真っ白なガーベラのような君へ

「今日は文化祭だから、土曜日だけど学校に行ってくる。」
 秋もあっという間に終盤になり、寒さを一層感じるようになったころ。
 スクールバッグに付いたピンクのイルカのキーホルダーを揺らしながら、浮かない顔で出かけていく咲結さんとすれ違った。
 休みなのに学校に行かないといけないなんて、だるいんだろうな。僕にもその気持ちはよくわかる。
 友達はいないに等しいし、勉強は一緒に頑張る楓がいなくなってからは、テストの前に一夜漬けで叩き込むようになっていたから、成績もぐんと落ちて、そのままだ。
 ただ、咲結さんは明るいし、社交的な女の子だから、僕とは違って友達も多いだろう。
 それに、この地域の中で一番頭のいい高校に通っているから、赤点を取ったりするような悩みはないだろう。
 独り言の話がずれてしまった。
 要するに、学校に着くまでがだるいだけで、着いてしまったら楽しさだけが残るパターンの人なんだろうな、ということだ。
 そんなどうでもいいことを考えながら、ロッカーにカバンを入れて、キッチンにいる春山さん夫婦に挨拶をする。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。今日はごめんね。咲結がいないから、負担かけるかもしれないけど。よろしくね」
「はい。頑張ります」
 そんな話をして、数時間が経ったころ。レジに置いてある固定電話が鳴り響く。
「お電話ありがとうございます。Café HARUYAMAです」
「あ、春山咲結さんのお宅でしょうか」
 女性の声で、受話器の向こう側の人は言った。
「はい、そうですが……」
 誰だ? 名指しでここに電話が入ったことなんて、一度もない。
「私、青葉西高校で咲結さんの担任をしております、桜井と申します」
 驚いてしまった。何かあったのだろうか。
「えっ? あ、少々お待ちください」
 電話を保留にして、キッチンの扉を開ける。
「あ、あの、咲結さんの高校から電話が……」
 そう、僕が言うと、二人は手が離せないのか、困ったような顔をした。
「ごめん、要件聞いてくれる?」
「え、僕ですか?」
「うん。今、私たち手が離せないの」
 洗い物をしている春山さん(母)と、野菜を炒めている春山さん(父)。
 別に、電話くらい出られそうなのに。
 そう思ったものの、言えるわけもなく。僕は保留を解除した。
「あの、どのようなご用件でしょうか」
「あ、咲結さんが段差から落ちて足をひねってしまって。お迎えに来ていただきたいのですが……」
「お迎え、ですね」
 二人に聞こえるように言うと、二人はわかりやすくため息を吐いた。
「優緋くん、申し訳ないんだけど、迎えに行ってくれる?」
「……僕が、ですか?」
 いよいよ訳がわからなかった。
 なんで家族でもない僕が、行かなければならないのだろう。
 絶対、足がない僕よりも、車を運転できる大人が行くべきだと思うのに。
「交通費は渡すから。よろしくね」
 半ば強制で、荷物を持って追い出されるように外に出た。
 スマホで電車を調べて、咲結さんの高校まで向かう。
 電車の中で、いろいろ考えた。
 僕はまだまだ戦力にならないから。土曜日という忙しくなる日を任せるにふさわしくなかったのか。
 家族以外は信用できないから、夫婦片方が欠けたら見張りができないから、僕に行かせたのか。
 ……咲結さんを、あまり好いていないから、行きたくないのか。
 いや、流石にそれは……。
 ダメだ、そんなわけないのに、よくないことを思ってしまう。
 残りの時間は、イヤホンを耳に挿して、適当な音楽を聴きながら時間を潰していた。
 三十分は長くて、五曲も聴けてしまった。
 電車を降りるとすぐ、高校が見えてきた。
 文化祭をしているというだけあって、人が多く、入りやすかった。
「すみません、保健室ってどこですか?」と聞いて、案内してもらった先。一人になった、そのとき。
「おい、お前、早く死ねよ」
 驚いた。
 保健室の扉を開けようと、くぼみに手をかけたとき、女子生徒の低い声が扉の外まで聞こえてきた。
……なんでさ、人は人をいじめるんだろうね
 そんな楓の言葉がよみがえる。
 どうしたらいいのか、わからなかった。今、この扉を開けて。
 死ね、と言われている人が咲結さんだったら。
 僕は、何かできるのか?
 できないかもしれない。……いや、できない。できるわけない。
 楓のあの言葉の答えさえ、出せていないのに。
「足ひねったくらいで、帰ろうとすんなよ。働けよ、無能」
「痛っ、痛いっ」
 恐怖におびえた、震えた涙声が小さく聞こえてくる。
 僕は、足がすくんで動けなかった。
 肌が叩かれる音が聞こえても。
 咲結さんの泣き声が聞こえても。
 僕は、その場に動けずにいた。
「あら、春山さんのお迎えの方?」
 少しして、廊下を歩いてくる白衣を着た人が、割と大きな声で僕に話しかけた。
 その声が聞こえたのか、ピタっと中の音は止み、笑顔を浮かべた女子生徒が五人、保健室から出てくる。その誰もが化粧が濃くて、気が強そうだ。
「あ、先生! 段ボールで手、切っちゃったので、絆創膏もらいました」
「あら、大丈夫? 消毒はしたの?」
「はい。もう大丈夫です」
 そう、すました顔をして、先生と話してどこかへ去って行った。
「咲結さん……春山さんのご両親が忙しいみたいで、僕が代わりに迎えに来ました」
 やっと、声が出た。やっと、足が動いた。
 僕は、とても情けない人間だった。
「君は……?」
「咲結さんの家のカフェでバイトをしている、雨宮優緋です」
 保健室の先生は、僕の名前を聞いて納得したように頷いた。
「桜井先生から話は聞いています。春山さんは、一番奥のベッドにいますから」
 僕を中に押し込むと、先生も後ろから入って、僕を追い越して一番奥のベッドのカーテンを開けた。
「ちゃんと病院行くのよ? 泣くほど痛いのに、本当に学校で連れて行かなくてもいいのね?」
「……はい」
 その様子を見て、僕は苦しかった。
 誰も気づかない。彼女が泣いている痛みが、足の痛みだけじゃないことに。
「そんなに痛いの? 大丈夫?」
 そして僕も、下手に聞くと答え方がわからなくて困るからと、知らないふりをした。
 咲結さんの心の傷を、見ていないことにした。
「大丈夫。ごめんね、迷惑かけて」
 そう、咲結さんはまつ毛に残る涙の粒を輝かせながら、微笑んだ。
帰りのタクシーの車内でも、僕からは何も話さないまま。
咲結さんがずっと、運転手のおじさんと文化祭が楽しかったという嘘の話で盛り上がっているのを聞くことしかできなかった。