真っ白なガーベラのような君へ

 シチューを教わって数日。
 時間ができたからと、咲結さんがシチューを作るのを見てくれると言って、隣に立った。
 相変わらず、傷だらけで。家族は、これに触れないのか、不安になった。
「ちゃんと、消毒した?」
 くしゃくしゃに貼られた絆創膏を見て、思わず聞いてしまう。
「当たり前じゃん。お客様の食事に砂が入ったらだめだからね。食品を扱う仕事をしている私たちは、清潔が命ですよ」
 にこっと笑うと、絆創膏を貼った指で人参を指さした。
「人参を賽の目切りにしてください。味見できないから」
「はい。賽の目切りにします」
「よろしい」
 ちょっとふざけたような口調で僕に言うと、ホールの片付けに向かった。
 今日も、閉店一時間前から、春山さん夫婦は出かけて行った。東京に行くらしい。
 店を娘に任せてまた夫婦で旅行なんて、どうかしている。
「お土産何買ってきてくれるかな。楽しみだね」
 本当に楽しみにしているように聞こえる。
 今日の咲結さんは、いつもよりも活発だった。
 いつもより笑って、いつもよりも働いていた。
 やっぱり、あの根拠のない胸のざわめきは気のせいだったのだと、ほっとする。
「野菜切れたよ」
 僕も、妹に軽いお説教のようなものを受けてから、少し気が楽になった。
 約束はもちろん果たしたいけど、それで向いている向いていないと自分の中の定規で測って、苦しんでいたら元も子もない。
 それに、楽しいなら。それをやりたい、極めたいなら、それでいいじゃないか。
 それが将来の夢につながろうが、繋がらなかろうが。別に趣味程度じゃだめだと言われたわけじゃないのだから。
「うん。人参の大きさも小さくて、いい感じ。綺麗に切れるようになったね」
「ほんと? 嬉しいよ」
「じゃあ、そのまま、作ってみて。掃除は全部、私がやるから。わかんないところがあったら、遠慮なく呼んでね」
 そう、ブラインドが降ろされた店内の机を拭き、モップをかけ、窓まで掃除していた。
 そんなに汚かったのかな。まあ、綺麗に越したことはないから、手に負担がかかっていないなら止める必要もないかと、僕はコンロに火を付ける。
 野菜を炒め、火が通ったら小麦粉を加え、また火を付けて牛乳とコンソメ、粉チーズを入れる。問題は、ここからだ。
 今度は余計なことを考えずにシチューに集中しなければ。
 さっさと洗い物を済ませ、たまに混ぜながら鍋の様子を見続ける。
「お。今回はいい感じじゃない? 綺麗な色だね」
 掃除が終わったらしく、エプロンを外して僕の横から鍋を覗き込む。
「咲結さんも、そう思う?」
「うん。もう完璧だね」
 満足そうに何度も頷いて、今度は週に一度の在庫チェックを始めた。僕を放置することが、どうってことないことが、信頼されている意味に思えて嬉しい反面、どこか寂しくもあった。
「咲結さん」
「んー? どうかした?」
 備品倉庫から顔を覗かせる。手にはバインダーを持っていて、数を数えているのに申し訳ないなと思いつつ。彼女の顔が見れたことで安心している自分がいる。
「もういいかな?」
「できた?」
 バインダーを持ったまま、早歩きで僕の方に寄って来る。
 今まであんまり意識してこなかったけど、咲結さんって顔も整ってるし、仕草もかわいらしい。なんで、いじめられているんだろう。妬みなのか?
「あ、うん。これくらいでいいかなって」
 沸騰させて、三センチ分くらいの水分が飛んでいて、とろみもついている。
 やっといい感じにできたのに、また意識が違うことに飛んでしまうところだった。
「うん。うん、ばっちりだよ。あとは塩加減を調整して、ぼんやりした味をはっきりさせたら完成だよ」
 手を叩いて喜んでくれるその姿は、愛らしい。誰からも愛されそうに見えるのに。
「塩、入れればいい?」
「うん。味見しながら、ちょっとずつね」
 ゆで卵にかけるタイプの食卓塩を持ってきて、ふたを開けて渡してくれる。
 小さい小皿と、お玉もそばに置いて、僕の様子を見守っていた。
 塩を、二振りして、味見をする。
 なんだか、まだぼんやりしている。また、二振り。
「ん! おいしい。おいしいかも」
「かもって。その感覚を信じないと」
 そう、咲結さんも別の小皿にシチューをよそって味見をした。
「おお。おいしいよ。ちゃんとおいしいから、もっと自信もっていいんだからね」
 そう、火を切った。ぼこぼこと沸騰を続けていたシチューは、一気に静まった。
「持って帰って、家族で食べなよ。今からタッパーに入れてあげるね」
 咲結さんは家の中から割と大きめのタッパーを持ってきて、躊躇なく中身をそこに移した。なみなみまで入れて、ビニール袋に入れて、それを保冷バッグに入れてくれた。
「はい。美味しく食べてね」
「ありがとう」
「あ、あと。これもあげるね」
 備品倉庫に行こうとした僕に、咲結さんはレシピノートを手渡した。
「え、これって」
「これまで教えたレシピが書いてあるノートだよ」
「それは、いつも見せてもらってるから知ってるけど……」
「私、暗記してるから。料理人になりたいなら、きっと家でも作ってるでしょ?」
 そう、半ば押し付けるように、僕の手にノートを置いた。
「じゃあ、もらう。ありがとう」
「うん。あ、ここの仕事、上達しろとかいうわけじゃないから。夢を追いかけるための、一つの些細な道具になればいいなってだけだからね」
「うん。嬉しいよ、そんなに必死に弁解しなくても、咲結さんはそんな人じゃないってわかってるから」
 そう、僕は備品倉庫に大荷物を持って引っ込んだ。