真っ白なガーベラのような君へ

 バイトというやることができたからか、今年の夏休みはあっという間だった。
 そのせいというべきか、おかげというべきか。楓のことを思い出して、彼がいない悲しみに浸る時間が少なかった。
 学校へ行き、授業を適当に聞いて。部活へ向かう人の波に乗りながら、昇降口を出て正門をくぐる。
 Café HARUYAMAは、今日は学生が多いように見受けられた。窓の外から中を見ながら、裏口へ回る。
 荷物を置いて、キッチンに入る。
「お疲れ様で……え? どうしたの、その怪我」
 回収してきた食器をキッチンに置きに来た咲結さんの姿に、思わず声が大きくなる。両手の平に、学校の制服から覗く両膝に。大きな絆創膏を貼り付けていた。
「ああ、これ? 帰るときに転んじゃって。久しぶりに転んだから、何が起きたのかわからなくてさ。びっくりだよね」
 あっけらかんとしている。なんだか、やけに元気だ。
「ただ私、治るまで料理できないから、グラタン、早速作ってもらおうと思って」
「え? なんで?」
 痛いから、とか。それなら納得できるけど。治るまでって、それまで痛いっけ。
「黄色ブドウ球菌とか食中毒の危険性があるから。治るまで料理できないの。ちょっと負担かけちゃうかもしれないけど、ごめんね」
 なんか、働くというのは色々大変なんだな。
「まだ注文は入ってないから、入ったタイミングで教えるね」
「ああ、うん。わかった」
 僕が頷くと、咲結さんは微笑んでホールに戻って行った。
「あの子、おっちょこちょいだから、よく転ぶの。あんまり気にしなくていいからね」
 春山さん(母)がフライパンを片手に振り向いた。怪我をして娘が帰ってくることに慣れている様子だった。
「中学までは、絆創膏が綺麗に貼れていたんだけどね。中二かな。それくらいから、適当に貼るようになっちゃって。優緋くんも、言ってあげて? 綺麗に貼らないとばい菌が入るよって」
 笑いながら言うから、きっと最後のは冗談だろう。
中学二年ともなれば、反抗期に入るころだし。そのときから癖づいているのだろう。
 知らないけどさ。
「優緋くん、これ三番テーブルに運んでくれる?」
 さっきの会話のテンションと変わらないまま、僕はナポリタンをトレーに乗せて、ホールに出る。そこにいるはずの咲結さんの姿が見当たらない。
「お待たせいたしました。ごゆっくりどうぞ」
 お客様に注文の品を提供して、もう一度店内を見渡す。
どこにも、いないじゃないか。
「あの、咲結さんは?」
「外の掃除かな? まだ落ち葉を集めないといけない時期じゃないんだけどな。優緋くん、ちょっと見てきてもらってもいい?」
「わかりました」
 お店の出入り口の扉を押し開ける。まだ夏を感じさせる熱気が僕の全身を包み込む。
「あれ、どうしたの?」
「どうしたのは、こっちのセリフだよ。何も言わずに、なにしてるの?」
 咲結さんは、確かに外にいた。でも、掃除に必要な竹ぼうきも、何も持っていない。
手ぶら咲結さんが店の前に立っていた。
「お客様の忘れ物、届けてきたの。久しぶりに走ったら、なんか疲れるね」
「あ、なんだ、そうだったんだ」
 ほっとした。……ほっとした? なぜ?
 別に、仕事中だから、こうしてお客様を追いかけて外に出ることもあるはずなのに。
 春山さん(母)から、雑に絆創膏を貼っている、と聞いたから?
 でも、それが咲結さんがいないことに対するどことない不安感につながるとは、到底思えない。
「グラタンの注文、入ってない?」
 いつもと変わらない笑顔で、聞かれる。
 ああ、そうか。教えてもらう必要があるものが、咲結さんがいないときに注文されたら困る。そこから来る不安だったのか。
 なんだか、すっきりした。
「まだ入ってないよ」
「そっか。定義的には秋でも、朝晩もまだ暑いし、ちゃんと夏だもんね」
 結局、その日はグラタンの注文は入らなかった。
 退勤の二時間前に咲結さんに見てもらいながらバニラアイスを作り、冷凍庫に入れる。咲結さんはこれを、毎日やっているらしい。カフェの営業が終了して、片付けを終わらせた後に仕込むのがルーティンなのだと、僕がメレンゲを立てるのを見守りながら教えてくれた。
「それにしても、バニラアイス作るの速くなったね。上達が早くて、助かるよ」
 僕の手元に視線を落としながら、咲結さんはそう言った。
 どこか、嬉しそうな声色に、つい嬉しくなる。
「咲結さんに一日でも早く追い付けるように、もっと頑張るよ」
 思えば、最近家でキッチンに立つようになった。
卵焼きを教えてもらってからは、家かここかで必ず作っている。それに、他にも料理に挑戦してみたいと思い、レシピが無料で見れるアプリを、スマホにインストールしてみたりしていた。
楓を失った悲しみを誤魔化すためなのか。はたまた、彼との約束を果たすためなのか。どちらにベクトルが向いているのか、その答えは未だ、でないまま。今年も、楓を失った季節は過ぎ去り、街には秋の足音を感じさせるような世界が広がり始めていた。