……」
俺ではない俺の身体が龍に向かって手を伸ばす。
ぐぐっと龍の巨大な顔が近づいてきた。かと思えばふわりと縮んだ。
いや、縮んだのではなかった。
古風な、それこそ日本史の教科書でしか見たことのないような衣装に身を包んだ男性が湖面に佇んでいた。
風もないのにふわりと裾が揺れ、男の足元から同心円状のさざ波が湖面を揺らす。
その不思議な光景を、俺は他人事のようにただ眺めることしかできない。
俯いていた男の顔が上がり、さっきの龍と同じ水色の瞳が俺を射抜いた。
そして……。
『契約を……。我が名は――――』
俺の目尻から零れ落ちた涙を啜り上げたイケメンが、恍惚とした表情を浮かべそんなことを宣う。
少女マンガならキュンの1つでも感じるシーンなのかもしれないが、俺にとってはドン引き案件でしかなかった。
だから……。
イケメンの顔を避けて腹パン1つで逃げ出した俺は……たぶん絶対悪くない……と思う。
◆ ◆ ◆
『オヤシロ様に見つかってはいけないよ。見つかったら食べられてしまうからね』
それは曾祖母の口癖だった。
曾祖母の娘である祖母も、孫娘である母も、ずっとずーっと言い聞かせられていた口癖。
その話をする曾祖母の隣で、曽祖父はどこか遠くを睨みつけるように見ていたらしい。
そして絶対曾祖母を渡さないと言わんばかりに腰を抱き寄せていた曽祖父の、火傷の痕が残る太い腕も。
曾祖母が亡くなって、曾祖母を亡くした途端糸の切れた人形のように生気を失くした曽祖父が後を追うように亡くなった。
そんな二人の遺品整理をしている時に祖母が見つけたそうだ。
彼らの……遺言にも似た、懺悔の言葉を。
彼らはここから随分遠くにある山深い村出身だった。
その村には代々その村に伝わる古い掟、今でいう因習があったそうだ。
それが、とある家に生まれた長子の女児は、18の年になると村の守り神様である『オヤシロ様』に嫁がせなければならないというものだった。
嫁……と言葉を変えていても、やはりそれは生贄に等しいものだったらしい。
そしてその家に生まれた女児だった曾祖母。その家の隣家に生まれ幼少期から仲良く過ごしてきた曽祖父。
そんな二人が恋仲にならない訳もなく。そして恋仲の二人が互いを想い、死にたくないと、死なせたくないと思うのは当然のことだった。
だから二人は……生まれ育った家を、村を、因習を捨て、駆け落ちしたそうだ。
その後何年かしてその村はダム建設計画に巻き込まれ、今は水底に沈んでいるらしい。
それがただ単に高度経済成長の一環だったのか、生贄を捧げなかったことによるオヤシロ様の怒りだったのか。
分からないまま曾祖父母は、互いがいる幸福感と、生まれた村を、親を、親戚を、村人を不幸にした罪悪感を抱えて生きてきたそうだ。
更に曾祖母は気づいていた。常に感じていた。
オヤシロ様がけっして自分を、自分の血族を諦めた訳ではないことを。
だから曽祖父母は転勤族となって各地を転々としていた。
それは祖母が生まれてからも同じで。祖母自身にも曽祖父と同じような転勤族の夫を進めて、なるべく一か所に留まらないようにとことあるごとに注意を促していた。
そして祖母の娘である俺の母も同じように言い聞かせられていた。
『オヤシロ様に見つかってはいけないよ。見つかったら食べられてしまうからね』
そんな曾祖母の妄言とも執着とも思える注意喚起は、俺が生まれた時に霧散したらしい。
孫娘が生んだ子供が男である俺だった時、曾祖母は号泣したそうだ。
『あぁ、やっと……やっと……』
そう言って泣き続けた曾祖母は、その後まるで生きる気力を失くしたように衰弱していき……儚くなった。
その後を追うように曽祖父が亡くなった後、我が家はまるで追い立てられるように繰り返していた転居を止めたそうだ。
そんな過去があった事など微塵も知らなかった俺は、生まれてこのかた引っ越しに縁もなく、幼稚園からこちら地元から出ることもなく生活していた。
そして高校ですらチャリで通えるところを選んだあたり、冒険心に欠けると言われても仕方ないと思う。
だけど意外と同じような考えを持っている人間は多く、小中学校はもちろんだが、高校になっても顔見知りが多くいる生活は、新鮮味はないが、新しい人間関係を構築するストレスもないということもあって気に入っていた。
そんな俺の波風立たない日常に波紋をもたらしたのは、ある日転入してきた男子生徒の存在だった。
「冴吹八尋です。どうぞよろしくお願いいたします」
担任の後に続いて入ってきた新顔の男に、俺が持った第一印象は「うわぁ」だった。
我ながら失礼だとは思うが、言い訳を聞いてほしい。
だって、そこそこのレベルとは言え一応進学校なんだよこの学校。
なのに光に透けそうな銀髪(not白髪)、カラコンでもしてんのか透き通るような水色の瞳。
そんなハデハデな見た目の男子高校生がクラスメイトだって入ってきてびっくりしない訳がない。
いやもしかしたら、外国の血が入っていて髪も目も生まれつきなのかもしれない。
だってド派手な髪色や目の色に相応しい、いわゆるイケメンだったからだ。
こりゃ、女子が騒ぐなぁと周囲に耳を傾けてみると、確かに女子たちはきゃあきゃあと騒いでいるが、誰も髪や目の色に言及してるヤツがいない。
不思議に思って、思わず隣の席のヤツに声をかける。
「なぁなぁ、イインチョ。転入生の髪とか目の色って天然なんかなぁ?」
俺の質問に、隣の席のイインチョこと学級委員長をしている山田君は少しだけ首を傾げた。
「そうなんじゃない? 日本人に多い色だし」
イインチョの返事に俺も首を傾げる。銀髪に水色の目が日本人に多い色だって初めて知ったんだが?
訝し気な表情をする俺を訝し気な表情で見るイインチョ。
「……なぁ、転入生の髪色って……銀だよな?」
俺の言葉に、ますます首を傾げるイインチョ。
「……黒だけど? そんなチャラいタイプには見えないよ。冴吹くん……だっけ?」
黒板に視線を戻したイインチョが、担任の書いた転入生の名字を読み上げる。
つられるように前を向くと、そこには黒目黒髪の男子高校生が立っていた。……イケメンなのは変わりないが。
「あ……れ?」
ごしごしと目を擦ってみても、転入生の見た目に変化はない。
挙動不審な俺に気づいたのか、転入生がこちらを見た。にこりと笑みの形に眇められた瞳。
その奥にあった不穏な光に、俺はこの時気づくことはなかった。
「じゃあ、そこで眠そうに目を擦ってる高浜! 冴吹に校内案内してやってくれ」
「おっれぇ?!」
突然の担任からの指名に思わず動揺してしまう。
つか、俺じゃなくて隣のイインチョの方が相応しくねぇか?!
そう言って隣に視線を向けると、「頑張れ~」と口パクで伝えられ、イインチョからの助けは期待できなくなった。
だったらさっききゃあきゃあ騒いでいた女子に……とも思ったけど、不思議なことに誰も何も言わない。
きょろきょろと教室を見回しているうちに、どうやら俺の後ろの席に来るらしい転入生が近づいてきてしまう。
「……冴吹八尋です。えっと……高浜くん? よろしくね」
にこりと微笑まれたはずなのに、俺の背中にゾワリとしたものが走った気がした。
だけど、それは流石に気のせいだと思って、慌てて俺も口を開く。
だって初対面の人間に、まして人当たりの良さそうな笑みを向けてくる人間に恐怖なんて感じる訳がない。
だからきっと……気のせいだ。
「あ、俺、高浜慈雨。よろしくな」
「ふぅん……慈雨っていうんだ……。いい名前だね」
普通の会話だ。初対面同士が自己紹介する時にテッパンの会話だ。そのはずなのに……。
やっぱり俺はぞくぞくとしたナニカを感じた。感じてしまった。
「えっと……ここが体育館に繋がる渡り廊下な。1階からもいけんだけど、そすっと外履きに履き替えないとなんねぇから……。
まぁ、だいたいのヤツは上履きのまま移動してんだけど、センセに見つかるとうるさいからな……」
新学期初日のせいか、まだ部活も休みなのか、人気の少ない校舎の中を男二人連れ立って歩く。
既に2年通ってる俺から見れば当たり前の光景だが、今日からここの生徒になった冴吹にとっては新鮮なのだろう。
あちこちきょろきょろしながら興味深げに歩いている。
「へぇ。あ、あっちは?」
「ん? あぁ、あっちは武道館に繋がる渡り廊下だな」
「へぇ、体育館とは別なんだね」
「まぁ、古い学校だしな」
興味を引かれたのか渡り廊下を歩き出す冴吹。
つられるように俺も冴吹の背中を追いかける。ふわりと窓から吹き込んだ風が冴吹の長めに整えられた髪を揺らし……。
透けるような銀色が俺の目に映った。またかと目を擦って……。
「いって!」
「どうしたの?」
目を刺す激痛に生理的な涙が浮かぶ。
こちらに近づいてきた冴吹が長身を折り曲げるようにして俯いた俺の顔を覗き込んだ。
「いや、擦った時にまつ毛が目に入ったみてぇ……」
つっーと頬を滑っていく涙を拭おうとした瞬間、俺は冴吹に手を、顎を掴まれていた。
ぐっと距離を詰めてきた冴吹がすんっと鼻を鳴らす。
そして……。
「……あぁ、やっぱり……やっと……」
ミツケタ
「さえ……ひぅ?!」
冴吹の真っ赤な舌が俺の頬を滑り落ちていた雫を舐めとった。
舌先に乗ったそれを俺に見せつけるようにしてから、口を閉じる。
こくりと喉を鳴らした後、冴吹は満足げに……微笑んだ。
「あぁ……美味し……。ねぇ? もっと……もっと食べさせて……?」
「ひっ!?」
再び冴吹の整った顔が俺に近づく。
ちゅるりと音を立てて涙が吸われた。滑った温かい肉塊が頬を這う感触にゾワリと腰が震える。
「あぁ……なんて美味しいんだ。やっぱり君だったんだね……。ねぇ? もう腹ペコでどうしようもないんだ。だから……全部食べさせて?」
恍惚とした表情とは裏腹に、透き通った湖面のような瞳を炯々と光らせて冴吹の顔が三度近づく。
それは。
曽祖父母が逃げ切ったと思っていた過去に追いつかれた瞬間だった。
「ふむぅ……んっ……やめっ! んむぅっ!」
武道館の入り口にある準備室という名の狭い倉庫の中。
いきなり顔を舐めるという暴挙に出た冴吹に容赦ない腹パンを喰らわせて逃げ出した。
……はずだった俺は、あっという間に捕まって、細身のくせに意外と力の強かった冴吹にこの倉庫へと引き込まれてしまった。
さらには埃っぽい棚に押し付けられる形で、俺はコイツにキスというには深すぎる、貪るような全てを飲み込まれてしまいそうな口づけを受けている。もう訳が分からない。
剣道部の防具もしまってあることから、この倉庫は顔を顰める程の汗臭さに満ちているはずなのだが、今の俺の鼻が感じているのは目の前の男から漂う得も言われぬ香りだけだった。
森深い山の奥にある湖の、澄んだ水から漂ってくるようなさっぱりとした香り。
それが俺の鼻腔を容赦なく犯していく。
そして口腔内はと言えば。
もう冴吹の舌が這ってない場所などないような勢いで余すことなく全てを暴かれていた。
じゅるじゅると絶え間なく唾液を啜られ、じんじんと舌が痺れを訴える。
離れて欲しくて冴吹のシャツの背中を引っ張るも、ピクリとも動かない。
息継ぎすらままならなくなる猛攻に、いつしか俺の脳内はぼんやりと霞みかかってきた。
「ふっ……あっ……」
冴吹の絶え間ない口づけ、初心者に決して優しくないソレに攻められて、徐々に視界も、思考も黒く塗りつぶされていく。
……キスによる酸欠で気絶とか、恥ずかしすぎるにもほどがあるんだが?! しかも相手が同姓とかマジでどうしてこうなった?!
という俺の内情を誰かが慮ってくれるわけもなく、俺は呆気なく気絶したのだった。
◆ ◆ ◆
――い。
――お……
――おーい
――おーい。
――なぁ、いるんだろう?
……これは……夢……?
ふと気が付けば、俺は見知らぬ場所に立っていた。
……見知らぬ場所のはずだ。
目の前に広がるのは大きな湖だった。
驚くほど澄んだ湖面が日の光を反射してキラキラと輝いている。
振り返れば、緑茂る森があり、その上には透き通るような青空が広がっていた。
だけど、この場所がどこか全く記憶にない。
だけど、どこか懐かしい気がするのは何故だろう?
ぼんやりと湖面を眺めていると、ざわりと水面がさざめいた。
澄んだ水にぽつりと影が差し、それが徐々に大きくなっていく。
ざわりと水をかき分けて顔を覗かせたのは……大きな龍だった。
湖面を思わせる透き通った水色の体と、体色より一層澄んだ大きな瞳をもった巨大な龍だった。
顔だけで俺の全身よりも遥かに大きい。
あの口が開いたら俺など易々と飲み込んでしまいそうだ。
怯えなければ、逃げなければ……。
俺の理性が全力で身体に指示を出すが、何故か身体は聞き入れてくれない。
縫いつけられたようにその場に立ち尽くすことしかできなかった。
『……人の子ヨ……ナニをシにきた……』
不思議な声が耳をついた。
だけど、湖面も森も大地も変化はない。
龍の口元にも変化はない。
これは……恐らく念話とかテレパシーとかそう言ったものだろうか? と疑問に思っていると、俺の意に反して俺の口が言葉を紡いだ。
「これはこれは……。こんな山奥の湖にしてはずいぶんと大きなモノがおるのだなぁ。いや山奥だからか? とは言ってもすぐ近くに人里もあるし……。ふむ。物好きもいるものよ……」
勝手にコクコクと頷く身体に怖気が走るも、ちらりと足元に出来た影を見て、ますます状況が分からなくなった。
大地を色濃く染める俺の影は、俺より小柄で、長い髪を頭頂部で結った、女性らしい曲線を示している。
これは……誰だ?
さっぱり状況がつかめない俺の存在などないように、二人、いや一人と一匹の会話は続いていく。
「ところで龍よ。最近体調はどうだ? あまりよろしくないのではないか? ここは山間。自然の気が淀みやすい地形をしておるからのぅ。身体に影響が出ているのではないか?」
ふらりと頭を揺らせば、さらりと背中を髪が撫でていく気配がした。たぶん。
こんなに髪の毛を伸ばしたことがないので、背中を撫でるものが結った髪の毛束である確証が持てないけど。
意外と髪の毛って重いんだな……なんて現実逃避をするくらいには、今この状況は現実味が薄かった。
『フん。タトエそうだとして……キサマに何ができる……』
顔を顰めたようにも見えなくもない龍の反応に、待ってましたと言わんばかりに両手を広げる俺の身体。
つか、この身体の持ち主はいったい何者なんだよ……。
「この先にある村人に頼まれてな。なんでも最近水源が安定してないとか……。それはひとえにそなたの力が安定していないからであろう?」
俺の身体が発した言葉に、ますます顔を顰めていく(ように見える)龍。
それを後目に、俺の身体は飄々と言葉を発し続ける。
「こう見えてもわしは優秀な巫女でな。ここの淀みを浄化して、そなたにわしの力を分けてやろう。さすればそなたの力も、さらには水源も安定するのではないか?」
芝居がかった動きで言葉を続ける俺の身体。
優秀な巫女だと言っているが……そもそも巫女って……?
神社にいて、境内を掃除したり、おまもりを渡してくれたりする人じゃないのか?
やっぱり状況についていけない俺を無視して、二人の会話は続いていく。
『されど、貴様は人ノ身であろう? いつか老イテ死んでしまうではナイカ。なれば、イマ短い時を足掻くより、このまマ寝カせてはくれまいか?』
どこか苦し気に龍が唸るのを見て、俺はどうにもやるせない気持ちになった。
恐ろしいまでの美しさを持つこの龍が呆気なく生を終えようとしているからだろうか。
それとも……。
どこか龍の気配に……見覚えがあるせいだろうか。
「……ふむ。わしとて早死にするつもりはないが……。そうさのう。人の生などそなたのまばたき一つで終わるもの……。
なればこうしよう。わしは依頼してきた村に根をおろそう。村の男の一人と番って、血を残そう。
わしの……血を継ぐ子は、必ず一人目に女子を生むだろう。その娘が……そなたに力をわけてくれるであろうよ」
どこか聞き覚えのあるそれにびくりと身体が跳ねる。
いや、俺の身体じゃないから実際は跳ねてないんだけど。
だけどそれは……ひいばあちゃんの日記に書いてあった……。
『貴様……我とてカミの端くれ。契約の恐ロしさを知らぬわけではナカろうに……』
「まぁ。そうさの。行き倒れてたわしを助けてくれた村だからなぁ。それに村にとっても悪い話ではあるまい。そなたの力が安定すれば水源も安定する。さらにその娘の産んだ子が、その娘の弟妹達が我が血を繋いでいく。さすればそなたも姿を、力を失わずにおれるであろう? 我の血はそれなりに役立つであろうよ」
『……貴様……。その血を残すタめの相手とやらにタスけられたな?』
じとりと龍が睨んだ気配がする。
それは悪意ではない。たぶん自分をダシにしやがってみたいな感情だと思う。
現に、俺じゃない俺は照れたように頭を掻いている。
完全に図星だ。これ。
「まぁまぁ。いうてくれるな。惚れた弱みというやつだよ。わしの血が残ることでここの淀みも少なくはなるだろう。さらにわしやわしの血族から力を得られるんだ。そなたにとって悪い話でもなかろう?」
『ワレの力が安定すれば、村の水ゲンとしてだケでなく、この地も安定すルしな……』
「それはそうなんだが……」
龍からジト目で見られるという貴重な経験をしながら、二人の話にどこか違和感を持った。
だけど、そんな俺のことなど置き去りにして一人と一匹の会話は続いていく。
『……まぁ、よカろうて……』
龍のまぶたが伏せられて、透き通った水色の瞳が見えなくなった。
再び見開かれた瞳には、さきほどまで浮かんでいた諦念は消え、キラキラとした輝きが溢れ出した。
「なれば……契約を……」
俺ではない俺の身体が龍に向かって手を伸ばす。
ぐぐっと龍の巨大な顔が近づいてきた。かと思えばふわりと縮んだ。
いや、縮んだのではなかった。
古風な、それこそ日本史の教科書でしか見たことのないような衣装に身を包んだ男性が湖面に佇んでいた。
風もないのにふわりと裾が揺れ、男の足元から同心円状のさざ波が湖面を揺らす。
その不思議な光景を、俺は他人事のようにただ眺めることしかできない。
俯いていた男の顔が上がり、さっきの龍と同じ水色の瞳が俺を射抜いた。
そして……。
『契約を……。我が名は――――』

