グラタン皿を持って学校に行き、そのまま夕方、バイトに行く。
裏口を開けると、制服を着てスクールバッグを持った咲結さんがそこにいた。今日は、膝にしわくちゃの絆創膏を貼っていた。
「あ、おつかれ。私、荷物置いてくるね」
そう、咲結さんが振り返ったとき。スクールバッグに付いているキーホルダーが揺れたのが目に入った。
薄いピンク色の、二匹のイルカ。
見覚えのあるそのキーホルダーを見て、思わず咲結さんの腕を掴んでしまった。
「え? どうかした?」
「あ、ごめん。つい……」
「つい?」
不思議そうに僕の方を振り返って、首を傾げられる。
「あ、楓……。じゃなくて、僕の親友も、同じキーホルダー、スクールバッグに付けてたから」
「楓……」
「あ、楓っていうのは、親友の名前で」
「そう、なんだ」
咲結さんは頷くと、そのままキッチンの扉を開けてすたすたと家に入って行ってしまった。
「あ……」
まるで何かの扉を開ける前に閉められたような、そんな感覚が僕の中に走った。
なにか気に障ることを言っただろうか。
許可もなく手に触れたのが、ダメだったのか。
僕も備品倉庫に入って、荷物を置いてバイトを始める。
十分、二十分、三十分。いつもはありえないくらい早く店に入る咲結さんは、全然姿を現さなかった。
「あの、咲結さん、大丈夫ですか?」
「あれ、降りてきてない?」
春山さん(母)が店内とキッチンを見渡して、困ったように眉をひそめる。
「パパ、咲結は?」
「帰ってから見てないけど……。まだ降りてこないのか?」
「優緋くん、ごめんね。そこの扉開けたら玄関があるから、呼んできてくれる?」
「え? 僕ですか?」
「うん。私も旦那も、手がふさがってるから」
そう、二人の手元を見る。春山さん(母)は、ハンバーグのタネを捏ねていて、春山さん(父)はナポリタンを作っていた。
確かに、今手が空いているのは僕だけ。でも今じゃなくてもいいと思うけど……。
「玄関すぐの階段から二階に上がって、一番奥の部屋だから」
「え、でも」
「お願いね」
そう、春山さん夫妻は僕から目を離した。
渋々、キッチンと春山家を繋げる扉を開けて、靴を脱いで玄関から室内に入る。
ナチュラルな色の木目調の階段を上がり、一番奥の部屋の前に立つ。
扉には『さゆ』と書いてあるフレームが掛けてある。
「咲結さん? 大丈夫?」
ノックして、中にいるであろう彼女の名前を呼ぶ。
返事は、ない。
「咲結さん? 開けるよ?」
ノックはしたし、返事がないのは、怖い。恐る恐る、部屋の戸を開ける。
「咲結さん……?」
軽く目を通す程度に、部屋を見渡す。人は、いなかった。
もしかしたらどこかで入れ違いになったかな。
店に戻ろうと、部屋を出ようとした。でも、僕の足は床に張り付いたように止まって、目線は壁に釘付けになった。
インスタントカメラで撮ったであろう、白い淵が広い写真。同じ背景で、同じ顔。
咲結さんと楓のツーショット写真が、恐らく小学生から、中学の制服姿のものまで、何十枚も貼ってあった。画鋲で穴が開かないように、マスキングテープで画鋲を刺すスペースを作って、コルクボードに飾ってあった。
ああ、この写真、見たことある。
楓の生徒手帳に挟まっていたものと似ている。同じ場所で撮ったものを、楓も持っていた。
「あ、ごめん」
「うわぁっ!」
思わず飛び上がってしまう。心臓がバクバクとうるさい。頼まれたから確認のために入っただけなのに、悪いことをしていると錯覚してしまう。
「ごめん、あの、ノックは、したんだけど、」
頭が真っ白になってしまって、今何を言っているのかもよくわからない。
でもそんな僕を見て、咲結さんはすぐに口を開いた。
「わかってるよ。私がお店に行かないから、呼びに来てくれたってお母さんに言われて。部屋にいないから、びっくりしたよね。ごめんね」
「いや、僕も、勝手に……」
「やっぱり、楓くんって、高梨楓くんのことだよね」
咲結さんの口から出た楓の名前に、こうしてツーショット写真を見たくせに驚いてしまう。咲結さんから楓の名前が出ることが僕の中ではありえないことだったから。
「世界って狭いね。楓くんのこと知ってる人がここでアルバイトしてるなんて」
感情が読み取れない。カーテンが閉まった薄暗い部屋のせいか。
笑顔が特徴的な咲結さんの笑顔は、今はないように見えた。
それもそうか。
楓は、中二の夏に死んだ。
死んだのだ。もう、この世にいない人の話をしているのだから。
大事であればあるほど、真剣な顔になるのも、わかる。
「今日は、お手伝いサボるって、言っちゃった。ねえ、優緋くんも楓くんの親友だったんだよね?」
「うん」
「どうして、仲良くなったの?」
その問いに、答えようか悩んだ。
悩んだけど、咲結さんは同じ痛みを知っている人だったのだから、話してもいいような気がした。
裏口を開けると、制服を着てスクールバッグを持った咲結さんがそこにいた。今日は、膝にしわくちゃの絆創膏を貼っていた。
「あ、おつかれ。私、荷物置いてくるね」
そう、咲結さんが振り返ったとき。スクールバッグに付いているキーホルダーが揺れたのが目に入った。
薄いピンク色の、二匹のイルカ。
見覚えのあるそのキーホルダーを見て、思わず咲結さんの腕を掴んでしまった。
「え? どうかした?」
「あ、ごめん。つい……」
「つい?」
不思議そうに僕の方を振り返って、首を傾げられる。
「あ、楓……。じゃなくて、僕の親友も、同じキーホルダー、スクールバッグに付けてたから」
「楓……」
「あ、楓っていうのは、親友の名前で」
「そう、なんだ」
咲結さんは頷くと、そのままキッチンの扉を開けてすたすたと家に入って行ってしまった。
「あ……」
まるで何かの扉を開ける前に閉められたような、そんな感覚が僕の中に走った。
なにか気に障ることを言っただろうか。
許可もなく手に触れたのが、ダメだったのか。
僕も備品倉庫に入って、荷物を置いてバイトを始める。
十分、二十分、三十分。いつもはありえないくらい早く店に入る咲結さんは、全然姿を現さなかった。
「あの、咲結さん、大丈夫ですか?」
「あれ、降りてきてない?」
春山さん(母)が店内とキッチンを見渡して、困ったように眉をひそめる。
「パパ、咲結は?」
「帰ってから見てないけど……。まだ降りてこないのか?」
「優緋くん、ごめんね。そこの扉開けたら玄関があるから、呼んできてくれる?」
「え? 僕ですか?」
「うん。私も旦那も、手がふさがってるから」
そう、二人の手元を見る。春山さん(母)は、ハンバーグのタネを捏ねていて、春山さん(父)はナポリタンを作っていた。
確かに、今手が空いているのは僕だけ。でも今じゃなくてもいいと思うけど……。
「玄関すぐの階段から二階に上がって、一番奥の部屋だから」
「え、でも」
「お願いね」
そう、春山さん夫妻は僕から目を離した。
渋々、キッチンと春山家を繋げる扉を開けて、靴を脱いで玄関から室内に入る。
ナチュラルな色の木目調の階段を上がり、一番奥の部屋の前に立つ。
扉には『さゆ』と書いてあるフレームが掛けてある。
「咲結さん? 大丈夫?」
ノックして、中にいるであろう彼女の名前を呼ぶ。
返事は、ない。
「咲結さん? 開けるよ?」
ノックはしたし、返事がないのは、怖い。恐る恐る、部屋の戸を開ける。
「咲結さん……?」
軽く目を通す程度に、部屋を見渡す。人は、いなかった。
もしかしたらどこかで入れ違いになったかな。
店に戻ろうと、部屋を出ようとした。でも、僕の足は床に張り付いたように止まって、目線は壁に釘付けになった。
インスタントカメラで撮ったであろう、白い淵が広い写真。同じ背景で、同じ顔。
咲結さんと楓のツーショット写真が、恐らく小学生から、中学の制服姿のものまで、何十枚も貼ってあった。画鋲で穴が開かないように、マスキングテープで画鋲を刺すスペースを作って、コルクボードに飾ってあった。
ああ、この写真、見たことある。
楓の生徒手帳に挟まっていたものと似ている。同じ場所で撮ったものを、楓も持っていた。
「あ、ごめん」
「うわぁっ!」
思わず飛び上がってしまう。心臓がバクバクとうるさい。頼まれたから確認のために入っただけなのに、悪いことをしていると錯覚してしまう。
「ごめん、あの、ノックは、したんだけど、」
頭が真っ白になってしまって、今何を言っているのかもよくわからない。
でもそんな僕を見て、咲結さんはすぐに口を開いた。
「わかってるよ。私がお店に行かないから、呼びに来てくれたってお母さんに言われて。部屋にいないから、びっくりしたよね。ごめんね」
「いや、僕も、勝手に……」
「やっぱり、楓くんって、高梨楓くんのことだよね」
咲結さんの口から出た楓の名前に、こうしてツーショット写真を見たくせに驚いてしまう。咲結さんから楓の名前が出ることが僕の中ではありえないことだったから。
「世界って狭いね。楓くんのこと知ってる人がここでアルバイトしてるなんて」
感情が読み取れない。カーテンが閉まった薄暗い部屋のせいか。
笑顔が特徴的な咲結さんの笑顔は、今はないように見えた。
それもそうか。
楓は、中二の夏に死んだ。
死んだのだ。もう、この世にいない人の話をしているのだから。
大事であればあるほど、真剣な顔になるのも、わかる。
「今日は、お手伝いサボるって、言っちゃった。ねえ、優緋くんも楓くんの親友だったんだよね?」
「うん」
「どうして、仲良くなったの?」
その問いに、答えようか悩んだ。
悩んだけど、咲結さんは同じ痛みを知っている人だったのだから、話してもいいような気がした。



